「朝焼けに染まる空の下で、僕は君にこう言いたかったんだ」


"AM 4:36"









 司が真っ青な顔で僕に受話器を渡したときには、空はもう明るくなり始めていた。


 



 いつものように病院をこっそりと抜け出し(亜希子さんにはバレバレだろうが)ゲームや漫画がわんさかと置いてある世古口の家で僕は日頃のストレスを発散していた。

 司はプロレス好きだから置いてあるゲームもそれ系のものしかない。かなり学校の女子が引きそうなタイトルだけど、今の僕には丁度いい。

 ・・・・その理由はあまり思い出したくはないけど、亜希子さんなりの祝福だと思う。

 里香と初めてのキスをしてから、前にも増して僕達の会う時間は増えていた。そりゃ当たり前だろう? だって好きな女の子と一緒に居たいと思うのは男の性だし、何より里香の笑顔を見るのが楽しかった。

 すると当然、亜希子さんはイチャつく僕達をからかってくるようになった。

 「この馬鹿ップルがー」とか「中は控えなさいよ?」とか。

 何が中で控えなさいよーなのかわからない、というか何となく分かるのだが、里香の真っ赤になる顔を見ていたら、僕はそれだけで嬉しくて、亜希子さんを怒ることが出来ないのだ。

 実際のところ、僕と里香にそんな事実はなかった。

 彼女は心臓が弱いから、モゴモゴ(言うの恥ずかしい)のように激しい運動は厳禁なのだ。

 その代わりキスはしまくった。それこそ舌がふやけてしまうのかと思うくらいに。

 里香は一度なれるとあとは凄い。ディープキスは里香にとって最大限の肉体的接触なのだ。「これで我慢してね、裕一?」なんて赤くなりながら言われたときには苦労したものだ。そのまま覆いかぶさりそうになるのを僕は必死に堪えた。


 ――――――だって里香は泣きながら微笑んでいたのだから。


 胸が痛い。

 バリバリと掻き毟って胸の中から心臓を取り出して里香に与えたい。そうして里香の心臓として僕は生きる。

 そんな馬鹿げたおとぎ話。

 彼女はもう心臓移植をしても助からないそうだ。心臓だけじゃなくて、その周囲の組織全てに問題があるから、それこそ中身全てを交換しなきゃ意味がないらしい。

 里香と前より深い関係になってから、彼女のお母さんはいろいろと僕に話を聞かせてくれるようになった。里香のお父さんの事とか、里香の小さいときの事とか。

 ・・・・今までの、闘病生活の事とか。

 経緯は知らないけど、僕の母親ともよく話をするようになったようだ。お互い夫を亡くしているから何か通じ合うものがあったのか。

 病室の片隅で夫自慢する彼女達がのろけすぎて、僕と里香は毎回呆れ顔で苦笑している。



 
 夏目は相変わらずだ。

 僕が少しでも尊敬の念を抱くたび、 アイツはそれ以上の蛮行で僕を呆れさせる。ある意味、一種の才能だろう。

 だけど、僕と里香の関係については口を挟むつもりはないようだ。

 ガシガシと髪を掻き毟りながらも、二人で居るときはそっとしておいてくれる。これだけは本当に感謝している。これで邪魔してきたら、もはやあいつは人の心は持っていないのだろう。邪魔するな、と亜希子さんに釘を刺されているようなのだが。

 そして一番意外なのは僕の親友、世古口 司と幼馴染の水谷 みゆきの仲だ。付き合ってはいない(本人談)らしいが、よく二人で出かけることが多くなったらしい。

 ・・・・それって俗に言う『デート』ではないかと僕は思っているのだが。

 アンバランスな二人だけど、結構お似合いだと思う。司は図体がデカくて女子に敬遠されがちだけど、性格は限りなく女子に近いはずだ。趣味がプロレスとお菓子作りなんて前代未聞の設定だろう。

 みゆきには今でも勉強を教えてもらっている。同級生の家庭教師とはなんとも複雑な気分だけど、もう一度同じ学年をやり直すよりは遥かにマシだ。

 だけど、以前にみゆきの前で里香とイチャついてみたら、思いっきり殴られた事があった。だって理不尽だろう? 司とみゆきが和気藹々としているのに僕はパジャマ姿で一人っきり。なんか見せ付けられているようで腹が立ったものだ。それで仕返し。ただそれだけだったのに。里香がゲラゲラ笑うはみゆきは教科書で撲殺しようとするはで大乱闘だった。

 それ以来みゆきの前でイチャつくのはやめることにした。やっぱりディープはマズかったかなあ・・・・。

 


 そんなこんなで、楽しくて優しい日々は続いていた。

 里香とえ、ええええええっちな事はできなくても、触れ合って、キスをするだけで僕は満足だった。彼女の体温と心臓の鼓動を感じるだけで満たされた。

 夏目に怒鳴られようと、亜希子さんに足蹴りされようが僕は楽しかった。

 きっと今まで生きてきた中で一番輝いていたんじゃないかって思う。

 17年しか僕は人生を経験していないけど、自信を持って胸をはれる。「僕は幸せです」と。

 僕が笑って。

 里香も笑って。

 手を繋いで、薄暗い病室でキスをして。

 身体を寄せ合って一緒の布団に包まった。




 ――――――いつか終わりは来ると、彼女は言った。




 僕は小さく頷く。分かってる。覚悟はしている。予想はしている。

 こんなにも幸せな毎日は、その後に続く辛い日々を前提に作り上げられているものなのだと。

 里香は悲しそうに笑って、僕を抱きしめてくれた。




 ――――――あたしが死んだら、裕一はどうする?




 泣く。

 体中の水分が干上がるまで泣く。

 きっとヘニョヘニョになって、ミイラみたいにカサカサになって僕は死ぬ。

 きっとさ、現実にはそうならなくても、心が死ぬんだと思う。

 僕の心には髪の長い女の子が住んでいるんだ。

 性格が悪くて、態度がデカくて。

 どっかの女王様気取りの女の子が。

 でも僕は女の子が居なきゃ生きていけない。

 その我侭も、そのツンとした態度も。

 全てが愛しくて、狂いそうなほど愛らしい。

 蜜柑を剥いてくれて僕に食べさせてくれたり。

 面白かった本の内容を生き生きと僕に語ってくれたり。

 ふてくされた僕の頭を撫でてくれたり。

 キスした後に、恥ずかしそうに布団に潜ったり。




 きっと里香が死んだら、僕も死ぬんだと思う。




 そう言うと、彼女は嬉しそうに微笑んで。

 悲しそうに、下を向いた。




 ――――――裕一って、大馬鹿だよね。




 ああ、その通りさ。

 僕は馬鹿だ。

 これ以上ないくらいにスカポンタンだ。

 だけど構うもんか。

 警察上等。

 焼肉定食。

 この世界は里香を中心に回ってるんだ。

 彼女の居ない世界なんて、僕には意味がない。

 母さん達だって思ったに違いない。

 自分の片割れが去ったときに、自分も死のうと思ったに違いない。

 でも彼女らの場合――――――足元には片割れが残したものがあったんだ。

 だから生きた。

 息子を、娘を生かすために、彼女達は懸命に生きた。

 すげえなあって思う。

 だってそうだろ? 女一人で子供を育てるなんて、とてもじゃないけど考えられない。

 莫大な遺産とかがあったりしたら違うだろうけど、母さん達にはそんなものなんて一つもなかった。

 ごく普通の一般家庭。

 しかも僕の親父なんて飲んだくれでギャンブル狂いだったんだ。

 毎回の様に母さんを泣かせて。

 なんで離婚しないのか僕にはすごい不思議で。

 それでも、二人は愛し合っていた。
















 オレさ、いつまでもお前を忘れない。

 きっと忘れられない。

 だからお前の居ない世界なんて考えられないんだ。

 


 ――――――ふふ、責任重大だね。あたし。




 まったくもってその通りだ。

 事実、僕の命は里香が握っているようなもんなんだから。

 だけどそれが心地よい。

 里香と一緒に死ぬって考えると、死なんて全然恐くない。

 よく心中するヤツがいるけど、きっとこんな気持ちなんだろうなあって今なら分かる。

 里香と共に生き。

 里香と共に死ぬ。

 ああ、なんて素晴らしいコトなんだろう。
















 ――――――いつか終わりが来ると、彼女は言った。
















 ――――――いつか終わりが来ると、僕は覚悟していた。
















 だけどさ、そんなの口先だけだったって、後になって分かったんだ。

 こうやって死に物狂いで病院に向かっている最中でも。

 ドクドクと五月蝿い心臓に悪態をついている最中でも。
















 ――――――おまえもそのうち好きな子ができるんだろうなあ。いいか、その子、大事にしろよ。
















 五月蝿い五月蝿い五月蝿い。

 ドクドクと暴れる心臓が五月蝿い。

 頭ん中でリファインする誰かの言葉が五月蝿い。












 「あ、秋庭さんの様態が急変したって、谷崎さんが・・・・」
















 染み付いて離れない、司の声が五月蝿い――――――。










                                            ■ "AM 5:11"に続く ■



 




 〜あとがき〜



 ついに書き始めちゃいました、半月SS!!

 やっぱり一人称は書きやすいなあ・・・・。

 専ら裕一×里香&みゆきになりそうな予感。

 三角関係の修羅場ッス。