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神造世界_心像世界 第一幕 「チルドレン」
NERV本部から時間にして15分程度車で走ったところにその屋敷はあった。
まさに“屋敷”と呼ぶに相応しいその家の持ち主は言うまでもない、この第三で大きな権力を持つ碇ゲンドウその人である。
閑静な夜の住宅街にあって、その異質さはまるで魔王の城であるように感じさせる。
大昔から権力者は自分の権威をその住処に反映させてきたわけでもあるが、この屋敷の持ち主であるゲンドウはまた違う理由を持っていた。
今までのように独り身であったのならば、こんなに金のかかった屋敷には住んでいなかっただろう。だが今は別だ。
最愛の妻との日常を過ごす場所。いわゆる“愛の巣”なのだ、ここは。いや、彼にとっては“聖地”と呼ぶべきなのかもしれない。
その聖地に家主である碇ゲンドウの姿はなかった。
突如現れた“規格外OOパーツ第壱号”によって起こされたことに対する後始末で本部を離れられないのだ。
冬月とゲンドウ、そして技術部総出で情報の解析を急いでいるのだった。
「レイ、ご飯ができたわよ」
「うん」
ゲンドウがいない今、碇家の食卓を囲むのはユイとレイの二人のみだ。
食を楽しむという概念がなかったレイにしてみれば、ユイが作る料理はお驚きの数々であった。
だがレイの一日の楽しみである食事も、今日に限っては暗いものとなった。普段は爛漫なユイの箸の進みが遅いこともその一つであろう。
シンジに決別宣言をされたユイのショックは計り知れない。ましてや新たなる敵も現れたとなっては精神にくる疲労も二倍増しなのだ。
ユイの顔色を伺いながら、レイはどう声をかけるべきか悩んでいた。
三年たって人間らしくなってきたレイも、お世辞にも気のきく性格だとはまだまだいえない。
ユイの落ち込む様子に心を痛めながらも、どうにもできないのが現状なのだった。
「・・・・ふう」
「お母さん・・・・元気出して」
レイにしてみれば最大限の応援をしたつもりだ。それをわかっているユイも、ぎこちないながらも笑顔で答える。
「ごめんなさい。食事時にため息なんかダメよね・・・・冷めないうちに食べちゃいましょう」
その言葉にコクン、とうなづいて、レイは次のおかずへと箸を伸ばした。
「・・・・お腹空いたな」
レイたちが普段より遅い夕食をとっているとき、碇シンジは大合唱中の腹の虫に悩まされていた。
時計を持っているわけでないから正確な時間はわからないにしろ、腹の減り方からして夕飯時はとっくに過ぎているはずだ。
だというのに握り飯の一つも出されないとは、これは捕虜の扱いより酷いのではないか。
いかにもNERVらしい接待の仕方に呆れつつ、シンジは気を紛らわすために瞑想を始めた。
始めは見よう見まねと冗談半分でやってきたそれも、今では精神集中には欠かせないものとなっていた。
心を無にし、自分という存在を確立する。
世界の中で自分という因子を保つために自我を持ち、身体を持ち。そして、独立した存在として活動する。
“人間たち”ではなく“唯一”としての己を感じる。
碇シンジはただの人間だ。
使徒たちのように生命の実を内包しているわけでもない。どこにでもいるようなごく普通の青年。
銃で撃たれれば死ぬし、数分間息を止めているだけで窒息死する。
ただ、他の人間と違うところがあるとすれば、“理解している”という点か。
自分の無力さ、汚さ。
そして自分にできること。
彼は身をもって知ったのだ。人間一人にできることなど高が知れている、と。
「・・・・」
だが、その人間一人にできることとして、それには個人差もある。
権力を持つものは大勢の人間を動かすことができ、それに従う人間は主の名の下に力を酷使することができる。
いわば、ギブアンドテイク。
どんな人間も、なにも見返りなしに動くことはないのだ。
「クスクスクス・・・・食べ物の恨みは恐ろしいっていうしね。きっちりと責任はとってもらうよ、NERVの皆さん?」
腹ヘリ魔人の怒りはすさまじかった。
(お母さん・・・・悲しそうだった。ナゼ? わかってる。碇くんのせい。彼がお母さんを悲しませた)
布団の中、天井を見つめる紅い瞳はある種の感情を高まらせていた。
それは碇シンジに対する嫉妬。
感情を得たレイだが、喜怒哀楽というものは良い結果を与えるだけではない。
関心を持つことによって独占欲が。
愛情を向けられるほどに、それが自分だけのものであって欲しい、と感じるようになる。
自身は気づいていないが、今のレイは昔のゲンドウそのものであった。
(お母さんを悲しませる人は嫌い。お母さんを傷つける人は近寄らせてはダメ・・・・そう、碇くんは敵なのね)
今のレイはシンジに対する執着心は皆無に等しい。記憶は持っているにしろ、シンジに対する感情というものは持ち合わせていなかった。
それもそのはず、シンジに執着していた綾波レイ、リリスはその感情と共に紅い海へと消えてしまったのだから。
ようやく結論を出したレイは目を瞑った。
脳裏に蘇るのは使徒戦役時代の記憶。
だが、それ以上に色濃く残っているのは“碇レイ”としての三年間であった。
時間にしても、その内容にしても圧倒的にこの三年間は充実していたといえるだろう。そう、ファーストチルドレンとしての月日よりも。
そしてその時間をくれたユイに対して、レイは絶対的な信頼をしている。
過保護ともいえるほどユイの溺愛を受けたレイは、今や完全にユイに依存してしまっていた。
ユイ至上主義。ゲンドウ、冬月、この二人の仲間入りをしたというわけである。
だからレイはユイのためならなんだってするし、いざとなれば自分だって犠牲にするだろう。
オリジナルとなった今では死に対する恐怖は持ち合わせているが、ユイのためなら、という死をも恐れぬその信仰がある。
ユイを教祖とし、その信者として男二人に女一人が絶対的な忠誠を誓っているのだ。その教祖に自覚はなくても。
(お母さん・・・・私は守ってみせる)
例え碇くんを犠牲にしても。
その瞳は純粋であり狂気に満ちてもあった。
シンジの夕食を持ってきたリツコはバツの悪そうな表情を浮かべながら独房への道を歩いていた。
夕食を出さない、という子供じみたゲンドウの命令に呆れを通り越して哀れにさえ思えてしまう。ユイが絡むと無能になる男なのだ。
きっとシンジは腹を空かせて待っているだろう。
時刻は日付が間もなく変わろうとしている午後11時40分。かなり遅い夕食だろう。
リツコも先ほど夕食を済ませたばかりだ。というよりは夜食、というのが正しいのかもしれないが。
いろいろ事後処理をしているうちにこの時間帯になってしまったのだ。シンジも夕食にありつけるだけよしとしてもらおう。
「シンジ君、入るわよ?」
すでにシンジが入れられている独房の前には守衛がいない。
前回に訪れたとき、いろいろと守衛が邪魔をしてきたので(ゲンドウの命令)、リツコが“排除”したのだ。今やシンジは技術部の保護下にあった。
当然ゲンドウはよしとしなかったのだが、技術部に属しているユイの一言であっさり折れたのだった。
「シンジ君!?」
リツコは床に倒れ付しているシンジを見て仰天した。
薄暗い電灯のせいで、それは監獄で孤独死した囚人を連想させたのだ。
急いで仰向けにし、脈を図る。
「ぐうぐう」
ばきっ
「おはようございます、リツコさん」
なぜか鼻血を流しながらシンジはムクリ、と立ち上がった。どうやら眠っていたようだ。
それにしても、ベッドがあるのになぜ床に寝ていたのだろうか。その答えは簡単、寝相が悪く転げ落ちたのだ。
「あれ? 鼻血? ティッシュ、ティッシュ」
「はい。これ鼻に詰めなさい」
丸めたティッシュを受け取りそれを鼻に詰める。
シンジはなぜか顔がズキズキしたが、それはベッドから転げ落ちたからだろうと納得した。
そして意識はリツコが持ってきたであろうトレーに注がれる。それに反応して、誤魔化してきた腹の虫が一斉に蜂起を始める。
さながら虫のオーケストラと化したシンジの腹に苦笑しながら、リツコは食べてもいいわよ、とそれを差し出す。
まさに烈火のごとく、とはこのことだろうか。
五分後には全てを食べつくしたシンジの満足そうな顔がそこにあった。
「ごちそうさまでした。いや、助かりましたよ、誰も食事をもってきてくれないんですもん。まったく非人道的な」
「ごめんなさいね、わたしも今まで仕事していたから。でも司令には呆れるわ」
「やはりあの男の差し金でしたか」
納得したようにシンジはコクコク、と首をふった。
「でもアスカもレイも冷たいわねえ。シンジ君のこと気にならないのかしら」
「あはは。もう“昔の”シンジじゃないですからね。アスカはともかく、レイにはすでに嫌われているでしょうし」
アスカにも気持ち悪いって言われてるから嫌われてるのかなあ、と彼はどうでもよさそうにつぶやく。
「だって三年ぶりですよ? 使徒戦役は約1年。それに対して三年ですから」
陰りのない笑顔で笑う。「以前も言いましたけど、三年もあれば人は変わるものですよ」リツコも苦笑しながら同意した。
彼女にしてみても自分は変わったと自覚しているからシンジにとやかく言うつもりはない。だが彼女の周りはそうもいかないようだ。
ミサトはもちろん、マヤまでも怒りあらわに愚痴を言っていたのだから。
マヤは技術部顧問であるユイをリツコの次に尊敬している節があった。そのユイが傷つけられたのだから内心穏やかなわけがない。
シンジへの評価もそれと共にガタ落ちしているだろう。彼は知ったこっちゃないだろうが。
アスカもあれほど意気込んでいたにもかかわらず、いざシンジに面会しようとすると逃げるように後回しにしてしまう。
どうやら自分の知らないところでなにかあったのだろう。だがそれをシンジに聞くような無粋なまねはしない。
リツコの見るあたり、シンジはNERVに嫌悪感を抱いているものの、憎悪といった感情は持っていないように感じられた。
すんなりと戻ってきたときは、もしかして復讐のためか、と思ったりもしたのだが。
「それでシンジ君、なぜNERVに戻ってきたの?」
復讐や断罪ではないとしたらなぜこの青年は戻ってきたのだろう。リツコは純粋に彼に興味を持っていた。実験体ではなく、異性のそれとして。
シンジはクスクスと笑った。
「なぜって・・・・僕は拉致されてきたんですよ? 抵抗したら怪我しそうだったから従ったまでです」
「それはどうかしら。あなたは今まで行方をくらましてきたんだから、その気になれば一生NERVに気づかれずに過ごせたはず」
「・・・・」
「それに全国放送の番組出演。あれを偶然と楽観できるほどわたしは馬鹿じゃないわ」
これ以上は誤魔化しても無駄だと悟ったシンジはヤレヤレ、とため息をつく。
三年たっても衰えていない洞察力に半ば舌を巻いた彼は上機嫌で話し始めた。別に彼はなにもやましいことなどないのだから。
「戻ってきたのは頃合だったから。そして今まで隠れてたのは自由を満喫するため」
「頃合?」
「現れたんでしょう? やっぱりグッドタイミングでしたね。さっすが綾波」
「どういうこと? まさか第壱号がくるのを予測していたというの? それに綾波って」
「まあまあ、落ち着いてください。ええ、確かに今日、アレが現れるのは知っていましたよ?」
僕も見たかったんですけどねえ、とかなり残念そうにシンジは言った。どうやら発令所で見たかったらしい。
シンジにしても、着いた早々独房に入れられるとは思っていなかったのだ。まさかあれくらいでユイが倒れるとは。
彼は話し始めた。サードインパクトのこと、老人たちやゲンドウの狙い、紅い海。もはやシンジにとってはどうでもいいことだったのだが。
そのことをリツコに言うと、彼女もワラって同意した。「まあ、そんなことよりも」リツコの意図が読めたシンジは続ける。
紅い海のリリス、そして三年後の今日、怪物が現れることを綾波が教えてくれたという。
「・・・・そう。やはりリリスと碇レイは別物のようね」
「クスクス、ベツモノねえ」
レイを“モノ”呼ばわりすることにシンジはなんの反感も表さない。あったのは嘲笑。
シンジの反応に拍子抜けしたリツコは考えを改めた。すでに彼はレイに拘りはない、と。
まあ、そのレイもすでにシンジに対しての好意は持ち合わせていないのでお互いさまといえばお互い様なのだが。
「でもそれだけだとよくわからないわね」
「たしかに。僕も綾波から詳しいことを聞いていませんし。LCLの海に入ればわかるって言われましたけど、入りませんでしたからね」
「なぜ? 全人類が融けたLCLよ? つかれば力を得られたかもしれないわ」
「だって気持ち悪いじゃないですか。全人類、ゲンドウやゼーレの老人たちが融けてるって言うのに、それに加えて」
そこでシンジは一旦言葉を区切る。心なしかその顔は青ざめて見えた。
「フンコロガシとかムカデとか蜘蛛とかカエルとかゲジゲジとかタコとかオカマとかうわああああぁあああああああああああああああっ!!」
「いやああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」
シンジの言葉で自分もLCLに融けていることを思い出したリツコは絶叫した。
何気に最後のはクリティカルだったらしい。
リツコの怒声に当てられたシンジはパッタリと意識を失った。
日付が変わったころ、シンジは目を覚ました。
横に目をやるとリツコがうずくまっている。なにやら「オカマはイヤ。オカマはイヤぁ」とブツブツつぶやいている。
「あっちゃ~、リツコさんのブロックワードだったのか」
たいして悪びれた様子もなく、錯乱状態のリツコを尻目にベッドへと入る。
時間がたてば、彼女も正気に戻るだろう。
それにしても、とシンジはため息を吐いた。
レイは突っかかってくるわけでもないだろうからどうでもいいが、アスカはそうもいかないだろう。
今は小康状態だからかまわない。だが顔を合わせたとたん怒鳴られるのが安易に予想できてしまう。それは勘弁願いたい。
あの音響兵器彼女には極力関わりたくないのだが・・・・それは無理だろう、と今日何度目になるかもわからないため息。
「気持ち悪い」
今思えば乗り物酔いでも起こしていたのかもしれないし(EVA酔い?)、あのとき首を絞めた自分の手は鼻水と涙とLCLでグチャグチャだった気がする。
自分でも気持ち悪いのだから、それで首筋を触れられたアスカはかなりの苦痛だったのだろう。シンジは納得した。
だから、そのままLCLになったことには悪い気がした。それはもう。
だがあのときはこっちだって気持ち悪かったし(だってあの形相、ヤマンバみたいだったから)、呪われるのが怖くて逃げ出したのだ。
それからというもの、月の出ない夜は大いに気をつけて夜道を歩くことにしたのは良い思い出だ。
「でもどうしようかな。機嫌とるのも面倒だから・・・・いっそまた精神崩壊起こしてもらうとか」
自閉状態だったアスカがどうして回復したのかシンジは知らない。
ユイが初号機から帰還したことによってアスカは自分の母ももしかして、と思っていたのだがそれは適わなかった。
母をサルベージする、それが彼女の技術部に入った理由でもある。
「僕はもうEVAに乗れないわけだからね。アスカも満足だろうな」
アスカの弐号機、そしてレイの零号機は未だに健在である。そして起動することもできる。
世間には封印処理した、と宣言してはあるが、嘘も方便、来るべき自体に備えて整備は完璧だった。
だがリリスが消えた今、LCLの不足という重要な問題も抱えているのだが。
その問題を解決しようとユイが率いる技術班はLCLの代用となるものを開発しているらしい。リツコは興味なかったので断った。
故にOOパーツに関してはリツコの独擅場となっており、NERV技術部内で一番精通しているのが彼女である。
そして訪れた第壱号。
幸か不幸か、EVAを使用する機会が訪れたわけだった。
すでに第壱号の詳細は国連へと回っている。EVAの使用許可、封印解除命令が出るのも時間の問題だろう。
「知らない天井、か」
このまま眠ってしまおう。
朝になれば良い考えだって浮かぶかもしれない。
どうにかして自分には被害が出ない方法を考えなくてはならなった。
いざとなればアスカの強制退場も考えなくてはならないだろう。
「クスクスクス。全ては流れのままに、ね」
そう、全ては流れのままに。
だって自分は力もない人間なのだから。ゲンドウがその気になれば、自分はいつでも殺せるだろう。
ならば。
少しでも生き延びられる行動を。
少しでも楽しめる人生を。
だから。
「邪魔をするというのなら――――――どんな手を使っても排除してみせる」
それは復讐でも断罪でもない、正当な行為。
そう、自分が生き残るために。
明日の苦難を忘れるように、青年は独房内での眠りについた。