神造世界_心像世界 第五幕 「The occurrence of one dayT」









 カタカタカタ・・・・。

 それは流れるようなキータッチだった。

 まるでピアノを弾くように軽やかに、そして優雅に軽快に。

 白く細い指が奏でるそれは、一種の芸術でもあった。

 
 「・・・・」


 瞳に映るのはディスプレイの反射光。

 時節思い出したように瞬きはされるものの、その視線は一点を見つめて離れない。

 だが画面を長時間見つめていることによって起きるドライアイ対策も万全だ。黒猫印の目薬がすぐ隣に置いてある。

 お尻の下にはこれまた猫の形をした低反発マットが。

 そして腰を痛めないように背もたれにも適度な反動等の、様々な手が加えられている。

 作業の効率を上げるには職場の環境が一番大事なのだ。

 リツコは自分が快適に過ごすための工夫を決して怠ることはない。新たな快適グッズを開発するために日夜研究を重ねてるのだ。

 
 「・・・・」


 ミスタッチはまるでなかった。これはもう職人技と言えるだろう。

 彼女にとってコンピュータは身体の一部であり、自分を語る上で欠かすことのできないキーパーソンなのだ。

 スパコン“MAGI”あっての赤木リツコだろう。

 そして赤木リツコあっての“MAGI”でもある。

 相互に欠かすことのできない存在――――――互いに補完し合っているということか。

 まるで分裂使途みたいじゃないの、と彼女が聞いていたらこう言うだろう。




 NERV本部内、赤木研究室。

 時刻はAM8時を回ったばかり。ちらほらと職員たちが増え始めた。

 一般職員たちが入る二時間にはNERVで作業を開始していたリツコにしてみれば遅刻もいいところだ。

 他の職員たちは今日も式典の続きがあると知っているのだろうか。

 知っていてこの時間帯に来ているのなら、「ふふふ。実験体になってもらおうかしら」なんて危ないことを考えてたりする。

 
 「後五時間、か」


 二日目の式が始まるのは午後の一時だ。

 だがその前にしなければいけない仕事は山の様にあった。

 流す映像の最終チェック、会場の整備、監視の指示。

 訪れる重役達のためのセッティングなど。

 いろいろとありすぎて、探せば探すほど仕事が出てくる。まるでどっかの青ダヌキが持っている非常識ポケットみたいだった。

 だと言うのに。

 あのアル中女はまだ家で安眠を貪っているのだろう。

 普段から定時でしか帰ったことがなく、そして遅刻の常習犯。これで能力がなかったら、確実に解雇されているはずだ。

 
 「馬鹿は死んでも治らないって言うけど・・・・本当だったのね」


 マジで一回死んでいますから。


 「はあ・・・・なんとか午前中に来て欲しいわ」


 確立は五分かしら、とリツコは思った。


 「加持くんが起こしてくれれば・・・・って、いくらなんでも無理か」


 忘れがちだが葛城ミサトはすでに妻となった身である。

 夫である加持の浮気癖に日夜目を光らせながらも(もはやスキル“浮気のサトリ”の域まで達している)、あれでよくやっているのだ。

 当然二人は同居している。

 ミサトに家事全般を任せていない夫は、今日も自分で食事や洗濯をこなしていた。覚悟はしていたのだ、そう、覚悟はしていたんだけどさあ。

 彼女に家事を任せたら命がいくつあっても足りないことは大学時代からの付き合いで実証済み。

 ミサトカレーは量産されるは洗濯したのに余計に服は汚れるは裁縫させたらいつの間にか服は針山と化すは。

 いくら彼女への愛があるとはいえ、好き好んで地獄は見たくない。

 今や葛城家の食事事情その他は加持によって運営されているに等しい。

 結婚するまで同居していたアスカは他の部屋へと移っていた。

 ミサトの部屋から出て行くときの表情は、ムショから数年ぶりに出ることができたどっかの恐い人、それだったという。


 「結婚しても女は変わらず・・・・ロジックじゃないわね」


 





 トゥルルルル・・・・トゥルルルルル。

 着信を示すランプが点滅している。

 だがその受話器を手に取る人物はまだ夢の中だった。

 ピッという音と共に留守電の録音が始まる。「こちら葛城家ー。御用の方は電子音の後に用件を入れてねん♪」ピー。


 『葛城・・・・NERVで会ったら・・・・今朝に言えなかったことを言うよ・・・・って、早く起きろー葛城さ〜ん。ご飯ですよー』


 がちゃ。ツーツーツー。

 
 「むにゃ・・・・ゴハン」


 布団に包まっているのは葛城ミサト一人だ。夫の加持はすでに出勤済み。

 あと五分という妻の頼みを聞いて待っていたものの、一向に起きてこないので先に出かけてしまったのだ。

 故に彼女を起こす人がいない。

 放っておけば今日一日だって眠り続けるだろう。

 すでに彼女はコールドスリープ状態に突入しかけていた。夫が気を利かせて電話をしてきたのだが、それでも起きる様子はない。


 「クァ」


 事態を重く見た葛城家起こし隊隊長、ペンペンはどうするものかと首をひねる。

 そのまま放っておくと後で自分が〆られる可能性がある。「なんで起してくれなかったのよー」とか言われて。

 ためしにペシペシとミサトの頭を叩いてみるが効果はなかった。

 アル中だから当たり前だろう(?

 ペンペンはペンギンにしては良すぎる頭をフルに使って作戦を組み立てていく。

 どうすればいい。

 どうすればこの女(すでにご主人様は餌をくれる加持)を起こすことが出来るのだろうか。

 昨日は酔っ払って帰ってきたから相当眠りは深いはずだ。

 なら鼻をつまんでみるか? いや、息をしなくてもこの生物は生きているだろう。

 睡眠時無呼吸症候群なんて屁でもない。むしろ息をしない方が安眠できそうな気がする。

 
 「クァ〜」


 ああ、この脳みそがあと二周りほど大きかったら何か思いついていたかもしれないのに。

 きっとこの女と二人きりで暮らしていた期間に脳細胞が死滅してしまったのだろう。

 危うく食われそうになったり。

 ゴミに生き埋めになったまま数日間発見されなかったり(忘れ去られていた

 酔って絡まれて犯されそうになったり。

 思い出すだけでも恐ろしい。

 だが今ではご主人様が自分を庇ってくれる。ならばせめて恩返しをしなければ。

 ・・・・!


 「クアー!」


 閃いた。閃いた!

 これならきっといける。

 少々荒療治だが仕方ないだろう。これもご主人様のためだ。

 悪いな、女。せめて骨は拾ってやるぜ。


 「クア――――――――――――ッ!!」


 南無三!

 ガスッ 


 「にぎゃ――――――――――――っ!?」


 彼女の額から、勢いよく噴水が飛び出した。

 水は、赤かった。

 ペンペンのくちばしも、赤かった。








 「葛城・・・・まだ寝てるのか」

 
 携帯を切って加持はため息を吐いた。

 渋るミサトを置いて出てきてしまったのがまずかった。

 式典の日ぐらいは起きるだろうと思っていたのだが・・・・第三使徒のときも寝坊したって噂だしなあ。

 幸い今日はミサトがこなさなければならない仕事は一つだけだ。

 映像上映会が始まる前に間に合えばセーフと言える。

 だがそれでも事前の準備をボイコットしたことには変わりはないのだが。

 加持の脳裏に、減俸を言い渡されてヤケ酒をする妻の姿が浮かんだ。


 「ヤケ酒はいいけど俺の金で飲むのはやめて欲しい・・・ほんとに」


 これではタバコ代と女の子と遊ぶ資金がなくなってしまうではないか! 加持は焦った。

 今でさえミサトの酒代は食費を圧迫しまくっているというのに。

 これ以上飲まれたら加持のおこずかいにまで影響が出てしまう。それは勘弁願いたい。

 
 「俺が迎えに行くにしても仕事があるしな」


 加持はこれから仕事があった。自分を抜きでやると部下の作業に支障が出る。これでは抜け出せない。

 
 「りっちゃんに頼んでみるか」


 彼女も鬼のように忙しいことを加持は知らなかった。




 「処刑ね」

 「処刑って・・・・頼むよ、りっちゃ〜ん」

 
 リツコの研究室に着くや否や、加持は思い切りリツコに抱きついた。まるで@び太くんである。


 「わたしだって急がしいのは分かっているでしょう? 何時に出勤したと思ってるの!? 六時よ、六時!」


 ムキー、と癇癪を起こすリツコに冷や汗を流しつつ、加持はなんとか説得を試みる。

 ご自慢のだんでぃスマイルと大人の魅力でリツコもイチコロさ。


 「キモいからやめて」

 「ひどっ」


 あんまし効かなかった。


 「・・・・でもミサトがいないとマズいのは確かね」


 式典最終日のメインとも言える映像上映会。

 あらかたの説明はリツコとマヤでこなすのだが、各使徒との戦いのコメントは作戦部長であるミサトの役割となっていた。

 指揮官が不在では上映会も様にならないだろう。

 それにミサトは美人指揮官ということで広告塔としての役割も負っている。

 彼女の美貌(+胸)に影響されてスポンサー側に良い影響を与えようというゲンドウの作戦があった。


 「親友だろ〜、頼むよ」

 「親友、ね」


 リツコは嘆息した。

 今思えばなぜ自分たちは“親友”という間柄になったのだろうか。

 ただミサトも自分も友達と呼べる人間が少なかったから惹かれあったのかもしれない。

 仲間意識。

 傷の舐め合い。

 似たもの同士。

 だが親友とはなんだ? 互いに心を許しあっている友? 無二の間柄?

 少なくとも自分はミサトが何を考えているか分かる時がある。向こうだってそうだろう。

 だが、とリツコは思う。

 “信用”と“信頼”が似ているようで似ていないことと同じように。

 自分とミサトも“親友”とは別の関係なのではないか、と思ってしまう。

 事実、自分は使徒戦役時代に彼女が踊らされるのを黙認していた。それどころか利用した。

 
 ―――――― ああ、そうだったのか。

 
 もう自分達は利用し、利用される立場でしかないのだ。

 普段の関係は付け刃みたいなもの。なんて薄っぺらなのだろう。

 なんて。

 なんて、無様。


 「そうね。“親友”だものね」

 「ん? ああ」


 リツコの自嘲した笑いも、加持には呆れ返ったものだと思ったのだろう。彼は苦笑した。


 「ミサトの方はわたしがなんとかするわ。加持くんは作業をお願い」

 「ああ、了解」


 問題が片付いて清々した、とその後ろ姿は語っていた。

 シュン。ドアが閉まる。


 「・・・・シンジ君に頼むしかないか。彼、了承してくれるかしら」


 リツコは傍らに置いてあった受話器へと手をのばした。








 コンフォート17マンション前。

 黒髪をなびかせ、碇シンジはミサトが住んでいる部屋を見上げた。

 幾度ともなく繰り返してきた風景。

 NERVの帰り。

 学校の帰り。

 一人で帰ってきたこともあった。

 アスカと二人で帰ってきたことだってあった。

 ミサトに車で乗せてきてもらった。

 変わらない。

 見上げた空も。

 吹き抜けていく生暖かい風も。


 「・・・・一年」


 食事を作って、洗濯をして掃除をして。

 アスカにご飯がマズいと嬲られ、ミサトが生産するゴミの後片付けに追われ。


 「クスクスクス。なんかヤな思い出ばっかりだな」


 楽しかったことなんて数えられる程しかない。

 人間は構造上、良い思い出は忘れやすく、逆に嫌な思い出は印象に残り続ける。

 この点、シンジが思い出すことと言えば嫌な思い出しか浮かばなかった。

 だがその思い出が良かれ悪かれ、それは事実としてあったことだ。

 それは今の自分を作り上げた過程。

 碇シンジの歴史。

 世界に記録されたそれは、省みることはできるが改変することはできない。

 起こったことは終わったこと。

 未来を作り上げることはできても、過去を変えることは不可能なのだ。

 シンジは視線を戻すと、マンションへと歩き始めた。

 


 ピンポーン。


 「・・・・」


 ピンポーン。


 「・・・・」


 ピンポーン。ピンポーン。


 「・・・・」


 ピンポーン。ピンポーン。ピンポーン。


 「・・・・」


 ピポピポピポピポピポピポピポピポピポピポピポピポピポピポピポピポピポピポピポピポピポピポピポピポピポピポピポピポバキャッ


 「壊れちゃった」

 「なんてことすんのよ!?」


 まさに「今起きたばかりです」みたいなミサトが顔を出した。その上、なぜか額に絆創膏を張っていた。

 シンジが連打しまくったインターホンは、ボタンの部分が凹んで戻らなくなってしまっている。これでは使えない。

 それを涙目で「ああ〜今月のえびちゅが〜」と必死に直そうとしている三十路のオバ・・・・もとい奥さんがいる。


 「大丈夫ですよ。弁償しますから」

 「そ、そう・・・・? ならいいわ」

 「それで、やっと起きたみたいですね」

 「あんなに鳴らされればイヤでも起きるわよ・・・・」


 何気に目覚ましより破壊力があるのだ。


 「また飲みすぎで寝坊したんでしょうけど、皺が増えますよ?」

 「くっ、皺は関係ないでしょう、皺は。で、何か用かしら? わざわざ嫌味を言いにきたの?」

 「いいえ。これをどうぞ」


 そう言ってシンジは携帯電話を取り出した。

 NERVのロゴが付いている、職員に渡されているものだ。これで結構高性能らしい。

 渡された携帯を弄びながら「で? 何よこれ」「待ってください。もう少しでかかって来ると思いますから」と。

 一分後。

 二分後。

 三分後。

 ちゃらら〜ん♪ 『葛城二佐、減法一ヶ月』 ちゃらら〜ん♪ 『葛城二佐、減法一ヶ月』 ちゃらら〜ん♪ 『葛城に』ピッ


 「何よコレ!? イジメ!? イヤガラセかよ!? 舐めんじゃないわよ、ええ!?」

 『五月蝿いわよミサト』

 「うっリツコ」


 クスクスクス。隣を見るとシンジが可笑しそうに笑っている。

 殴りかかりそうになるものの、なんとか自分を押さえ込むミサト。

 クールになれ葛城ミサト。お前はもう既婚者なんだぞ? 妻という立場なんだぞ?

 子供の悪戯くらい笑って流せなくてどうする。

 そうだ、冷却しろ。内部温度を正常値に戻すんだ。冷却開始、ぷしゅー。


 『いきなり怒鳴ってどうしたのよ?』

 「ちょっち個性的な着信ボイスを聞いちゃってね、アハハ・・・・」


 それもゲンドウボイス。


 『まあいいけど。その分だとキチンと起きたみたいね。シンジ君に感謝しなさいよ? わざわざ起こしに行ってくれたんだから』

 「そうねアハハ。あはははははははははははははははははは」

  
 ミサトは顔を引きつらせながら笑った。隣でシンジもクスクス笑っている。くすくす。あはは。

 笑っているのに、二人はどこか嫌気な雰囲気をかもし出していた。

 
 『そうだわ。せっかくだからシンジ君にもNERVに来てもらいなさい、ミサト』

 「ちょっち待って。シンジ君、NERVに行く?」

 「ええ、構いませんけど?」

 「リツコー? シンジ君もそっち行くって」


 そう、とやけに嬉しそうな声が携帯から聞こえてきたので、ミサトは怪訝に思った。

 何かあるのかしら、と。


 『じゃあ“ヌル助”も連れて来てって伝言頼むわね。じゃあ』


 プー、プー。

 切れた携帯を懐に入れ、ミサトは髪を整える。どうやらこのままで行くようだ。

 部屋の奥から制服を取り出して着替え、玄関の前で待つシンジの元に現れるまで所要時間5分。女性にしては驚異的な速さと言えよう。

 その間、シンジはゴミ箱に頭から突っ込んでいるペンペンを面白そうにツンツンしていた。何気にピクピクしているから生きているのだろう。

 なぜペンペンがゴミのように捨てられているのか聞きたかったのだが、何か聞いてはダメなような気がしたのでシンジは何も見なかったことにした。

 
 「おっし、行くわよ〜。それでシンジ君、なんかリツコが“ぬるすけ?”連れて来てって言ってたけど」

 「そうですか。じゃあNERVに行く前にリツコさんの家に寄らなきゃいけませんね」

 「その“ぬるすけ”がリツコんちにいるってわけね・・・・名前からして怪しいけど」


 ミサトは一瞬、リツコの新しい実験体? なんて思ったりした。


 

 二人はルノーに乗り込む。

 車内に立ち込めるタバコの匂いは加持のものだろう。

 ミサトにしてみたらいつも感じる匂いなので何も感じないようだ。

 シンジがシートベルトを付けたことを確認すると、ルノーはコンフォート17マンションを出る。


 「でもあの着信音は最悪だったわね〜。シンジ君がやったんでしょ? アレ」

 「え? 僕じゃありませんよ。リツコさんが合成して作ったそうです」









































 「あんの金髪マッドがぁ―――――――――――――――――――ッ!!!!!!!!!!」


 走る走る走る!

 その日、青いアルピーヌ・ルノーは風になった。








 ■ 神造世界_心像世界 「The occurrence of one dayU」に続く ■