神造世界_心像世界 第三幕 「ココロの中に潜むもの」










 碇シンジが第三に拉致されてから二週間がたった。

 その本人はと言うと、最初の一週間こそ慣れない家に戸惑っていたものの、今ではすっかりリツコの家の住人と化していた。

 朝起きて二人は食事をし、リツコのみがNERVへと出勤する。シンジは家に残り家事を担当することになっていた。

 故にシンジとNERVの職員たちが顔を合わせることはほとんどないのだった。



 AM10:00、赤木邸。

 洗濯物を取り込んだシンジはいつものようにリツコの愛猫、アレキサンドリアとユナリシアの二匹と穏やかなひと時を満喫していた。

 二匹はそろって腹を見せて寝転んでいる。信頼の証に答えるようになでてやると嬉しそうにネコぱんちを応酬してくる。くすぐったいのだろうか。

 シンジは生粋の猫派である。以前、犬に手を噛まれてからというもの、大型犬が大の苦手になり近づくのも苦手になってしまった。

 犬の鳴き声にもビビるシンジはそんな理由から猫LOVEなのである。

 
 「猫はいいねぇ〜、特にこの肉球が」


 プニプニと肉球を弄ぶ。「なぁ〜」ゲシっ「あうっ、痛い・・・・引っかかれてしまった。でもこれも愛情表現の一つなのさ」誰に言ってるお前。

 そんなこんなしているうちに時間は過ぎていき、時刻は12時近くを指していた。

 空腹感を感じ腹に手を当て、今日は何を食べるか思案する。

 ピポパ

 
 「あーもしもし? ええ、出前お願いします。特上寿司二人前で。はい、それでは」


 一人前で数万はする寿司を頼み、満足そうに頷くシンジ。

 これでその代金をリツコが払うとしたら外道なのだが、そのようなことはない。

 シンジが使うお金は全てNERVから出ているのだ。だから嫌がらせをかねて湯水のごとく使う使う使う。

 だが元から金食い虫なNERVにはシンジが使う金など石ころに等しかった。ゲンドウもその点については黙認しているようだ。

 豪勢な暮らしをさせてやるから大人しくしていろ、ということだろう。

 金はないよりはあったほうがいい。シンジは快くその提案を呑んだ。

 
 「ふんふんふーん」


 お昼のワイドショーです。TVからそんな声が聞こえてきた。

 アレキサンドリアを太ももの上に乗せ、ソファーに座る。これでワイン片手にゴージャスな服を着ていたらさぞ悪役として絵になっていただろう。

 『三日後に予定されているサードインパクト死亡者の慰霊祭は予定通り行われるようです』

 慰霊祭ねえ、とシンジはクスクス笑う。ならばこのお祭りのような雰囲気はなんだ、これじゃあまるで何かのイベントではないか。

 しかも慰霊祭参加はチケット制ときた。このチケットはネットオークションなどで高値で売買されているという。

 『慰霊祭参加者が第三を訪れることによる経済効果も期待され――――――』

 ぴっ。「馬鹿馬鹿しい」あまりのいいかげんさに呆れてしまう。当日は軍事マニアを含む大人数がこぞって第三を訪れるだろう。

 それに加えて大物政治家、総理大臣を筆頭とする官僚たち。NERVのスポンサー企業からも重役が回されるはずだ。

 表では慰霊祭と銘打ってはいるが、裏では大量の金が動く日でもある。

 NERVとしても予算を得るためには重要な“行事”なのだろう。



 ピンポーン。「あー今でまーす」

 リツコから渡されたNERV名義のカードを片手に玄関へと向かう。

 
 「よお、こんにちは」


 見知った顔の登場にシンジは眉をひそめた。








 

 「はあ」

 
 リツコの額に青筋が浮かぶ。

 今日何度目になるかもわからないため息を聞けば、イラつくのも当たり前だろう。だがそのため息をつく者が上司だとしたら、迂闊に注意することもできない。

 爆発しかける怒りをポーカーフェイスに隠し、淡々と作業をこなしていくのは彼女ならできる芸当だ。

 
 「ユイさん・・・・」


 親の心、子知らずもとい。先輩の心、後輩知らずなマヤは心配そうに碇ユイ技術部顧問を見ている。

 作業の手を止めていたらリツコも注意するのだが、器用にもその手は休まることなく動いているから怒ることはない。

 どこか憂いを帯びたユイの仕草に男性職員が頬を染める中、リツコだけはそれを無視するかのごとく手を動かし続ける。

 NERV内ではリツコとユイの不仲説が一時期広まったことがあった。

 そのときはユイがリツコを抱きしめ、「そんなことはありませんよ。ね、りっちゃん?」「え、ええ。モチロンデストモ」という場面があり、丸く収まったのだが。

 今にも体中の毛細血管がぶち切れそうになっていたのをユイは知らないだろう。その晩、リツコは数時間に渡ってシャワーを浴び続けたらしい。

 憎悪はないものの、できる限りは関わりたくない人物として、リツコの中ではユイがインプットされたのだった。


 「シンジ・・・・」


 そのつぶやきにマヤは顔をしかめさせる。リツコはもう知らんと耳にヘッドホンを入れて音楽鑑賞を始めた。

 やっと居心地の悪い空間から開放されたリツコの表情はものすごく穏やかになる。それはもう昇天するんじゃないかってぐらいに。

 
 「顧問、大丈夫ですか?」

 「ええ・・・・と言いたいところだけど、あんまり大丈夫じゃないわね」


 だったら来るなよ。もしリツコが聞こえていたらそう言っていただろう。


 「ねえ、マヤちゃん。シンジって昔からああだったの?」

 「え? えーと。どうだったかなぁ、えへへ」


 三年前の使徒戦役の情報は口外禁止との命令が司令部より出されている。これを破ったものは厳しい処罰を受けるとも。

 事実、情報を売り渡そうとしたNERV職員の一人が処刑されているのだから職員たちは決して口を割らない。

 過剰とも言えるこの対策が功を奏し、今までに自発的に情報を漏らす者はいなくなった。

 そのことを思い出したマヤは口を濁して愛想笑いをするしかできない。

 助けを求めようにもリツコは目を閉じて音楽鑑賞中。事実上、孤立無縁なマヤだった。


 (ふぇえ〜ん。誰か助けてよぉ)


 「無様ね」

 
 なにやら第六感を刺激されたリツコはとりあえずそう呟いた。







 喫茶「るんな」店内。

 碇シンジと加持リョウジはそこに居た。


 「で、僕になにか用でも? 加持さん」

 「別に用はないけどね。久しぶりに会ったんだ、少しくらい話をしてみたいと思っただけさ」


 これは重症だなぁ、と加持は内心で苦笑いする。

 ミサトからシンジのことは聞いてはいたが、この目で見るまでは信じられなかった、というのが彼の本音ではある。

 性格は内気から強気へ。それでいて容姿は以前よりも“綺麗”になっている。

 もし性格が加持のようだったらさぞ凄腕のプレイボーイになっていたことだろう。



 リツコの家へ押しかけた加持は無理を言ってシンジを外へと連れ出したのが三十分前。

 「出前を注文しているから少し待ってください」とシンジが言うので十分ほどは待ったが、そのあとは渋ることなく誘いに乗ってくれたのは意外だった。


 「でも昼飯が特上寿司とはねえ、豪勢なもんだ」

 「別に僕が払っているわけではありませんし。待遇を考えれば当然のものですよ」

 
 加持の嫌味とも取れる挑発に、眉一つ動かさずシンジは答えた。ほう、と挑発をしかけた本人は舌を巻く。


 「君はサードチルドレンだろう? NERVにいるのは当たり前じゃないのかい?」

 「元、です。今の僕は初号機を動かせません。司令風に言えば用済みの人間なはずなんですけどね」

 「それは言い過ぎじゃないか?」


 これがもし加持の知る碇シンジであったのならば、この時点で俯いているか黙っているかのどちらかだっただろう。だが目の前の青年はどうだ。

 それはもう過去の話だ、と言わんばかりに淡々とした口調。すでに会話の内容には興味もないようである。

 他人を求めていた少年は他人を必要としない青年へと成長したとでもいうのか。


 「でも加持さんも暇なんですね、こんな真昼間から男をお茶に誘うなんて」


 ジト目で「もしかして両刀使いなんですか?」なんて聞かれたもんだから加持も焦った焦った。たしかにシンジの容姿はそっち系の人間には人気がありそうだが。

 
 「俺は結婚してるんだぞ」

 「え? じゃあお相手は・・・・」

 「ああ」

 「人事課のミクさんですか」

 「その通り・・・・って違う! というか何でシンジ君が知ってるんだ!?」


 人事課のミクさんとは言わずもかな、加持が手を出したことがあるNERV職員の名前である。しかもけっこう可愛い。

 うろたえる加持を見てシンジはクスクスと笑った。当然のように質問には答えない。

 
 「冗談ですよ、冗談。でも葛城さんも加持さんも姓が変わってませんよね?」

 「ああ。結婚したからって姓を変えるのもナンだろ? 子供が生まれるまではこのままでもいいじゃないかって葛城がな」

 「へえ・・・・」


 と、注文していた品をトレイにのせてウェイトレスがやってきた。

 寿司を食べれなかったシンジは昼飯を食べていない。そこで加持のおすすめする喫茶店で昼にすることになって今に至る。

 この喫茶店は食い物もうまいことで有名らしい。シンジは一度も入ったことがない店なので期待していた。

 アルバイトだろうか、ぎこちないながらもウェイトレスはテーブルの上にお皿をのせていく。

 シンジが頼んだものはハンバーグセット、加持はホットコーヒーだ。

 食欲をそそる匂いが立ち込める。なかなか当たりだったかもしれない。

 「それではごゆっくり」去っていくウェイトレスを、文字通り尻目に、加持はコーヒーをすする。「ふっ、安産型だな」リョウジ本領発揮。

 その様子に呆れたシンジは食事を始める。

 
 「・・・・お、なかなか美味しいですね」

 「だろう? この辺りじゃ隠れた名店って有名なんだ」

 「有名なんだかそうじゃないんだか微妙ですね」

 「まあ・・・・そうだな」


 コーヒーが一段と苦く感じた。




 「それでどうだい、第三に帰ってきた感想は」

 「最悪ですね」


 アハハ、と乾いた笑いしか返せない加持。


 「僕がどうこう言うものじゃないですけど、あまりこの街は好きになれません」

 
 文字通り日本中を転々としてきたシンジは数え切れない街や村を見てきた。

 自然に囲まれた古き村、発展した現代都市。どれもその土地ならではの特性を生かしたものだといえる。

 だがこの第三には良い感情は持てない。

 NERVの本拠地、というのもその理由の一つなのだが。

 シンジが感じる不快感はもっと別のものにある。


 「この街の人々にはわからないでしょうけどね」

 「君にはわかる、と?」

 「もしかしたら言葉の通じない外国人にだってわかるかもしれません」

 
 カチャ、とナイフとフォークを静かに置いた。

 綺麗に平らげられたそれはシンジが満足した証拠だろう。


 「詩人じゃないですけどね、この街は汚れているって」


 クスクス「なんだかポエミーでしょう?」「あ、ああ」クスクスクス。


 「表面上じゃないです。もっと奥、そう、人の心が汚れているんです。まあ大金が動く街です、仕方がないことなのかもしれません」

 
 ナプキンで口を拭く仕草は様になって見えた。

 加持はコーヒーのおかわりを注文する。

 加持としては話の中でどこぞの組織に取り込まれたのか調べるつもりだったのだが、完全にあてが外れてしまった。

 というより組織などという単語とはまったく無関係の生活をこの三年間はしてきたようだ。

 司令も深入りして調べる必要はないと言っていたのも思い出す。

 だが、だったら三年間も見つからなかったのはどういう訳だろうか。

 MAGIを使えば大抵の人物は情報網に引っかかるし、探索した保安・諜報部が逃すわけもないだろう。

 話を聞けば日本中を歩き回っていたという。ネットワークから隔絶された田舎にでも隠れていたのだろうか。

 いずれにせよ碇シンジは第三やNERVに関わらない生活をしていたはずだ。

 
 「あの、もう帰ってもいいですか? 洗濯物も干さなきゃいけないですし」

 「かまわないぞ。代金は俺が払っとくから」

 「ありがとうございます。今日はご馳走様でした」


 ペコリ、と一礼しシンジは喫茶店を出て行った。

 カランカラン。「ありがとうございましたー」


 「汚れている、か。なかなかに鋭い表現だな、シンジ君」








 帰り道、マヤに声をかけられたリツコはやはりきたか、と内心でため息を吐いた。

 ユイさんがかわいそうとかユイさんのことをもっと考えて〜とか言われたときは引っ叩きそうになったが、寸前で思い留まることに成功した。

 今だってグチグチと吐き出される愚痴を聞き流している真っ最中である。


 「何ですかあの可愛げのない態度は。昔はあんなに可愛らしかったのに」

 (だったら本人に言えばいいでしょうに。それができないから愚痴をこぼしているのかしらね・・・・)


 ハイハイソウネソノトオリネと適当に相槌を打つ。

 マヤはすでにお得意のトランス状態に入っているのか、リツコの投げやりな返答にもまるで文句はない。

 リツコとしてはこのまま置き去りにして帰りたいところなのだが後が不味い。明日に文句を言われるのは勘弁願いたかった。

 仕方がないので休憩所で話を聞くことにした彼女は目的地へと向かうことにした。

 
 「シンジ君が来てから二週間か・・・・」


 休憩所には先客がいた。ミサト、アスカ、レイのデコポン三人組である。

 適当に挨拶しマヤを座らせる。ブツブツブツ。小声で呟いているから余計に恐ろしい。

 三人もわかっているらしく、いつものアレか、という表情をしている。この癖がなければマヤもモテるだろうに、と彼女らは思った。


 「リツコ、どう? シンジ君の様子は」

 「良い子じゃないの。家事をこなしてもらっているから大助かりよ。アレキサンドリアにも懐かれてるみたいだし」


 リツコの家の雄猫、アレキサンドリアは基本的に人見知りが激しい。

 シンジが初めて家を訪れたときも、最初は逃げ回ってばかりだったのだ。だが餌を与えているうちに自然と仲良くなったらしい。

 二匹と一人がじゃれあっている姿を思い出してリツコは頬を緩ませた。


 「へえ、随分と打ち解けてよかったわねえ、リツコ?」

 「なにか棘のある台詞じゃないの、ミサト」


 馬鹿にする声色のミサトとドスの効いた声のリツコ。どちらにせよ穏やかとは言えない状況だ。


 「どうでもいいわ、あの人のことなんて」

 「レイ?」


 ユイ意外のことで珍しく感情を表したレイを訝しげにアスカは見た。現れた感情は不快感。

 レイの好きなものは好き、嫌いのものは嫌いという性格に泣かされた男は少なくはない。

 彼女に告白した全ての男が「別にあなたのことは好きじゃないわ。さよなら」なんて言われたのだから。

 美少女に「嫌い」と言われればそれはトラウマにでもなりかねない。

 今ではレイは孤高の美少女として扱われており、告白するような勇気ある馬鹿は一人としていなくなったのだった。


 「どうしたのよ、レイ。シンジ君に何かされたの?」

 「お母さんを傷つけたわ」

 
 まるで親の敵を語るように低い声だ。だがリツコは鼻で笑う。


 「なにがおかしいんですか、赤木博士」

 「あら、ごめんなさい」

 「まあまあ、二人とも。ちょっち落ち着いて」


 リツコVSミサトだった対戦図がリツコVSレイへと変わる。険悪だったミサトが止めに入る始末だ。


 「随分と碇くんに入れ込みますね」

 「あなたこそ親離れしたらどう? もう17でしょ」

 「っ!?」

 「シンジ君が言った通りね・・・・」


 嘲笑うような声と「シンジ」という言葉に反応して手が止まった。これがなければレイはリツコに平手をかましていただろう。

 まだ精神が幼いレイは、言いくるめられるとどうしても手が出てしまう兆候があった。

 三年前にしてもゲンドウを信じていないと言った当時のシンジに手を出している。それが気持ちの押し付けだとも知らずに。

 人間誰しも他人なのだから、皆が同じ想いを持っているわけではない。

 ピーマンを好きな人と苦手な人がいるように、人の数だけ想いがあるのだ。

 だが自分と違う考えや想いを持つ人間が出会ったとき、分かり合おうとしなければ必ず軋みが生じる。

 それをなくすのが理性というものであり、大人になるということなのだ。

 気持ちの押し付けなど、子供の駄々と大して変わりはない。その点ではまだ、レイは精神年齢が幼いと言えた。

 リリスの因子という呪縛から解かれた後も、ユイの溺愛教育によって自制が育たなかったのだ。

 極度に言えばユイに関することにだけ理性がなくなる、ということだろうか。

 
 「あなたに構うほど馬鹿らしいことはないわ、碇レイ」

 「レイ! やめなさい!」


 今にも飛び掛らんとするレイをミサトが押さえつける。睨みつけてくる紅い瞳はそれだけで憎しみの炎を連想させた。

 馬鹿馬鹿しい、リツコは踵を返して歩き出す。

 いつのまにか正気を取り戻したマヤがことの展開に着いていけずオロオロとしているのが目に入ったがそれだけだ。

 依然、碇レイはミサトを振りほどこうともがいている。

 騒がしい休憩所を尻目にリツコは自分の家に帰るべく車へと向かうのだった。




 「リツコさん」

 「あら、シンジ君どうしたの?」


 シンジがNERVを嫌っていると知っている彼女は疑問に思い聞いてみた。なぜ彼がNERVに居るのだろう。

 するとウンザリとした口調で「碇ユイ」と一言。「そういうことね」リツコも納得したようだ。

 

 


 いつものように夕食の準備をしていたシンジはかかってきた電話の声に嫌そうな顔をした。もちろん相手からはそんなことわからないのだが。

 妙に碇レイに似た声色だと思っていたら案の定電話の主は碇ユイだった。

 一緒に食事をしようという申し出を0.2秒かからず断ったのだが相手が粘ること粘ること。

 このままでは特務権限を使用しても引っ張っていかれそうだったので、本当に渋々とかなり嫌そうにそれはもう最悪といった感じで了承したのだった。

 電話の向こうの声は弾むばかりだったのがムカついたのでそのまま切ったのだが。

 その2秒後にまた電話がかかってきて時間を告げられたのだ。恐るべき対応の速さだとシンジは思った。






 「と、いう訳です」

 「それは・・・・ご愁傷様ね」

 「ええ、まったくもって」


 今にも死にそうなシンジを慰める。なぜかその背中は煤けて見えた。

 
 「すいません。夕食は作っておきましたから、それを食べておいてください」

 「悪いわね、いつも。胃薬を用意して待ってるわ、頑張ってね」

 
 ラップのマークの正露丸、もとい。黒猫印の胃腸薬の効果を身をもって知っているシンジは彼女に感謝した。

 では、とトボトボNERVの司令室へと向かう。

 まさかとは思うが司令室で食事をするわけじゃないだろうなあ、と想像して気分が悪くなった。

 あの趣味の悪い部屋でとる食事なんて拷問と変わりはないだろう。

 車で走り去ったリツコを恨めしく思いながらシンジは歩き出した。




 「碇シンジ君をお連れしました」


 黒服に一度として「シンジきゅん♪」などと呼ばれたことのなかった当人はあまりの不自然さに鳥肌が立った。マジでキモチワルイ。

 大方ユイの前ではそうしろ、とゲンドウから指示されてのことだろう。

 普段だったら碇シンジとかサードチルドレンとか言うに違いない。


 「そうか、ご苦労だった」

 「いえ。では失礼します」


 一礼すると黒服は出て行った。

 部屋にいるのはゲンドウ、ユイ、レイ、そしてシンジだ。冬月は家族水入らずだということでご退場願ったのだろう。

 薄暗いがこの中にいる人物がどう思っているのかは一目瞭然だ。

 ゲンドウとレイは不快感を、ユイはただ嬉しがっているっぽいが。


 「よく来たな」


 別に好きで来たわけじゃないです、とは言わない。早く帰りたいから。


 「シンジ、今日はわたしたちの家で食事をすることになったわ」

 「・・・・」

 「・・・・」


 レイが睨みつけてくる。「なにかしたか、僕?」身に覚えのないその本人は首を傾げる。

 もっとも、レイが機嫌の悪い理由は100%リツコとの口論のせいだろう。その口論の理由にはなったかもしれないのだが。

 五寸釘でも急に取り出しそうな気配にビビるシンジ。

 急に口が裂けて「ウケケケケケケけけけけけけけけけけけええええええええッ!!」とか叫びだしたらトラウマ決定だ。

 ただでさえあの特大レイのせいで苦手意識があるというのに。

 人外、巨大化、神格化。まるでアニメみたいだ、とシンジは思った。

 
 「シンジ、ついてらっしゃい」

 「・・・・はい」


 もうどうにでもなれ。

 隣で不機嫌にしている女は無視するに限るだろう。

 なるようになる。

 でも。

 
 (疲れるなあ・・・・)


 彼の多難は始まったばかりである。






 ■ 第四幕 「運命の日」に続く ■