結局、私は愚かだったのかもしれない。 しかし、分かっていても納得出来るはずがなかった。 私は誓った。ともを幸せにすると。 今までの悲しいことよりも、ずっと楽しい日々が待っている。 私と、朋也と、鷹文と、河南子。 どうだ、想像出来るだろう? 今までだって幸せだった。 笑って、笑って、また笑って。 楽しかった。嬉しかった。いつまでも続けばいいと、ただ漠然と思っていた。 きっと皆もそう思っていたに違いない。 そう、思っていたに違いない・・・・。 「それでも、おまえは一緒に居たいのか?」 聞こえてくる、朋也の声。 みーんみーん、とどこか遠くで蝉の鳴き声が木霊している。 日差しは私たちを焼き殺さんばかりに容赦なく照りつける。 そんな中で、私はくまの着ぐるみを身に纏っていた。 こんな暑さで着ぐるみを着るなんておかしく思えるだろう。だが、そうでもしなければこの場に居ることさえも適わない。 今の私は“森のくまさん”なのだ。“坂上智代”ではない。 「――――――うん」 「幸せな時間は、きっと終わりが来る。それでも、おまえは一緒にいたいのか?」 なんて残酷な問いなんだろうか。 いつか終わりが来ると、必ず幸せな時間は終わりが来ると分かっているのに。 先が見えない未来も恐ろしいが、私には先が見える未来が、この上なく恐ろしかった。 「――――――うん」 それでも、ともは。 構わないと、頷いた。 この子はまだ幼い。失うことの大きさをまだ理解できていないのかもしれない。 それでも。 ともは自分で、答えを出したのだ。 「――――――え?」 だから、私は。 少しでも、ともの母親らしく。 少しでも、“坂上智代”らしく、彼女の背中を押すことにしたのだ。 後悔しない人生はない。 幾度も立ち止まり、絶望し。 そのたびに立ち上がって歩を進めていく。 ともの人生は始まったばかりなのだ。 そして、この私も。 朋也たちが目を見開く前を通り過ぎ、朝から作っていた花の冠をともの頭に乗せる。 「ママ!」 違うぞ、とも。 私は森のくまさんなのだ。 断じて意地っ張りで弱虫な坂上智代などではない。 「ママ」 私は、そう、愚かだったのだ。 ともは、こんな小さい体で精一杯生きているというのに。 「とも・・・・」 そうだな。 きっと私は弱かったのだ。 纏う着ぐるみは弱さそのもの。 ありのままでともの前に出ることができない、弱い坂上智代。 だけど、ともは。 私の、娘は。 こんなにも、強く生きているじゃないか。 被り物を取る。 外気は蒸し暑かった空気を洗い流して、私を清めてくれているようだ。 風がこんなにも心地良くて、目に染みるものだとは思わなかった。 「すまなかった」 「どうして謝るの?」 「それは、私が愚かだったからだ。汚かったからだ。 ともが母親の話をするたびに胸が痛んだ。とものママに会ったときもこう思ったんだ。『こんな母親、居ない方が良い』と」 それは私の弱さから。 それは私の脆さから。 ともを失いたくなかった。 この幸せな時間を失いたくなかった。 いつまでも続けばいいと、心から願った。 「私は弱かったんだ。ともを失いたくないと、幸せな時間を手放したくないと、ただそれだけを思って、回りが見えなくなった。 きっと私は自分のことしか考えていなかった。 ともの幸せを願うと口にしながら、自分の心地良い時間を失いたくなかったんだ」 「智代・・・・」 朋也の手を握る。 ごわごわした着ぐるみ越しでも、その感触は伝わってくる。 今までいろいろなことがありすぎて。 私は失うことに敏感になりすぎた。 終わりそうな時間に怯えながら、いつまでも続くと自分に言い聞かせていた。 恐かったのだ。 ただ、恐ろしかったのだ。 「だがな、ともを見て思ったんだ」 「?」 「ともの勇気。ともの決意。本当に、輝いて見えた。 私は失うことばかり恐れて、前に進む大切さを忘れていたんだ。そして、とも。とものおかげで私は勇気付けられた」 永遠の愛とか、幸せな時間とか。 大切なのは“結果”などではなかったのだ。 永遠の愛に至ろうとする、幸せな時間を作ろうとする――――――その過程こそが、素晴らしいものなのだ。 「だから、すまなかったな、とも。そして――――――ありがとう」 村人総出で校舎作りをする姿を見て、不甲斐なくも私は泣いてしまった。その汗を流す姿こそが今まで理想としてきた道だったのだと、気づいてしまった。 諦めずに、前を向いて歩け。 少しでも、努力を重ねろ。 やる前から、泣き言など言うな。 そうだ。 そうして、私は――――――。 せめて、周りにいる人たちだけでも幸せになって欲しいと願ったのだ。 この手で救えるものなど限られている。 救えないものなど溢れかえっている。 それでも、私は決意した。 できないとわかっていても、自分の全てを尽くして、僅かな光を灯して見せると。 「ままぁ・・・・」 「とも。短い間だったけど、本当に幸せだった。私も、朋也も、鷹文も河南子も。皆は幸せだった。ともはどうだった?」 「・・・・たのし、かった」 「うん」 ああ。 そうだった。 これは終わりではない。 ともの、幸せな日々の、始まりに過ぎない。 ならばせめて母親らしく。 ならばせめて坂上智代らしく。 「私も、すごく楽しかった。ともと絵本を読んで、ともとご飯を食べて。たくさんちゅーもしたしな」 「うん」 「とも。楽しいことは、まだこれからも、いっぱいあるはずだ。辛いことも、それと同じくらいあるはずだ。そんなときはな。 周りの家族と一緒に乗り越えるんだ。とものママ、村のみんな。もちろん、私たちだってともの家族だ。 家族に血の繋がりは関係ない。ただ、一緒に居たいと。ただ、笑いあいたいと願う。それが、家族の絆なんだ」 一度は失った家族という絆のカタチ。 そんなあやふやな幻想を、鷹文は自らを賭してまで守ろうとした。それはきっと自分のため、私のため、みんなのため。 幸せでありたいと、そう願ったのだから。 視線を上げて、私は目を閉じた。 言いたいことはたくさんある。 罵りたいことも山ほどある。 だけどな、智代。 おまえが願うのは、そんなものではないだろう? さあ。 朋也の手を感じる。 どうか、私に。 少しだけ、浅はかな見栄を張るために。 勇気を、ください。 「ほら、智代」 どうってことない、そう彼の手が握り締められる。 そうだ。 どうってことはない。 お願いだ。 少しの時間でいいから。 そういうことに、しておいて欲しい。 「どうか、皆さん――――――」 せめて、最後だけは。 坂上智代らしく、胸を張っていたい。 「――――――いつまでも、お幸せに」 これは、私が辿った今までの道筋です。 今までにも辛いことや苦しいことはたくさんありました。 そのたびに立ち止まり。 そして、今まで歩いてきた道を振り返ってきました。 決して華やかなものだとは言えないけど、私はそれを見るたびに、前を向くために元気付けられるのです。 決して無駄ではなかったのだと。 決して不要なものではなかったのだと。 歩む先が見えなくなるたびに、私は省みるのです。 生きる意味が見出せないと、このまま生きていてもしょうがないと、あなたがもしそう思っているのなら。 今まで歩んできた道を、振り返ってみてください。 いろいろなことがあったでしょう? 楽しいことや辛いことがたくさんあったでしょう? 未来が見えないと、あなたが怯えているのなら。 その人生を頼りに、歩を進めてみてはどうですか? 世界は思ったよりも冷たくて、壊れやすいものです。 そして人間も。 だけどあなたはひとりじゃありません。 周りには友人が居ますか? 大切な家族が居ますか? あなたはひとりじゃありません。 同じように苦しみ。 同じように絶望している人たちが、世界にはたくさん居るのです。 その痛みは、味わった者にしかわからないとしても。 その人たちなら、きっと笑ってこう言ってくれるはずです。 『そんなの、自分に比べてたらまだ幸せな方だ』 自分を不幸だと思い込んで。 そして未来に絶望して。 生きる意味をなくして。 そんなときにこそ、思い出してみてください。 苦労した日々を。 楽しかった日々を。 きっとそれらは、今のあなたを形どっている大切なものなはずです。 あなたはひとりじゃありません。 たくさんの想いと。 たくさんの人たちの思い出があります。 だから。 自分を信じて、前に進んでみてはどうでしょうか。 人生はまだ、始まったばかりです。 若者の方も、お年寄りの方も。 幸せになりたいと、そう願って生きようとしたときに、その人生は再び始まるのです。 だからせめて。 勇気を持って、一歩目を踏み出してみませんか? もしあなたが一歩目を踏み出したことによって、躊躇する人の道しるべとなれたとしたら、 それは素晴らしいと思いませんか? 私は今まで生きてきた中で、短い人生ながらも、たくさんのことがありました。 それは楽しいことであったり、辛いことであったり。 私はそれらをとても大切に思うのです。 私はそれらを省みて。 同じように、私と同じように立ち止まった人の背中を押して上げたいのです。 かつて私が“むすめ”に救われたように。 かつて私が“おっと”に救われたように。 あなたの永遠の愛を、幸せな時間を得るお手伝いを。 せめて、この掌で。 支えてあげられれば、と思っています。 先は見えなくても。 思い出を支えに。 薄暗い足元を照らして。 ともに、歩んでいきましょう? 私は、その道しるべに。 薄暗い森の中、私はあなたを導ける存在となりたいのです。 どうか、あなたの人生が、素晴らしいものになりますように。 name:森のくまさん 「ねえちゃん、まだやってたの?」 「ん? ああ」 呆れたように鷹文はため息を吐いた。まったく失礼なヤツだな。 「まさかねえちゃんがハマっちゃうとはね。意外だったよ」 「そうそう。先輩ってこういうのすぐに叩き割りそうですから。ムキィーって」 「それおまえだろう」 「ムキィ―――――!!」 ぞろぞろと三人が集まってくる。 朋也のアパートの一室は凄まじい人口密度だ。 ともが居なくなってからも、休みの日にはこうして四人で集まるのが日課となっている。 あれから一ヶ月がたった。 河南子も両親と和解し、結構仲も良くなってきているらしい。わざわざ二人きりにさせてやろうと、こうしてしょうがなく朋也のアパートに来ているのだそうだ。 まったく、河南子も照れ屋だからな。 きっと少なからず朋也に好意を抱いているに違いない。 異性のそれではなく、朋也の人間性に。 彼女として鼻が高いぞ。 うん。 「そういうことで先輩。今度、みんなで温泉に行きましょう」 「いつもながら話が唐突だな」 「実は話があるんですけど」 「今更遅い」 賑やかな一室で、私も笑う。 いつか終わりがくるのだとしても、今は精一杯に生きようと思う。 歩く。 歩く。 たまに立ち止まって、振り返る。 そこには、私が望んでいた、“永遠の愛”という思い出があった。 きっと永遠の愛は作るものではない。 後になって、気づくものなのだ。 だから、歳をとって、それでも精一杯に生きて。 この世を去るその瞬間まで。 私は歩み続ける。 素晴らしい人生だったと、胸を張って言えるように。 私は、今日を生きていく。 だから、これからもよろしく頼む。 朋也。 鷹文。 河南子。 とも。 私の大切な、家族たち。 せめて、最後まで、坂上智代らしく生きていけますように。 どうか、私たちの人生が、 素晴らしいものであったと、言えますように。 うん。 私は思い出したのだ。 素晴らしい人生だと言えるように、生きることこそが――――――。 ――――――素晴らしい、生き方なのだ。 さあ。 皆で口をそろえて。 これからの、人生のために。 GOOD END. |
〜あとがき〜
智代アフターの終わり方には引っかかりを感じたので、智代の姐さんが幸せで終わるものを書いてみました。
このまま朋也と結婚して歳とって生涯をまっとうする、って感じです。
ありきたりだけど、こんなのっていいなー、と思います。
ともさんともさん、ここに妄想野郎がいますよ?
んー、りょーしょー(了承)。
幸せっていいな。