日の光を遮る巨大な物体がある。

 地面から生えるように出現したそれは、肩を固定していたボルトが外れると共に前傾の姿勢をとった。獲物を狙う肉食獣のようだ。兜に覆われた素顔は見えないものの、ぎらつく双眼は遠目からもよく見て取ることができた。今にも駆け出さんと身体を沈めると同時、しなやかな動きで巨大な足はコンクリート舗装された地を蹴った。

 爆音だ。

 巨大なヒト型が発する駆動音、大気をすり潰すことによる破裂音。それらが同時に起こったために、耳にはただの爆音としか理解されない。

 鎧を鳴らし、手甲を軋ませ、紫の鬼は駆けた。

 そして初号機の遥か後方――――――開発区の端に至る郊外に、蒼の巨人も次いで姿を見せる。



























 
神造世界_心像世界 第三十幕 「紅き鼓動は灼熱に燃え」


 























 碇レイは小さくなっていく紫の甲冑を視界の端に収めながら、パレット・ライフル弐型を構える。三年前に使用したものとほぼ同様の作りだが、バレル部分を強化・拡張したことによって威力と命中を向上させている。電磁加速によって打ち出すレールガンだ、光の速度には届かないものの発射速度の上限はない。しかし弾丸が問題で、あまりにも高速で打ち出すと摩擦熱によって着弾前にプラズマ化してしまう。

 以前より造形が細長くなったライフルはさながら突撃銃だ。連射性を捨て、単発の効果を高められたもの。

 山の一つや二つ、優に打ち抜く凶器を手にしていても、レイは蛇を前にした蛙の心境だった。いくら敵には有効だと考えても、自分が持っているライフルが豆鉄砲に思えてならない。きっと、どんな種類の得物を持っていても、この気持ちが変わることなどありえないだろう。

 今更ながらに、手が震える。

 シンクロはその震えさえも忠実に再現した。零号機の巨大な手が病的に微震する。久しく味わっていなかった戦場だ。シュミレーションを繰り返していたとはいえ、実戦と仮想は根本から異なったものだ。

 一切の躊躇もなく駆け出していった碇シンジが信じられなかった。

 彼は怖くないのか?

 狙われ、命を握られている状況を恐れもしないのか?

 勇敢と無謀は紙一重だ。シンジは考えなしに突貫したのか、或いは策を持って接近したのか。作戦は聞いている。ファーストチルドレン、零号機はサポートに徹し、サードチルドレン、初号機は高機動をもってひたすらにかき回す。止まったら即死だ。金剛石ダイヤモンドさえ切り裂くとされたかぎ爪の一撃は並みではない。

 
 『レイ……十時の方向、距離2300』


 聞くまでもなく見えている。いや、感じている。圧倒的な存在感だ。大山を前にしたような、途方もなく自分が小さくなってしまったかのような錯覚を覚える。この距離にして強烈なプレッシャーだ、眼前に出て自由に動ける自信はなかった。

 逃げ出したい気持ちに駆られ、けれど歯を食いしばって思いとどまる。

 ……お母さんを守るの。

 自分が逃げ出したら誰がユイを守るというのだ。顔も知らない誰かに彼女を任せる訳にはいかない。何より通常兵力で黒死龍を倒せるはずなどない。ならばやらなければ。自分がやらなければ。レイの後方には何物にも代えがたい天国があるのだ。それを守るために命をかける。それに躊躇などあってはならない。

 ギリ、と歯を軋ませて、目つきを鋭く。

 望遠で表示された闇の化身は酷く禍々しい。吐き気を催すおぞましさだ。

 けれど胃を力んで口を引き締め、吐き気さえも呑み込んで照準を合わせていく。

 初弾、当たるか――――――

 手元のスイッチを押すと同時、手元のライフルが火を吹いた。









 

 前方に収められた黒い体が反転し、シンジの方へ向き直った。これだけの騒音を撒き散らして爆走する巨体だ、気づかれても何らおかしくはないのだが、せめて手が届く距離に至るまでは見逃してくれてもいいだろうに、と場違いな願いは儚くも適わなかったようだ。踵を返して逃げる訳にもいかず、腹を決めて直進。

 我がことながら、天晴れな特攻だな、とシンジは苦笑した。

 倒壊しかけているビルが、通過する衝撃で吹き飛ぶ。風を纏った悪鬼は暴走機関車よろしく、ただ我武者羅に突き進むだけだ。傍目から見れば鉄砲玉か、ただの馬鹿だ。

 目線だけを寄越した竜が羽ばたく。

 砂埃を巻き上げて上昇する体。たった一つの羽ばたきで地球の重力を断ち切った彼は、勢いを乗せて風を掴む。

 目前に迫るは前傾姿勢の初号機だ。減速もしない力任せの突撃。文字通りの神風アタック。だがそれだけに強力だ。遠距離への攻撃手段が限られている竜には、咄嗟に反撃するだけのレパートリーがない。故に選択するのは回避。慣性を伴った衝撃が並大抵ではないのは考えもせずに分かることだ。

 
 「うおあぁあああっ!」


 搭乗者の叫びに合わせるように初号機も続いて吼える。野太い咆哮は野獣が如く。だが吼えたのは注意を促すためのクラクションなどではない。

 気合を入れるためだ。

 声を出すことによって恐怖を打ち消し――――――シンジにはないものだが――――――思考を置き去り本能に身を任せる。

 血が沸いた。

 脳がスパークした。

 忘れていた感情を擬似的に思い出し、歓喜と恐怖を混ぜ込んだシンジはビルにぶち当たった。だが先程まで居たはずの竜はすでに逃げおおせている。

 空中だ。

 いきなり突っ込んできた巨大なヒト型を、どこか怪訝そうに見据えながら、高度を上げていく。理解不能な行動を取ってきた。高度な知能を持つ竜には、それがただの突貫攻撃だとは思えなかった。いや、それよりもこのヒト型は敵なのか、という疑問が最初に浮かぶ。常に自分に向けられていた、負のベクトルの感情が感じられないからだ。憎しみや恐怖、その他一切の感情がない。

 まるで誤ってぶつかってしまったような、そんな自然さだ。悪意もなく、敵意もなく、意識的でもない。ならば必然的にそれは無意識的になる。

 目測も適わない距離に居る敵の殺気さえも嗅ぎ分けるそれだが、目前のヒト型には適わないものだった。

 故に反応が遅れた。

 悪意のない攻撃は赤子の戯事だ。

 衝撃で倒壊したビルの瓦礫の下には先程のヒト型が居るはずだ。注意深く視線を寄越し、それを見極めようとした、そのとき。

 強い殺気。

 そして恐れ。

 考えるよりも早く、身体が反射的に回避運動を取った。力強い羽ばたきは地上の瓦礫を吹き飛ばすと同時、主の位置を右後方に跳ね上げる。掻き消えるようになくなった位置に来るのは灼熱を纏った弾丸だ。三点バーストで発射されたそれは的を射ることもなく大気を穿っただけだった。

 瞬時に位置予測。

 右の位置、遥か彼方。灰色と鉄色のビル群の中に、蒼いヒト型がぽつねん、と単機でライフル銃を構えていた。

 ――――――あれだ。

 地上から水平に身を直し、羽の揚力でそのまま空を突き進む。彼は空の王者だ。奪ったのでもない、掠め取ったのでもない。最強たる彼の後を、空が自分からついてきたのだ。蒼い空間を配下にした竜は行く。狙いは蒼い巨人。空ならば溶け込んだであろうその色彩も、地上では保護色にもなりはしない。

 ……地に足をつけながらも空の色を冠するとは、いい度胸だ。

 そう言うかの如く、一直線に向かっていく。

 加速するための距離が少ないために速度は出ていないが、優に時速200キロオーバーはくだらない。地上に居る人間からは目視も適わないスピード。視野を広く持っている遠方の零号機でさえ、気を抜くと一気に目前に迫っていた、なんて事態になりかねない。

 低い姿勢のまま移動を開始する。レイは正面にライフルを抱えたまま、二回、三回とトリガーを引いていく。しかし放たれた弾丸は容易に回避されてしまった。

 向かっていく弾丸と迫りくる黒死龍。相対速度は凄まじいものになるというのに。

 異常な反射速度だ。

 ただ直感で避け続けているその動きも、傍から見ればこの上なく美しい舞のようだ。翼と三尾を使って風を操り、姿勢制御も合わせれば直角にでも急旋回してみせる。必然的に襲ってくる急激なGも、漆黒の強靭な肉体の前にはそよ風に等しい。

 移動しながら射撃を試みている零号機をじわじわと追い込むように竜は距離を詰めていく。

 全弾を打ちつくしたライフルからマガジンがイジェクトされる。これを好機と見た竜は接近を試みた。地表すれすれを掠めるであろう、急降下も合わせて、だ。重力も手伝って竜は天から堕ちる彗星の如く。
 
 後方サポート用の装備である零号機には、近接戦闘での強力な武器はない。










 異常に五月蝿い心臓の鼓動を感じる。レイの目は正面モニターに映された黒死龍を凝視していた。早く、早く。マガジンのリロードは意識するまでもなく、その動きは記憶されたものなので手元のスイッチ一つで済む。が、交換し終えるまでにはマニュアル同様時間がかかる。いかにオート操作の無駄のない動きとはいえ、一瞬で作業が終わるはずもない。

 その工程にかかる数秒間が命運を分かつ。

 彼女の頭の中はすでに近接戦闘用に切り替わっている。できるならすぐにでもライフルを捨ててしまいたい。しかしリロードボタンは押してしまった。緊張感からくる判断ミスだ。己の失敗に悪態をつく暇もなく、両手はリロード作業を行っているのでそのまま、ウェポンラックを展開。プログレッシブ・ナイフを抜く前準備を整えておく。

 コンマ数秒の判断だ。あと二秒としないうちに相手の攻撃範囲キル・ゾーンに突入する。レイは黒光りするかぎ爪を思い出し肝を冷やした。単純な暴力。鋭い刃で、ただ切りつけるだけの、一撃必殺だ。シンクロシステムのせいで、首筋や心臓付近、人体の急所を抉り取られれば、死なないまでも気絶すること間違いない。

 そして意識を失ったまま死ぬことになる。

 ある意味死の恐怖はないが、その直前にショック死するような痛みで気絶しているのだから笑えない。

 ガキ、とようやくリロード作業が終わった。しかしライフルを構えて引き金を引くのにかかる時間さえも惜しい。右手でライフルを投げ捨てる動作を初め、左手はナイフを迎えに行く。片手で竜の斬撃を受けることになるが、贅沢を言ってもいられないのだ。

 その間も視線は竜から離さない。

 気持ち悪いくらいに赤一色の目だ。白目と黒目の境がないそれは、眼孔にトマトを埋め込まれたようで、生理的嫌悪感を感じずにはいられないものだった。

 ……赤色は嫌いなの。

 考えたのか口に出したのかも曖昧なまま、ただレイはそう感じた。

 右手の重量が消えた。ライフルを手放したのだ。左半身を向ける体勢で、半身になった左手には高振動粒子刀プログレッシブ・ナイフが握られている。物体を分子レベルで切断するものだ、黒死龍のかぎ爪に抵抗できるかもしれない。

 掌より僅かばかり長いだけの刃部分は、なんとも心もとなかった。

 集中。これだけの面積で受けきらなければならない爪は三倍以上の長さだ。短いよりはマシかもしれないが、その振るわれる速度が並みではない。見極めなければ初撃でやられてしまう。

 できるか。いや、できなければ死ぬだけだ。

 覚悟を決める。最も重要な初撃。これをどう捌くかによって、後のテンションの優劣が決まるというものだ。できることならかわし、そのままナイフを切り付けたい。しかしかわすのは賭けだ。しかも負けたときには目も当てられない。

 五月蝿かった鼓動の間隔が広がっていく。

 流れていた景色がスローになっていく。

 大口を開け、咆哮する黒死龍が目前に迫る。

 直後。

 黒い巨体は無理やりに方向転換を余儀なくされた。









 「ナイスッ!!」


 コンクリート塊の一撃を受けた黒死龍は、もんどりうって地上に墜落した。まったくの不意打ちだったようだ。ミサイルやら機関砲やらを視線もやらずに避け続けていたのが嘘のような直撃弾だった。

 発令所、レイが狙われた時には心臓が止まるかと思ったものだ。ユイは震えが止まらないようだし、ミサトも冷や汗が流れっぱなしだ。

 唯一クラッキングチームだけがこの雰囲気から外れていたが、周囲の緊張感と悲鳴ともつかない声が耳に入るために、マヤも含めて全員が気が気でない。しかし席を離れるわけにも作業を中断するわけにもいかず、思考の片隅で十字を切ることしかできなかった。

 
 「シンジ君、そのまま牽制を続けて!」

 『了解』


 コンクリートを投げつけたのは他でもない初号機だ。拳大の塊は砲弾よろしく、爆発しないまでも衝撃は直に伝わる。弾切れが起こる重火器を持つよりも、近接戦闘で距離を取った瞬間、落ちているコンクリートを投げつけてやればいい。レイはサポート専用なのでそうもいかないのだが。

 投げつける重量級の砲弾は周囲にゴロゴロと転がっているから弾切れの心配もない。

 初号機は移動する投石器の如く、大気を唸らせて標的を砕こうとする。


 「……変ね」

 
 テンションゲージが上がっていくミサトとは対照的に、リツコは氷の観察眼を光らせる。

 おかしいのだ。今までの攻撃は見透かされていたようにかわされていたのに、シンジの突貫、投石は共に成功したと言っても構わないのだ。レイの狙撃は容易くかわされているのに、だ。

 恐らく関係しているのは――――――殺気、だろう。


 「OOパーツは感情に敏感……だから未来予測じみた回避が可能なのかしらね」

 「だったら全自動にして機械砲撃すればいいじゃない」


 画面上では再び距離を取った零号機が射撃を始めていた。後退する際に落ちていたライフルを拾ったのだ。近接する初号機に被弾しないよう、神業的なサポートで狙い続けている。さすがに二対一は竜でも苦しいようだ。


 「でも、神話上でも竜は勘のいい生物として書かれているわ。殺気の感知、あとは直感。二重で予測を行っているんじゃないかしら」


 両腕で身体を抱きながら、ユイが付け加えた。


 「……今更だけど、反則的よね、ドラゴンって」

 「伊達に生物の頂点に立っているわけでもない、ということなんでしょ、ミサト」


 リツコはクラッキングチームに目をやり、それに頷いて答えるマヤを見て、電子戦は大丈夫だろうとあたりをつける。もう自分が加わらなくても十分なはずだ。視線を戻すのは正面モニター。ソニックブームを破裂させ、空に逃げようとする黒の竜に初号機は追いすがっている。

 後退しながらの上昇だ。

 逃がすまいとレイの射撃が続くが、これは余裕をもって避けられてしまった。

 そのやり取りを傍目に金髪を右手ですく。状況は五分五分だが、決定打がない。シンジの攻撃が決まればいいが、先の戦闘で学んだのか、初号機には近づかなくなってしまった。むしろ積極的に逃げている感覚さえ覚える。逆にレイに攻撃を加えるようになっており、下がる零号機を執拗に追い掛け回している。

 追う初号機、逃げる黒死龍、その竜から逃げる零号機、蒼の背を切り裂かんとするかぎ爪。

 ジリ貧だ。

 バイタルモニターレイのじょうたいを見ても、極度の緊張が目立っている。長期戦は期待できない。その上、零号機はS2機関内蔵型ではないのだ。アンビルカルケーブルは行動範囲を制限し、高機動という足を潰す。初号機が驚異的な運動能力を発揮できるのもS2機関の恩恵だ。

 
 「<槍>の準備は?」


 モニターに視線をやったまま、ミサトが問うた。

 使えるのは<A.A>を除外すれば二本しかない。ロンギヌスは貴重で、手元に置いておくだけでも頼もしいものだが、現在NERVでは量産体勢が整っておらず、全てを使い切れば二度と作り出せなくなる可能性があった。データは取ってある。しかし現物があるのとないのでは全く状況も違うのだ。

 マヤの代わりを勤めているオペレーターがコンソールキーを叩きながら、


 「ロンギヌス・コピー、壱号、弐号、及びに<A.A>、全ての射出準備は終了しています」

 
 その言葉にミサトは顔をしかめた。


 「アレの準備もしてるの……?」

 
 ええ、と無表情でリツコが頷く。彼女たちのやり取りを見守っていた上方のユイは、聞きなれない単語に興味を持った。隣に居るゲンドウが何も言わないということは、すでに承認されている兵器なのだろうが、技術部顧問である自分が知らないものだ、どのような兵器なのか非常に気になる。

 声をかけようと口を空けた瞬間、警告音が先に鳴り響き、モニター左下、零号機の稼働時間が<∞>制限なしから<7:00:00>に切り替わった。

 ケーブルが切断され、内部電源に移行したのだ。

 
 「レイッ!?」


 彼女の母親の悲痛な叫びが木霊する中、NERV通路を長い金髪を翻して発令所に向かう、一人の少女の姿があった。









 後方に跳んでいくケーブルを流し見しながら、レイはきつく唇を噛んだ。

 ……偶然じゃない。

 狙っていた。竜は確信を持って攻撃してきたに違いない。背中から伸びるケーブルは、蒼の巨人の命綱だと。

 ライフルで射撃しながらの後退の際、レイはアンビリカルケーブルを庇って逃げていた。それを竜が感づいたのだ。その恐るべき観察力がレイには仇となった。すでにリミットは刻々と迫っており、ちら、と目をやったときには<6:32:24>を過ぎるところだった。迅速に電源ビルまで移動して、ケーブルをつなぎ直さなければならない。

 単独で逃げ切るのは到底不可能だ。


 「碇くん……!」

 『分かってます。僕が引きつけますから、その間に』


 上昇し、降下してくる巨体。すでにレイは背を見せて走り抜けている。最早なりふり構っていることはできず、一目散に次の電源ビルを目指すだけだ。脱兎の如くとはこのことだろう。

 だが、彼女は己の背中を任せたシンジにはいい感情を持っていなかったはずなのだ。しかし今の心境は、彼に任せれば安心だと、自身でもよく分からない信頼感が満たしていた。だから自分は走るのに全力をかける。電力消費の激しい、高機動モードで一気に開発区を駆け抜けた。

 予備の電源ビルが目前に迫る。

 半ばから切断されたケーブルを引き抜き、ビルにある予備ケーブルに手を伸ばした。









 シンジは笑みを浮かべていた。

 楽しい。

 楽しい、と考えている。

 目の前に居るのは最強の生物、ドラゴンであり、殆んど薄皮一枚くらいしか効果のない装甲を隔てて対峙しているのだ。これで楽しくなかったらなんだというのだ。禍々しい面構え、触れただけで切り裂かれそうな体表、鋼鉄さえ刺し穿つくろがねの三尾。全てのパーツが凶悪で、全身凶器とはまさにこのこと。

 向けられた目線は鮮血の凶眼だ。

 心臓が打ち鳴らされているのが分かる。ドクドクと急ピッチで血流を送り出しているのが分かる。

 操縦桿を握る両手に力をこめる。

 跳躍した。

 降下してきた竜と同高度まで飛び上がった初号機は、背後にATフィールドを展開する。そのオレンジ色に発光する絶対不可侵の壁を、足場として蹴り殴った。慣性が上昇から前進へと切り替わる。頭部の角を突き出しての突貫だ。僕って捨て身技が好きなんだね、とシンジは苦笑する。

 予測外の攻撃に戸惑う雰囲気が感じられる。竜は赤い目を見開いた。


 「あああああああああああああああああ!!」        
 「ヒアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」

 
 ドガン、と鋼鉄同士が激突し、眩い火花が散る。逃げていく衝撃を身体ごと絡めることで阻止した初号機は、きりもみしながら落下していく。数秒の滞空。ここからは位置の取り合いだ。下方になれば墜落のダメージをモロに喰らってしまう。二つの巨体は上方の位置を奪おうと取っ組み合いになり、


 「ギ、ア……!!」


 黒死龍が大口を開いて悶絶した。竜は下敷きにされていた。落下の速度、自重、さらには初号機のぶんまで上乗せさせられたその衝撃は凄まじいものだ。目立った損傷はないものの、体内の器官はいくつか内臓破裂を引き起こしていた。背骨も軋み、ひびが入っている。本来ならば頚椎を損傷して行動不能になるそれも、強靭な外殻の恩恵もあって免れることができた。

 ここに来て竜は再度実感する。

 目の前の巨人は、紫の鬼は、殺気も怒気も恐怖もないが、明らかに敵対行動を取ってきている。無意識的に繰り出される攻撃は予測がつかず、直感もなぜか当てにならない。

 ……間違いなく、強敵だ。

 脳で下された判断は一瞬だった。最優先に警戒すべきは目の前の巨人。紫の鬼神。

 敵だ。

 圧し掛かられ、骨格が軋み、腹の中が重い。

 目の前の敵だ。

 排除しろ。



     『殺せ!』
                                『殺せ!』
                                                             『殺してしまえ!!』



 頭の中で響くのは不特定多数の誰かの声だ。男でもあるし女でもあるし、老人でも子供でもある声だ。中でも際立ってノイズ混じりに聞こえてくるのは少女の声。泣き叫んでいる。どうして、と声を張り上げている。彼女はこの世が憎かった。彼女はこの世を呪っていた。殺せ、と彼女が口角泡を撒き散らして怒鳴った。

 反論する余地もないし、その意見には竜も賛成だった。

 邪魔だ。

 邪魔者を排除し、自らの使命を果たさなければ、と。

 ……使命?

 使命とは何だ。唐突に浮かんできた単語は聞き覚えのないものだった。自分は単独で動いている。故に行動理念も理由もなく、ただ存在しているだけだ。ならば"使命"とは一体。

 疑問を疑問と認められぬうちに、黒死龍は口内を熱で満たした。









 「――――――あ」


 一瞬の高温が過ぎると、襲ってきたのは恐ろしいほどの空白感だった。竜の巨大な顎を押さえつけていた両手が、いや、両腕が二の腕まで消失している。ブスブスと立ち上るのは肉を焦がした余韻だ。吐き出された火炎を浴びせかけられた両腕はすでにこの世にはない。

 マグマさえも数秒は堪えた装甲を、当たり前のように蒸発させたのだ。

 理解するのに数秒を要し、次いで襲ってくる激痛に絶叫を上げようとしたところを、思い切り吹き飛ばされる。両腕がないので受身を取ることもできない。ビルに突っ込んだシンジは顔を歪めて息を漏らした。

 ……すごいよ。

 痛みに涙を流し、消失感に胃を痙攣させ、

 ……すごいよ。

 なくなった両腕を楽しそうに眺め、

 ……僕は生きているよ。

 クツクツと喉を鳴らし、

 ……とても精一杯生きてるんだ!!

 近づいてくる鼓動を感じながら・・・・・・・・・・・・・・


 「こんな素晴らしい人生はない! そう思うだろ、アスカ!!」


 初号機の息の根を止めようと、迫りくる黒死龍をATフィールドの断層で切り裂いたのは、彼女が駆る紅の巨人だった。


 『その通りよ!』


 血飛沫を撒き散らして断末魔の叫びを上げる黒死龍に、勢いを乗せた回し蹴りを叩き込む。三人のチルドレンの中で、最も格闘戦に優れているのがアスカだ。見本のような蹴りが決まった。飛沫は蒼い空を鮮血に染め上げ、紅の装甲をさらに赤く染めていく。

 汎用ヒト型決戦兵器、エヴァンゲリオン弐号機を従えるのは、惣流・アスカ・ラングレーだ。


 『シンジに負わせた傷のぶんまで、きっちり仕返ししてやるんだから!』


 互いに共鳴していく興奮を糧に、恐怖の黒を塗り潰す。その色は、燃えるような紅だった。


 「――――――いくわよ、シンジ!」
 「――――――いこうか、アスカ!」







                                           ■ 第三十一幕 「慟哭回旋曲」に続く ■