前方を鋭く睨みつけた巨人の一組が、手にした凶器を奔らせ前傾姿勢を取る。今にも飛び出しそうだ。ギリギリと引き絞られていく筋肉と関節からは軋む音が漏れ出している。周りの空気が収縮。それに反比例して彼らの身体が大きくなっていく感覚。もう無理だ。詰め込みすぎだ。極限まで圧縮された空気は今にも崩壊を起こしそうで。

 足場はすでに臨界を突破。

 コンクリートの地面は圧力に耐え切れずに粉砕された。

 ひびが入り足の形に陥没、そして破片がその衝撃で空を切る。

 直後。

 前方の大気が水蒸気爆発を起こした。


























 
神造世界_心像世界 第三十ニ幕 「穿たれる堕天」



























 アスカは流れていく風景を流し見ながら小さく笑った。目先は白い雲を引き、機体が一気に音速の壁を突き破ったことを教えてくれている。強烈な前方への加速は、そのまま身体への圧力に変わる。目玉が圧迫され、喉が押し潰され、腹は重石を乗せているように酷く重い。

 それでも爽快感は筆舌に尽くしがたいものがあった。

 スピードは魔性だ。スピードは力だ。音よりも速く突き進んでいる。それを考えるだけで軽く絶頂しそうになる。

 血潮が沸き立った。テンションは最高潮。ドクドクと五月蝿い胸のポンプよもっと速く。酸素が足りない。血が足りない。

 すでに視認出来る限界はとうに超えた。感覚のみで身体を動かし、直感のみで敵を見切る。

 二体の巨人が爆進し、遅れること数秒、瓦礫の山が砂利のように撒き散らされる。吹き上がったコンクリートの残骸は空中でさらに破砕され木っ端微塵になって地上へと戻る。

 通った道は酷い有様だった。

 さながらそれは削岩機。前方にあるものを破壊し、潰し、暴走機関車よろしく直進するしか能がない。

 そう、それはまさしく破壊の塊だった。

 ATフェールドで円錐型の空間を作り出し、それを纏って全力突進。円錐の頂点に貫かれ、さらに傾斜にそって押し潰される。木材もコンクリートも鉄も関係ない。そこにあるものは等しく同じ運命を辿るだけだ。

 数百メートルは離れていた距離が僅か数秒でゼロになる。

 目と鼻の先に居る黒死龍は驚愕しているようだった。それを捉え、アスカは小悪に口の端をつりあげる。

 ……なんてことはないわ。

 元より世界はこういうものだ・・・・・・・・・・・・・。用はテンションなのだ。ハイであればなんだって出来る気がするし、逆ならば何をやっても駄目な気がする。この世界はそれが反映されやすい。シンクロシステムによって鍛え上げられた想像力があるチルドレンならばなおさらだ。

 全てが全て現実となる訳でもないが、ほら見てみろ、アスカは空も飛べそうな気持ちだった。隣にはぴったりとシンジの気配があり、言葉を交わさずとも意思が通じあう。最高だ。途轍もなく気持ちがいい。二人が一つに。それはとても気持ちのいいこと。セックスなんて遊戯にも等しい。この感覚は魂で感じるものだ。身体から出て精神、存在全体で感じる快感だ。

 頬は高潮し、喘ぎが漏れた。

 感じる空気抵抗さえも敏感に感じ取り、刺激に悶えてさらに高揚。

 初号機が地を蹴った。足元を大陥没させ、重量に逆らって羽を広げる。

 黒死龍は迷っていた。紫の巨人を迎撃するか、紅の巨人に対応するか。角を持った鬼を想像させる方はそれほど強力ではないが、攻撃されるタイミングが掴めない。感情がないのだ。全ての生き物に備わっている感情という電波がない。それ故に危険。

 しかし紅の方は更に危険度が高い。ミサイルさえも防ぎきった体表をやすやすと切り裂き、その拳の一撃は鉄槌の如く、だ。気を抜けば一撃で行動不能に追い込まれるだろう。即死をしないとはいえ、脳や心臓など、生命維持に必要な器官は再生に時間がかかる。その間に攻撃でもされたら目も当てられない。

 無敵に思われる竜も、死ぬときは死ぬ。

 首を落とされ、心臓を潰されれば彼は死に至る。ただ、驚異的な再生力もあって心臓を修復出来る上、その回避能力を持って首への攻撃は避け続けている。だがそれも長くは持たないだろう。

 三対一という圧倒的不利な状況で、これ以上の長期戦は不利になるばかりだ。

 生物という種に当てはまる竜種は、強靭な肉体と圧倒的な身体能力を持つが、決して不死ではないのだ。その血にはヒトを不死にする効力があるとされる。しかし血の持ち主である竜は倒されるケースが多い。

 竜は生物界最強であると考えられ、それと同時にヒトに倒される生き物だと信じられているのだ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 倒されるべくして生まれた生物。それが幻想に生きたグリフォンであり、鬼であり、竜である。

 その知識を、彼――――――黒死龍は知り得ていた。だがそれがなんだというのだ。彼は今まで敵を倒してきている。近代兵器を構えて殺しに来る敵を逆に皆殺しにしてやった。自分は強い、と知っている。そしてこれからも負けることはないと確信している。

 
 「ヒアッ……!」


 跳躍している鬼を後回しにし、その落下地点から逃げるように迂回、紅の巨人の左隣に回りこむ。忘れたように砂塵が舞い、彼らの視界を著しく妨害した。

 黒死龍は身を低くさせ、苦し紛れの回し蹴りをやり過ごす。向こうの視界は塞がっているはずだ。こちらは気配で完全に位置関係が読み取れる。一人は空中、一人は目の前、しかも行動済みのがら空き状態。絶好の機会だ。これを逃すはずもなく、竜は避け際の捻りでかぎ爪を突き出す。

 相手はすでに回転運動、これを避けられる道理はない――――――はずだった。


 「このぉっ!!」


 突き出したかぎ爪、その鋭い爪が生えている翼の先端を何かが過ぎった。ついで来る弱い衝撃。掠ったような、ほんの僅かな振動を感じた後、


 「イギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!?」


 ぶしゅう、と鈍い音と共に鮮血が拭き出した。混乱する頭で竜は何が起きたのかを悟る。未だに滞空状態であるはずの紫の巨人が地面にぶつかって転がっていく。急激な落下による衝撃を逃しているのだろう。

 上空に飛び上がった初号機は黒死龍が弐号機に矛先を向けるのと同時、天上にATフェールドを作ってそれを蹴ったのだ。シンジはアスカのようにフィールドの断層を作り出すことができない。ATフェールドは『防御用』とすでに定着してしまっているからだ。これを攻撃に使おうとしても、イメージが成り立たずに失敗に終わる。レイも同様である。

 右翼の先端をプログナイフで切断された竜は激痛にのたうち、けれど続けて襲い掛かってくる弐号機に向かって尾を突き出した。

 砂塵の効果もあって完全なカウンター攻撃となった三尾の突きは、勇猛果敢に突っ込んできた弐号機の脇腹と肩口を貫いた。装甲を削り、直進した穂先は素体の肉を抉り、骨を砕いて反対側へと顔を出す。

 三尾によって急停止をかけられた弐号機の巨体は前につんのめり、自ら槍を突き込む結果となってしまった。


 「いぎぃ……!」


 シンクロ率90パーセントオーバーのフィードバックは凄まじいの一言に尽きる。生身とほぼ同じ痛みを感じるのだ、人間は痛みの許容量を超えると失神する機能を持ち得ている。アスカは目の前が真っ白になっていくのを感じ、


 「こん、ちくしょぉおおおおぉおおおおおおおおオオオオオ!!!」


 ブレーカーを瞬時に切り直した。

 戦場で気を失うのは死につながる。それも敵はすぐ前にあるのだ。シンジとの連携があったから助かったとはいえ、まだまだ油断できない状況である。ぼろぼろと自然に出てくる涙は安堵からかそれとも痛みからなのか。確認する暇もなく左手で刺さっている尾、肩口の一本に添え、力の限り握りつぶす。

 ぶじぃ、となんとも形容しがたい快音が響いた。

 硬化された鱗が血飛沫と共に飛んでいく様はある意味爽快だった。桜の花びらよりも酷くおぞましい、赤黒い鱗が地面に落下していき、ちょうどそのとき、千切れとんだ肉と骨の一部がそれに従った。

 休む暇もない。アスカは歯が砕け散りそうになるほど強く噛み締め、脇腹に刺さっている尾は、強引にスライドさせた。脇腹が裂けるが気にしている暇もない。拘束から逃れた彼女は荒く息をつきながら黒死龍から距離を取り、瓦礫を振り払って立ち上がろうとしている初号機の隣に並んだ。
















 モニターに送られてくる映像はさながらスプラッタ映画のようだった。血に弱い職員は早くも耐え切れなくなっている。免疫のあるミサトでさえも、気分が悪くのを堪えることができない。

 画面上、傷を負っている弐号機が初号機に接近する。すると前回――――――初号機が再生したとき――――――と同じように傷が治ったではないか。


 「アスカの傷が直った……シンジ君だけの一方通行じゃないようね」


 ミサトの気持ちを代弁するようにリツコが言い、ミサトは互いを補完し合う、甲と乙に分かれる使徒を思い出して頷いた。アレは片方を傷つけて再生し、同時に攻撃を行わないとダメージを負わないものだった。アスカとシンジもそれと同じか、と思いかけて、ミサトは弐号機の損傷している部分を見つけた。

 そこだけが直りきっておらず、同様、初号機も傷を負ったままだ。

 シンジが上空から地上に落下する間際にプログナイフを一閃し、竜のかぎ爪を切り裂いたとき。勢い余って地面に激突した際に出来た真新しいものだ。これがアスカに引き継がれた・・・・・・らしい。

 つまり、初号機をトレースして傷を癒すことが出来ても、元々初号機が負っている傷も同様に弐号機へと移る。こうなれば二機とも損傷している結果となるから、修理をしない限り回復は見込めない。

 少しずつ傷が増えていけばマズいことになる。

 何より。


 「アスカ、D−3、電源ビルに急いで」
 
 『分かってるわよ!』


 引きちぎれたアンビルカルケーブルの根元部分をパージし、竜が回復している隙を狙って電源ビルへと急ぐ。

 エヴァンゲリオン弐号機はS2機関を搭載していない。それ故ケーブルが邪魔になり、切断される度につなぎ直さなければならないのだ。接近戦を続けるアスカにとって、これは大きなネックになる。内部電源は持って七分。余裕を持って一分前にはケーブル接続に切り替えなければマズいだろう。

 ビルへと走る後姿を見て、リツコは改めてS2機関のありがたさを思い知った。

 座っていた席を立ち、凝り固まった肩をほぐす。目元がしょぼつくが贅沢を言ってもいられない。自らを鼓舞するように両手で頬を軽く叩いて、電子戦は一段落したことをミサトに告げる。一応はミサイル類の制御は奪ったが、他の重火器類は未だに使用可能だ。

 今のところ介入されることはなくなった。しかし長引けば話は別だ。OOパーツの撲滅をうたって軍隊が攻めてくるかもしれない。戦自は大戦力を失っているし、国連軍も壊滅に使いダメージを負って撤退した。今、日本を攻めてこられたら打つ手がないのだ。

 ……兎に角、時間がないわね。

 ポーカーフェイスに焦りの表情を隠して、表面上は無表情のままモニターを睨む。


 『零号機、配置につきました』


 アスカたちから離れて、丁度目視がギリギリの位置。そこに蒼の巨人が立っていた。手には平坂の槍、<ロンギヌス・コピー>が携えられている。その隣にもう一本、外れたときの予備がある。出来ることなら一撃で倒して欲しいところだが、リツコとて楽観主義者などではない。

 常に最悪の状態を考慮に入れ、その先の対処を練り上げる。だがこの場合、二本の<ロンギヌス>が外れた場合、消去法で<A.A>がお蔵だしになる。これは対竜種用ではないのであまり使いたくないものだった。

 ……それに。

 これはとってきおき・・・・・・なのだ。

 奥の手は最後まで残しておくものである。来るべき事態において、最高の、いや、最低の結果を掴むためのものなのだ。

 
 『目標確認――――――ロックオン』


 ギ、ギ、ギ、と弓の弦を引き絞るように機体がしなり、上段に掲げられた平坂の槍は持ち主の意思に従って鼓動を打ち始める。その一拍一拍を掌に感じたレイは更に意志力を高め、集中し、視界が狭まり、聴覚は鋭敏に、感覚が引き伸ばされ、


 (……まだ? まだよ。まだだわ! もっと引きつけて! 閉じ込めて、動けないところに……!)


 そして、


 「やああああああああああああああああああああああああっ!!」


 初動で大気を爆発させた零号機が、摩擦熱に肌を焦がしながら槍を投合した。















 その少し前、黒死龍を追撃する形で二人は足を揃えていた。かぎ爪を躱し、ブレスを掻い潜り、それはさながらRPGの勇者の如く。碇ユイは言った。英雄は戦場で生れ落ちるものなのだと。確かにその通りだった。今この瞬間、確かに三人は伝説の勇者だった。最強の生物、竜に戦いを挑み、互角に戦い、チームプレーで均衡を保っている。

 鼓動は重なり、テンションはうなぎ上り。彼らは負ける気がしなかった。いや、傷を負おうと、激痛に苛まれようと、確かにそう思ったのだ。

 コンビネーションで打ち出される拳の鉄槌を躱して、黒死龍は内心驚愕していた。

 馬鹿な、と。この竜である自分が追い込まれている。世界で一番強く、一番賢い。そう願われて生まれたきたのだ。現に最強に等しい戦力を有し、きっと一対一ならば楽勝で勝ち得ていただろう。

 だが。

 いかに物量の差があれど、最強の竜は追い込まれている。ありえないことだ。矛盾している。最強であれ、と願われた竜が追い込まれるなど、そんな馬鹿げたことが。

 ――――――最強であれ。

 そして。

 ――――――か弱きヒトに打ち倒され。

 と、彼は願われた。

 そんな、と彼は思った。彼は負けたくなかった。殺されたくなかった。全身はじくじくして今にも腐りそうだけど、ちりちりと突き刺す空気に悲鳴を上げそうになるけど、彼は生きたかった。生きて空を飛び回りたかった。木陰で昼寝をしたかった。彼女に、彼女に?

 ――――――殺して。

 彼女に。

 ――――――殺して。

 あの、暖かいお日様みたいな彼女に。

 ――――――殺せって言ってんでしょッ!?

 もう一度、笑いかけて欲しかったのだ。

 
 「……ッ」


 竜の境目がなくなった鮮血の瞳から、真っ赤な雫が零れ落ちた。目元の鱗を縫い、それは迷路に流れ込んだ大水のよう。

 吼えた。

 挟み込まれて、逃げろ、と直感が告げた。それでも包囲は突破できず、飛んできたナイフに羽を切り裂かれ、バランスを崩し、瞬時に傷は再生され、その狭間に彼は見た。

 両手で足場を作った紫の鬼が、紅の巨人をすくい上げ、その超重量級の巨体を放り投げたのだ。弾丸よろしく紅の軌跡が竜を追撃、その一歩後に鬼も跳躍。

 三体は今、戦場を空中に変えた。

 本来なら竜の独断場である空の空域。けれど二体の巨人は怯むことなく両手を広げ、地面から天空へと聳え立つ壁を。

 絶対不可侵領域ATフィールドの城壁を、竜の四方に作りあげた。逃げれない。上空へ。駄目だ。天窓は塞がれている。下降、それでは押し潰される。直感は潰され、行動は制限され、すでに詰まった竜を狙うは蒼の殺気。

 逃げろ、と。

 逃げなさい、と。

 誰かが言い、誰かが怒鳴り。もう駄目だ、と彼は思い。

 もう、いいよ。

 と、彼女は言った。


 「やああああああああああああああああああああああああっ!!」


 平坂の槍が持ち主の手を離れ、意志に従じて姿を変える。鉄の穂先は捻れ、


 ――――――みんなみんな恨めしくて、憎くて、


 先端から真紅に染まり、

 
 ――――――全てを呪って、壊し尽くして、


 赤は身悶え、捻れ狂い、


 ――――――ねえ、満足でしょう? 全力で呪って、殺して、滅茶苦茶にして。その上で、私たちは殺されるのよ。


 螺旋の槍は空気を巻き込み、回転し、旋風を尾に引いて、それは超高速で突き抜けて、


 ――――――ねえ、満足でしょう? どう? 最後までやり尽くした。憎い奴らを殺し尽くした。それはなんて清々して、


 ――――――それはなんて、気持ちの良いコト。


 そうだね、と竜は頷いた。自分は最強だった。万人を殺し、辺りを破壊し尽くした帝の竜。全力を出し切った。殺し、殺される。その命のやり取りに嘘はなかった。

 どうだろうか。

 じくじくと痛み内面の傷が心地良く感じる。この負傷は戦いの証。この痛みは全力の証。

 この快感は、生ききったことの証。

 ああ、満足だよ、と竜は同意した。彼女が笑い、竜はつられて嬉しそうに尻尾を振る。幻の中で、その彼女は微笑んでいた。満足だと。恨み尽くせて、もう満足だと。竜は嬉しくなった。彼女が嬉しそうだから、竜も嬉しくなったのだ。だから満足。彼女が笑ってくれたから満足。

 精一杯生きることが出来たから、本当に満足。

 籠に囚われ、迫り来る一つの終焉を目の前にし――――――


 
 超高速回転で一発の矢と化した神殺しの槍が、黒の暴君、規格外OOパーツ第壱号を穿ち抜いた。

 強度を無視した概念攻撃は鱗も、肉も、骨も等しく無に返し。

 完膚なきまでに、黒死龍を虚無へと送還したのだった。






                                           ■ 第三十三幕 「開幕」に続く ■