「朝焼けに染まる空の下で、僕は君にこう言いたかったんだ」
"aPProAch"
「・・・・裕一?」 僕の顔を見るなり、司が間の抜けた声を上げた。 あれほど遠慮していた本人が来たのだから不思議に思ったのだろう。確かに、イヤイヤ言ってたヤツが急に心変わりしたら、誰だって変に思うだろうし。 なるべく平静を装って、「おうっ」と片手で答える。 怪訝そうに視線を寄越す里香&月香コンビに苦笑し、僕は足を踏み入れた。 いま気づいたんだけど、里香と月香ってなんとなく似ているよな。目つきが悪いところとか、纏っている雰囲気とか。 「・・・・」 いつにも増して里香の視線は鋭い。 思い出されるのは、この世界で初めて出会ったときのこと。屋上での出会いは最悪だった。僕は洒落にならない毒を吐き、対抗するように里香も口を尖らせていた。 ああ、なんてことをしてしまったんだろう。 今だからこそ思える、そんなこと。だけどそのときは一番だと思って行動したんだ。里香と出会わなければいい。里香に嫌われればいい。そうすれば、僕じゃない誰かが幸せにしてくれる。そう思った。 だけど、そんなの、逃げる口実でしかなかったんだ。 僕じゃない誰か? 幸せにしてくれる? 何を馬鹿な。 それは逃げているだけだ。自信がないから、臆病だから。関係ないと白を切り、あとは人任せ。僕が嫌われるように土台を作って、あとは知らん振り。 そんな、馬鹿なこと。 それでは、あの雨の日、捨てられた仔猫を可哀想だと思って、知らん振りしたのと同じではないか。 他人がどうにかしてくれる。他人が幸せにしてくれる。だって自分には幸せにしてあげる力がないから。 なんて、詭弁。 でも、それが正しく思えてならなかった。彼女を救えなかったから。あの日、里香が死んでしまった日、僕は何もできなかったから。自信が音を立てて崩れるのを、僕は確かに聞いた。ガラガラと、最後まで里香を守ると誓った城壁が、たった一晩で崩れ去ってしまった。 丸裸にされた僕は、自分さえも守ることができなくて。 悔しかった。 情けなかった。 里香を守れなかった自分。最後まで馬鹿だった自分。 病院から逃げて。 逃げて。 逃げて。 気が付いたら、過去に戻っていた。 僕はさ、思ったんだよ。 ああ、ラッキー、って。 最悪だろ? 里香が死んだ事実がなくなって、僕はラッキーだって思ったんだ。よかった。里香が死んでない。僕は死に目に会えなくて、司ンちでゲームなんかしてなかった。そうだ。まだ大丈夫だ。大丈夫。僕は情けなくない。罵倒されるヤツじゃない。 これで自分は悪くないって、そう思った。 結局、僕は意気地なし。里香に会わなかった。いや、会えなかった。こんな煤けた自分を見られるのが怖くて、いろんな理由を付けて避け続けていた。偶然出会った屋上でのことも、ヤケになって、おかしいくらいに馬鹿をした。 最悪な自分。 馬鹿な自分。 でも。 もう、大丈夫。 馬鹿でも、情けなくても。 それこそが、戎崎 裕一なのだ。 汚らわしく這いずり回って。 情けなく反吐を吐いて。 それでも、僕は走り続けてきたんだろう? 里香に合わせる顔がない? 多いに結構。 里香につりあう男じゃない? 百も承知しているさ。 それでも、僕は好きなんだ。 秋庭 里香っていう女の子が。 例え死んでしまう運命を背負っていても、僕はしつこく食い下がる。 明日を諦めない。 終わりを認めない。 だから、さ。 僕は、また。 僕らは、また。 こうして、出会ったんだ。 「戎崎 裕一だ。よろしくなっ」 精一杯の虚勢をこめて、僕は不敵に笑ってやった。 負けるなよ、オレ。 泣くのは後にしろ、戎崎 裕一。 ■ ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― ■ 頼まれていた本をバックに入れて、あたしは病院に戻ってきた。 なんとなく、心が軽い。 ずっと暗い顔をしていた裕ちゃんが元気を取り戻したみたいだし、あたしも少しは役に立てるみたいだ。それが、嬉しかった。 ナースステーションの中で婦長さんに怒られている亜希子さんを尻目に、足早に歩を進める。東病棟の入り口は少ないので、入りなれている西病棟からあたしは出入りすることにしていた。 数分ほどかけて東病棟に行くと、休憩所に見慣れた顔を見つけた。 「・・・・何してるの?」 声に反応するように、二人が顔を向ける。世古口くんと月香ちゃんだ。 「えっと・・・・うん、どうしてかな?」 首を傾げながら、彼は唸った。釈然としないものを感じているらしい。男の子にしては細い眉がしかめられている。 なんだか声をかけるのが躊躇われ、もう一方の当事者、月香ちゃんの様子を見てみる。彼女も難しい顔をしていた。でも、世古口くんと違って、明らかに不機嫌なオーラがにじみ出ている。月香ちゃんにしては珍しい。こういってはなんだけど、彼女は淡白な性格をしている。あんまり喋んないし無口だけど、根に持つことはないのも同じだ。気に障ることをしても、すぐに許してしまうような、そんな性格。 月香ちゃんは、周囲に壁を作っている。 同年代の友達にだって同じだ。例外なのが、彼女の家族。小母さん、裕ちゃん。肉親には気も使わず、壁も作っていない。裕ちゃんが気づいているかどうかは分からないけど、ああやって皮肉を言ったり毒を吐くのは、他でもない裕ちゃんにだけなのだ。 他人に対して淡白で、居ても居なくても変わらない。 あたしに対しては、“昔馴染み”という肩書きがあるだけ。信用はされているけど、信頼はされていない。そういう関係だ。 「締め出されたんです」 吐き捨てるように、形の良い唇が動く。 「そ、そんなこと言っちゃ駄目だよ。秋庭さんだってごめんなさいって言ってたじゃないか」 「それでも、結果は同じです」 話の流れが掴めないあたしは置いてけぼりを喰らった気がした。なので、詳しく説明するように言うと、渋々と月香ちゃんが語り始めた。なんでも病室に裕ちゃんがやって来たらしい。それから、二人だけで話がしたいと、半ば問答無用で締め出されてしまったらしい。 でも、おかしいな。 それだけのことで月香ちゃんが怒るなんて。 不思議そうに見つめているのが分かったのか、顔を赤くしながら月香ちゃんが言う。 「あの二人、なんか怪しいです」 「ううん・・・・確かに。なんか知り合いみたいな感じだったし。でも、以前聞いたときは知らないって」 世古口くんの言うとおりだけど、里香ちゃんは、はっきり“知らない”って言った訳でもない。雰囲気が似た人とか、曖昧に誤魔化していた気がする。 裕ちゃんと、里香ちゃん。 もしかしたら、あたしたちが友達になる前に、会ったことがあるのかもしれない。 そうすると、裕ちゃんの様子がおかしかったことにも理由も付く。里香ちゃんの話題になると不機嫌になる裕ちゃん。まるで後ろめたいことがあるような、不自然な態度。 きっと、会いたくなかったのだろう。 そして今日、裕ちゃんは里香ちゃんに会いに行った。あたしに告白した後、一直線に向かったのだろう。 泣きそうな顔で、付き合ってくれと言った彼。 頷きそうになった。 そのまま肯定の言葉を、口に出して頷きたかった。 でも、途中から分かってしまったのだ。 彼は――――――裕ちゃんは、あたしじゃなくて、違う誰かを見ているんだって。 ――――――もしもさ、好きになったヤツが近いうちに遠い所に行くとしてもさ、ソイツと付き合うべきなのかなあって。 それは、彼女のことなのではないか。 ――――――離れたら、もう話すことも出来なくなる。 そこは、二度と会えなくなる、この世界で一番遠い場所。 ――――――それっきり。二度と話が出来なくて、二度と会うことが出来なくて。 きっと、それは悲しいこと。恐ろしいこと。だから、怖かったんだろう。途方もなく、恐ろしかったんだろう。 ――――――それでも、その、さ。ソイツが好きだったとしたら。 だから、裕ちゃんは会いに行ったのだろう。 怖くて足がすくんでも。 不安で足を止めてしまっても。 それでも、彼は会いに行ったのだ。 負けないで、裕ちゃん。 あたしは、祈ったのだ。 そうして、彼は歩き始めた。 理由は分からない。 それでも、元気付けたくて。 背中を押してあげたくて。 あたしは、精一杯の、虚勢と、勇気を込めて、送り出してあげた。 「あ、そういえば、水谷さんに裕一から伝言があるんだけど」 手に持った缶ジュースを転がしながら、言う。 「『ありがとう』だってさ」 「・・・・ありがとう、か」 確かめるように、口の中で反復する。ありがとう。それは、感謝の言葉。ありがとう。 おかしいよね、裕ちゃん。 感謝したいのは、あたしの方なのに。 あたしを変えてくれた、裕ちゃん。 あの、雨の日の出来事。 裕ちゃんにとってはほんの些細なことだったとしても、それは人生の転機だったのだ。 大げさじゃない。 “普通”を仕方がないと甘んじて受け入れていた、そんな自分を情けないと思った。 気づいていても、気づかないふりをして誤魔化していた。 そんな自分に、道を見せてくれた。 だから、感謝したいのはこっちの方。 ありがとう。 ありがとう。 だから、あたしは裕ちゃんの背中を追いながら、追い風になってあげたいと思うのだ。 少しでも、前へ。 少しでも、上へ。 いつか、追い越すそのときまで。 あたしは、裕ちゃんの背中を守り続けたい。 「ふふっ」 「・・・・何がおかしいんですか? ゆき姉さん」 「ううん。おかしかったんじゃないよ」 ぶすっと膨れる月香ちゃんを、なだめるように。 あたしは、包み隠さず、ありのままを語る。 「ただ――――――嬉しかっただけ、かな」 ■ ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― ■ 二人だけで話がしたいと、彼女は言った。 困惑する二人を病室から締め出した後、つりあがった目をさらに鋭くする。まるで閻魔みたいだな、なんて言ったらどうなるんだろうか。 「やっぱり、あんたが戎崎 裕一だったんだ」 「ああ」 やっぱり、というのは、以前に会ったことを暗に示している。みゆきたちから僕のことは聞いているんだろうし、この病院で同い年といったら、僕くらいしかいない。 そもそも、分からない方がおかしいのだ。 鋭い視線を背中に受けながら、僕は窓際に移動する。意味があった訳じゃない。 ただなんとなく――――――砲台山が恋しくなっただけだ。 「その、悪かった」 自然と、口から言葉が出た。 ご愁傷様とか、いろんな酷いことを言った。最悪な言葉だ。死を覚悟している人に、そんな下衆な言葉を吐くなんて。 僕は、殴られるのを覚悟して、この病室に来た。 これから友達になるにしろ、このまま終わるにしろ。 謝らないのは、いけないことだ。我慢ならないことだ。自分から吐いといて謝るなんて、虫が良すぎる話だ。 それでも、謝らずにはいられなかった。 情けないな、オレ。 今更頭を下げるなんて、虫が良いな、オレ。 あれから数日がたった。時効なんてない。彼女は覚えていて、きっと僕を怒っている。 嫌われている。 当たり前だ。あんなこと言われたら、誰だって怒るし、嫌う。もし里香にそんなこと言うヤツがいたら、問答無用で僕が張り倒す。 「・・・・屋上でのこと、謝る。許してもらえないかもしれないけど、謝る。ごめん」 「・・・・」 頭を下げているから、里香がどんな顔をしているのか見当も付かない。 だけど、なんとなく、怒っているのは分かった。ピリピリと空気が震えている気がする。 「・・・・」 「・・・・」 「・・・・・・・・」 「・・・・・・・・」 「・・・・・・・・・・・・」 「・・・・・・・・・・・・」 沈黙。 カチカチと、時計の刻む音がヤケに五月蝿い。 沈黙が、耳に痛かった。 罵倒されるかと思った。 泣き出されるかと思った。 でも、実際は。 声すら、かけてもらえない。 はは。 そりゃそうだ。 今更許してもらえるなんて、そんな都合の良い話はないだろう。 顔も見たくないはずだ。 声も聞きたくないはずだ。 でもさ、このままじゃ嫌なんだよ。 モヤモヤしたまま、なんて。 里香に何も言われない、ままなんて。 「そのために、来たの?」 僕が口を開こうとしたとき、遮るように彼女の声が響いた。 「・・・・ああ」 声を振る絞る。 負けるな、裕一。 負けるな、オレ。 背中を押してもらっただろう? 行く先を示してもらっただろう? だから、立ち止まるな。 転んでも、怪我をしても。 ボロボロになりながら、歩くんだ。 「謝りたくて、ここに来た。悪い。都合の良い話だって分かってる。だけど、ごめん」 「許さない」 はっきりと、彼女は言った。 顔を上げる。里香が、そこにいた。意志が強い、その瞳。長いまつげ。白い肌。柔らかそうな唇。 ちょっと待て。 泣くんじゃねえ。 みっともないぞ、裕一。 ここで泣いたら、許してもらえなくて泣いたみたいじゃないか。 ははっ。 そう思ったら、意地でも泣けないな。 「ごめん」 「許さない」 「ごめん」 「絶対許さない」 「超ごめん」 「絶対絶対許さない」 一瞬の間。 「「――――――はっ」」 吹き出してしまった。 何がなんだか。意地の張り合い? 里香の意地悪? 怒ってるとかいいながら、こいつはおかしそうに笑いやがった。 「馬鹿みたい」なんて言いながら。 それで、分かったのだ。 そうだった。こいつは、そんな小さなタマなんかじゃない。 死ねって言われても、あんたが死ねばって言い返すようなヤツなのだ。 ああ、懐かしい。 笑い声。 彼女の笑顔。 その全てが、愛しかった。 「なに笑ってるのよ」 「おまえこそ」 里香が笑った。 僕も笑った。 それこそが、僕の、望んでいたことだった。 残り火が消えるまで、散々笑ったあと、何気なしに僕たちは自己紹介をした。 秋庭 里香。心臓病を患っていて、今まで転院を何回も繰り返していた。そのせいで、友達も少なくて。看護婦や医者を困らせるのが趣味なんていう、捻くれたお姫様。 「戎崎 裕一、ねえ・・・・」 嘗め回すように僕を見る。 「出来の良い妹さんとは比べようにもならないわね」 「よく言われる」 苦笑した。本当におまえらは兄妹なのか? とか、毎回言われるから、それももう慣れてしまった。 月香は頭も良い、顔も綺麗。体もほっそりとしていて、声だって澄んでいる。 全てが三流の僕とは偉い違いだ。 そのせいか月香には嫌われているようだし、僕自身も、まあ嫌われても仕方がないかなあ、なんて思っているのだが。 「・・・・悔しくないの?」 「なんでだ?」 「だって、無能呼ばわりされるのよ? 妹より馬鹿だとか、妹より出来損ないだとか」 「事実だろ?」 呆気らかんに言うと、少し驚いた顔をして、里香が声に詰まる。 まあ、確かに負け犬の考えだよな。 届かないから、比べようもないから、気にしない。考えない。それは、諦めたことと同義なのだ。 「別にいいんだ。月香はしっかりとしているから、僕がとやかく言うことはない」 「・・・・」 「それに、オレのこと嫌ってるみたいだからな、アイツ」 「本当に?」 「ん? ああ」 「だとしたら、あんたの目は節穴ね」 呆れた、と言わんばかりにため息をつく。やれやれ、だからこの愚鈍は。大げさに肩を竦めるジェスチャーまでオマケつきだ。 それには少し、カチンときた。 「・・・・余計なお世話だ」 「まったく」 会話が途切れると、途端に居心地が悪くなった。 話している最中は気にならなかったけど、病室には二人っきりなのだ。やっぱり、司たちには残っていてもらえばよかった、なんて愚痴をもらしても後の祭り。 仕方なしに視線を外にやる。 僕につられたのか、里香も窓の外をみて、呟いた。 「ねえ、あの山、知ってる?」 ザ――――――――ッ ザザ――――――――――――――、 ッ、ザz――――――っ ザザザザザザザ、ザ―――――――――――――ッ 危険危険あの山は危険里香があそこに行ったせいで手術をする覚悟をした行っては駄目だ行かしては駄目だこのままだとまた同じ繰り返しになって里香が死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死危険危険緊急回避回避逝っては危機記気拳危険危険危険危険危険駄目だ阻止しろ行かせるなそれが貴様の出来ることだ行かせるな馬鹿阿呆なにしているてめえさっさと話題を変えろ早くしろ ザ――――――――ッ ザザ――――――――――――――、 ッ、ザz――――――っ ザザザザザザザ、ザ―――――――――――――ッ 「ねえ、聞いてるの?」 「――――――え?」 「もうっ、その歳で痴呆? ボケー、っとしちゃって」 話を聞いてなかったのがご立腹なのだろう、プンプンと効果音付きで怒っている。 でも、一瞬呆けてしまったのは確かだ。 あの山は、砲台山。里香と登った、思い出の山。大方、そのことを思い出して呆けてしまったのだろう。気をつけないと。もちろん、僕は痴呆などではないし、忘れっぽくもない。至って普通の、高校生だ。 「あの山だろ? 砲台山だよ」 「今、なんて言ったの?」 「え?」 「今よ、今」 「あの・・・・砲台山って・・・・」 身を乗り出して聞いてくる里香の剣幕に、僕は腰を引いた。まるで怒られているみたいだ。 「そう呼ぶの? あの山」 僕の様子などお構いなしだ。 だけど、彼女の目は真剣だった。 そして、その理由を知るからこそ、ぼくも出来る限り真剣に、彼女に説明する。 「ずっと前に、大砲が置いてあったんだ。山の頂上に、その台座が残ってる」 「へえー」 興味深げに頷く里香に気を良くした僕は、さらに畳み掛ける。 「結構絶景でさ、台座に登れるんだ。それで里香を――――――」 「・・・・あたし?」 「・・・・いや、里香も登ったら、気に入ると思うよ」 そうなんだ。嬉しそうに彼女は言う。 覚えてないかもしれないけどさ、里香。 僕たちは、登ったんだよ。 原チャリで山まで行って。 僕がミスって里香が怪我して。 二人で泥だらけになりながら、頂上にたどり着いたんだ。 僕は、今でも鮮明に覚えている。 里香の決意。 里香の横顔。 「・・・・何よ」 「あ、ああ。ごめん」 また、沈黙。 里香は砲台山を見ながら、黙ったまま。 言葉はないけど、さっきみたいに居心地が悪い訳ではなかった。 彼女は、思い出しているのだろう。 昔、父親と登ったという、砲台山のことを。 「許してあげるわ」 「え?」 「探していたものを見つけてくれたから」 そうだ。以前もこんな感じだった。読んだこともない本を読んだと嘘をついて、それを許してもらうためにあれこれと謝って。結局煮詰まったところで、砲台山の会話になったんだ。 呆然とする顔を見て、彼女は微笑む。 「ただし、条件があるわ」 それは、例えようもなく、背筋を凍らせる笑み。 小悪魔なんて目じゃない。大悪魔、いや、魔神? それこそ、かのルシファーなんて可愛く思えてしまうほど。 彼女は、そう。秋庭 里香なのだ! 「あたしの言うことをなんでも聞いて。なんでもよ。あたしが欲しいと言ったら、それを持ってきて。あたしが笑いたいって言ったら、何か面白いことをして笑わせて。それと、これが一番大事なこと」 そこで一旦、息をつく。 あれ? この他に何かあったっけ? 確か言うことを聞けって言われたけど、それだけだったような。あれ? 「あんたは、あたしのものよ。あたしに忠誠を誓いなさい。あたしに尽くすことを至上と考えなさい」 「ちょ、マジかよ!?」 「ええ。大マジよ」 それはもう、素晴らしい笑顔で、コイツは言いやがりました。 台詞がもうちょっと普通なら、大半の男が目を奪われるだろう。それくらい、綺麗だっていうのに。 「あんた、あたしに言ったこと忘れてんじゃないでしょうね? そのことがバレたら、うちのママに殺されるわよ?」 「うっ」 確かに。 里香の小母さんに知られでもしたら、冗談抜きでそうなる。入院してて殺されるなんて、洒落になってない。ホントに。 「ったく。分かったよ、お姫様」 「うん。よろしい」 満足した。里香の表情がそう告げる。 やられっぱなしは悔しいので、僕も少し意地悪してやる。 「でもさ、里香。おまえも気をつけろよ?」 「え?」 ベッドに近づいて、里香の白い手を取る。 「オレは、尽くすタイプなのだ」 そう言って、手の甲にキスをする。我ながら呆れるキザっぷり。 目に見えて赤くなった里香に満足しながら、ニッコリと微笑んで。 「おや、いかがなされました? 我が姫君?」 「〜〜〜〜〜〜ッ!!」 里香の悲鳴と、僕の絶叫が響く。 それはもう、凄い有様だった。 当然のように、両頬に紅葉が咲き。 帰ってきたみゆきたちに散々笑われるのは、また、別の話だ。 ■ "acCoMpaNy"に続く ■ |