「朝焼けに染まる空の下で、僕は君にこう言いたかったんだ」




"Re_set"







 つまるところ、私はユーイチのことが好きだった。

 そりゃあ、たまに煩わしく感じたり不快な思いをしたりもした。

 だけど人間は生きているうちに感じるものの、大半はあまり良い感情は抱かないんじゃないかって思うのだ。

 まだ二十年も生きていない小娘が何言ってんだ、とか言われそうだけど。

 小さいときから私は同い年の子供とは少し違う性格だったのを覚えている。

 クレヨンで落書きして、遊具で遊んで。

 でも何か物足りないものを感じていた。それが何なのか、まだ“幼い”自分にはわからなかったけど、“足りない”ことだけは本能的に悟っていたのだろう。

 何をしてもつまらない。

 何を見ても胸が躍らない。

 ただ漠然とその日を過ごし、望みもしない明日へと生きる。

 なんて、ふざけた日常。

 世界には、今日も生きることができなくて嘆いている人もいるっていうのに。

 私は明日が来なければいい、なんて考えている。

 これを知ったら赤十字の人が怒りそうだ。

 自分でも不謹慎だって分かっている。そして明日は変わりなく訪れることも十分に承知している。

 いくら歳の割りに頭がきれようと、すれていようと。

 ベッドの上で目覚ましを探る自分には、世界を変える力などありはしないのだ。

 生きる。

 でも、それだけだ。

 眠たげに日常を過ごし、目立ちすぎないように手を抜いて生きる。

 するとあら不思議。“手を抜く”ことに私は努力をし始め――――――なんか可笑しな文脈だが――――――日々がそれほど暇ではなくなった。それに比例して私は“問題児”というレッテルを貼られた訳なのだが。

 母親はそんな私に対し、いつも「真面目にやりなさい」と口を尖らせる。

 構わないけど、それではまた日々が色あせてしまう。あんな真っ白な毎日はこりごりだ。

 まあ、真面目にしようがなかろうが、私が“問題児”であることには変わりはない。








 でもね。

 そんな日常に転機が訪れたのは、そう。

 忘れもしない、ユーイチと出合った、あの日なのだ。





                                                           〜9月23日、リカ〜









































 ―――――― 一瞬、眩い光が見えたような気がした。

 そして続けざまに感じる鈍い衝撃。

 ガコ、と音を立てて体が地面に叩きつけられる。

 いや、大層な言い方だが、つまるところ。

 僕はベッドから転げ落ちたらしい。








 「・・・・?」



 とりあえず立ち上がってみて、辺りを見回してみる。うん。以上はない。いつも通り、僕の部屋だ。

 相変わらず漫画やらゲームやらが散乱していて汚らしいことこの上ない。歩く場所がないとはまさに今の状況だろう。

 これに比べたら司の部屋なんて天と地ほどの差がある。
 
 なんか人間として駄目になったような気がして、僕は歩けるだけのスペースを作り上げるために散らかっている漫画本を片付ける。

 まったく、なんで普段から片付ける習慣をつけないのか、と母さんが小言を漏らしていた気がする。ごめん、今度からちゃんと片付けるよ。そうしないと未開の地と間違えかねられん、僕の部屋は。

 決意すると行動に移すのは早かった。

 本棚に漫画本を移動させ、ゲームをTV台の下に収納する。なんてことはない、5分ほどあれば済んでしまうものだ。

 その“5分”が面倒だから独身男性の部屋は魔境と化すのだな、うん。

 女友達を連れてきて、「イカ臭いね、この部屋」なんて言われた暁にはトラウマ間違いなしだ。一生童貞で過ごすのは哀れすぎるだろう。

 ま、決断の早さも里香のおかげで迅速に――――――。



 「って、ちょっと待て」



 何かおかしい。

 いや、具体的に宇宙人が襲来したとか亜希子さんが優しくしてくれたとか、そんな何かじゃないものがおかしい。

 馬鹿馬鹿何言ってんだ僕は。
 
 まず、落ち着け。

 それから状況を確認するんだ。

 よし、僕は冷静だ。

 パンパンと軽く頬を両手で叩く。程よい痛みが意識をさらに覚醒させる。

 状況確認。

 ・・・・。



 「やっぱり、」



 おかしい。

 というか、僕は今まで何をしていたんだっけ?
 
 いや、それよりも。

 どうして、自宅の自分の部屋で寝ていたんだ・・・・・・・・・・・・・・・

 僕は入院していたはずだ。

 それなら、目覚めるのは当然、病室のベッドだろう。

 辺りをもう一度見回してみても、そこはやっぱり僕の部屋にしか見えない。

 病室を短時間で改造した――――――とか、馬鹿みたいなことはないだろうし。いや、夏目と亜希子さんならやりかねないけど、今はそんなことないと思う。

 だって。

 里香が、死んでしまったのだから。



 「! そうだよ! 里香が死んで、僕は・・・・」



 どう、したんだっけ・・・・?

 場の雰囲気に耐えられなくなって、病院から抜け出して。

 それから、僕はどうなったんだ?

 なんで自室で眠りこけてたんだ?

 自暴自棄になって街中で暴れまわって、そこを捕獲されたとか・・・・?

 なら今頃、病室でベルト巻きの刑にされているはずだし、自室に返すなんて暴挙を夏目が許すはずもない。

 ああ、畜生。

 訳わかんねえ。

 酒を飲んで泥酔した次の日にはこんな気持ちになるのだろうか。

 まったく、僅かな間とはいえ、記憶がないのがこんなに気持ち悪いなんて。

 兎に角。

 部屋の掃除は後回しだ。

 今は病院に行かないと。



 「勝手に抜け出してきたからな・・・・グーの一発や二発は覚悟しておいた方がいいか」



 手が早い医者とは如何なものか、と言ったところで、笑いながら殴りかかってくるようなヤツなのだ、夏目は。

 手早く外用の服に着替え、いざ行かんとした、ちょうどそのとき。



 「裕一、お友達よお」



 なんて、やる気のない母さんの声が階下から聞こえてきた。

 ふと目に入った時計は、夜の十時を示すところだった。



















 こんな忙しいときに誰だよ、と玄関にいくと、そこには世古口 司が立っていた。

 びしょ濡れになった姿で、胸には毛布で包んだ子猫の姿がある。















 ジジ・・・・ザァ――――――――――――――――――。



 『あ、あのさ、ごめん、いきなり訪ねてきて』



 ザザッ、ザ――――――――――――――――――。
















 「あ、あのさ、ごめん、いきなり訪ねてきて」



 ぐらり、と視界が歪む。

 ぐにゃぐにゃと司の顔が粘土みたいにひん曲がって、万華鏡の如く何個にも分裂する。

 ひっきりになしに耳鳴りは続くし最悪だ。

 目の前の司は、僕が黙ったことを迷惑していると感じたのだろう。おどおどと、申し訳なさそうに言う。



 「き、君んち、猫飼えないかな」



 ああ、確かに覚えている。

 これは既視感なんかじゃなくて、僕の記憶にはっきりと刻まれていたものだ。

 僕が始めて世古口 司という人物と会話した晩。クラスが一緒というだけで、親しくもなんともない、ただの知り合い。

 こいつは猫の飼い主を見つけるために雨の中、びしょ濡れになりながら、住所が分かっているクラス中の家を回っていたのだ。

 ああ、確かに覚えている。

 ならばどういうことだ。

 さっきから鳴り止まなかった耳鳴りもすでに消え、耳は鮮明に外の雨音を聴き取っている。

 異様なまでに僕の感覚は鋭くなっていた。それもそうか、今は僕の一大事だ。

 病院を抜け出したところから記憶がなくて、気づいたら自室に居て。

 母親に呼ばれたと思ったら司が猫を飼わないかと押しかけてきた。



 「・・・・聞いてくるよ」

 「あ、うん」



 少しびっくりとした表情を浮かべる司を残して僕はリビングへと向かう。

 そこから続く台所からは水の流れる音が聞こえてきた。母さんが洗い物をしているのだろう。



 「母さん」

 「あら、お友達が来てるんじゃないの?」

 「まあね。それでさ、変なこと聞くけど――――――今日って西暦何年何月何日何曜日?」

 「本当に変なこと聞くのね。今日は2003年3月12日水曜日よ」



 ――――――ああ、そういうことか。

 司が訪れたときに感じた既視感も。

 僕が持っている里香と過ごしたあの日々の記憶も。

 全てはこれから起きるものなのだ。

 いや、僕が覚えている記憶は全て妄想で、これから違うことが起きるのかもしれない。

 ・・・・でも、記憶通りに、司は猫の飼い主を探しに来ている。

 これは、今までと同じことしか起きないのを暗示しているのだろうか。

 そもそもどういう状況なのかさっぱりわからない。

 簡潔に言うと――――――僕は過去に戻ってきたのか?

 そんな馬鹿な。

 科学者じゃないけれど、僕のような一般人が時空を超えるなんて偉業を経験出来るはずがないのは分かる。

 時空の裂け目に飲み込まれたり、落雷に打たれたショックで、なんてするのは映画の中だけだ。

 実際に過去に戻った人がいれば、世の中は滅茶苦茶になっているはず。

 暴虐武人な独裁者とか、全世界を掌握して地球連合なるものを設立するとか。そんなのは聞いたこともない。

 少なくともみんな普通に生活しているし、僕が覚えている生活方法と違うところもない。

 仮に過去に戻ってきたとしても、せいぜい六ヶ月程度。世界が変わるような大きなものはないはずだ。

 状況から考えて・・・・過去に戻った(?)線が一番確率が高いけど・・・・現代人として鵜呑みにするのはどうかと思う。



 「でもどうしたの? 今日の日付も忘れちゃったなんて」

 「なんか夢を見てたんだよ――――――楽しくて、嬉しくて、悲しい夢をね」

 「?」

 「まあ、その話は置いといて。ちょっと出かけてくるよ」



 そう言うと母さんは渋い顔をした。夜中の十時過ぎに息子が遊び歩くのに、良い顔する親はいないだろうけど。



 「別に遊びに行く訳じゃない」

 「・・・・お友達の件?」

 「まあ、そうなるのかな」



 今日中には帰ってくるよ、と言い残して僕はリビングから出て行く。

 外は雨だ。確か靴箱の中に雨具が入っていた気がする。ごぞごぞと探してみると、やはりあった。

 目の前で固まっている司にそのうち一個を投げつける。

 バサ、と両手が埋まっている司の顔にそれは被さった。



 「悪いな、つか――――――じゃなくて世古口。うち、母親が駄目なんだよ、猫はさ。」

 「そう、ならいいんだ」



 司は何度もごめん、と繰り返す。カッパを被ったまま。

 俺は覚えている。二匹いた、一匹は誰か貰い手があったんだ。それで残る一匹の飼い主をこいつは探し続けている。雨の中、自分はびしょ濡れになりながら、暗い夜道を歩き続けているんだ。

 僕は以前、そのまま司を見送った。

 実は司が見つけるよりも早く仔猫を見かけていた。うん、記憶がはっきりしないけど、きっと間違いない。けれど僕は何もしないで、「可哀想だな」なんて思いながら素通りした。

 捨て猫に餌をあげる人はいても、家に持ち帰る人は少ない。

 それは自分で飼わなければならないから。

 道端で鳴く猫を哀れに思い、餌をあげ、誰かが拾ってくれるように、仏教徒なのに十字架の神様に祈る。

 なんて、適当な偽善。

 人間らしいといえば人間らしい。誰だって面倒ごとはごめんなのだ。表面上は哀れんで、後は人任せ。それが“普通の”反応だろう。

 けれど。

 世の中には。

 

 「――――――」



 こいつみたいな、呆れるほどのお人好しもいる。

 昔はカッコ悪いと思ってた。汗流して、人の目を気にせず必死になって。無我夢中で。

 何してんだ、こいつ。

 マジだせえ。

 少しは歳を考えろよ。


 
 「――――――」



 それでも。

 何度、そのカッコ悪いやつに助けられたことか。

 砲台山に登るとき。

 病室に遊びに来てくれたとき。

 里香の病室に忍び込むとき、必死にニセスパイダーマンを助けてくれた。

 なにやらみゆきと組んで、結婚届なんてものも持ってきてくれた。

 きっと火が出るくらい恥ずかしかったのだろう。

 二人が必死になって言い訳をしていたのを思い出す。

 そうだな。

 いろいろあった。

 いろいろ助けてもらった。

 その中で、自分も少し変わったんだと思う。

 カッコ悪くても、いいじゃないか。

 無様でも、構わないじゃないか。

 それで、救われる存在が、きっとあるのだ。

 僕が救われたように。

 その行動で、何かが救われたら、きっと素晴らしいことなんだと思う。

 


 今わからないことだらけ。

 いきなり過去に戻ってきたっぽいし。

 それは僕が入院する以前だし。

 だけどさ。

 今。

 何をすべきかくらいは分かってるつもりなんだ。

 これでも。

 一応、男なんだしな。



 「――――――だからさ、世古口。オレも手伝うよ」

 「え?」

 「だから、その猫の飼い主、探すんだろ?」

 「でも、迷惑なんじゃ・・・・」



 嬉しさと戸惑いの表情を浮かべて司はワタワタしている。今まで回ってきた中で、こんなこと言われたのは初めてなんだろう。しかも僕と司は、この時点ではまだ顔見知りのクラスメートでしかない。

 

 「そうだな、迷惑だな。でもさ、このままじゃ良い夢見られそうにもないだろ? なんか見捨てたみたいじゃん」

 「――――――っ」



 結局は、人助けなんて、自分が満足するための行為でしかない。飼い主探しだってそうだ。飼ってくれる人を見つけたとして、その後は人任せなのだ。アフターケアまでしっかりと出来る人はそうそういない。

 それでもさ。

 偽善でも、自己満足でも。

 助けられた側にすれば、神様よりすげえ人に見えるんだよ。

 祈っても、祈っても。

 何もしてくれない、あやふやな存在よりも。

 隣に立って、手伝ってくれる存在の方が、百万倍力強いと思うんだよ。

 

 「ほら、行こうぜ。もう夜遅いしな」

 「――――――うん!」

 「その代わり、一つ交換条件だ」

 「え?」

 「オレのことは裕一で。オレも司って呼ぶから」

 「――――――分かった。裕一、よろしくね」



 にぱ、と。

 こんなにも無邪気に。

 目の前の大男は笑うことが出来るのだ。










 ■ ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― ■










 あたしは一言で言えば、「どこにでもいる女子高生」なのだと思う。

 顔は普通で体系だってそんなに悪くはない。そりゃあ、モデルの人とかと比べられたらたまんないけど。

 成績も普通。

 授業態度も普通。

 性格も普通。

 きっとクラスメートには“その他大勢”として認識されているに違いない。悪い意味ではなく、そう、漠然とした意味で。

 友達は標準並みにいる。買い物に行くのもそのメンバーだ。

 家だってお金持ちじゃないけど、貧乏でもない。一軒家を持った、きちんとした家族。

 お母さんがいて、お父さんがいて、弟がいる。

 そんな、普通な家庭。

 あたしの周りには“普通なもの”で溢れ返っているのだ。この、自分を含めて。

 不満はない。

 だけど、“普通”にしかなれない自分に、嫌気が差すときがある。

 もし、お金持ちの家に産まれていたのなら。

 もし、天才的な才能を持って産まれてきたのなら。

 もし、もし、もし・・・・。

 今を生きるあたしに、“もし”なんてものはなかった。

 この場にいる普通でしかない女子高生があたしで。

 それに嫌気が差しながらも何も変えることができないのもあたしなのだ。



 「はあ」



 宿題を解きながら、何度目になるかもわからないため息を吐く。ため息を吐くと幸運が逃げるって言うけど、あたしは普通にしかなれないから不幸にはならないだろう。その逆、幸運にも恵まれないだろうけど。

 シャーペンを投げ出して背伸びをする。

 時刻は十時半。高校生なら誰だって起きている時間だ。宿題をしたり、遊んでいたりと多種多様なのだろうけど、この時間帯に寝るような物好きな輩はいないはずだ。なんたって一日は24時間しかない。極限まで使うのが青春というものだろう。

 

 「外は雨、か」



 ザー、と鳴り止まないBGMは思いのほか心地良い。

 勉強中にロックを聴いたりするやつの気が知れない。

 すると、雨音に混じってインターホンの音が聞こえてきた。こんな時間に来客なんて珍しい。お父さんはもう帰ってきているのに。



 「みゆき、裕一くんが来てるわよー」



 お母さんの呼ぶ声がする。

 でも、訪れた人物の名前を聞いてあたしは首を傾げた。

 戎崎 裕一。

 あたしの幼馴染で、小学校まではよく遊んでいた人だ。中学に上がってからはお互いあまり会わなくなって、遊ぶこともなくなった。それが今はクラスメート。けどあまり仲が良い訳でもない。ただの昔馴染み。

 高校生ともなると、異性で仲が良いのは付き合っている他にはない。よく漫画とかでずっと仲良しの異性の幼馴染がいるけど、あれは嘘っぱちだ。

 人間、四六時中一緒にいる――――――とはいかなくても、行動を共にする異性には必ず意識するものだ。

 それが“ただ幼馴染だから”一緒に登校して、一緒にごはん食べて、一緒に帰るなんて考えられない。兄妹でさえそんなことにはならないのに。

 兎に角、裕ちゃん(昔からのあだ名だ)とは疎遠になって久しい。しかもこの時間に訪ねてくるのはありえない。



 「は、はーい!」



 あたしに用があるのなら、会わない訳にもいかないだろう。鏡の前で髪を梳かして、寝巻きのままでは駄目だから、上に厚手のコートを羽織る。

 ・・・・なんで、あたしはこんなに焦ってるんだろう。








 「悪いな、遅くにさ」



 玄関には裕ちゃんと、世古口くんが立っていた。二人とも透明なカッパを着ていて、世古口くんの胸には毛布に包まった仔猫がいる。

 

 「裕ちゃん、何してるの?」

 「飼い主探し」



 驚いた。

 あたしの知る限り、戎崎 裕一はこんなことしないはずだ。柄にもなく格好つけて、見栄を張りたがるのが裕ちゃんの特長なのに。

 雨の中を歩いてまで裕ちゃんはウチに来た。

 表情を見る限り、嫌々やっている訳でもないみたい。むしろ笑っていた。



 ――――――それは今まで見た中で、一番綺麗な。



 まだ二人が一緒に遊びまわっていた頃。

 こんな裕ちゃんの笑顔を見た覚えがある。それも高校になってからは殆んど見なくなった。

 大人になるにつれて、心は歪んでいく。誰かが言っていた言葉。うん、なんとなくだけど分かっていた。成長して、考えるようになって、そうすると見なくていいものまで見えるようになってしまう。それを見ると染まってしまうのに、見たくなくても見えてしまう。

 そうして、人は純粋ではなくなるのだ。

 頑張ることがカッコ悪く思えてきて。

 一生懸命になることを忘れてきて。

 そうして、大人になっていく。



 「みゆきんち、無理か?」



 世古口くんが仔猫を見せてくれた。ニャー、と鳴く仔猫はどこか幸せそうに見える。

 でも、ウチはペットは飼わない約束になっている。昔にそれで失敗してから、我が家の暗黙の了解になっているのだ。



 「・・・・うん。ごめんね」

 「ううん。こっちこそ無理言ってごめん」



 世古口くんは頭を下げる。

 なんでそんなに。

 なんでそんな簡単に頭を下げれるのだろう。



 「ま、しょーがないか。司、次は?」

 「工藤さんのとこ」

 「ねえ、裕ちゃんと世古口くんって仲良かったっけ?」


 
 あたしは疑問に思ったので聞いてみた。

 少なくとも、教室で二人が一緒になっていた光景は見たことない。それなのに今は何気なく呼び捨てで呼び合っている。

 なんとも、親友のように見えるのだ。



 「今日、友達になったんだ」



 本当に嬉しそうに。

 目の前の大きな体の人は。

 にっこりと笑った。

 

 ――――――ああ、そうか。



 本当に、嬉しいんだ。

 他人のあたしにだって手に取るように分かる。世古口 司は喜んでいる。戎崎 裕一と友達になれて喜んでいる。

 いまどき、一緒に飼い主探しを手伝ってくれる人はそういない。しかも夜中の十時過ぎだ。迷惑こそすれ、手伝うなんて持っての他だろう。

 裕ちゃん、変わったな。

 背伸びしている餓鬼だって、今まで思ってた。
 
 あたしと変わらない、無様な子供だって。



 「――――――そうなんだ」



 だけど。

 気づいたら、とっくに追い越されていたみたい。

 今では手の届かない場所に裕ちゃんはいるんだ。背中さえも見えない、遠くに。

 羨ましいな。

 そうやって純粋になれる裕ちゃんが。

 そうやって一生懸命になれる裕ちゃんが。

 すごく、眩しくて。



 「――――――そう、なんだ」

 「ああ。じゃ、夜遅く悪かったな、みゆき。オレたち、残りの家、回るから」



 ねえ、裕ちゃん。

 “普通”にしかなれないあたしは、どうすれば裕ちゃんみたいになれるのかな。

 あたしはもう嫌なんだ。

 ずっとウジウジして、内心で世間を罵って。

 見て見ぬふりをする人間になりたくはないんだ。

 ねえ、裕ちゃん。



 「まって」

 「ん?」



 どうすれば、あたしは変われるのかな。

 きっと。

 思うだけじゃ駄目なんだ。

 願うだけでも駄目なんだ。

 何気なしに裕ちゃんがこなしても。

 あたしは意識して、精一杯に追いかけなきゃいけない。

 見失わないように。

 姿が見えなくても。

 足跡を辿って。

 自分の足で走って。

 裕ちゃんの、背中に追いつきたいんだ。



 「――――――あたしも、一緒に行っていい?」



 少なくとも、今は。

 あたしは。

 “普通の女子高生”なりに。

 頑張ろうと、思ったんだ。








                                                 ■  "AL_teration"に続く ■