「朝焼けに染まる空の下で、僕は君にこう言いたかったんだ」
"tHe_PaiN"
「痛い! 痛いですってば亜希子さんッ!!」 「うるさいな。男だろ、これくらいで泣き言ゆーな」 すでに三回目となる注射針の進入式。 何を隠そう、亜希子さんは注射針を打つのか大の苦手なのだ。だから僕は、一回の点滴のために、すでに二回も余計に痛みを味わっている。 まったくもって、理不尽としか言いようがない。 やはりというか、史実通りに僕は肝炎を発病してしまった。ウイルス性の軽いものなのだが、ただの風邪と違って病状は重い。 軽いのに重いとは、なんとも変な文章だけど。 癌とか悪性腫瘍とか、そういった死に至る重病に比べれば僕の病気は軽い。だからといって、肝炎が鼻水たらして済む程度ではないのも確かだ。 無茶をすれば死ぬだろうし、一番酷かった時期には、それこそ死ぬような思いをした。 一度経験したから耐性がつくかなー、なんて思ってたのが間違いだったらしい。熱は下がらないわ、意識は朦朧とするわと大変だったのだ。 そんなこんなで、僕が入院してから一ヶ月が経った。 肝炎の大きな特徴は、“忘れた頃にやってくる”、これにつきる。治ったと思って偏食や不規則な生活をすれば、すぐに病状は逆戻り。それでいて普段はなりを治めているもんだから、暇で暇でしょうがない。 病院に娯楽を求めるのは無理な話だ。 当然の様に、僕はゴロゴロと寝返りを打ちながら、悶々とした毎日を過ごすのだ。 そこで一番の問題が性欲の処理である。思春期真っ盛りの僕は、当然のように、人並みに性欲を持て余している訳で。 いくら個室とはいえ、昼間から腕の前後運動をするような度胸が僕にはなかった。亜希子さんならノックもせずに入ってくるだろうし、現場を押さえられでもしたら、その日のうちに『オナ太郎』なんて、致死もののあだ名を付けられかねない。 以前は入浴時間(風呂が狭いので、一人用となっている)に、こっそりとしていたんだけど・・・・。 思い返すと、なんだか虚しくなってきた。 別に溜まっても死にやしない。 うん。 今回は自制することにしよう。 亜希子さんの胸とか亜希子さんのお尻とか亜希子さんの足とか、ひじょーに目のやりどころに困る相手がいるんだけど、イヤラシイ視線を向ければ、それこそ隣の病室の多田さん(確か今年で八十になるそうだ)のように折檻されるのだろう。 ちなみに前回(?)とは少し違って、僕と多田さんの仲はかなり親しい状態である。お茶を飲みながら囲碁や将棋をたまにする。多田コレクションだって何冊か選りすぐりのモノを授与されている。 以前に『協力して亜希子さんをモノにしよう』なんて、鼻息荒くも相談されたことがあったけど、丁重にお断りしておいた。 だって怖いじゃん。 よくもまあ、毎回折檻されながらも、亜希子さんの尻を撫でられるものである。これがきっと、超えることが出来ない年の功なのだろう。 点滴を『必殺、ニ倍速!』を使ってそうそうに終わらせると、僕は東病棟に向かっていた。 西病棟と違って重病患者が多い東病棟は、自然と雰囲気も暗いものとなってしまう。そんな場所に僕がいるのも場違いなんだろうけど、ようやく自由に歩き回れるようになった今、どうしても足はそこに向かってしまうのだ。 未練がないと言えば、間違いなく嘘になる。 だけど、決心がつかないのも、僕の悪い癖なのだ。 何より里香との思い出が詰まった場所なのだ、この病院は。 出会って。 話して。 恋をして。 その全てをこの病院で過ごした。 里香が死んだのもこの病院なのだ。 二二五号室の前を通る。真っ白なプレートが小奇麗なそこには、本来の住まうべき住人はまだいない。 ここに『秋庭 里香』という名前が記されたプレートが挟まれるのは、いつなのだろうか。 僕が里香に会ったのは、今から一ヵ月後になる。それまでの彼女の都合なんて分からないし、もしもあの時、亜希子さんから紹介されなかったら永遠に出会うこともなかったのだろう。 運命なんてものは、そんな偶然から始まるのだ。 詩人めいた台詞を吐く自分に苦笑しながら、僕は屋上へと続く扉に手をかける。 相も変わらず、たてつけは悪い。 ■ ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― ■ もう何回目になるかも分からない転院先は、寂れた町の病院だった。 確かに静養するためには最適な町だろう。空気だって悪くないし、何より都会特有の、じれったい雰囲気がない。 お母さんもえらく気に入ったようだ。当たり前か、なにせ自分の半身と過ごしたことがある町なのだから。 故郷というものが見れたのだ、それだけでも転院した甲斐がある。 「――――――は、あ」 吸い込んだ空気は美味しかった。 脂っこいものが苦手な私は、壊滅的に食事の線が細い。許されれば、それこそ毎日だってカロリーメイトで済ましてしまうだろう。 病院食だって味気なさでは一、二を争う軽食である。水煮しただけの、本当のお粥だってある。考えられるだろうか、白米を水道水に漬け込んだようなお粥を。いくら線が細いとはいえ、そんな不味いものは、私だって食べたくない。 「――――――。」 空を見上げる。 晴れ渡った空は、嫌味たらしいくらいに快晴だ。いつだってどんよりと雲っている私の心中を嘲笑っているようで、少し腹が立つ。 同じ繰り返しでしかない日常にへいえきしつつも、病弱なこの身は、激しい運動一つしただけで体調を崩す。運が悪ければポックリと死んでしまうかもしれない。 普通に過ごしていてもこのザマだ。 不味い薬を大量に摂取して、一日の殆んどを横になって過ごす。これでは、老衰で死が間近な老人とどこが違うというのだ。 死んでも構わない、なんて言えるほど私は酔狂でもない。でも、退屈な日常と、いつ死んでもおかしくない身体に不満を持たないほど、無垢で清らかな少女でもないのだ。 こんな壊れた身体を産んだ母親にも、恨みを持ったことが、それこそ星の数ほどある。口に出したことはないけど。 もし普通な身体で産まれて来たのなら。 私は一体どんな生活を送っていたんだろう。 学校に行ったのかな。 友達は何人いたのかな。 恋人は出来たのかな。 「・・・・なんてね」 適うことのない願いを夢想するのは、それこそ人生に疲れきっているからだ。 磨耗した精神は今にもひび割れて崩れ落ちそう。 それでも耐え続けなければならない。 何より、母親を悲しませてはならない。 病弱な私を、ここまで育ててくれた、その、せめてものお礼に。 ギィ、と。 屋上に上がるとき、私が散々苦労した鉄の扉の開く音がした。 「――――――え」 顔を出したのは若い男の人だった。身長は私よりちょっと高くて、なんかひ弱な雰囲気がある。顔もカッコ悪くもなく、カッコ良くもない。夏目先生の方がレベルは明らかに上だろう。 その人は絶句して目を見開いたまま動こうとしない。 不愉快だ。 またくもって不愉快だった。 その、幽霊でも見た表情を女の子に向けるのはどうかと思う。 私は巨体が自慢のプロレスラーでもないし、ウエストが30cmしかないクールビューティーでもない。 至って普通の女の子・・・・だと思う。 でも、イマイチ自信がなかった。長く入院していたせいで肌は気持ち悪いくらい白いし、髪だって手入れは適当で伸ばしっぱなし。 「・・・・」 「・・・・」 やっぱり、私はおかしいのだろうか。 前の病院でも、人目をよく引いていた気がする。 「あの」 一応、声をかけてみる。返事は来ない。 無視か。 無視なのか。 それとも、驚きすぎて声が出ないとか? なんか無性に腹が立ってきたのは気のせいではないだろう。 「あの、聞こえてますか? もしもし?」 「・・・・いや、聞こえてる」 「?」 顔を俯かせた男の人を怪訝に思い、首を傾げる。 もしかして精神的な病気持ちなのだろうか。ここ、東病棟は重病者が多いと、亜希子さんっていう看護婦も言っていた気がする。 「こんなトコで何してんだ、アンタ?」 一瞬、引っかかるものを感じた。 この人の喋り方がなんかおかしい。外見とのギャップもあるけど、無理して口調を変えているような気がするのだ。そう、小学生が目上の人に敬語を使うような、そんな感じが。 病院生活が長い私は、相手の考えていることが何となく分かるようになってしまった。表情と仕草、話し方と間合い。それらは外見に引きずられている場合が多い。その点、この人は矛盾が際だって見える。 まるでわざと突っぱねているような――――――そんな感覚。 「ただの散歩よ」 敬語で話してこない輩に敬語で返す道理はない。急に口調が変わった自分に驚くかと思ったのだが、相手は、懐かしそうに苦笑した。 まったくもって訳が分からない。 以前に会ったことがあるのだろうか。 私が忘れているだけで、向こうは知ってるのかもしれない。それこそ何度も転院を繰り返してきたから、知り合った人間の名前も顔も、すぐに新しい情報に上書きされてしまう。 確認を取るために、一応聞いてみる。 「ところで――――――以前にどこかで会ったことある?」 「・・・・・・・ある訳ないだろ」 数拍の無言は何を意味するのか、初対面の自分に分かるはずもない。 追求を諦め、視線を山々に向ける。 確か、お父さんが話してくれた山が、このどれかにあるはずだ。 生憎私には、その山がどれなのか見当も付かない。 いつか、行ってみたいと思った。 「なあ、アンタ」 男の人の呼ぶ声に、「なに?」と素っ気無く返してみる。 「なんか病気持ってんのか?」 入院中の患者に、病状を聞くのは暗黙の了解で禁止されていることを、目の前の男は知らないのだろうか。 それこそただの骨折や胃炎でもない限り、笑って話せる病名を私は知らない。しかも東病棟に重病者が多いのは、入院患者なら誰でも知っている事実らしいから、この男はそれを承知で聞いているのだろう。 かなり失礼な、いや、最低なヤツだ。 「心臓病」 「・・・・あっそ」 自分から聞いておいてそれはないだろうに。というか、会話が成立していない気がするのは、私の気のせいなのだろうか。 「もしかして不治の病とか?」 まさかな、と男は笑った。 「生憎だけど、その通りよ」 「それはご愁傷様だな。若いのに難儀なこって」 どこまで精根が腐っているのだろう。 その台詞を全国数万の心臓病患者に聞かせてみたら、きっと夜道で刺されるに違いない。というか、うちの母親に聞かれでもしたら、彼は点滴の最中に枕で窒息死させられるだろう、確実に。 だけどきな臭いものを感じ、はいはい、と私はすまし顔で相槌を打つ。 今まで出会った人種の中で、ここまで無遠慮に接してきたパターンは初めてだ。大概は病名を知ると、鎮痛な面もちで、「ごめん」とか「頑張って、くじけないで」とか、のたまりやがるのだ。 本人に害意はないのだろうが――――――とてつもなく、表面上だけの言葉ほど、腹の立つものはない。 しかし、目の前の男は常識破りの無遠慮さで、「ご愁傷様」なんて言う。 面白い。 「で、あなたは?」 「ウイルス性の肝炎。風邪がめっちゃレベルアップしたヤツ」 「・・・・なんで、そんな屁みたいな病状のあなたが東病棟にいるのよ」 「屁みたいなって・・・・」 ブツブツと彼は何か呟きながら、 「いや、病状が重い、不幸のどん底みたいなヤツらの顔を拝めば、少しは暇つぶしになるかと思ってさ」 「さいてー」 「・・・・・・・・、はは」 本当に面白い。 口では汚いことばっかり言ってるけど、顔が泣きそうだから格好がついていない。 その自虐的な笑みも、その震える口先も、全てが今にも崩れ落ちそうだ。 彼が何を思って演技しているのかしらないけど、問い詰める気もないし、咎めるつもりもない。 だから、彼の膝が崩れる前に、私はここを立ち去ろう。 なんだかよく分からないけど。 それが一番良いと、私は思ったから。 「じゃあ」 彼に背を向け、鉄扉まで歩く。 ギイ、と唸りを上げるそれに悪態をつきながら、私は半身をくぐらせた。 「私はそろそろ帰るけど。あなた――――――」 視線を寄越す彼に向かって、私は微笑む。 「泣きたいのなら、人目のないところで泣いた方がいいよ?」 今度こそ、踵を返して歩き始める。 振り返ってもいないのに、なぜだか立ち尽くす彼の表情が鮮明に、私の脳裏に浮かんだ。 ■ ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― ■ 「う、あ・・・・ああああああぁああ・・・・」 もう駄目だ。 堪えきりなくなって、僕は膝をつく。そして恥ずかしげもなく大泣きした。 「うあ、あぁう、ああああああああああッ・・・・!」 畜生。 畜生。 畜生畜生畜生。 ここまでやって。 里香にあんな酷いこと言っておきながら。 どうしてこんなことになってしまったのだろう。 里香の、まったく知らない他人に向ける視線。 他人に発する、彼女の聞きなれない敬語。 それだけで。 その場で泣き喚きたくなってしまったのだ。 滅茶苦茶な頭の中で出した、『里香と関わらないための演技』も、あっさりとバレてしまった。 まさかこの時期に、すでに転院してきていたなんて。 はは。 相変わらず、勘が鋭いんだな、里香は。 何やってるんだ、僕は。 これじゃあ何も意味がないじゃないか。 里香を傷つけるだけで。 僕も傷ついただけで。 ――――――本当に、そうなのか? あれだけ言ったんだ。 きっと里香は僕のことを軽蔑しただろう。 それでいいじゃないか。 会わせる顔がなくて、丁度いいじゃないか。 里香が幸せになるには、僕と出会わない方がいい。 幸せになるとは限らないかもしれないけど、結末が変わると信じたい。 僕じゃない男と出会って――――――いや、男じゃなくてもいい。気の合う女友達とか―――――― 一緒に過ごして、少しでも長く生きて欲しい。 もしかしたら、手術をしなければ助かるかもしれない。 手術をしても死んでしまったのだ。長くは生きられないとはいえ、一年以内に亡くなることはない、と思う。 でも。 運命は。 ――――――変えることなど、出来やしないのではないか。 違う。 絶対に違う。 そうであってたまるものか。 死んでしまう運命を知っていても。 条件や環境が異なれば、結果だって変わるはずなのだ。 だから僕は多田さんと仲良くなった。 正確な日にちは覚えていないけれど、僕が入院して、二ヶ月以内に多田さんは亡くなっていたはず。ならば条件を変えて、僕が仲良くなって生活環境を変えれば、何かしら変化が起こるはずなのだ。 多田さんが亡くならなければ。 里香だって、きっと・・・・! 「うあ・・・・はは・・・・ははは」 生きてくれるのなら。 嫌われようが構わない。 無視されようが、軽蔑されようが構わない。 彼女の笑顔を守れるのなら。 ――――――おまえもそのうち好きな子ができるんだろうなあ。いいか、その子、大事にしろよ。 今度こそ。 彼女の笑顔を、守り抜いて。 里香に、最後まで笑っていてもらいたい。 「オレがどうなろうと、構うもんかッ・・・・!」 それまでは。 くじけるな、我が心。 泣き言だけは言うな――――――戎崎 裕一。 「男の泣き顔ほど最低なものはないですね、裕一」 「・・・・」 病室に戻ると、そこには機嫌が悪そうな月香がいた。 勘弁してくれ。 ただでさえ凹んでるってゆーのに。 コイツの毒舌に付き合うほど、僕は酔狂じゃない。 「一週間分の着替えを持ってきました。感謝しなさい」 「へいへい」 僕のお見舞いに来てくれる人物は、大体が決まっている。世古口 司に水谷 みゆき。それに母さんか月香。 今日は運悪く月香の担当だったようだ。 「なんですかその返事は。こっちだって好きで来ている訳じゃないんですよ?」 腰まで伸びた茶髪を揺らしながら、吐き捨てる。 「じゃあなんで来るんだよ」 「家にいても暇なんです」 「友達がいないって可哀想だよな、月香」 「裕一にも、そっくりそのまま返しますよ、その台詞」 険悪な雰囲気だが、これが戎崎兄妹の日常風景だ。互いに口汚く罵って、それを難なく聞き流す。 小学四年生にしてこの性格は、将来性に不安は残るところなのだが。 僕が心配するまでもないだろう。 現に手馴れた手つきでリンゴを剥くコイツの姿は、かなりサマになっている。 「オレにも剥いてくれ」 「自分でやってください」 「ったく、器用で羨ましいよな、おまえ。そうですよ、ブキッチョで能無しの裕一にはリンゴの皮だって剥けませんよ」 精一杯の呪詛を込めて毒づいてやる。 というか、これは自他共に認める事実だったりするのだが。 きっと、才能という果実を、母さんの腹の中に僕は置いてきてしまったのだろう。それを後から月香が食ったという訳だ。 おかげで僕は顔も頭も平均以下。 それに比べて月香は――――――比較するのもはなはだしい。 「・・・・分かりましたよ。そんな呪い殺すような目で見ないでください、気持ち悪い」 「うわー、実の兄をキモいとか言いやがったよ」 「事実です、気持ち悪い」 ここまで来ると毒舌どころじゃないだろう。 僕を憎んでいるって言われても驚かないぞ、ホントに。 だというのに、みゆきとかには態度柔らかいからな、コイツは。一体僕が何をしたっていうんだ。下着を盗んだとか風呂を覗いたとか、そんな死刑確実な行為どころか、普段はろくに話だってしてないのに。 月香の気を使って、なるべく距離をとっているんだぞ? 感謝して欲しいくらいだ。 年頃の妹は兄に嫌悪感を感じるっていうから、顔を合わせても挨拶だけに済ましているし。飯の時だって、無言で食って早々と退散することにしているし。 「・・・・何が不満なんだか」 「は?」 「いや何も」 それでいて律儀にお見舞いに来るのはコイツらしいというか。さすがは秀才というか。 もしかしたら日頃の仕返しのために来てるんじゃないのか? 会話しつつ毒舌を吐くのは、そういった意味合いが強いのかも。 「・・・・はあ」 今日は本当に疲れた。 目を瞑ると里香の顔が、声が、仕草が蘇ってきて。 今日は満足に眠れないかもな、なんて思う。 「・・・・」 「・・・・」 綺麗に剥かれたリンゴが差し出される。皿にも乗せないで手渡されたそれを、僕は一口。 シャリシャリと景気良い音。 甘酸っぱい果汁を喉に通す頃には、どうにか落ち着きも取り戻せてきた。 「・・・・月香。今日はもう帰ってくれ」 「――――――。」 隣で聞こえていた、リンゴを食べる音が途絶える。 「それは、私がいると邪魔ってことですか?」 「いや。ちょっと調子悪いみたいだ、今日は」 無言で月香が額に手を乗せてきた。普段は気持ち悪いって触りもしないくせに、本当に律儀なヤツだ。 数十秒、いや、数分たっただろうか。 元々時間の流れなんて気にしていないから、僕にはどのくらいの時間が過ぎたのか分からない。 月香は手を離し、ため息をついた。 「少し熱があるみたいです。だからあまり出歩くなと言って置いたのに。学習能力がないんですね、裕一」 まあ、前々回にそんなことを言われた気もするけど。 「わりーな。馬鹿な兄貴でさ」 「・・・・」 マズい。 どうにも病状が悪化したかもしれない。 下手すれば、亜希子さんに叱られて叱られて簀巻きにされて、東京湾の藻屑と化すかもしれない。 なんたって亜希子さんは、『伊勢湾岸暴走夜露死苦』とか『十七代女一匹愛死天琉』とかを背中に刺繍して公道を突っ走る人なのだ(元だけど)。 逃げたところで集団のバイクに包囲されて、釘バットを担いだ亜希子さんが、 『疼くんだよ、テメエに触られた尻がなあッ!!』 ブオンブオンとかパプーとか、暴○族っぽいBGMをバックに言うのだろう。 「ひぃー、それ多田さんですってばー」 「ちょっと・・・・大丈夫ですか?」 「へ、平気平気。一日寝れば元気になる」 「・・・・辛くなったらナースコールを押すんですよ? それくらいなら馬鹿で阿呆な裕一でも出来るでしょう?」 そこまで言いますか、この妹は。 「ふあ・・・・じゃ、寝る」 返答を待たずに身体を沈める。 そして。 あっという間に、僕の意識は落ちていった。 「――――――ごめんなさい」 聞こえない。 月香は最後に何か一言だけ呟いて、病室を後にした。 心がボロボロで今にも死にそうだけど。 なんとなく、少しだけ気が楽になったのは、月香のおかげなんだろうか――――――。 ■ "ConTacT "に続く ■ |