神造世界_心像世界 「はじまりの唄 W」






 めでたく独房入りしたシンジは誰に文句を言うのでもなく、横になって体を休めていた。

 同居拒否宣言をしたあの後、どういうわけかユイがぶっ倒れたのでえらい騒ぎになったのだ。

 怒り狂ったゲンドウはシンジに独房入りを命じ(さすがに殺すわけにはいかないらしい)冬月と共に発令所を後にした。

 

 「拉致に監禁。さすがは天下のNERVだねえ」

 「ええ、本当に」


 がちゃ、というロックが外れる音と共に白衣姿のリツコが入ってきた。

 NERV内のロックはカード式なのだが、どういうわけかこの独房だけは昔ながらの鍵穴式だ。これはこれでなかなか風流だとシンジは思う。

 リツコの手にはウォッカと思われる酒瓶とグラスが二つ。

 独房内に取り付けられた簡易ベッドに腰を下ろすと、グラスに酒を注ぎシンジに差し出した。


 「いいんですか?」


 独房内は薄暗い。シンジの問いかけにリツコはコクン、とうなづいた。お互いの表情がかろうじて見える薄暗さは酒盛りに適していると言えよう。

 ちびちびと酒をすする二人。


 「結局、月日がたっても、人が変わってもNERVはNERVですね」

 「そうね。良くも悪くもNERVはNERVだわ」


 クスクス、とリツコは笑う。酔ってきたせいかほんのりと頬が赤くなっていた。

 シンジが言わんとしたことはわかる。

 使徒戦役時代もそうだったのだが、結局はNERVは世界の救世主ではないのだ。

 我が物面のNERVを快く思っていない輩はごまんといる。いつ背後から刺されるかもしれない世界の救世主。ああ、なんて素敵なのだろうか。

 
 「初号機はどうなりました?」

 「封印処理――――――なんて世間では言われてるけど真っ赤な嘘」

 「それはそれは。でもコアの方は? 碇ユイが出てきたってことは誰もインストールされていないんでしょう?」

 
 司令は新たなチルドレンを選出しようとしたんだけどね、とリツコは苦笑い。シンジが「碇ユイ」と呼んだことが面白いらしい。


 「なんでも、そんな非人道的なことはもうできない、っていう顧問のお言葉でね、中止になったのよ」

 「なにを今更・・・・」

 「だから今現在起動できるのは零号機と弐号機だけよ」

 
 カラン、とコップの氷が鳴った。

 
 「あれ? 参号機は“還って”きてはいない?」

 「ええ」

 「プッ、あははははははは! それじゃあトウジも」

 「そうね、確認できてないから仏さん確実ね」


 かつての親友が還ってきていないことが妙にツボだったらしい。シンジは腹を抱えて笑った。

 シンジからすれば戦自やNERV職員が黄泉がえっているというのに、チルドレンだったトウジが還ってこないのがおかしかったのだろう。

 まあ、実戦を経験する前に退場したチルドレンなんだから報酬が少なくてもおかしくはない。

 ましてや自分から進んでチルドレンとなったのだ。名誉の戦死(?)なのだからさぞや本望だったはず。

 これでケンスケが生きてたら笑えるな、とシンジは思った。


 「変わったわね、あなた」

 「リツコさんこそ」

 『お互い、いい意味で』


 クスクス、と笑う二人はある意味では狂人なのかもしれない。

 その笑い声を聞いたのは独房の前で事切れた黒服だけだった。







 NERV本部内休憩所。

 職員たちの憩いの広場となるべき休憩所は、不条理にも美女三名によって独占されている。

 だが誰が文句を言うわけでもない。この光景が日常と化したNERVでは、暗黙の了解にてこの三名の邪魔はしないことになっていた。

 以前、勇気ある馬鹿(良い意味で)が文句をいったところ、人間とは思えない奇声を美女二人が発したことがあった。

 その日はミサトもアスカも虫の居所が悪く、そこに運悪くその男がナンパしに来た(彼女ら視点)というわけだ。

 それからというもの、その日のできごとは職員たちの記憶から抜け落ち(拒否反応)暗黙の了解が誕生した。

 
 「独房ってどういうことよ!?」


 一瞬、本部内の空気が振動したような気がした。

 惣流・アスカ・ラングレー、音響兵器彼女である。


 「わたしにだってわからないわよ・・・・」


 シンジが見つかったと知らせを聞いて飛んで帰ってきたアスカだが、帰ってきてみれば目的の彼はおらず、独房に入れられたという。

 肩透かしをくらった彼女は機嫌最悪なのだった。

 「シンジ君は性格違っちゃってるし、司令との仲は最悪だし」

 「司令と仲悪いのは前からでしょうが。ったく、バカシンジもなにしてんのよ。司令に喧嘩売るなんて」

 「碇くんが悪いわ・・・・」

 「レイ?」


 今まで沈黙を保っていたレイが怒気もあらわに言った。声が普段より低いのも彼女がかなり怒っている証拠だ。


 「碇くんはお母さんを泣かしたわ・・・・お母さん、会うのを楽しみにしていたのに」


 さすがにアスカも茶化す気ははないようで聴き側に徹している。

 レイにしてみれば母親を泣かしたのは他でもない事実であって、それだけが大事なのだ。

 ユイ>アスカ・ミサト>ゲンドウ・シンジ というのが今のレイの中での順位である。故にユイを泣かしたシンジは悪い、と思っていた。

 シンジの消えた三年間、という時間は長かった。

 二人目と三人目の記憶は持っているものの、レイの中で“シンジ”は情報に過ぎず、未だに直接会ってさえいない。

 二人目にとっては重要な人物だったらしいが自分は関係ない。

 ドグマのバックアップが消えた今、自分こそが“オリジナル”であるとレイは自負していた。


 「そういえばリツコは?」

 「さあ」


 先の対面のとき、リツコだけはシンジと普通に接していたことをミサトは思い出した。

 まったく他人行儀なシンジだったがリツコに対しては物腰が柔らかかった気がする。彼女ならばなにか知っているのではないかと思ったのだが。

 ちょうどこのとき、リツコはシンジと酒を飲んでいる最中だったが、それをミサトが知る術はない。


 「んーもう! 独房から出てきたらとっちめてやるわ!」

 「でも、早くても明日までは出てこないんじゃないかしら。指令、カンカンだったし」

 「なによ、ミサトの権限で面会くらいはできるでしょう?」

 「ちょっち無理かな〜。減俸喰らいたくないしね」


 なはは、と引きつった笑いを浮かべるミサトが哀れに思えたアスカはそれ以上無理を言うことはやめることにした。

 さすがにアスカも遠慮というものができてきたようだ。


 「それじゃあ。わたしはお母さんのところに行くから」

 
 空き缶をゴミ箱に捨てるとレイは立ち上がる。ユイがショックで寝込んでしまったのでお見舞いに行くのだ。

 今もゲンドウが付きっ切りで看病しているのだが、たいして効果はないらしい。

 仕事を押し付けられた冬月は机の上で呪詛を吐いているそうな。

 アスカとミサトも仕事に戻るべく席を立ったそのとき、本部内を懐かしい音響が木霊した。


 『非常警報!?』


 警報が鳴るのは実に三年ぶりである。

 二人は顔を見合わせるとダッシュで発令所へと向かうのだった。








 「・・・・なにかあったのかしら?」


 リツコは酒に酔った頭をフル稼働させる。勤務時間に飲酒したことがバレるといささかまずい。

 警報が鳴ったということは発令所に向かわなければならないのだが、今は酔っ払ってしまっている。無事にたどり着けるのかさえわからない。

 「そうですねえ・・・・」シンジは酔ったリツコを支えながらなにか考えるそぶりをする。「お酒の匂いはどうにもできませんけど」

 リツコを正面から見据え、シンジは彼女の額に軽く手を置く。


 「よく聴いて、リツコさん。あなたは酔ってなどいませんよ?」

 「なにを言って――――――」

 
 シンジの言葉が終わると同時に軽い高揚感。そして数秒後には酔いなど完璧に消えうせていた。
 
 驚愕するリツコを見てシンジはクスクスと笑う。悪戯に成功した子供の表情のそれだ。


 「どういうこと?」

 「くすくす。なにもしていませんよ」

 「へえ・・・・百年の恋も冷めるっていうけど、わたしの酔いは数秒で醒めるものだったのね」


 ニヤソ、と怪しい笑いを浮かべるリツコにびびったのか、乾いた笑いしか出せないシンジだった。


 「それより行かなくていいんですか、発令所」








 「状況は!?」

 「旧東京上空に未確認生物が現れました! 映像、出ます!」


 発令所のスクリーンに映し出された巨大生物。

 トカゲを模した巨体は一対の羽を羽ばたかせて上空にたたずんでいる。映像からでも感じる威圧感は神話のそれに違いない――――――!


 「ド、ドラゴン!?」


 ざわめきをが上がった。使徒という巨大生物と戦闘の経験があるNERVでも衝撃は大きい。

 倒してきた使徒は異質な格好ばかりだった。だが、この生物はどうだ。

 生命の伊吹を感じさせる面構え、悠然と羽ばたくは鋼鉄のような羽。

 まるでSF! これがLIVEだと言って信じる者はそういないだろう。そう、この場にいるNERVの面々を除いては。


 「パターンブルーの反応は?」

 「ありません。しかし熱量などが観測されています。間違いなく存在しています、このドラゴン」

 「なんてインチキ・・・・!」


 「悪いわね、遅れたわ」発令所にリツコが入ってきた。酔いを醒ましてもらった彼女は口臭を消すべく自分の研究室を回ってきたのだ。

 スクリーンに映し出されたドラゴンを見て表情を険しくするリツコ。マヤの後ろに回りこんでディスプレイに映し出された情報を読み取る。

 その表情は心なしか笑っているようだった。

 
 「現時点を持ってこの生物を“規格外OOパーツ第壱号”と名称します。よろしいですね?」

 「ちょ、OOパーツって」


 どもるミサトを無視して視線を司令席へと向ける。

 そこにユイがちゃっかりといるのに吹き出しそうになりながらも真面目な顔を作ることに成功した。危ない危ない。


 「許可する」


 そんなリツコの葛藤を知るわけもなく、威厳たっぷりゲンドウは許可を下した。内心「オレとユイの生活を邪魔しやがって」などと毒づいているに違いない。

 規格外OOパーツ第壱号――――――長いのでOOパーツ壱号は破壊活動をするわけでもなく、ただそこにいるだけであった。

 あのでっかい羽を羽ばたかせているのだから周囲はものすごい強風なのだろうが。

 これが市街地に現れでもしたら――――――嫌な想像にミサトは顔を青くした。後ろにいるアスカも同じことを考えているのだろう。

 サードインパクトの混乱からやっと戻ってきた日常だ。それをやすやすと壊させるわけにもいかない。

 だが敵の詳細がわからない以上、うかつに手を出すわけにもいかなかった。


 「ふ、付近の戦自基地よりVTOL式戦闘機が飛び立ちました!」


 マヤからの報告にゲンドウは口を吊り上げる。

 
 「ふむ。戦自も気づいたか・・・・現代兵器が効くか否か」

 「使徒でない以上、ATフィールドは持っていないでしょう」


 冬月の問いにユイが返す。

 ATフィールドがないのならばN2で倒せる可能性も十分にある。さすがに戦闘機数機では無理かもしれないが。


 「戦自VTOL、接触まで3万4千」








 独房内。


 「僕は想う、君は美しいと。僕は想う、君が欲しいと」


 グラスを片手にシンジはベッドに寄りかかっていた。酔いも良い感じだ。飲みすぎて気持ち悪いということもない。


 「ただ君を想う。もし願いがかなうのならば、僕は君の全てが欲しい」


 唄う。

 観客は漆黒。唄うは漆黒。

 誰にも聴かれることもなく、その唄は闇へと霧散して消えた。

 後に残るは碇シンジの余韻のみ。


 「美しい唄。美しい絵。美しい愛。ヒトはこんなにも美しいものを産み出しているというのに――――――」


 シンジは微笑んだ。それはかつての渚カヲルの表情でもあって。けれど彼とは決定的に違うものがあった。


 「――――――なんて醜いものなのだろう。そう思いません?」


 誰に言うのでもなく、彼はつぶやいた。

 むろん、その答えを返す者はこの場にはいない。







 
 「・・・・は?」


 そんな間抜けな声を発したのは誰だったのだろうか。

 戦自のVTOLがよもやOOパーツ壱号と交戦するかという距離まで近づいたとき、壱号の姿は突如として消えたのだ。忍者○ットリくん?

 視覚はともかく、その他の反応も一切消えた。まるではじめからなにもなかったかのように。

 VTOLも混乱しているのだろう。その空域で旋回を繰り返している。今は指示を仰いでいる最中のはずだ。


 「どういうこと・・・・?」

 「交戦もせずに消えた・・・・様子見、だったのかしら」


 使徒でさえ一度現れたらなにかしら反応を見せていたというのに。

 今回はただの様子見、そうだとしたらあのドラゴン――――――規格外OOパーツ第壱号にはそれなりに知恵がある、ということになる。

 もしそれが事実だとしたらこの上なく厄介だ。知恵と力、この二つを持つアレを止めることができるのだろうか。


 「あなた・・・・」

 「碇・・・・これは不味いことになってきたぞ」


 不安がる副指令二人を尻目にNERV総司令は断言した。


 「ふっ、問題ない」


 この男、自分とユイさえ生きていたら、他のことなどかまいはしないのだろう。

 ある意味、もっとも人間らしい人間なのかもしれない。

 

 かくして、人類の二度目の戦いの火蓋は気って落とされたのだった。

 今回の敵は――――――やはり“人類の”敵なのだが。






 ■ 第一幕「チルドレン」に続く ■










 〜あとがき〜


 これにて序章である「はじまりの唄」編は終了です。

 次から本編がはじまりますです。

 期待せずにお待ちください。