「朝焼けに染まる空の下で、僕は君にこう言いたかったんだ」





"SisteR_S_2nd"






 里香が病室を去って二人だけになった。月香は不機嫌さを隠しもせずにリュックを投げつけてくる。身を乗り出してそれを受け取ると、茶髪を翻してドカっと腰を下ろす。

 ……なんか凄いご機嫌ナナメだな。

 嫌なことでもあったのだろうか。まあ、こいつが機嫌いいトコは見たことないけど。

 ベッドから降りて、手に持ったリュックを代わりにのせる。ボフっという音からして結構重い。「重くなかったか?」と聞くと、「凄く重かったです。肩が外れそうになりました」と、非難の目つき。思わず「うっ」と声を漏らしてしまった。

 平謝りして中身を出す。

 上部にあるのは僕の着替え類だ。下着が中心で、あとは白地のトレーナーとか着慣れたのが数点。実に的を得たチョイスだった。

 衣類を全部出し終えると、


 「ん? プリンじゃん」


 おやつの定番、『ぷっつんプリン』が顔を出した。カップ底部の出っ張りをハサミでぷっつんすると、何も起こらないというなんかユーモラスなプリンである。

 カップは二つあった。


 「ちょうどいいな。月香も食うだろ?」


 時計に目をやる。夕飯にはまだ時間があるから構わないだろう。

 一つを手に持って差し出すと、小さな手がおずおずと受け取った。ついでに入っていたスプーンも渡してやる。


 「……いただきます」


 真面目な表情で言うもんだから、つい笑ってしまった。スプーンを突き刺した時点で止まった月香が睨みつけてくる。ごめんごめんと誤って誤魔化す。いや、プリンを前にいただきますなんて言うヤツ初めて見た。相変わらず律儀だ。

 僕もプリンを前に手を合わせて「いただきます」と言う。なぜ半目なんだ、我が妹よ。

 
 「そういえばさ、もうすぐ冬の遠足の時期だよな」


 寒くて遠足どころじゃない、というか屋内の施設に行くので遠足じゃなくて課外授業といった方がいいだろう。小学生は毎年、春の遠足、夏の遠足、秋の遠足、冬の遠足と、全ての季節において遠足に行くのが当たり前だった。なんでもかんでも『遠足』と銘打つのはどうかと思うけど。

 月香は単調に頷いた。


 「今日、班を決めました」

 「当然のように余っただろ」

 「……その通りですが無性に腹立たしいですね。裕一も同じ経験があったと推測します」


 その通りだ。いつも最後まで残っていた気がする。仲のいい友人同士は真っ先に固まるし、親友なんて友人が居なかった僕は余りものだ。数合わせにどこかの班に入れられるのが毎回のパターン。

 遠足自体楽しみじゃなかったから、別にどうってことなかったけど。

 そういえば毎回僕を引き入れてくれるのがみゆきの班だったっけ。男女混合だったけど、圧倒的に女子だらけの班に入るのは抵抗があったなあ。懐かしい。


 「まあ、これでも兄妹だしな。変なトコが似ちゃったな」

 「……」


 複雑な表情を浮かべる。友人関係に無頓着なのは僕も月香も同じであって、母親は心配しているけど、当の本人がなんとも思っていないことも一緒だった。

 黙々とスプーンでプリンをすくう。底にあるカラメルはほんの少し苦かった。


 「……不登校にはなるなよ。母さんが心配するから」

 「分かっています」

 「ならいいけど。でもさ、母さんはああ言うけど、別に友達なんて少なくてもやっていけるしな……もっとも、オレにはみゆきっていう幼馴染が居たから多少は違うんだけど。おまえにもそんなのが居ればよかったんだけどなあ」


 みゆきは僕の幼馴染であって、一応月香も同じ立場だけど年齢が離れすぎている。どちらかというと近所のお姉さんって感じだ。みゆきの弟である亮一とは唯一仲がいい。学年が一緒だったら文句なしだっただろう。

 母親は月香が一度も家に友達を連れてこないから心配している。学校からも教室では浮いていると言われているだろうし。下手に頭もいいからさらに溝ができているはずだ。並みの小学生はつり目から発せられる威圧感には敵うまい。

 やっぱり、親としては心配もする。


 「学校は勉強するために行きます」

 「出席日数のため、だろ?」

 「……」

 「月香の頭なら家で教科書読んでれば事足りるんじゃないのか?」


 否定しないということはその通りなのだろう。まったく、なんで平凡な戎崎家に天才が潜り込んでいるのだろうか。

 食べ終わったプリンのカップをゴミ箱に投げ捨てる。「行儀悪いです」「ん、悪い」

 腰掛けていた体勢からベッドに寝転がる。視界の端に茶髪が映っている。月香はまだ食べ終えていないらしい。急いで食うものじゃないけど、女の子はやっぱり食べるのが遅いようだ。里香やみゆきもそうだけど、司とは比べ物にならない。いや、巨漢の司と比べるのが間違っているのか?

 考えているうちに食べ終わったのか、僕とは違ってきちんと捨てている。そのままお茶を入れようとポットのある窓際の棚まで行って、


 「……このコップは?」

 「里香のだけど?」


 ……? 雰囲気が硬くなった? 

 里香のコップは少し小さめで、ピーターラビットがプリントされている。里香らしいといえば里香らしい。これで亜希子さんなら、法華経がびっしりと書かれたコップを使いそうだ。飲んでるだけでご利益があるんだぞ、なんて自慢しながら。

 少しして里香のコップを置き、月香は自分用の黒いコップを取った。

 急須に茶葉を入れて、慣れた手つきでこなしていく。熟練されているというか、結構なお手前だった。


 「美味いな」

 
 感心して言うが、月香はピクリとも動かない。

 以前は愚鈍とか言われてた戎崎 裕一。その自分でも月香がどういうわけか怒っているのは理解できた。コップを手にとってからだとすると、勝手に里香のものを置くのがマズかったのだろうか。

 頭の固い僕の妹は風紀とか礼節を重んじる節が昔からあった。箸で茶碗を叩いたり、挨拶をしなかったり、行儀が悪いと言われるような行為は全て目を光らせる。だから避けていた――――――別に嫌っていたのではない――――――時期でさえ、挨拶だけはきちんとしていた。

 その堅物である月香が機嫌を悪くする理由。

 頬を掻きながら、ややあって僕は切り出した。


 「別に無作法なことはしてないって。お茶もきちんと出してるし」

 
 月香の見よう見まねで獲得した業だけど、自分でも結構いい線いっていると思う。

 
 「秋庭さんは」

 「ん?」

 「秋庭さんは、よく来られるんですか? ここに」


 目を細くした月香はまるで非難するように聞いてくる。声に詰まらせ、「ま、まあな」と一言。

 考えてみれば、男の病室に女性である里香が入り浸っていれば誰だって勘ぐりたくなるはずだ。しかも里香は常人とは違う。嫌な言い方だけど、重病者なのだ。その彼女と仲良くなるのだから考えることもある。里香の心臓病のことは本人から聞いているだろう。

 それを知った上で、里香と仲良くしているのか、と。

 月香はそう言いたいのだろうか。


 「確かに、綺麗ですよね。秋庭 里香さん」


 あえてフルネームで呼ぶ。目をつむりながら、月香は続ける。


 「近頃は仲もいいようですし……でも、分かってるんですか? 彼女は――――――」

 「そうだな」


 声を遮って答える。言いたいことはよく分かるさ。僕の行為は、捨てられた仔猫にミルクをあげているようなもの。可哀想だから。そんな理由で手を差し出して。

 最後には、いい飼い主に拾われるといいな、なんて無責任なことを告げて去るのだ。

 僕だっていつかは退院する。そうしたら学校に行かなければならない。将来のことも考えなければならない。進学か、就職か。僕は前者だろうけど。里香に会う時間は少なくなって、中途半端に分かれなければならないかもしれない。

 ただでさえ、彼女の時間は少ないというのに。

 責任を持てるか。

 最後まで面倒を見れるのか。

 僕は体を起こし、月香に振り返る。すると、困惑したようにこいつは身を引いた。怪訝に思いながらも言葉を続ける。


 「オレは、里香が好きなんだ」


 息を呑む音。


 「中途半端じゃないって約束できる。月香が心配することだって分かる。オレだって考えてるんだ、いろんなこと」

 「告白とか、したんですか?」

 「いや、してない。まあ、今は下僕ってところかな。ああ、冗談でだぞ? 冗談で」


 変な誤解を招かないように釘を刺しておく。

 あはは、と愛想笑いする僕を、月香は真剣な表情で見据えていた。


 「――――――そう、ですか」









 ■ ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― ■









 病院からの帰り道、気だるげな体を引きずって歩いていく。

 我ながら、不甲斐ないと感じた。

 
 『オレは、里香が好きなんだ』


 耳にこびりついた、裕一の言葉。いつになく真剣だった。ふざけてなどいなかった。心からの本心なんだろう。

 秋庭さんは、長くは生きられない。

 そのことを知っても尚、彼女に関わろうというのか。

 思い出されるのは、父親が死んだあの頃。抜け殻のような母。「大丈夫」と告げる、今にも死にそうな笑顔。

 なんで、私が心配しなければならないのだ。裕一が決めたのだから、口を出すことじゃない。真剣に考えて決めたのならば、それでいいじゃないか。雨の中、見つけた仔猫にミルクをあげ、責任を持って自らが世話をすると決めたのだ。それでいいじゃないか。

 だというのに、体がだるい。

 これでいいはずなのに、心が痛い。

 強い風が吹いて、髪を揺らす。

 それで、気づいた。

 胸の真ん中がぽっかりと穴を開けて、ひゅうひゅうと冷風が過ぎていく。

 
 ――――――ああ、白状しよう。

 
 私は、嫉妬したのだ。ただ一人の兄である裕一が横取りされたようで。今まで面倒を見ていた弟が盗まれたようで。

 至らない兄に毒を吐き、それでも私は満足していたのだ。

 友人が居なくても、同じ境遇だった裕一の話を聞いて安心していた。仲間がいると。私は一人じゃないと。

 そして、先天的に能力の高いことを利用して、兄に世話を焼き、優越感に浸っていたのではないか。自らの才能を疎いながらも、他者とは違うと、出来損ないの兄とは違うと、そう考えていたのではないか。

 目を逸らしていたことが、今日、いきなり向き合わされた。

 弱い自分を、見せ付けられた。

 少なからず嫉妬していた。友人が少ないと言いながらも、裕一にはゆき姉さんや世古口さんが居る。他にもまだ居るはずだ。その上、真剣に好きな人を見つけてもみせた。

 孤立している私とは、えらい違いだ。

 理不尽だとは思っていても、裏切られた心境だった。私たちは兄妹じゃなかったのか。人付き合いが苦手な、戎崎兄妹じゃなかったのか。今更なんだ。私を置いていくつもりなのか。あんなに助けてあげたのに。あんなに面倒見てあげたのに。

 私を、独りにするつもりなのか。


 「――――――はあ。いつも裕一に馬鹿馬鹿言っているけど、本当に馬鹿なのは、私だったんですね……」


 自分が嫌になる。自分にないものを妬む、その感情が。

 私にないものを裕一が持っていて。

 裕一にないものを私が持っている。

 きっと、裕一も妬ましかったに違いない。推測だけど、きっとそうなのだろう。昔は馬鹿にされると凄く反発したのを覚えている。兄なのに。幾度聞いたかも分からない言葉。今では気にもしなくなってしまった。

 それはつまり、諦めてしまったということだろうか。

 いたたまれなくなって、私は空を見上げた。オレンジ色の空。夕空だ。淡い色に染められた雲も、半透明に浮かんでいる。空は高かった。太陽は西の空に傾いている。

 目線をずらすと、三日月が見えた。今にも消えそうな光を纏って、けれど確かにそこにある。

 なんとなく、家には帰りたくなかった。

 足は自然と、水谷家へと向かう。こんな夕飯時に押しかけて迷惑だろうなあ、なんて考えながらも、亮一が喜ぶ姿を想像すると口がほころぶ。

 今の私には、亮一の無邪気な笑顔が一番の特効薬なのかもしれない。









 ■ ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― ■









 「……ごめんね、遅くなっちゃって」


 巨体を縮こまらせながら司が謝罪する。僕は気にするな、と肩を叩いた。

 もうすぐ面会時間が終了するというのに、わざわざ走ってきたらしい。軽く息を弾ませている。

 今日は学校のプリントを届けてくれる日だった。遅いなあ、とは思っていたけど、用事があるものだと解釈したんだけど。司の話では料理に夢中になりすぎたらしい。なんでも、ひろせよしかずファンの同士が見つかったらしい。熱狂的ファンである司はかなり嬉しかったらしく、多彩な技を見せ合いしていたのだそうだ。

 プリントを差し出しながら、嬉々として勢い込む友人に苦笑し、「よかったじゃないか」と相槌を打った。


 「もの好きなヤツも居るもんだな。何組だ?」

 「隣のクラスの横嶋 加奈さん」

 「――――――ほう。女の子ですか」

 「な、なんだよ。そのイヤらしい笑みは」


 顔を引きつらせて言う。

 
 「べべべ別にそういう関係じゃないから。確かに休日に遊ぶ約束はしたけど、それは研究のためであって――――――」

 「ほうほう」


 司のヤツ、自ら墓穴を掘っているって気づいているのだろうか。ああ、気づいていないな。きっと気づいていない。

 純真な友人を微笑ましく見守る。僕の生暖かい視線に気づいたのか、一つ咳払いをすると身なりを正した。頬は赤く染まったままだけど。


 「僕の方は、そんなところかな」


 無理やりに締めくくって断言する司。まあ、あまり突っ込まない方がいいだろう。

 
 「オレの方も、司と同じような感じかな」

 「じゃあ、水谷さんと?」

 「みゆきと?」


 うん、と。

 
 「違うの? 僕から見たら、付き合ってると思ったんだけど。それに幼馴染でしょ?」


 何を勘違いしているのか分からないけど、幼馴染という間柄は特に恋人関係になりにくいと僕は思う。だって昔から一緒だから、知られたくない過去も知られているし、何より今更「好きです」なんて面と向かって言うのは少しキツい。

 確かに、みゆきのことは嫌いじゃない。むしろ好きな部類に入る。いつも世話になっている上、この間もヤケになった頭を冷やしてくれた。本当に感謝しても足りないくらいだ。

 でも、僕は。

 いや、僕らは――――――。


 「みゆきも、好きだけどな。もっと好きなヤツができたんだ」


 態度がデカくて、だけど打たれ弱くて。

 なのに弱さなんて滅多に見せない頑固者のお姫様が。


 「……秋庭さんかな」

 「ああ」


 そりゃあ、分かるだろうな。変な態度とりまくったし、急に仲良くなったら誰だってそう思う。

 司は頷くと、


 「きっと、大変だと思うよ」

 
 そうだな。苦笑して肯定する。

 確かに大変だった。里香が手術をすると決意して、夏目が執刀医としてこの病院を訪れて。上手くいかなくて僕は馬鹿をやって。夏目と殴り合いをしたけど当然のように勝てなくて。

 情けなくて、僕は泣いたんだ。

 いろいろあった。

 それでも、楽しかった。

 里香が死んでしまったあの時。

 それでも、こうして今がある。

 僕がこうしてここに居るのは、きっと意味があるはずなのだ。

 
 「だけど、なんとかするさ」


 軽い言葉に、決意を込めて。

 司も観念したように姿勢を崩す。


 「僕にできることがあったら言ってよ。なんでも手伝うから」

 「ああ、頼む」


 十分すぎるほど、おまえには助けられてる。なよなよしているけど、いざというときには行動力があるからな、司は。兄貴譲りの体格とその根性。お菓子作りが趣味のプロレスマニア。

 うわあ、改めて振り返ると凄い属性だな。

 まあ、頼りにしているぞ――――――タイガーマスク。









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 目の前の月香ちゃんは、「夕飯までご馳走になって、すいません」とあたしの母親に頭を下げる。気にすることないわ、と言われると、困ったように苦笑した。

 
 「でも、おねーちゃんと食べるの久しぶりだね」


 ニコニコと上機嫌で、弟の亮一が言った。

 ここ数年は私の家で夕食なんて考えられなかった。交友は続いていたけど、たまに会ってお茶をする程度だ。月香ちゃんは家の手伝いがあるから、無理に誘うこともできない。そこのところ、亮一もよく理解していたのだろう。

 今日の夕飯は洋風だ。

 スパゲティのミートソースに生野菜のタルタルソースあえ。あとはコーンスープ。

 テーブルにはあたしとお母さん、向かって月香ちゃんと亮一が座っている。姉であるあたしよりも遥かに懐いているから複雑だ。

 人間嫌いの月香ちゃんも、亮一には心を許しているようだし、これでいいのかもしれない。裕ちゃんのお母さんにも感謝されたって言っていたし。

 いただきます、と皆で言う。礼儀正しく食べる月香ちゃんの隣では、口を汚しながらバクつくあたしの弟。それを注意して口を拭いてあげている姿を見ると、あたしよりもずっと姉弟らしく見える。

 あたしは、どちらかというと頼るタイプで。

 月香ちゃんは、根っからの世話焼き体質なのだろう。

 まさに姉としては理想の性格だと思う。きっと裕ちゃんも亮一と同じように、世話を焼かれているんだろうなあ。想像して、笑みがこぼれる。


 「……? どうかしましたか?」


 ナプキンを片手に、聞いてくる。


 「ううん。なんか微笑ましいなって。いっそのこと亮一をお婿にもらって欲しいかな」


 お母さんも同意するようにうんうんと首を振った。月香ちゃんは困った表情を浮かべ、いつもなら笑って誤魔化すのだけど、


 「そうですね。それも、いいかもしれません」


 いつもとは違う反応に面食らう。亮一でさえ固まっている。

 いや、放心するのはどうかと思うよ、我が弟よ。嬉しさのあまり昇天しちゃったのかな。

 数十秒を要して再起動。うわーい、と全身で喜びを現すのを、彼女は微笑ましく見守っている。

 だけど。

 それはどこか悲しげで。

 同じような経験があるからこそ、月香ちゃんの気持ちが、なんとなく分かってしまったのだ。









 時計の針は午後八時を回った。戎崎家に電話してあるから、今日は泊まってもいいことになったらしい。幸い、明日が休日なのもあるのだろう。小鴨みたいにくっ付いていた亮一はお風呂だ。リビングにはあたしと月香ちゃんしか居ない。

 くしくも彼女が座っているソファは、裕ちゃんが座ったことがある場所だった。あのときは紅茶をこぼして大変だった。熱い液体が股間に……って、蒸し返すのはよそう。

 テレビからはドラマをやっているのだろうか、シリアスな音楽が流れている。雑誌で見たことのある顔だ。確か、どこかのアイドルだった気がする。大根役者な女性が幼馴染の男に告白するというなんか腹の立つ内容だ。しかも即OKした上にキスまでした。えーと、もしかして相思相愛ってヤツでしょうか。

 ありえない展開に苦笑して画面から目を離す。

 月香ちゃんが、こちらを見ていた。真剣な目つきだ。

 
 「……幼馴染、ですか」

 「な、なに?」

 「ゆき姉さんは、裕一のこと、どう思います?」


 画面の中では未だにキスシーンが続いている。涙を流しながら、「嬉しい……」なんて呟く。演技のぎこちなさが、このときばかりは栄えて見える。

 なるべく平静を装って声を出す。話題の主は男の子。しかも彼女のお兄さんときた。

 困惑しない方がおかしいというものだ。


 「どう思うって?」


 月香ちゃんは顔を伏せて、


 「いきなり変なこと聞きますけど、男性として、好きかどうかってことです」

 「――――――好きだよ」


 驚いたように顔を上げる。あたしは苦笑して、テレビの電源を消した。ブツン、と電源の切れる音。

 ソファの背もたれに寄りかかる頃には、なんとか気持ちも落ち着いていた。単なる虚勢だけど、これはみゆきとしてのプライドでもある。なんか下らないけど、せめてもの抵抗、って感じだろうか。


 「だけど、裕ちゃんには他に好きな人が居るみたい」

 「……知ってたんですか」

 「うん。まあ、ね」

 
 恐らく、里香ちゃんなのだろう。その、裕ちゃんの好きな人は。

 心臓病というハンデを持ちながらも、まったくそれを感じさせないで生きている里香ちゃん。悔しいけど、お似合いだなって思ってしまう。

 それなりに考えて答えを出したはずだ。裕ちゃんの様子がおかしかったのはそのせいなのかもしれない。

 ……やだなあ。

 最初から、入り込む隙間なんてなかったのかな。

 だとしたら、あたしは何をやっていたんだろう――――――なんて、昔なら思ったんだろうけど。


 「いいんですか?」

 「今はね。こう見えても、少しは、強くなったんだよ? あたし」


 今だけは自嘲気味な笑いも許してもらおう。本心ではやりきれないけど、仕方がない。

 
 「そう、ですか……」

 
 目線をあたしから外し、同様にソファに寄りかかる。青い色の布に流れる月香ちゃんの髪。目元を手で覆って、彼女は天井を仰ぐ。

 小学生らしかぬ戎崎 月香。本人が一番理解していて、そして悩んでいるはずだ。


 「月香ちゃんは、どうなのかな? 嫌いじゃないでしょ?」


 あえて、誰なのかは言わなかった。そうした方が、言いやすいと思ったから。


 「分かりません。まだ背伸びしてるだけの子供だって思ってたのに。いつの間にか、追い越されてたみたいで」

 「ああ、分かるなあ、その気持ち。あたしも同じこと思ったもん」


 ですよね。うん。二人して苦笑する。通じ合うものがあって、それは明確に示されたのだ。あたしたちの目の前で。

 そのせいで自分の劣等感が浮き彫りになるのだから皮肉な話なんだけど、ね。

 むー、と背中を伸ばす。幾分か楽になった体を沈めて、


 「都合のいい話だけどね、つい最近まで気にもしなかったの。だけどあの雨の日」

 「世古口さんと回った、仔猫の飼い主探しのことですか?」


 頷く。


 「びしょ濡れになりながら家に訪ねてきた裕ちゃんを見て、なんか、こう、思ったんだ。ああ、こんな遅くまで何してるんだろうって」


 たくさん断られて、雨に打たれて。諦めたっていいはずなのに。

 それでも、笑いながら、次の家に行くと。あたしに文句も言わずに出て行こうとする背中を見て。


 「そして、凄いなあって。感心した」

 「……そうですね」

 「羨ましかったの。真っ直ぐに行動できる裕ちゃんが。気づいたら、この上なく自分が情けなく思えてきて。勢いで言っちゃったんだ。あたしも、一緒に行っていい? って」


 あの仔猫は結局、最後から三番目の家で飼ってもらえることになった。手渡す時の世古口くんの表情を忘れない。悲しそうな、それでいて嬉しそうな。裕ちゃんも満足したように笑って、世古口くんの背中を叩いていた。

 そのとき、聞いてみたのだ。『この行為を、ただの偽善って言われたらどうするの?』と。

 俯いて困り果てる大きな体の前に出て、満面の笑顔で。


 『偽善でも、さ。何もしないよりは、遥かにマシだろ?』


 善行は結局、自己満足に過ぎないとしても。その行為のおかげで自分が幸せになれるとしたら。その相手が幸せになれたとしたら。

 それは、とても素晴らしいことなんだろう。

 
 「そのときから、裕ちゃんはあたしの目標になったの。きっと、あたしは好きなんだと思う。裕ちゃんのことが」

 「私は――――――」


 ソファから身を起こして、前に項垂れる。膝の上では両手がキツく結ばれている。


 「私は、裕一から、いろんなものを奪ってしまいました」

 「例えば?」

 「才能とか、周りの評価とか。みんなが裕一を見下すんです。私のせいで」


 まるで全てが自分のせいだ、と言わんばかりに。

 だから、あたしは勘違い娘に教えてあげるのだ。


 「そんなことないよ。裕ちゃんなら、きっと気にしてないと思う。だって――――――」


 くすくすと笑いながら、視線を寄越す月香ちゃんに、そのときの様子を思い出しながら、


 「だって、月香ちゃんのこと話してる裕ちゃん、凄く優しい顔してるんだもん」


 それを聞いた彼女は、困ったように頬を赤くした。






                                                   ■ "I_HoPE"に続く ■