「朝焼けに染まる空の下で、僕は君にこう言いたかったんだ」




"AL_teration"




 平穏な日常は後になってから気づくのだと、どっかの偉い学者さんが言っていた気がする。

 確かにそうだ。

 気づかない些細なものだからこそ“平穏”なんて呼ばれる訳で、“平穏”を求めて生きるのは“平穏”とは言えない。

 僕は馬鹿笑いしながら、ふとそんなことを思った。








 あの雨の日の一件以来、世古口 司と戎崎 裕一は文字通り友人となっていた。すでにいろいろと司の趣味や癖を知っている身としては、あいつの妙によそよそしい態度が新鮮であり、少し悲しかったりする。

 でも知っているおかげというべきか、かなり早い期間で僕達は打ち解けていた。それも当たり前、司の趣味に合わせて僕はいろいろと話を合わせられるからだ。前々から司(と言っても、目の前のやつではない)に吹き込まれたおかげで、一般人よりは濃い話題にもついていくことが出来る。

 一人悶々と隠れマニアやっていた司には、結構嬉しかったようだ。

 学校でも話すことが多くなって、今では二人でいるのが当たり前になってきている。高校ともなれば、不特定多数で遊ぶような、小学生みたいな真似はしないだろう。

 

 でも、日々が変わりなく過ぎていく日常の中で、湧き上がるように不安が鎌をもたげてくるときがある。

 こう思うんだ。

 もし僕がまた肝炎になったとしたら。

 入院することになってしまったら。

 また、里香と出会ってしまうのだろうか、と。

 今でもはっきりと覚えている。

 里香と過ごした病院生活。

 彼女の笑顔。

 彼女の怒り顔。

 彼女の声。

 愛しくて愛しくてたまらないんだ。

 今すぐにでも、訳もなく叫びだして好きだと絶叫したい。

 こんなにも求めているのに。

 こんなにも里香を愛しているのに。

 僕意外の人間は彼女を知らない。

 あの雨の日の次の日、僕は学校をサボってまで病院へと向かった。気にならない訳がない。

 結局、病院に彼女はいなかった。

 亜希子さんは見かけたけれど、まだ知り合いでもなんでもない。

 仕方なくナースステーションで「秋庭 里香」という入院患者を探してもらってけど、帰ってきた答えは予想していたものだった。

 司がいて、みゆきもいて。

 僕は肝炎になる前でピンピンしている。

 ならば、秋庭 里香という名の少女は何をしているのだろうか。

 もう数日たって分かったことがある。

 僕の頭がイカれているにしろ狂っているにしろ、これから起こるであろう出来事――――――肝炎を患い、入院するといった――――――未来を知っているのだ。

 母さんに話してみたら、本気で心配されて救急車を呼ばれそうになった。あれは痛い。今から殺される手前の、食用豚に向けられる視線だった、うん。

 まあ、根も葉もない話だっていうのは十分承知している。自分でさえ半信半疑なんだ。

 だから僕が本当に肝炎になれば――――――自ずと答えは出る。

 僕の肝炎はウイルス性のものだ。自分でなりたくてなるものじゃない。あの高熱とダルさ加減はそうそうなりたいものではないけど、事実を証明するためだったら受け入れてもいい。

 実際のところ、精神疾患だったら本当に幸福だっただろうなあ、って思う。

 未来に起こるであろう出来事を知っていて、なおかつ自分が愛した少女が死ぬのも知ってしまった。

 馬鹿げた話しだ。

 外れると分かっているくじを引くようなもんなんだから。

 ・・・・。

 司が“ひろせよしかず”の話題を熱く語りながら、「イリュ―――ジョ―――ンッ!!」なんて声を上げている。僕はゲラゲラと「なんだよそれ」と大笑いした。

 なんでもコイツが尊敬するお菓子職人(?)なのだそうだ。

 ああ、ちなみに。

 デカい体系ながらも卓越したお菓子作り技能をもっているので。

 学校の女子からは<マスター世古口>なんて呼ばれているらしい。

 本当に。

 平穏な日常だ。




















 「裕ちゃん」



 近頃になって聞きなれてきた声に、僕は振り返った。

 案の定、みゆきの姿がそこにはあった。あの夜以来、どういう訳か僕達三人は顔を合わせる機会が多くなったと思う。

 前の記憶を辿ってみても、僕がみゆきに勉強を教えてくれと頼む前は交流が薄かったことしかわからない。

 確かに僕達二人は幼馴染だ。

 だけどここまで仲が良かったのは小学生以来ではないだろうか。

 みゆきが「裕ちゃん」なんてあだ名で呼ぶせいか、司は、僕とみゆきが前から仲が良かったのだと勘違いしているらしい。

 わかんないな。

 僕が知っている“過去”とズレが生じてきている。それが良いことなのか悪いことなのか、想像もつかないけれど。

 悪い気は、しない。

 司と同じく、みゆきにも世話になったから。

 それにコイツが知る良しもないだろうけど、僕の初恋の相手はみゆきだったりするんだ。

 小学生の話だけど、な。

 

 「用事ないんでしょう? 帰ろう?」

 「そうだな」



 司に別れを告げ、僕達は教室を後にする。これから料理研究会に顔を出すらしい男は、ヒヨコが刺繍された戦闘服エプロン姿に早速着替えようとしていた。

 料理中に「いりゅーじょーん」なんて叫びださないように願いつつ。

 僕は下駄箱へと足を進める。








 僕とみゆきが幼馴染なのはひとえに家が近いだけじゃない。両親が(僕の場合は母親だけだけど)仕事で何度か顔をあわせたことがあるらしく、そこから家族ぐるみの付き合いに発展した、という訳だ。

 中学に上がってご無沙汰になっていたときも、親同士では交流は続いていたらしい。初耳の話に、みゆきもつい最近知ったと苦笑いをしていたのを思い出す。

 今思えば、僕達は餓鬼だったんだ、一笑出来る。

 その頃は女子と遊ばなくなって、“遊び友達”から“異性”へと認識が変わってくるときだ。幼いときは一緒に風呂に入っていたとしても、中学にもなって、お互いの家を行き来するのはどうかと思うようになった。

 健全にしていれば問題ないかもしれない。でも、一応僕だって思春期真っ盛りの男なのだ。

 みゆきの“オンナ”としての仕草に何度ドキっとさせられたことか。しかも小学生の身で、だ。遊びの最中に体が触れ合うと気持ちよくって、後から何してんだオレ、なんて憂鬱な気分になる。

 画面の中の女はいくら汚されようと犯されようと構わなかったけど、みゆきに欲情しそうな自分はこの上なく汚らわしく思えた。

 そう。

 中学に上がりたての僕は、交流が少なくなっていたにしろ、みゆきのことが好きだったのだ。

 “幼馴染”という他人とは違う立場に優越感を感じていたし、“裕ちゃん”とあだ名で呼ばれることが、気恥ずかしくもあり、嬉しくもあった。

 だけど。

 みゆきがある男子生徒から告白されたと聞いてから、何かが変わった。

 結局みゆきは断ったらしいけど、今まで誰にも汚されず、自分だけの幼馴染だと思っていた彼女は、そこいらにいる女子と大して変わりはない存在なのだと気づいてしまった。

 一人よがりだとは分かっていた。

 みゆきは僕の彼女じゃない。

 自由に恋愛する権利はある。

 彼女は自分で愛する人を選んで、悩んで、告白して、幸せになる権利があるっていう、ごく単純なこと。

 そうしたら気づいた。

 確かに僕達は幼馴染だけど、みゆきが僕を恋愛の対象として見てくれるという確証はない。

 仲がいいのは確か。

 けれど、それだけだ。

 本当に身勝手だけど、裏切られた気がして、腹が立った。

 きっかけは些細な僕の馬鹿。

 一度口を利かなくなったら、後は面白いように疎遠になった。元より男子と女子だ。固まるグループも違うし、社交的でない僕がクラスの中心的なグループに属すことはない。

 今考えれば、可愛げのある話だろう。

 本当に。

 下駄箱で外靴に履き替えて、なんとなくみゆきを見てみる。



 「・・・・!」



 慌ててみゆきが視線をずらした。

 なんだ? 

 そういえば、あの夜以来、妙にみゆきは僕と一緒にいるようになった。クラスの男子からは冷やかされることもあったけど、僕達にそんな事実はない。

 勘だけど――――――みゆきは僕に恋愛感情は持っていないと思う。

 何より熱がこもっていないし(一応、僕は恋愛経験者だ)、どちらかといえば、宝石を見るような目に似ている。

 気になるけれど、直に聞く訳にもいかないだろう。



 「なあ、みゆき」

 「なに?」



 校門を抜けて、まだ蒼い空を見上げながら、僕は歩き出した。



 「小学生の頃、オレ、みゆきのこと好きだったんだ」

 「へー・・・・って、ええ!?」



 いや、我ながらすごい切り出し方だと思う。

 みゆきは傍目からでもはっきり分かるような、真っ赤な顔でうろたえている。普段はすました雰囲気だから、なんだか新鮮に思えた。



 「ああ、小学生の頃だからな。小学生」

 「え? う、うん。そうだよね、あはは・・・・ふう」



 最後のため息はなんなんだろうか。

 僕達は横断歩道の前で、足を止めた。前方の信号は赤。僕達の他にも、帰宅部の連中が何人か、面倒くさそうに信号待ちをしている。

 正直に言うと、僕はもうあの日の夜に泣きつくしてしまっている。

 猫の飼い主が見つかってお開きになった後も、僕はすぐ家に帰らずに、砲台山へと向かったのだ。雨の日に何を馬鹿な。しかも夜更けに。

 ああ、理由なんて最初から決まっているだろう?

 里香との思い出の場所だったからだ。

 僕は里香を知っていて、里香は僕を知らない。

 僕は里香を愛していて、里香は僕を愛していない。

 まだ出会ってもいないのだから当たり前だけど、その事実が僕をボロボロにした。

 愛して。

 また里香を愛して。

 それで、またあんな悲しい別れを経験するのだろうか。

 前にも言ったけどさ、僕はもう疲れたんだ。

 彼女が死んでしまうと分かっていて、それでいて二人が不幸になると分かっているのならば。

 僕は里香を愛さない。

 そうすれば、彼女は幸せになれるのではないだろうか。

 こんな口先だけの男じゃなくてさ。

 里香を一生支えてくれるぐらいの、良い男に出会えるんじゃないかって思うんだ。



 「でさ、そんな訳で彼女いない暦一生なオレだからさ、みゆきに聞きたいことがあるんだ」



 みゆきならそういうの経験豊富だろ? と、付け足すと、みゆきは困ったように苦笑いをした。

 謙遜してるのか?



 「もしもさ、好きになったヤツが近いうちに遠い所に行くとしてもさ、ソイツと付き合うべきなのかなあって」

 「・・・・裕ちゃんの好きな人って、外国に引っ越しちゃうの?」

 「い、いや。そういう訳じゃない。だから例え話だって。例え話」



 なんか変に誤解されそうで嫌だな。

 みゆきは気のせいか機嫌悪くなっているような気もするし。里香もそうだったけど、女心は本当に不思議だ。

 しばらく無言で考えているようで、信号機が青になると、僕につられてみゆきも歩き出す。そんなに真剣に考えてくれるのは結構嬉しいものがある。みゆきは一見淡白だけど、それは表面だけだって分かっている。

 それに、意外と涙もろいんだぞ、コイツ。



 「うーん、文通とかメールは出来ないの?」

 「離れたら、もう話すことも出来なくなる」



 だって、死んでしまったら、それで終わりなんだから。

 いくら望んでも。

 いくら祈っても。

 神様なんていう不確かなものは、願いを叶えてくれるはずもないのだ。



 「それっきり。二度と話が出来なくて、二度と会うことが出来なくて。それでも、その、さ。ソイツが好きだったとしたら」

 「裕ちゃんは」

 「え?」

 「裕ちゃんは、きっと免罪符を求めてるんだよ」

 「――――――」

 「あたしにこうすればいいって聞いて、それに従えば自分は悪くないって思ってる。そうじゃない?」



 違う!

 ・・・・なんて言えるほど、僕は嘘が上手ではない。

 そうだった。

 みゆきの言う通りだ。

 意見を聞いて、どうするつもりだったんだ。

 のうのうと他人のせいにして、自分で決めたことじゃないって言い訳にして、そうやって逃げ道を作ろうとしていたんじゃないのか?

 事情を知らないみゆきでさえそう思ったんだ。さぞや僕の顔は情けないことに違いない。



 「――――――そうだな。悪かった、変な質問して。忘れてくれ」

 

 でもさ、俺が悪いのは当たり前なのに。

 なんでおまえが泣きそうな顔してんだよ。

 本当に事情を知らないのか?

 もしかしたら、みゆきも里香のことを知っていて――――――って、んな訳ないか。

 昔からコイツはお人良しだったから。

 涼しい顔をして、困ってるヤツを助けるような性格してるんだ、本当に。

 

 「・・・・裕ちゃん、ウチ寄ってって、お菓子食べていかない?」

 

 ほらな。

 さっきは突き放しておいて、途端にこの調子。

 本当に。

 コイツらしい。



 「月香るかにも連絡入れとくから、ね?」

 「――――――って、誰だよ“ルカ”って。みゆきの友達か?」

 

 僕がそう言うと、みゆきが怪訝そうな顔をして首を傾げた。



 「誰も何も、裕ちゃんの妹でしょう?」



 は?

 何言ってんだ、みゆきは。

 幼馴染なら分かっているだろうに、僕は正真正銘、一人っ子だ。

 そりゃあ、昔は妹か弟が欲しいなあ、とは思っていたけど。

 

 「だから誰だよ、その、ルカ?」

 「る・か。月に香りの香。小学四年生の女の子。はい、これでオシマイ。あんまり意地悪すると嫌われちゃうよ、月香に」



 みゆきは真面目な顔をしている。

 ・・・・本当に、冗談を言っていないのか?

 そもそも、今の今まで、僕の家族は母親一人だって確認している。家には母さんしかいないし、使われている部屋だってない。

 ならばなぜ――――――。




















 ザ――――――。

                  ザザ―――――――――ッ。
                   
                                               ビー、ザ―――――。


 戎崎 月香10歳性別女性格は冷静沈着にして真面目基本的に他人と深く関わりあおうとはぜずに一歩引いた立場から物事を見る傾向がある兄の裕一に関しては例外で冷たい態度ながらも肩肘を張った雰囲気はなくなることから信頼はされているようであるしかしながら兄とは呼ばずに名前しかも呼び捨てで呼ぶことから母親も何度も注意したが直らず結局はそのままで通されることになった


       ザ、 ザザ――――――――――――ッ。

                            ザ――――――――。




















 「あ、れ?」



 戎崎 月香。

 そうだ、月香は僕の妹だった。なんで忘れてたんだろう?

 

 「大方、また喧嘩でもしたんでしょう? もう」



 苦笑しながらみゆきが言った。

 月香は昔から生意気で、妹のくせに僕のことを“裕一”と呼ぶ。双子でもないのに呼び捨てとはどうかと思うけど、それに慣れてしまった今では、逆に“お兄ちゃん”なんて言われた方が違和感バリバリだ。

 つんと澄ましていて小生意気なヤツ。それが戎崎 月香だろう。

 それでいて能力が高いもんだから始末に置けない。掃除洗濯も母さんと一緒にやっていたせいか、そこいらの小学生だとは思えないほどに上達してしまった。

 まったく、全てにおいて負けているなんて、兄貴の面目丸つぶれじゃないか。

 ・・・・まあ、最初からアイツが僕のことを、兄と思っているのかは怪しいところだけど。


 
 「そうなんだよ。ちょっと寝坊しただけでクズとかノロマなんて言うんだぜ? ホント、信じらんねえ」

 「だったら早起きすればいいんじゃない。ふふ、困ったお兄ちゃんを持つと苦労するね、月香も」



 どういう訳か、僕にはまったくと言っていいくらい懐いていないのに、みゆきには結構気を許しているらしい。

 僕とみゆきが疎遠になっていた時期も、親と同じく、月香とメールなんかをしていたようだ。みゆきの弟の亮一りょういちとも仲が良いのが関係しているのだろうか。

 ともあれ、なんだが僕とみゆきだけがギクシャクしていただけで、家族間ではなんの問題もないのだ。まだ小学生の妹と弟が同じ道を辿らないように願いつつ、僕は月香の顔を思い浮かべた。


 
 「アイツも、もう少し態度を柔らかくしてもいいと思うんだけどなあ」



 兄の僕が言うのもアレだけど、月香は結構な容姿を持っている。優性遺伝の全てをアイツに持っていかれたような気がしてならない。

 茶髪かかった長髪をポニーテールにして(将来ハゲるぞと言ったら、ヤクザキックかまされた)、里香に似てつり目で、いつも機嫌が悪そうに僕を睨んでくる。

 過去に何か悪いことしたのか、と考えてみたけど、思いつくものはない。母さんに聞いてみたけど、苦笑するだけで教えてはくれなかった。

 まったくもって不可解だ。

 

 「反抗期ってやつなのかな・・・・?」

 「だったら、物心ついた頃からそうになっちゃうじゃない。それに裕ちゃんだけだよ、あんなに堂々と睨まれるのは」

 「確かに。月香はどっちかというと無表情になるからな、外に出ると」



 まるで借りてきた猫。

 家の中の暴君がどこに消えたのか、月香はうんともすんとも喋らなくなる。必要があれば話すけど、自分から会話に混じってくることはない。

 我が妹ながら、何を考えているのかさっぱりだ。

 






 店が殆んど開いていない商店街を抜けて、住宅地へと入っていく。小学校も中学校も、商店街を抜けて行かなければならないので、あそこは通勤時には結構な人通りがある。それでいて寂れてしまうのだから不思議なもんだ。

 五分ほど歩き続けるとみゆきの家が見えてきた。

 ごく普通の一軒家。だけど、中古で買った僕の家とは違ってまだ綺麗な感じだ。

 中学に上がってからはご無沙汰だったけど、この間の出来事があって以来、すでにニ、三度は訪れている。



 「ただいまー」



 みゆきが声を上げると、奥の方から足音が近づいてくる。



 「おかえり。あら、裕一くんも一緒だったのね」

 「ど、どうも」



 小母さんはどういう訳か、僕のことを未だに小学生の感じで見ている。みゆきも勘付いているみたいだった。

 まあ、疎遠になったのが中学に上がってからだから、小母さんの中で、“戎崎 裕一”という人物は小学校で成長を止めているのかもしれない。

 なんだか微妙に空しいけど。

 靴を脱ぐみゆきに続いて、「おじゃまします」と呟いて僕も上がっていく。

 

 「ちゃんと手洗いうがいしなさいよ? なんか風邪が流行ってるみたいだから」



 そうなのか。初めて聞いたけど。

 もしかして僕の肝炎はこういった風邪から誘発したんだろうか。



 「もう、子供じゃないんだから」



 少し頬を膨らませてみゆきが言う。

 いや、風邪も馬鹿に出来ないんだって、ホントに。

 ブツクサ言いながらも、渋々と二人で洗面所に向かうことにした。







 







 目の前には湯気が立つティーカップが置かれている。テーブルの中央には様々なクッキーが集められた大皿が。

 

 「なんというか・・・・」

 「? どうしたの、裕ちゃん?」

 「いや、おまえンちって、結構ブルジョワなんだな」


 あれ? ブルジョワって死語だったっけ?



 「・・・・そんなことないと思うけど。友達の家行っても、このくらい普通だよ」



 たぶん、ウチだったら、緑茶と煎餅だと思うけど。

 なんて考えながら、僕は紅茶から口をつける。うん、インスタントながらも美味いじゃないか。

 僕は通じゃないからストレートで飲むなんて真似はしない。あれじゃあ、ただ渋いだけで美味しくともなんともない。コーヒーだって同じだ。

 みゆきは砂糖は半分だけにしたらしい。
 
 

 「ふう。なんか、落ち着くな」

 「そうでしょう? あたしもこういう雰囲気は好きだな」



 司の家で漫画を読んだり、ゲームしたりするのもそれはそれで楽しいけど。

 こういった、ゆったりとした雰囲気になれるのは、みゆきの家ならではといえる。

 自分の家なんて持っての外だ。


 
 「あのさー、みゆきー」



 クッキーをほお張るみゆきが視線をよこす。なんか間抜けな絵だな、なんて言えるはずもなく、僕は苦笑した。



 「今日はありがとうな、気を使ってくれて」

 「・・・・なんのこと?」

 「いや、分からないならいいや。ま、一応、礼は言っておく」



 素直じゃないのもコイツらしい。

 幼馴染とは、便利であって不便なところもある。

 でもさ。

 世の中の関係なんてこんなもんだろう。

 互いに利用しあって、その中で、信用から信頼に変わっていくんだ。

 作り上げるのは難しいけど、壊すのは驚くくらいに容易い。

 僕がみゆきを信頼してるのは確かで、コイツも僕を信頼してくれているのかは微妙だけど。

 幼馴染ながいつきあいっていう、そんな一言で片付けられない何かがあるのは確かだと思う。

 ま、これからも世話になる予定だからな(主に勉強関係で)。

 今のうちにご機嫌でも取っておきますか。


 
 「なんかニヤニヤしちゃって、変な裕ちゃん」



 プイ、と顔を逸らす。

 なんだ、照れてるのか。褒め言葉に対する耐性がないと見た。

 以前の僕ならいざ知らず、今のオレは一味違うんだな、これが。



 「怒った顔も可愛いな」

 「なっ!?」



 ガタン。

 みゆきが強張ったときにテーブルが揺れる。肘を突いていた僕はそのままバランスを崩して、まだ半分以上の残っている紅茶を溢してしまった。

 そして当然の如く流れてくるのは自分の太もも。



 「うわっちゃ――――――っ!?」

 「な、何してんのよ、裕ちゃん! お母さん、フキンフキン!」

 「あらあら、仲が良いわね、二人とも」

 「タマが、僕のタマがぁ―――――っ!!」

 「タマタマ言うな!!」


 
 べちょん、と。

 僕の顔面に、フキンが投げつけられた。

 女のみゆきにはわからないかもしれないけどさ。

 結構デリケートなんだよね、アレは。

 ホント、勘弁してくれ。

 股間を火傷して入院なんて、んな馬鹿な理由はないだろうに。

 パニックになりながらも、僕はそんなことを思った。








                                                 ■ "tHe_PaiN"に続く ■