神造世界_心像世界 第二幕 「虚像と実像」







 「経過はどうなっている」


 この男にしてみればNERVは自分の城だった。

 圧倒的な発言力、保有するテクノロジー。どれをとっても世界最高のものなのだ。

 だがそれは彼の権力に直につながっているわけではなく、あくまで“組織”として持つチカラだ。

 それを我が物としたのが碇ゲンドウの手腕であり、彼を有能とする証拠なのだった。

 今やNERV総司令という肩書きは一国の主のそれと同義でもある。

 故にNERVの職員は彼の部下であり、そして駒でもあった。それも使い捨てにできる駒だ。

 有能な人材も集まりやすくなった。NERVの知名度は世界でも有数であり、どこぞのCMではないが、NERVはすでに世界語になっている。

 

 「国連からの正式な通達が届きました。予想通りEVAの使用が可能になります」


 その世界のNERVといえる大きな要因が赤木リツコの名にあることは間違いない。

 MAGIを使わせれば世界一であるのは誰の目から見ても明らかだ。EVAにしてもユイに次ぐ権威でもある。

 彼女がいてこそのNERV本部であり、支部を従わせるには欠くことのできない人物なのだ。


 「本部の零、弐号機はすでに起動可能状態にあります」

 「うむ。だが問題なのは使徒とOOパーツはまったく別種のもの、ということだな」


 ゲンドウの傍らが定位置と化している冬月、電柱と評されるものの、その有能さは疑うところなどない。紳士気取りなのは別だが。


 「はい。使徒と違いアダムの波動を求めているわけでもないですから、どこに現れるのか検討もつきません」

 「だが昨日は日本に現れた。その関連性はないのかね?」

 「古来から霊的な地域は青森の恐山、そして富士の樹海と相場が決まっています。ここ、黒き月に霊的なものがあるとは思えません」


 まあ、そもそもOOパーツが霊的な磁場に現れるかはわからない。

 ただ、日本人としてはまっさきに浮かぶのが霊的なモノ、いわゆるオカルト的なものなのだが、それにOOパーツは片足を突っ込んでいるといえよう。

 なにせ急に出現したり消滅したりするのだ。

 それに関しては使徒にも言えることなのだが、使徒はその存在は確認されており、生物であるとわかっている。

 それに対し、OOパーツは生物であるかも疑わしかった。


 「Out Of Place Artifacts――――――場違いな遺物、か。まさにその通りだな」


 学者としての知識欲をくすぐられたのだろうか、冬月はカラカラと笑った。

 仏頂面のゲンドウは冬月のように楽観することはできないようだ。ユイとの生活を邪魔するものは彼の敵であり、排除すべき障害なのだから。


 「話は変わりますが、回収できていたロンギヌスのコピー、修復が昨日に終了しました」

 「おおっ、本当かね」


 量産型EVAが携えていたロンギヌスの槍のコピー、弐号機を貫いたものを含めて二本をNERVは回収に成功していた。

 それを本部のノウハウで修復したのだが、レイはともかく、アスカは使用することに躊躇しているようだった。

 まあ仕方ないかもね、とリツコは思う。自分を貫いた槍だ、嫌悪感を持って当たり前だろう。

 ロンギヌスの使用可能――――――使徒戦役時代は大きな意味を持っていたそれも、今では戦力増強の意味合いでしかない。

 敵、第壱号がATフィールドを持っているのなら話は別なのだが。

 ロンギヌスの大きな特徴はATフィールドを貫く、これに限るだろう。だがそれを除けばただの槍と大差はない。

 神をも殺したとされるロンギヌスだが、使用するタイミングを間違えば鉄の棒と化す可能性だってある。

 リツコにしてもないよりはマシだろう、と思って修復していたのだ。はじめから期待などしていない。


 「初号機は?」


 傍観していたゲンドウが問う。この男、未だにアレに拘りでもあるのか、などと思われがちだがそれも違う。

 ゲンドウにしても冬月にしても、そしてリツコ共通のこととして最強のEVAは初号機である、という認識があるからだ。

 
 「・・・・現時点では無理、としか言いようがありません。理由はわかりませんが初号機はコアの乗せ換えを拒んでいる節があります」

 「ばかな」

 「たしかに弐号機や零号機ではそう言えるでしょう。ですがアレはサードインパクトを経験しています」

 「ヨリシロにされた初号機。だがS2機関を搭載しているのはアレのみしかない」


 量産型EVAはすでに地球上には存在していない。インパクトで消滅したのか宇宙へと飛び立ったのか、それは定かではない。

 
 「そして初号機を起動させることができるのも」

 「シンジしかいない、というわけか」


 「シンジ」ゲンドウがそう言ったときに声色が変化したのをリツコは感じていた。そこに含まれるのは憎悪か嫉妬か。どちらにせよ良いものではないようだ。

 リツコはそれに気づかないふりをしながら話を続ける。


 「はい。ですが初号機は今、コアには誰もインストールされていない状態です。このままでは使用できません」


 コアが空の状態でシンクロを行うと過剰シンクロが起きて搭乗者がEVAに取り込まれる。それはユイやキョウコの実験で証明済みであった。

 だがシンジを乗せるとなると近親者を取り込ませる必要がある。

 シンジの近親者はゲンドウ、ユイ、この二人の他には今はいない。祖父はすでに他界、親族のものも行方をくらましていた。

 探せば見つけ出せるであろうが、インストールしたところでシンジを守るとは思えない。

 一番良い方法がユイを取り込ませることなのだ。だがその方法はゲンドウが許可するはずがなかった。


 「事実上、初号機は戦力外というわけかね」

 「はい」


 「シンジめ、役に立たんヤツだ」ゲンドウがそうつぶやいた言葉が耳に入る。「あなたに言われる筋合いはないわ」喉をでかかった言葉を寸前で飲み込んだ。

 自分でも不思議なほどシンジに入れ込んでいるのがわかる。リツコは苦笑した。

 だが不快な感じはない。むしろ期待感がある、というところだろうか。

 180度性格が変わった彼は驚くほど新鮮ではないか。その表情、言動、思考。どれも興味深い。

 ミサトの夫である加持リョウジ(姓は変えていない)のように、土足で深入りしてくるわけでもない。

 相棒としてはこの上ない存在だろう。

 マヤも有能ではあるがそれだけだ。これといったモノを持っているわけでもない。

 
 「そうか、ご苦労だった」

 「いえ、それでこれはお願いなのですが」

 「なんだ?」

 「シンジ君をわたしの方で預からせて頂きたいんです」


 ゲンドウはニヤリ、と。冬月は狐につままれた表情を浮かべた。


 「ほう、その理由は」

 「彼は未だに不可解な部分があります。それにわたし個人としても彼は非常に興味深いので」

 「許可しよう」

 「い、碇。そんなに簡単に決めてしまっていいのかね?」

 「かまわん。シンジの身柄は赤木博士に一任させる」


 これはもう決定事項だ、ゲンドウの目はそう言っていた。冬月もこれ以上は言っても無駄だと悟ったのか、追求することはなかった。

 では、と司令室を後にするリツコ。

 大方、ユイから遠ざけるためだけに押し付けたのだろう。

 もしかしたら自分から言い出さなくても命令が下っていたかもしれない。ミサトか自分あたりに。

 だがユイの性格を考えればそんなことをしても無駄だとわかるだろうに。

 彼女はすました顔をして意外に執念深いのだ。


 「ふっ、無様ね」


 久しぶりの決め台詞だった。







 「無罪放免、ですか」

 「ええ」


 せっかく独房から出られたというのに、シンジの態度に変化はない。あるとすれば関心、だろう。自分を出したことに対する。

 出られた経緯がなんにしろシャバの空気が吸えることに変わりはない。

 NERVの入り組んだ通路を二人は歩いていく。

 と。


 「し、シンジ・・・・」

 「ん?」


 予想していた反応と違うことに首をかしげるシンジ。出会った瞬間張り倒されると思っていたのだが。

 三年もすれば人は変わる。自分もそうだったようにアスカも変わったのだろう。音響兵器がなくなったのはありがたい、と彼は思った。


 「こんにちは、惣流さん。お久しぶりですね」

 「そ、そうね」

 「クスクスクス」

 「・・・・」


 笑顔のシンジと挙動不審のアスカ。この二人をリツコは興味深げに見ているのだった。


 「それでなにか御用ですか? 僕は引越しで忙しいのですが」

 「引越し?」

 「ええ。僕は赤木博士のお宅にお邪魔することになりましてね」

 「なんですって!?」


 しまった、とシンジは思ったのだが後悔すでに遅し。音響兵器を直に喰らった彼は眩暈に襲われる。倒れなかっただけマシと言えよう。

 ミサトが大量破壊兵器だとしたら、アスカはピンポイント破壊兵器。特に対人戦には大きな効果を上げるのだ。

 これでもファンクラブがあるのだから、美少女は世界の宝と言われるのだろう。


 「っつ、そういうわけで退いてくれませんか? そこに居られては通ることが出来ないじゃないですか」

 「ちょ、待ちなさいよ!」


 始めの態度はどこにいったのか、完全に勢いを取り戻したアスカはシンジの腕を掴んだ。

 バシッ


 「・・・・え?」


 手に痛み。叩かれた? 誰に? 決まっているだろう。目の前のシンジに、だ。

 理解するのに数秒を要し、呆然とアスカはシンジを見る。

 彼の目は見たこともないくらい冷たかった。


 「触らないでください。NERVの狗のくせに」


 固まっているアスカを一瞥すると、シンジはアスカを押しのけて歩き出す。それを追ってリツコも去っていった。

 アスカは思う。アレは本当にシンジなのか、と。

 もしかしたら彼によく似たソックリさんかもしれない。双子の片割れ、ということもある。

 アスカが良く知るシンジは。

 気弱でいつも人の顔をうかがっていて。

 好きになって欲しいのに、自分からは何もしない愚鈍で。

 ウジウジしていて泣き虫で。

 男のくせに料理がうまくて、エプロン姿が様になっていた少年だ。

 ならアレは誰だ?

 シンジの姿を借りた別人ではないかと思ってしまう。だがDNA判定でも本人であることはわかっている。

 正真正銘、碇シンジに変わりはない。

 アスカの知るシンジはもはや昔話でしかなかった。

 三年という月日がたち、身体の成長と共に心も大きく変化した。

 もうあの頃には戻れない。

 自分の知るシンジが、どこか遠くにいってしまったような気がして。

 

 なぜか、涙が流れた。








 「シンジ君はNERVが嫌いなの?」


 地下から地上に出るとき、車でNERVまで来ている者はカートレインを使用しなければならない。

 リツコも例に漏れずそれを使用している。だがいつもよりその車内には人数が多かった。


 「ええ、大嫌いですけど」


 クスクス、と車内に吊り下げられた猫のストラップをいじりながらシンジは言った。

 どうやら気に入ったらしい。


 「アスカにはあの態度。ならわたしはどうなのかしら」

 「アスカとリツコさんは別ですよ。あなたはNERVじゃない」

 「?」


 リツコは正真正銘NERVの職員だ。アスカに言った「NERVの狗のくせに」という台詞からシンジがNERVを嫌っているのはっきりした。

 なら自分だって目の敵にされてもおかしくはないだろう。

 なのに出会ってから今まで、リツコはシンジに矛先を向けられたことはない。


 「僕は礼には礼で返す、というポリシーがあります。それにNERVは組織をさして言っているわけではないんです」

 だって組織の長が悪いからといって、その下の人たちまで悪く言うのは間違っているでしょう、と。

 「正義面してのさばっている愚か者たち、それをNERVだと僕は思っています」ならリツコさんは例外でしょう、彼はクスクスと笑った。

 たしかにユイやミサト、アスカや一部の職員たちは、NERVは世界の英雄であり、自分たちもその一員だと考えている節がある。

 ゲンドウがNERVを世界の救世主としたのは、NERVの闇の部分を隠蔽するためだった。それと世間の対面上から。

 それを真に受け、英雄願望を持つ者はNERVに就職しようと躍起になっている。


 「リツコさんは違う。自分を正義の味方だとか救世主だとか思っていない。だからといってその逆も思っていないでしょう?」

 「・・・・」

 「善とはなに? 悪とはどういうこと? 人を殺すこと、モノを奪うこと、騙すこと罵ること嬲ること」

 「・・・・」

 「クスッ、僕たちにとって、そんなことはどうでもいいんですよ。善だとか悪だとかは関係ない」

 「あ・・・・」

 「あるのは自分。そして周りで起こることは現象。そう、現象なんですよ!」


 まるでおもちゃを自慢する子供のようだ、とリツコは思った。だって彼の表情は本当に生き生きしているのだもの。

 彼は恐ろしい。だが、リツコはそれ以上に知りたいと感じている。

 彼は言う。

 NERVは決して善などではない、と。


 「なのにNERVは悪を作り上げ、しまいには世界の救世主ときた。ああ、なんて喜劇。なんて醜態」

 「・・・・わたしは止めなかったわ」

 「僕だって止めたりしませんよ、面倒くさい」


 馬鹿らしくて目も当てられませんよ、とシンジは鼻で笑う。

 喜劇は観客がいてなんぼなのだ。観客はNERV外でなくてはならない。

 そして踊れ、NERVの皆様。

 君らの活躍はきちんと見届けてあげようじゃないか。

 そう、この僕が。

 ガコン、という音と共に地上へと舞台は移る。NERVを出た後もその車は一向に走り出す気配はなかった。


 「僕の望みは見届けることですよ、リツコさん」


 急に明るくなったせいか目が痛い。瞳孔が開ききってしまっているのだろう、急いで脳は収縮の司令を出した。


 「見届けること・・・・?」

 「そうです。この茶番を、喜劇を。そして行く末を。僕は観客。手は出せません。故に、全ては流れのままに」

 「わたしは足掻く側ってことかしら?」

 「まさか。リツコさんはオオトリですよ」

 「喜んでいいのかわからないわね・・・・」

 「あはは。たしかに」


 少なくとも、と。「僕は今のリツコさんは好きですからね。死なせるつもりはありません」「あら、嬉しいこと言ってくれるわね」クスクス。

 NERVには手を出さない、シンジはそう言った。全ては流れのままに、と。

 彼は未知数だ。

 NERVの保安部を前にしての平然とした態度。

 弱者だとは到底思えない悠然としたその風格。

 彼が見届けるという流れに、わたしは流されているのだろうか。

 ならばその流れがどちらに流れるにせよ、自分はそれに従おう、とリツコは思う。

 恐らく死ぬことはないだろう。彼が守ってくれると言ってくれたのだし。年下のナイトだがそれもいいかな、なんて。

 口だけ笑みを浮かべて、リツコは小さく笑う。

 猫のストラップを揺らしながら、NERV前から一台の車が走り去っていった。








 NERV内ケージ。

 赤色の巨人、エヴァンゲリオン弐号機がそこにあった。

 三年前の本部襲撃の際、量産型EVAによってその身を大破させていたのだが、人々が帰還してくるとそこには傷一つない弐号機があった。

 インパクトによって再生されたとしか考えられない、技術部が出した答えだ。

 素体や機械部分、装甲にも異常が見られなかったとして、未だに惣流・アスカ・ラングレーの専用機として健在なのであった。

 同様に再生された零号機も右に同じだが、なぜか参号機はそのパイロットと共に再生はされなかった。

 再生されなかったEVAは量産型も同様なのだが。

 神の気まぐれによって大多数の人々が還ってこられたのは、まさに奇跡だと言えるのだろう。




 アスカは弐号機を見つめていた。こうして技術部に所属している今、愛機を整備するのも彼女の仕事の一つでもある。

 コアにインストールされたアスカの母、キョウコのサルベージを成功させるのがアスカの目標だ。そのためにEVAの理論を勉強したと言える。

 だが一向に成果は出せなかった。

 初号機に取り込まれた碇ユイと違い、肉体から切り離されたキョウコの精神をいかにして肉体に定着させるか。

 そもそも器となる肉体をどうすればいいのか。

 精神に記憶された身体の情報をLCLが復元するかもしれないし、そうでないかもしれない。後者ならば、完全な死を意味する。

 だけど絶対助けてみせる。

 EVAに乗っているときに感じた母の温もり。母の匂い。包み込まれるような安心感。

 ここ数年は大っぴらに動かせなかったから、できたことといえばシンクロする程度だ。だが、それでも満足だった。

 母を感じる。それが自分の意欲へとつながるのだから。

 弐号機はアスカにとって、心のありどころになっていた。

 母を内包する弐号機。もはや御神体といっても過言ではないはず。

 だからこうして弐号機に話しかけるのは母に話しかけるのと同義であり、周りもそれを承知しているからアスカを奇異の目で見ることはない。


 「ママ、今日ね、バカシンジと会ったの」


 あの紅い海を今でもしっかりと彼女は覚えていた。

 いや、先ほどはっきり思い出したのだ。

 脳内に封じられるように隠れていたその記憶。

 赤。紅。アカ。アカアカあかあかあかあかあかあかあかアカアカあかあかあかAKAあかあかあか。

 思い出しただけでも吐き気を催す。

 気持ち悪い。

 


 ザザン。ザザン。

 思い出される紅い海辺。

 白い砂に紅い海。

 それは幻想的で、アタシの精神を犯す。

 砂浜に倒れる自分の首にかけられる手。

 その手は震えていた。

 誰?

 少年は泣いていた。それは後悔からか、それとも憎しみからか。

 メキメキと万力のように加えられていく力。その細腕のどこに馬鹿力があるというのだろう。

 「キモチワルイ」

 パシャ

 

 あ。

 死んだ。

 いや、融けた。

 身体がなくなる感覚。心が重なる感覚。他人と交わり混ざって混雑理解不能理解不能。

 イヤだ。

 こんなのはイヤだ。

 気持ち悪い。なんだこのねっとりとしたモノは。

 憎しみ? 恨み? 妬み? 悲しみ?

 ドロドロしてる。スライムのように固体を保ちながらも、液体のそれに似たものはアタシに侵食してくる。

 口から鼻から耳から目から肛門から尿道から膣から。

 考えられる穴という穴にそれは入り込んできた。

 イヤだ。イヤだ。イヤだイヤだイヤイヤイヤイヤ・・・・!

 いっそ狂い死んだほうがマシだと思えるその拷問。量産型に負わされた痛みなど屁にも等しい。

 だが狂えない。気絶もできない。

 うあ、ああ。

 ギボジワルイ。許してごめんなさいわたしが悪かったです謝りますどうかユルシテ。

 嫌悪感と苦痛から逃れるために許しを請う。

 誰に?

 アタシにわかるわけがない。

 自分は犯される側。

 流され、飲まれていく側。

 全てを決めるのはアタシじゃない。

 理不尽。

 なんて理不尽なんだろう。

 どこの誰ともわからないヤツに犯され、朽ちていく。

 悔しい。

 せめて自分は、自分の意思で死にたい。

 それさえも許されないというのか。

 

 
 クスクスクス。




 誰かの笑い声。

 誰?

 こんなにもアタシは苦しんでいるっていうのに。わたしを見て笑っている? 

 アハハ。

 ムカツクよ、アンタ。

 殺してやる。笑っているやつを殺してやる。コロシテヤルコロシテヤルコロシテヤルコロシテヤルコロシテヤル!

 焼ききれんばかりに視神経を酷使し、アタシは見た。

 視線はヒトじゃない。自分はその姿を保ってはいないのだから。




 クスクスクス。




 「あなたは何を望むの?」


 その姿を視線に入れたとき、アタシの狂い死にそうなほどの憎悪はさっぱりと消えていた。

 あれは・・・・ファースト?

 じゃあ、向かい合っているのはダレ? 知らない。アタシは知らない。あんな恐ろしいワライ方ができるヒトなんてアタシは知らない。


 「あなたは何を望むの? イカリクン」


 イカリクン。碇くん?

 馬鹿な、あれがシンジだというのか。

 顔が綺麗なだけにそれは際だって恐ろしく見える。

 生物的な嫌悪感。身体があったのなら鳥肌が立っていたことは間違いない。

 例えればムカデの足。

 そう、ムカデの足みたいなものだ。あのうじゃうじゃとしたキモチワルイ足。あいつの歪んだエガオ。


 「クスクスクス。やあ、リリス」


 音程の外れたその声は確かにシンジのものだ。

 だがシンジは綾波とは呼ばずに、ファーストを“リリス”と言った。今の私はわかる。“アレ”がこのインパクトのプログラムとなったものだと。


 「あなたは何を望むの?」

 「君は何を望んで欲しいの?」


 無表情だったリリスの顔がわずかに動いた。

 オウム返しに聞いたシンジは興味深げにリリスを観察している。彼女は裸だったけど、シンジはそのことには興味ないみたいだ。


 「わたしは・・・・わからない」

 「だったらさ」

 「?」

 「探してみなよ、自分で」

 「自分・・・で?」

 「そう。君が見つけるんだ、君の望むコトを。そのついでに僕は遊ばせてもらうよ」

 おもしろそうでしょう? クスクスクス。

 怖い。恐い。あれは、ダレだ?

 アタシは思う。夢なら覚めて、と。

 このままじゃ壊れてしまう。

 自分が。

 シンジが。

 そして世界が。

 彼は・・・・手遅れかもしれないけど。




 その願いは適ってアタシはこの記憶を封印することになった。

 そう、このときまで。


 「ママ、今日ね、“あの”シンジに会ったの」


 なぜか、涙がこぼれた。

 だって気づいたから。あのとき受けた陵辱は、シンジが今までに受けてきた痛みだったと。

 
 「ママ・・・・アタシ、どうすればいいの・・・・・?」


 赤いエヴァンゲリオンは、何も答えない。

 なぜか見放されたようで、孤独になってしまったようで、彼女は、涙を流した。






 ■ 第三幕 「ココロの中に潜むもの」に続く ■