既存するチルドレンの中で、間違いなく最強を冠するのが彼女だった。稀に見る戦闘能力、特に近接格闘戦は大の大人でも敵わないほどだ。その細身から繰り出される拳は的確に急所を貫き、筋肉達磨と比喩される軍人教官を一撃で昏倒させる。戦乙女と称されてもなんらおかしくない実力を持っていた。

 だが、彼女には問題があった。

 常に最高であれ、という脅迫概念。周りからの評価を異常なほど重視し、己に意識を向けていて欲しい、という欲求。それらは意識的に刷り込まれた彼女に対する"枷"だった。

 惣流・アスカ・ラングレーは間違いなく天才である。

 その恐るべき資質を目にした人間は誰もが思う――――――ああ、妬ましい、と。

 それと同時に恐怖も覚えるのだ。まるでスポンジのようにあらゆる知識、技能を吸収していく様は見ていて寒気さえ覚える。確かに味方であるうちは頼もしいものがある。だがもし、この天才と呼ばれる少女が牙を剥いたとしたら。自分たちは彼女を抑えることが出来るのだろうか。

 答えは否、だ。

 自分たちが苦労して得たものを、目の前の少女は事も無げに吸収していく。一度聞けば一字一句間違いなく覚えるし、見たものは無意識的にでも記憶してしまう。本人が意識するまでもなく自動的に、だ。

 惣流・アスカ・ラングレーは間違いなく最強である。

 しかし周りがそれを望まなかった。極めれば天にでも届きそうな彼女は疎まれた。全知全能は神だけでいい。人の身では過ぎたる所業だ。翼を持たない人間は人間らしく、地べたに這いつくばって天を仰ぎ見るだけでいいのだ。決して届かぬ蒼を掴もうと手を伸ばし、けれど適うことなく命を散らす。

 彼女は天に届く人間だった。

 それ故に恐れた。天才でもなく、ただの優秀でしかない人間は天才を恐れ、疎い、天に至るための翼をもぎ取った。支配下に置くために精神を不安定にし、実力を出せないよう加工した。結果、出来上がったのが三年前のセカンドチルドレン、惣流・アスカ・ラングレーだ。突き詰めればどこまでも伸び続けるというのに、そのときの結果ばかりに気を取られて足を止めてしまう。

 それこそが、彼女を恐れた彼らが望んだものだとは知らずに。

 しかし。

 彼女を地上に縛り付けていた鎖は。

 一人の青年によって断ち切られたのだ。
































 
神造世界_心像世界 第三十一幕 「慟哭回旋曲」


























 発令所が歓喜に沸いた。途中出場だったものの、遅れてやってきたエースが加勢したのだ、喜ばない輩はどうかしている。

 三体の巨人の中でも一際目立つカラーリング。その炎を連想させる紅で火の粉を散らせ、ATフィールドの一撃で黒死龍をなぎ倒す。咄嗟に身を引いたのか、竜は半身ほど断ち切られながらも致命傷は避けていた。恐るべき回避能力だ。


 「三体が揃った……これならいける!」


 自らを鼓舞するようにミサトは叫んだ。応じるのは発令所に居る職員たちだ。NERVの職員ならば誰でも知っている、『最強は惣流・アスカ・ラングレー』という事実。サポートに秀でた碇レイ、S2機関内蔵型のEVAを駆る碇シンジ。二人は確かに強力な手札を持っているが、紅の少女はジョーカー、いや、エースからキングまで全てのカードを持っているに等しい。

 万能にして至高。

 なんてことはない。ただ彼女が強く、賢く、美しかっただけだ。その証拠にこうも易々と士気を上げる。その声に尻を蹴り上げられ、その背中に心沸きたてられる。才能か魅力かどちらともつかない、彼女の持ち味なのだ。開花して間もないカリスマ、それは一人の青年が花開かせたものだ。

 モニターに映った二体は身を寄せ合って地面を立つ。


 「初号機のシンクロ率に変動!」


 オペレーターの女性職員が驚愕した声で叫ぶ。僅かばかり裏返ったそれは本気で驚いた証拠だった。彼女のモニターには三体ぶんの情報がリアルタイムで送られてきており、二体ぶんだったのが三体に増えた、その直後の出来事だった。60パーセント前後を行き来していたシンクロ率が上昇しだしたのだ。62、66、70。急激ではない上向きの波は暴走状態ではないことを意味する。

 戦闘中にシンクロ率が上昇するなど、暴走以外には考えもつかない。

 驚きに目を丸くするオペレーターを尻目に、リツコは何となくこの変動の理由が掴めていた。慌てふためく友人をなだめ、自身は興味深く映し出されたグラフを見守る。90パーセントの大台を超え、そのまま100に達するかという直前、96.36パーセントで動きは止まった。
 
 オペレーターは息を呑む。並んだグラフは1パーセントの誤差もなく並列していた。<2nd>と<3rd>が共に表す高シンクロ率。まるでアスカに合わせるようにシンジのシンクロ率が上昇した。

 オペレーターは笑い声に振り返る。左手を口に当てて声を漏らすのはリツコだ。さも愉快だ、と言わんばかりに目じりに涙まで浮かべている。何がそんなにおかしいのか、とオペレーターは思った。口に出して聞くと、リツコは謝罪して説明を始める。だがそれはシンクロ率の変動についてであって、リツコが笑っていた理由ではなかった。


 「あの子たち、シンクロしたのよ」

 「……?」


 小首を傾げるミサトたちを見て、補足するためにリツコは更に続ける。


 「文字通り、二人が同調したのよ・・・・・・・・・。だからシンジ君のシンクロ率が上昇した。より強い、アスカに引っ張られる形で、ね。ほら、ご覧なさい? もっと凄いことが起きるわよ」


 発令所の人間が乗じて視線をやった先には、両腕を失った初号機の姿があった。高シンクロでの出来事だ、パイロットであるシンジを襲う激痛は並ではない。大声で泣き叫んでもいい状況だというのに。


 『――――――あははははは!!』


 流れてくるのは、歓喜を含んだ笑声だ。両腕を失って笑うなんて普通じゃない。しかしその声は余りにも純粋だった。面白い物を見て上げた笑い声でもない、他人を蔑んだ嘲笑でもない。それは純粋な喜びからだ。運動会の徒競走で一位を取った子供のような、見ていて微笑ましくなる笑み。

 場違いなその声で、発令所が和んだのもまた事実だった。

 直後。

 黒く焦げた初号機の両腕から肉が湧き出してきた。蟲が蠢くように赤黒いそれは脈動し、骨を形成して筋と神経を紡ぐ。元の原型を取り戻した頃には皮膚に覆われ、装甲に覆われていないが寸分違わずに両腕は再生されていた。人の手そのものだ。上腕部分に鎧が残されているだけに、その巨大な腕は異質だ。まるで後から継ぎ足されたツギハギ――――――事実、その通りだったのだが。

 目を細くするリツコはゼルエル戦を思い出していた。あのときも同じように初号機は片腕を再生させていたが、前回は敵のパーツを奪って継ぎ足したのと違い、今回は完全な<再生>である。時間を巻き戻したように両腕が出来上がり、完全に修復してしまっている。使徒も単独兵器という性質上、再生能力は持っていたが、ここまで急激なものは類を見ない。

 呆けている指揮官を小突く。ミサトははっとしてリツコの顔を一瞥し、頬を引き締めて声を張り出す。

 気づいたのだ。今はまさにチャンスだということに。


 「三人とも、聞こえてる!?」










 『今がチャンスよ! 追撃しなさい! 近接戦用意!!』


 相互回線で命じられたままプログナイフを抜く。シンジのものに対して、アスカはカッターナイフ状の刃になっている。これは折れたときに刃を作り直すことの出来るものだが、アスカは好きではなかった。何より格好悪い。戦いに美を求めるほど傲慢じゃない彼女だが、カッターナイフを振り回すなんて、ネジの外れた餓鬼じゃあるまいし、と毒づきたくもなる。

 だがわがままなど悠長に言ってられない。黒死龍に与えたのは不意打ちの一撃だ。それをかわされたとなっては、正面からの攻撃が当たるとは思えない。傷を負っている今こそ最初で最後のチャンスといっても過言ではないだろう。

 遠距離に居る零号機は近接戦闘に参加できない。ビルが崩れたことによって粉塵がまっているので、熱源で探すにしても狙いが甘くなる。敵味方が入れ乱れて乱戦になった場合は援護に期待しない方が賢明なのだ。レイもそれは弁えているらしく、ライフルを構えたまま発砲することはなかった。

 
 「シンジ!」

 『うん――――――って、離れて!!』


 近づこうとするアスカを遮って言う。それと同時に誇りの向こうで影が蠢いた。低い重低音が聞こえる。壊れたエンジンのように、時折何かが弾ける音が聞こえ、断続的にグググ、と空気が震える。

 絶好の機会だというのに、二体の巨人は距離を取った。それを見て指令所から怒鳴り声が聞こえてきたが、音声の音量を下げてやり過ごす。

 このときには、異様な雰囲気をアスカも感じ取っていた。

 やがて塵埃が晴れ、影が姿を現す。


 『なっ……』


 声帯を命一杯行使していた指令所のミサトも、このときばかりは彼らの判断が正しかったと認めた。あのまま突っ込んでいたなら、どのような結果になっていただろう。

 傷口から触手を無数に生やした竜がそこに居た。

 鮮血を滴らせ、脈打つのは肉塊だ。しかもそのどれもが人の手や足をかたどった異様な造形だった。血にまみれた手や足が、苦しそうにもがき、痙攣する。気の弱い職員など目を回して倒れてしまった。幸いにもマヤを初めとするクラッキングチームは難を逃れたようだ。

 使徒も外見がおぞましいものがいたが、ここまで直接的に嘔吐感を催すのは初めてだ。

 
 「……人が、溢れ出してるみたいじゃない」


 まるで内臓が人そのもので出来ているかのようだ、とアスカは思った。故に傷口から零れてくるのだ。内臓の代わりに、人が。


 『アスカ』


 これまでに聞いたことのない、抑揚のずれた声だ。シンジが興奮していることはすぐに分かった。彼がどんな理由にしろ喜んでいる。それはアスカにとっても喜ばしいことだ。


 『舞台の幕は上がった―――――― 一緒に踊ってくれるかい?』


 差し出されたのは、掌ではなく拳だ。少し灰色になった初号機の手は人の手そのものだ。それで拳を作り、打ち付ける形で差し出される。アスカはクスリ、と軽く笑って自らの拳を合わせた。

 鼓動が重なる。

 シンクロ率、ハーモニクス、その他の信号一切が重なり合っていく。

 二人は一つに、心は解け合い、身体は常に共にあり。


 『さあ、行こうか――――――僕らは前座さ』

 「アタシも付き合うわよ。最後まで、ね」


 ジャキ、と寸分も違わず、同じタイミングでナイフを突き出す。まるで鏡合わせだ。どこまでも続く巨人は色も性能も違えど、どこまでも同質だった。


 「行くわよ、アスカ!」
















 鋼を打ち合う轟音が彼方から聞こえる。耳を塞ごうとして、加持は両手が煤まみれであることに気づいてため息をつく。損な役回りだな、と今更ながらに毒づいたところで、己の処遇が変わることもなく。荒れ果てたコンクリートの山を目にして眉尻を下げた。

 加持が率いる諜報・保安部は救助活動の真っ只中だった。大層な名を持つ部ではあるものの、一皮剥けば都合のいい実働部隊に過ぎない。こうして総員総出で負傷者の救助に当たることからもそれは窺える。

 それにしても、と加持は煙草を取り出し、口にくわえた。

 数人の負傷者は収容できたが、後は原型を残さずにミンチになった死体だらけだ。生きている人間もそう多くないはずだ。自然と自分を含め、部下たちの士気も落ちてきている。しかも、いつ救助される側に回るかも知れないこの状況。ミイラ取りがミイラに、なんて笑い事ではないのだ。

 戦闘地区から離れた場所の救助を重点的に行っているとしても、あの巨大な破壊者がやってきては逃げることも適わない。

 仲間であるはずのEVAに踏まれでもしたら更に悲惨だ。犬の糞よろしく、足の裏にくっ付いた死体を気持ち悪そうに思われたりしたら、成仏出来るものも成仏できない。恨みのこもった声と視線で枕元に立ってやる。

 ライターで煙草に火を点け、煙を吸い込んだ途端に激しくむせ返った。部下の一人が視線を寄越し、加持はなんでもないと手を振った。煙草の煙か、舞い散る埃のせいか、喉が酷くいがらっぽい。美味く感じるはずの煙にむせ込んでいては元も子もない。仕方なしに火をつけたばかりの煙草を投げ捨て、足で踏み潰す。

 
 「どうだ?」

 「……死体ばかりですよ。ああ、当分肉類は食べられませんね」


 違いない、と辺りに居た仲間たちは頷いた。五人程度のグループを組んで救助に当たっている中、成果は芳しくない状況だった。逃げ遅れた人間は先の大破壊の折に犠牲になった者たちばかり。奇跡的に生き残った連中も、この地獄をみたのだ、しばらくは精神安定剤のお世話になることだろう。

 部下の一人が流れ落ちる汗を拭う。


 「滅茶苦茶ですね、OOパーツってのは」


 人類の持つ武器、兵器を使用しても圧倒できるEVA。それを三体も同時に相手にしているOOパーツ、黒死龍は如何なる化け物か。三年前よりも、チルドレンたちは腕を上げているはずなのだ。だが接戦は続き、木霊する轟音だけが彼らが戦い続けている証拠でもあった。

 あの音が消えたとき、恐らく決着がつくに違いない。

 そうして、もし負けた暁には、人類は滅ぶのだろうか。


 「いや……滅ぶ、のか?」


 ふいに漏らした加持の呟きに、仲間たちは怪訝そうに眉をひそめる。

 そもそもOOパーツの目的が分からないのだから、こちらが滅びるとは早計しすぎではないだろうか。確かに彼らは攻撃を仕掛けてきたが、別にどこを目指しているとも、何を目標にしているとも思えない。シンジからの助言では、第三新東京市を中心に世界は再生されたらしく、世界の中心故にOOパーツが集まりやすいのだという。

 そして人類の・・・敵、OOパーツはヒトのATフィールドで出来ているらしい。


 「……ヒトのATフィールドで出来ている・・・・・・・・・・・・・・・・?」


 フレーズに違和感を感じて加持は思案する。何か引っかかるのだ。OOパーツという化け物、少しずつおかしくなってきた世界。近頃は、"奇跡"といった単語をよく耳にするようになってきていた。奇跡的に助かった、奇跡的に成功した。あまり起こらないからこその奇跡だというのに、こうも頻発するのは偶然でもなく必然だ。

 サードインパクトから三年が経ち、第三新東京市は再生された。ここばかりではない。破壊されたはずの建物が元通りになり、世界は平穏を取り戻した。

 ……いや、何か忘れてないか?

 以前、加持はリツコの研究室で話を聞いたことがあった。コップに注がれていくのがヒトのATフィールドで、なみなみと一杯に注がれ、零れ出したのが規格内のOOパーツである、と。そして規格外OOパーツ第弐号、<ヤマタノオロチ>は満杯のコップであるとも聞いた。そして今、現界している第壱号はコップなのか、それとも――――――

 
 「大丈夫ですか? 部長」


 無言でブツブツ言っていたのがマズかったらしい。心配顔の部下に苦笑しながら加持は返答した。

 ……ま、考えても仕方ない、か。

 どちらにせよ、第壱号がコップか蛇口であるのに違いはない。それは規格外に共通して強大な力を秘めている訳であって。

 ならばコップではなく蛇口だと考えた方がよさそうだ、と頭を掻く。

 そこで、気づいた。


 「蛇口……蛇口じゃない。蛇口だけじゃコップは満たされるはずがない・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 背中に氷柱を突き込まれたようだった。もしかして自分たちは大切なことを忘れてたのではないか、と。ヒトの幻想で生まれたOOパーツ。人類の敵。感情に感化されやすい性質。その根本にあるものが、


 「ヒトのATフィールドで出来ている・・・・・・・・・・・・・・・・……!?」


 止めないと、と加持は思った。このままじゃマズい。明らかにマズい。きっと簡単な問題故にリツコが気づかなかったのだ。OOパーツが何であるかを考え、その強大さをありありと見せ付けられたせいで<敵>だと見なしてしまった。言っていたではないか。『OOパーツの生みの親はヒトのようなものね』と。

 焦ったまま懐に手を突っ込む。内ポケットから取り出したのは携帯電話だ。震える指に悪態をつき、早く発令所に知らせなければ、とボタンをプッシュしたところで、


 「あら、無粋な真似は感心しないわね」


 加持を含め、部下たちが一斉に黒光りする拳銃を声に向ける。訓練されているだけあって行動は一瞬だ。民間人の線も考えられたが、この阿鼻叫喚な地獄で落ち着き払ったその声は、明らかに不審だった。半ば反射行動で銃を突きつけた加持は、一旦目をしばたかせ、「え?」という間抜けな疑問符を吐き出した。

 部下たちも一様に動揺した様子だ。


 「クスクスクス……気づいたのはさすがだけれど、公演中に席を立つのは無作法というものよ?」


 白く細い指が伸ばされ、加持たちに向けられた。流れるような動作だ。まるで彼女の周りの空気だけが神聖に光り輝いているような。理由もなく心臓が締めあがった。覚えるのは畏敬だ。逆らってはいけない。膝を屈せ、と脳が強制してくる。数名の部下がヨロヨロと地面に倒れ、しかし加持は歯を食いしばって彼女を睨みつける。

 その彼女は、見慣れた顔だった。その髪は足元まで伸ばされ、無重力に漂うが如く揺らめいている。女神だ、とそこに居合わせた誰もが思った。


 「き、君は――――――」

 
 喉も舌も唇さえも震えて言葉が作りにくい。それでも懸命に加持は声を出した。白く細い裸体を覆うのは白銀の羽衣だけだ。その衣は風にはためくにしては動きが遅すぎるし、留め金もワイヤーもないのに空中に留まっている。

 
 「あなたたちは主演でもないけど観客でもないの。彼らを引き立てるための脇役……けれど、それでも重要な役なの」


 その言葉と共に、加持を含めた全員が呆けたような顔つきになった。目が細められ、口は半開きになっている。無骨な銃を構えたまま間抜け面を晒す一同は、傍から見れば変な集団だった。

 その少女は満足したように頷くと、柔らかい口調で唇を動かす。


 「あなたたちは何も見なかった。そして何も気づかなかった。だから人助けを続ける。そうよね?」

 「人、助け……」

 「そう。それは素晴らしいことだわ。人を助ける。それはあなたたちの<役割>よ」


 差し出された指の、中指と親指が合わさり、直後に弾けた。パチン、と景気いい音が響く。加持らはその音に身体を強張らせ、一息遅れて項垂れる形になった。一分ほど過ぎた頃、ややあって加持が顔を上げ、次いで部下たちもそれに続く。先程までの顔ではない。引き締まった現場の顔だ。

 このグループを率いている加持が皆を見回し、全員が揃っていることを確認する。未だに騒音は鳴り止まない。戦闘が続いている証拠だ。黒煙が立ち上る中に生存者が生き残っているかもしれない。助けなければ、と皆は思った。それは素晴らしいことだ、とも。そうすれば、そうすれば。その先が思いつかない。

 何か違和感を感じる。しかし時間は少なく、刻一刻と死者は増えるばかりだ。ならば自分たちは自分たちの<役割>に徹することにしよう。

 加持は頭の中で『言葉』を反復し、満足してから声を出す。


 「次の地区に行くぞ!」


 応、と答えた部下を引き連れて去っていく。何事もなかったかのように。

 
 「クスクスクス……あなたたちの<劇>は、どんなものになるのかしらね……?」


 












 碇レイは操縦桿から手を離し、震える指を叱咤するかのように強く拳を作った。こうしていられるのも、あの二人が奮闘しているからだ。シンジとアスカ、意思疎通が声を出すまでもなく出来ている。切り伏せ、身体を入れ替え、攻撃と防御を同時にやってのける。押している。ジリ貧だったのが嘘みたいだ、とレイは思った。

  黒死龍が火炎を吐き、初号機が身を引いた瞬間にATフィールドを張る。恐らく弐号機のものだ。シンクロ率は彼らが共に最高で、レイは70パーセント台だ。狙撃を任された彼女にはあまりシンクロ率は関係ない。補正は全て直結された<MAGI>が行ってくれている。自分が行うのは狙撃位置に移動すること、敵から付かず離れずの距離を保つこと、だ。

 遠くの巨人たちが、タイミングを合わせて竜を蹴り穿つ。

 ――――――今ッ!!

 力強くスイッチを押す。別に強弱は関係ないのだが、強く押した方が弾も力を帯びる気がするからだ。

 体勢を崩していた竜は傍から見ても必死にもがいている。そこを掠める弾丸。

 左翼を吹き飛ばした。

 だが。


 「……くっ」


 一瞬だ。傷ついたそばから修復される傷。羽をもぎ取られても、アスカが与えた大きな裂傷も、瞬く間に完治してしまう。初号機の再生力にも驚いたが、竜はそれ以上だ。凶悪な攻撃力、桁外れな防御力、未来予測じみた直感、今度は驚異的な再生ときた。もう変形合体して人型になってもレイは驚かないだろう。

 確かにシンジとアスカのコンビはよくやっている。自分も自惚れでなく一流の狙撃だと思っている。

 なのに、倒せない。

 ギリ、とレイは歯を軋ませる。

 街が壊れた。道路も家も、みんな壊れた。学校だって病院だって、きっと帰るべき我が家だってもう跡形もないだろう。それらはレイの天国の象徴だった。暖かいごはん、楽しい日常。お母さんと笑い合える天国。

 ――――――碇レイの天国を、アイツは奪ったのだ。

 許さない。

 許してなるものか。


 「葛城ニ佐!」










 「ロンギヌスを?」

 『はい。彼らが足止めしている隙に投合すれば当たるはずです』


 レイの提案に、けれどミサトもリツコも渋い顔だった。

 足止めをしたところで当たってくれるようなタマだろうか、と彼女たちは思うのだ。当たれば必殺のロンギヌスだが、今までを見る限り回避能力は非常に高い。特にこちらが<必殺>だと思えた攻撃はどれも避けられている。傷を負いながらも必ず生き延びる。生き汚いとは言えども、それは非常に厄介なものだ。

 残った<槍>は二本。せめて穂先を掠ってくれでもしないと割が合わない。

 
 「どう思う?」

 「<槍>は元々使う予定だったけど、使いどころが掴めないのよね……使い捨てって所が痛いのよ」


 金もかかるが時間もかかる。更には予備がない。リツコにとっては頭の痛い話だ。しかし兵器は使われるために存在するのだから、渋って使い時を逃せば愚の骨頂だろう。

 むう、と二人の女性は呻き、


 『きゃあ!』

 『うわっ』


 接近していた二人の叫び声を聞いた。










 押され気味であった黒死龍は苛立っていた。何より息が合った攻撃を繰り出してくる二体の巨人が妙に苛立たしい。沸々と腹の底が煮えたぎるようだ。その感覚に戸惑い、更に隙を生む。連撃ではなく完全に一撃と化した二発の魔弾。拳であって弾丸であるそれをくらえば、彼とて無事では済まない。

 身体を反転させてやり過ごす。反対になった風景の中、頭の下を暴風が過ぎていく。風圧によって鱗が数枚剥げた。しかしすぐに再生。なんてことはない。

 
      「殺せ!」

                                「殺してよ!」

                                                          「目障りなのよ!!」


 どこかで聞いた声だ、と竜は思った。思い出せないその記憶。自分はもっと気楽に空を飛んでいた気がするのだ。王者でもなく、ただの飛行者として。靄がかかったその様子は酷く懐かしい。暖かいものだ。常に身を苛む声と軋みを、その一瞬は安らげてくれる。彼にとってそれは鎮静剤のようなものだった。

 出来ることなら、この白昼夢に逃げ込みたい。しかしそれも儚い願いだ。

 ……自分は狙われている。

 殺されるのはご免だった。生物ならば誰しも思うだろう。どうぞ殺してください、なんて首を差し出すのはただの馬鹿だ。知能を持たない生物でさえ、本能的に身を守るというのに。

 殺されるつもりはないし、何より声が五月蝿いのだ。目の前の敵を殺せ、と。

 メキメキと骨格が軋んだ。細胞の一つ一つが活発に蠢き、なくなった矢先には新しい細胞が生まれている。なんとも痒く、そして痛みの伴う現象だった。


 「ヒアアアアアアアアアアアアアアアアッ……!」


 思い切り身体を回転。目が回るなんて生易しい速度ではない。一瞬にして旋風を生み出し、周囲のものを根こそぎ吹き飛ばす。瓦礫が舞った。重さ数トンはあるビルの残った半分が地面を奔った。それに巻き込まれて巨人二体も宙を舞う。接近していただけに、モロに衝撃を喰らってしまったようだ。


 『きゃあ!』

 『うわっ』


 それに目もくれず姿勢を整え、回転の勢いを無理やりに殺す。

 轟音。

 黒死龍は地面に這いつくばる形で爪を立て、三尾も同様に地面を穿つ。そして空中に居たときからチャージしていた滅びの粒子を腹に溜め込み、視線も鋭く前方を見据える。

 狙うは巨大な殺気の塊だ。一つ一つは小さいが、大群で来られては竜とて苦しいものがある。ただでさえ劣勢だ、敵は少ないにこしたことはない。見えないが感じる。この先だ。針の先のような、研ぎ澄まされた殺気。ただ一つを目的としたものだ。分かる。アレは自分を殺しに来た。敵だ。屠るべき敵だ。

 殺せ、と彼女が言った。

 分かっている。でなければ自分が殺されてしまう。殺される前に殺すのは当たり前のことだ。

 殺せ、と再度彼女が言った。

 分かっている。だけど君はそんなこと言うヒトじゃなかった気がする。

 殺せ、と半狂乱の声で彼女は言った。

 分かっている。だけど。


 ……君は誰?


 思い出せるはずもなく、ただ漠然と浮かぶのはいつも笑顔だ。黒死龍は分からなかった。笑っていた彼女がどうして殺せと言うのだろうか。思い出されるのは絶望感。信じていた者に裏切られたときの胸の痛み。

 ……ああ、そうか。

 君も苦しんだね、と竜は納得した。彼も苦しかった。蠢く臓物が、軋む骨が、引きちぎられる筋が。苦しいのも痛いのも嫌だった。だけど目の前の巨人が虐めるのだ。だからやり返す。殺しに来たのなら殺し返す。それが普通だ。

 滅んでしまえ、と竜は吼えた。








 全身の痛みに顔をしかめる暇もなく、シンジは力の限りに地面を蹴った。吹き飛ばされた勢いそのままに更に加速。しかし後方から真横へと無理やりに機動を変える。その際に足首と膝関節から嫌な音が聞こえたが構っていられない。初号機は巨大な足跡を残して真横へと跳んだ。

 黒死龍を頂点とした三角形が彼らの位置関係である。底辺の右にシンジ、そしてこちらに転がってこないことを考えると、アスカは左に逃げたようだ。その底辺の左位置後方にはレイが控えているはずだった。

 その底辺のど真ん中を割るように吐き出された<竜の伊吹>は、離れていても肌が焼ける感覚を覚える。

 ……チャージが早い? いや、空に逃げた時点で溜め始めていた?

 こちらに溜め時間を悟らせないためとはいえ大胆な行動だ。加速器を用いないために、荷電粒子砲のチャージは竜の腹で直に行われる。そこを攻撃されれば内部崩壊を引き起こしかねないというのに、あの乱戦でやって見せたのには驚嘆する。図太い精神の持ち主だな、とシンジは苦笑した。

 ATフィールドを張ったので<竜の伊吹>のダメージは皆無に等しい。苦し紛れの攻撃だったのか、と思ったとき、割り込む通信があった。


 『こっち向かっていた国連軍がやられたわ! チョッチどころがマジでヤバいわよ!』


 大アップで現れたミサトだ。シンジは大声に辟易して音声を下げる。


 『今の攻撃、アタシたちを狙ったんじゃなかったってコト!?』


 すでに弐号機は黒死龍に肉薄していた。それを視界に納めたシンジは、加勢せんと駆け出す。EVAほどの戦力ではないにしろ、国連軍の援軍には期待していたというのに。戦自同様、第三を訪れる前に打ち抜かれるとは。殺気を感知して伊吹を放ったことは想像に難しくない。恐らく、全滅に近いだろう。

 後方から零号機の援護射撃がまたたく。竜は咄嗟に羽を広げ空に逃げる。弾丸が地面を粉砕した。


 『援護はこない……私たちだけでケリをつけろ、ということですか』

 『いや……それがチョッチ……マズいことになったのよ』


 言いよどむミサトは冷や汗をかいていた。浮かべる苦笑いもどこか引きつったようなものだ。片方だけの筋肉を引きつかせたまま、なはは、と指揮官は頬を掻く。

 会話を聞きながらシンジはプログナイフを一閃していた。そのアクションが終わらないうちに半歩前出たアスカが逆袈裟に振り上げる。上下の時間差コンビネーションだ。そして砲撃。完全に息を合わせた三連撃。これには竜も堪らずに一撃を浴びる。弾丸が腹を突き抜け、後方に鮮血の花を咲かせる。

 しかし苦悶の声と塞がる傷は同時に行われた。再生はするが痛みを感じるらしい。修復時に動きが鈍るのはそのためか。バックステップを取ってシンジは思案する。

 
 『なんかさっきの攻撃で国連軍がやられちゃったでしょ? それでミサイルぶっ放そうとした馬鹿が居たらしいのよ』


 ちなみにこの戦いは全世界の軍部に中継されている。これは各国が望んだことだったので、NERVに拒否権はなかった。別に疚しいこともなし、とユイは気にもしなかったのだが、ゲンドウと冬月には懸念があった。それは重役たちの暴走だ。化け物中の化け物であるOOパーツを見れば、日本の次はわが身かもしれない、と恐慌に駆られた彼らが弾道ミサイルの発射ボタンを押しかねない。

 ……日本が滅びるくらいで済むなら安いものだ、と十字を切って。

 誰だってわが身は可愛いものだ。生き残った連中は、表上は苦言を述べるだろうがそれだけに留まるはずだ。遅かれ早かれ誰かが行ったことなのだから。国を守る立場であれば非情にもならなければ、と言い訳じみたことを口にする。

 先の国連軍壊滅には各国も肝を冷やしたに違いない。

 そしてどこかの国、誰とも知らない連中がOOパーツの居る日本目掛けてミサイルとぶっ放そうとしたらしい。混乱に乗じれば上手くいく可能性もあるし、そうなれば批判も怖くはない。私たちが世界を救ったのだ、と大口を叩けるのだ。


 『でも、そのためにクラッキングしてたんじゃないの? 確かシステムの凍結だったわよね』


 弐号機が刃の欠けたプログナイフの先端を折り、それを手裏剣よろしく投げつける。それを避けたところにATフィールドの断層を打ち込むが、これも器用に潜り抜けられた。舌打ち。それでも距離は離さないよう後を追う。


 『ええ。気づいた連中は大慌て――――――まあ、犯人なんて考えるまでもなく分かるでしょうけど』


 打たれてマズいのは日本だけだ。核をぶち込むにしろN2を多数打ち込むにしろ、自分たちの国が焼かれなければそれでいい。国連はそれを予想していたからこそNERVのクラックを認可したのだが、それはあくまで秘密裏のことだ。表立って犯罪行為を推奨するわけにもいかないのは当たり前か。

 足をつかないようにしたのがせめてもの抵抗。しらばっくれて時間を稼ぐしかない。


 『ミサイル関連は抑えたらしいけど、全てが上手くいったわけじゃないわ。軍が直に攻めてくるかもしれないし』

 『馬鹿じゃないの!? だったら加勢しなさいよね!』


 アスカが言うことは最もだったが、OOパーツの殲滅と称してEVA諸共消す魂胆なのだろう。


 『妨害が来る前に倒した方がいいの……』

 「碇さんの言う通りです。入り乱れの乱戦となると背中にも気を使わなくてはならない。それでは楽に死ねますよ」


 間違えた、なんて言われて脊髄――――――つまりはエントリープラグを打ち抜かれては堪ったものではない。嫌だ嫌だ、と呟きながらかぎ爪の一撃を回避する。避け際に膝蹴りを繰り出す。シンジの一発は面白いように決まったが、それと同じく膝の装甲と肉を引きちぎられた。

 ……一筋縄ではいかない、か。

 向こうもこちらの行動パターンを覚えてきたようだ。今のカウンターも読まれていた節があった。


 「……ロンギヌスの使用を提案します」


 膝の傷をアスカとの同調で回復させる。これは無傷である彼女が近距離に居るからこそ出来る芸当だ。離れていたり、彼女が傷を負っているとそれも受け継いでしまう。

 肉が覆われていく様を見ながらシンジは更に続ける。


 「僕とアスカでATフィールドの籠を作り出しますから、それごと貫けば」

 『でも籠に捉えるのも簡単にはいかないわよ?』


 今まで通信参加していなかったリツコの声だ。シンジが知る由もない話だが、このときも彼女の指は驚異的な残像を描いていた。目はモニターに映った英数字を追いかけ思考の半分はそちらに向けながらも、もう半分は会話を聞き逃すことなく窺っていたのだ。ロンギヌス使用に当たって、重要なのが如何にして相手をその場に縫い付けるか、である。

 自動追尾機能が備わっているはずもなく、直線上の敵を穿つのが投合槍だ。<ロンギヌスの槍>も例に漏れず、螺旋状に変形してからもATフィールドを貫くまで一直線なのだ。故に来ると分かっていれば回避も難しくはない。そこで有効なのが不意打ちなのであって、それに見事引っかかったのが他でもないアスカだった。

 しかしながら今回は不意打ちに期待出来そうにもない。OOパーツ殺気に反応するので、槍を手に構えた時点でバレる可能性が高い。シンジに投げさせれば話も別だろうが、生憎彼もマークされていた。後方に下がっても常に危険視されるのは目に見えている。初号機方面からの飛来物には万全の注意を持って対処されてしまうだろう。

 ならば、残されたのは初・弐号機による足止めだ。すでにバレているのならば、避けられない状況を作り上げるだけ。

 この場合、ATフィールドの籠、というわけになるのだが。


 『問題は追い詰めるその方法ね。挟み込むにしても、回り込むにしても、アレは状況判断能力はずば抜けているのよ? どちらかが回り込んだ時点で空に逃げられるわ』

 『なら――――――逃げ場をなくせばいいだけのことよ。そうでしょ? シンジ、レイ』

 「まあ、そうなりますかね」

 『絶対外さない』


 苦笑気味のシンジとヤル気満々のレイだ。二人の返答を聞いて、発令所の女性二人も腹を括る。


 『私は数分ほど電子戦に専念するから、ミサト、頼むわよ』

 『任されよう! ロンギヌス射出準備……って、もう終わってる? なはは……レイ、第三番射出口よ!』

 『……了解』


 レイが駆け、黒死龍を前にした紫と紅の巨人が軽く前傾を取る。相対した竜も僅かばかり身じろぎする。アスカの殺気を感じ取ったのだ。何かをするつもりだ、と竜は感づいた。

 再びプログナイフを前面に構え、二人は吼えた。

 叫びは唸りとなって、天と地を揺るがす。

 その咆哮は醜き野獣であり、麗しき天使の如く――――――
 
 




                                           ■ 第三十二幕 「穿たれる堕天」に続く ■