神造世界_心像世界 第二十七幕 「始まりにして終わりの」







 どうしてこんなことになってしまったんだろう。両手と両足を組み敷かれながら、洞木ヒカリはそう考えた。

 何か気に障ることをしたのか。

 何か大事な理由があるのか。

 スパークする頭で考えても、答えは一向に出ることがない。

 しかし、あの人の目を見たら、自然と納得できてしまったのだ。

 
 
 ――――――なんだ、そういうことか。



 気づくと、いかに自分が馬鹿な考えをしていたのかが分かった。

 その笑顔も。

 その優しさも。

 包み込むような、彼の抱擁も。



 ――――――全てが、偽りのものだったのだ。










 湿った空気が充満していた。じめじめとした感触は不快感を与え、それだけで不安感を煽る。居心地の悪さは凄まじい。十秒とこの場に居ようなら、気分を悪くするに違いない。

 それが、常人だったならば。

 薄暗いそこには運動用具がすし詰めされている。汗を吸った布製品が湿度を増す一役を買っているらしい。棚と銘打つ場所には限界まで道具が押し込まれ、隙間もないので、次に使用する際には取り出しに苦労するだろう。だが嫌々と片付ける人間は、そんな事情など知ったこっちゃないと考える。

 棚の下には空きがあり、平均台がしまわれている。

 跳び箱とボールを纏めた収納台は大きすぎるので、惜しげもなく領域を占領していた。だが今は邪魔な物としてどけられている。代わりにマットレスが敷かれていた。

 そこは、体育用具室だった。

 人間が数人も入れば足場もなくなる広さで、内部の大部分を用具に占領された場所なら当然のことだ。授業があるときにのみ扉が開けられ、それ以外は用具の盗難対策のために鍵が閉められている。一般的に体育館に設けられた設備同様、ここは生徒個人に開放されていない。授業を除けば、好き好んで用もなく訪れる場所ではなかった。

 昼休みも半ばに差し掛かった頃、無人であるはずの用具室では、一人の少女が男たちに組み敷かれていた。

 制服が乱れるのもお構いなしに抵抗するのだが、如何せん力の差がありすぎた。各所の関節から押さえられては満足に動くことさえ適わない。涙を目に浮かべて、少女、洞木ヒカリは縋るような声を出した。


 「いやっ、やめて! 先輩! 先輩!」


 男たちが何をしようとしているのか――――――子供ではないヒカリには、容易に想像できた。

 彼らは皆、三年生の証である、赤色が入ったネクタイをしている。四人はそれぞれが手足を押さえつけて、今か今かと息を荒くしている。興奮した彼らには、ヒカリなど性欲を満足させるための肉人形にしか見えていないに違いない。

 ただ一箇所だけ自由な首を動かし、すぐ横に居るはずの恋人、柊シュウゴを探す。

 彼は無言で足を組んでいた。跳び箱に腰を下ろしたシュウゴは、異常な熱気の中で一人、冷めたように傍観を貫いている。ライオンを檻の外から眺める、まさにそんな状況だ。

 遡ること二十分前。

 教室で談笑していたヒカリの元にメールが届いた。送り主が『柊シュウゴ』とあるのを見て、彼女は舞い上がった。ここ最近、彼から電話もメールもなく、こちらからかけてもすぐに切られる始末だったのだ。久しぶりに送られてきたメールを開くと、『これから会えるかな。場所は体育用具室で。勉強で我慢していたから、溜まりっぱなしだよ』と、あった。

 ……先輩、禁欲してたんだ。

 受験勉強だという理由から、ヒカリと会わなかったシュウゴだ。さぞかしムラムラしていたに違いない。彼女は苦笑すると、替えの着替えを持って教室を出た。もしかしたら、人気のない用具室で行為に至るかもしれない。赤くなりながら、「でも、先輩のためだもの」と自分で言い訳を呟いた。

 昼休みの廊下は賑わっていた。

 走り抜けていく男子生徒を避け、ふと、親友が言っていたことを思い出した。


 『ヒカリの彼氏……ホテル街で、見かけたのよ』


 続ける言葉を遮って、ヒカリは怒鳴った。先輩はそんな人じゃないと。何かの間違いだと。そんなの、人違いだと。証拠を見せると言うアスカを突き飛ばし、泣き喚いた。さすがにこれ以上は無理だと分かったのか、アスカは謝罪すると、それ以来、シュウゴの話はしなくなった。

 仲直りはしたが、未だにぎこちないのは仕方がないだろう。

 ヒカリは手を握った。命一杯否定したものの、シュウゴを疑ったのも事実だった。何より会ってくれないという事実が不安を煽り、アスカの一言が決定打となった。過剰な否定はその裏返しだ。そうでもしないと本気で疑ってしまいそうだったから。シュウゴを信じつつ、心では隠しきれない疑心が芽生えた。

 だがそれも、杞憂だったようだ。こうして自分を求めてくれる。勉強に集中するために禁欲していたのだ。きっと今日は息抜きか何かだろうが、ヒカリはそれでも構わなかった。シーズンが終われば全て元通り。大学に進学した先輩とデート。今より、少しだけ大人な雰囲気の場所で食事とか、考えると胸が踊った。

 着替えの下着が入った紙袋を抱え、用具室の前に立つ。手をかけると、錆びついた扉が音を立てる。

 扉が開いた。

 中から出てきたのは硬い感触の手だ。口を押さえられ、体ごと引っ張られる。そのまま投げ出された後には、マットレスの上だった。顔をしかめて顔を上げる。見慣れない男たちが見下ろしていた。「ヒッ」と声を漏らす。反応を楽しむように、「ははは」と数人が笑った。

 身の危険を感じたヒカリは立ち上がろうとした。それも、虚しく力で押さえつけられ、身動きが取れなくなる。

 ここにきてようやく――――――彼女は、己が状況を悟った。


 「先輩っ、た、助けて……」


 視界の右上に移るシュウゴ。最後に見たときと変わらない笑みを浮かべ、


 「嫌だね」


 口元を崩し、助けを跳ね除けた。
















 弁当を片付け、手を洗ってから教室に戻ってきたアスカは、先程まで居たヒカリの姿がないことに気づいた。トイレに行ったのかと思ったのだが、数分経っても戻ってくる気配はない。少し前まで、談笑していた女子生徒に声をかける。聞くと、誰かに呼び出されたのか、紙袋を持って出て行ったのだという。それとついでに、久しぶりの笑顔だったと。

 礼を言い、アスカは自分の席に戻った。ぽっかりと空いた親友の席。つい最近、彼氏のことで怒らせてしまったことを思い出す。一応、和解はした。だが、釈然としないものを感じているのはアスカだけでなく、ヒカリも同じだったはずだ。

 過剰な否定は、己を誤魔化すためだ。

 近い経験があるアスカには分かる。三年前、今のヒカリより酷かったのだから。否定は拒絶となり、拒絶は暴力へと姿を変えた。

 全ては自分のせい。だけど、それに気づく余裕さえもなく。

 視界が狭くなった状態では、周りのことなど少しも理解できないのだ。故にアスカは自壊し、完全に壊れた。今のヒカリも危ない状態だと懸念する。何より、周りが見えていない。

 
 「……マズい兆候よね」


 机に肘を突いて、彼女は呟いた。

 視線を斜め後ろにやるも、その席の人物はこの場に居ない。席の主、碇シンジはNERVで訓練中だ。格闘や射撃、全般においてアスカとレイに劣っている彼には、当然訓練量も多くなる。学校を週に一回は休むのも、珍しくなかった。

 
 「……?」


 ふと、窓の外に目をやる。空の向こうに黒い点のようなものが見えた。形ははっきりしなく、「黒い点」としか確認できない。距離が離れているのだろう。鳥とも取れる造形だが、アスカには妙に気になった。席を立って窓際に移動する。ガヤガヤとした騒音、校庭では男子が押し合いへし合いしながらサッカーに汗を流している。

 ……この暑い中、元気なことで。

 視線を上げる。点は空を移動していた。少しずつ、僅かに分かる程度の移動だ。飛行機の類ならばもっと早く移動するはずである。殆んど滞空しているような状態で、


 「羽ばたいてる?」


 集中する。この程度なら見えて当たり前だ・・・・・・・・・・・・・・と確信する。

 ぼやけていた物体が僅かに見えた。輪郭は鳥より寸胴だ。羽を動かしているのが窺え、見ようによっては飛行機にも見えなくはない。

 少しずつ、点は近づいてきた。
















 まるでなんでもないように返された言葉。耳から入り、脳で理解しても、未だに理解されないその言葉。

 呆然とした表情を見たシュウゴは、心底おかしそうに笑った。声帯を震わせて、口の端から漏れる。周りの男たちも一様に嘲笑った。ヒカリが自失呆然としてしまったのがツボに嵌ったらしい。信じていた恋人から裏切られ、助けを求めたというのに。帰ってきたのは、助けられなくてごめんとか、俺ががもう少ししっかりしていればとか、ヒカリの身を心配する言葉ではなかったのだ。

 組んでいた足を下ろし、シュウゴは立ち上がった。

 湿っぽい空気に悪態をつく。誰も来ない場所だとはいえ、長居はしたくなかった。

 
 「先輩……?」


 組み敷く男たちも目に入っていないヒカリ。彼女の瞳に写るのは、絶望だけだ。

 パクパクと口を動かした。声にならない呟きはしかし、空気を振動させずともシュウゴに伝わった。


 『どうして?』


 ふん、と鼻で笑い、顎で合図を出す。「もういいぞ」今度こそ、待ちかねていた男たちの手が、乱暴に衣服を引きちぎった。ボタンが弾け、裾から破け、中の下着までもが剥ぎ取られる。残ったのは背中につながる一部だけだ。見知らぬ男たちに肌を晒しているというのに、ヒカリは隠そうともしない。

 ゴツゴツした手が体をのたうっても、ザラリとした舌が肌を汚しても。

 悲鳴の一つさえ上げない。

 さすがに怪訝に思ったのか、男の一人が顎を掴み、シュウゴから視線を外させる。ヒカリの目は虚ろだった。瞳の奥に映っている男の顔さえも見えていない。見ようとしていない。

 ……壊れたか?

 その男は毒づく。悲鳴を上げないと面白くもない。マグロな身体ほど味気ないものはないというのに。

 
 「ヒカリ」


 見かねたシュウゴが声をかける。すると、今まで状態が嘘のように変わり、生気が戻った目で声の方へと向いた。これ幸いにと男たちが陰湿にしかけ、気づいたヒカリが悲鳴を上げた。先程までと打って変わって激しい抵抗は、彼らを余計に楽しませる。

 身体を捻っても、押さえつけられ。

 肌をなぞる舌はおぞましく、だが逃れることは適わない。

 
 「さてと」


 足を掴んでいた男の内、右側に居た丸刈りの声だ。

 カチャカチャとベルトを外すのを見届ける。ヒカリは血の毛が失せた。男はズボンとパンツを下ろすと、醜悪な分身をさらけ出した。息を飲む。経験人数が一人という彼女には理解できまい、多種多様な形や色が存在する中、シュウゴとその男の性器は、あまりにもかけ離れていた。

 今日一番の絶叫を上げた。

 だが、体育館は校舎から離れており、尚且つ昼休み中は人が近づかない。外の喧騒も重なって、悲鳴一つでは誰も気づく人間は居なかった。

 
 「いやぁああああああああああっ!! 先輩ぃ!! シュウゴ先輩ぃいいいいい!!!」


 煩わしそうに「なんだ?」とシュウゴは答えた。


 「助けて、助けてください!!!」

 「嫌だね」

 「どうして!? 私が、気に触ることしましたか!? たくさん電話したことなら謝ります!! さ、寂しかったんです!!」


 ボロボロと零れる涙。右上の男が舐め摂った。顔を背ける。無理やりに正面を向けられ、口付けられた。優しくもない、ただ気持ち悪いだけの行為。進入してきた舌を、堪えきれなくなって噛む。

 バン、と頬を叩かれた。

 口々に「おい、怪我させるなよ」「平手だ。怪我のうちにもはいんねーよ」と続く。ショックで抵抗するのもやめてしまった。

 下半身を弄られ、股を開かされた。そこに割り込む先程の男。


 「でもいいのかよ。シュウゴが一番じゃなくて」


 不思議そうに問う。


 「ああ。もうそいつとは、しようとも思わないからな」


 震える声を振りしぼって懸命に堪え、顔だけでもシュウゴへと向けることに成功する。上下逆様に映った愛する先輩。こんな中だというのに、淡々とした表情だった。喜ぶでもなく、悲しむでもなく。

 面白くもない映画を見るような、冷め切った表情で。


 「どう、して……こ、んな……」

 「悪いな。最近、金欠でさ」


 こいつらにおまえを売ったんだ、と彼は続けた。


 「お金なら!! わ、私が――――――」

 「ああもう、しつこいんだよ。前々から思ってたんだけどさ、おまえ」


 顔を歪めて、汚物を見る目つきだった。視線に当てられ、声を詰まらせるヒカリを容赦なく貫かんとする男。すでに無事な箇所など皆無だった。ぬらぬらと照る身体は、体液でベトベトだ。

 荒く息をするたびに上下する胸元ばかりではなく、全身が紅潮している。

 不潔、不潔と毛嫌いする姿こそ、今の彼女の姿だった。


 「――――――すげえ、気持ち悪いんだよ。おまえ」
















 それは嗅ぎなれた匂いを追ってやって来た。外に出るなと言われていたが、その彼女に逆らって外へ飛び出すのは初めてのことだ。なぜだか呼ばれた気がして、居ても立ってもいられなくなったのだ。

 眼下には平たい建物があり、その頂上付近には動く物体も望むことができる。

 人間だ、とそれは思った。

 知識として有し、彼らに捕まれば身の危険があることも承知していた。故に見つかってはならない。もし姿を見られても、捕まる前に姿を消せばいい。一度も経験がないのに、漠然とそれだけは知っていた。

 ふと、金色の光が見えた。

 上部のその下、建物の真ん中付近から顔を出している人間の髪だ。太陽光に反射してキラキラと光っている。綺麗だと思った。興味を引かれたので近づいていくと、その人間の顔は驚愕に歪んだ。それの姿を確認するなり、怒涛の勢いを身を引き、騒音と共に姿を消した。悲鳴と物が壊れる音だ。それは首を傾げた。何をそんなに慌てているのだろうか。

 その直後のことだ。

 平たい建物から、甲高い警報が鳴り響き。

 それ・・の心を犯す、ドス黒い絶叫が聞こえたのは。
















 「つーかさ、元カレの話ばっかりすんなよ。マジ信じらんねえ」


 ヒカリは付き合っているシュウゴに三年前のことを話していた。トウジという片思いの男子が居たこと、彼は未帰還者であること。たまたま知り合ったシュウゴは聞き上手で、塞ぎこんでいたヒカリの話を根気よく聞いた。そのうちに仲が深まり、付き合うことになったのだ。

 だが、それは全て演技だったらしい。

 人間、多少なりとも異性の前では猫を被る。シュウゴは“善人”という仮面を付けていたのだろう。清楚なイメージを持つヒカリに近づくには、まず表面だけでも正し、いい印象を与えなければならなかった。その点、彼は相手が何を求めているか・・・・・・・・・・・、手に取るように分かる特技があった。

 ヒカリの場合、過去の話を嫌な顔せず聞いてくれる、優しい人。無論、元カレの話を聞いていい顔する男など居るはずもない。同性である女性なら兎も角、恋愛対象となる異性から好きな男の話を聞いて励ますのは、その女性に異性として興味がない友人知人くらいだ。

 
 「ことあるごとにトウジトウジトウジ……なに考えてんだよ」

 「だ、だって……先輩は、なんでも相談してくれって」


 シュウゴは嘆息し、軽蔑の眼差しを隠そうともしない。今まで彼にそんな視線を向けられたことがないヒカリは身の竦む思いだった。


 「馬鹿かおまえ。んなの、口説き文句に決まってんだろ。じゃあなにか? おまえ、俺が前に付き合った女のこと、四六時中自慢しても平気なのか? スタイルがよかった。性格がよかった。料理も上手かった。セックスも最高だった。嫌な顔一つしないで聞くヤツが居たら教えて欲しいね。ソイツ、頭おかしいぜ?」

 「……っ」


 言い返すことなどできやしなかった。シュウゴの言い分は最もだ。自分だって会わない程度で疑ったのに、彼が嬉しそうに他の女の話なんかしたら、きっと怒っていたに違いない。

 反論がないと見ると、見下ろしたまま言葉を続ける。


 「ま、元々売り飛ばす予定で近づいたからな。男の話聞いて済むくらいなら安いもんだ。いいぜ、おまえら。ヤっちまえよ」

 「いやああああああぁああああぁああああああああああッ!?」


 まだ濡れてもいない秘所を貫かれ、ヒカリは苦悶の声を上げる。快感など皆無だった。あるのは焼けた鉄棒を差し込まれたような熱さと痛みだけ。逃げようにも腰を固定されているので自由は一つもない。単調な腰の動きが幾度となく繰り返される。押し出される肺の空気、刺し貫かれる下半身の痛み。

 愛していたシュウゴに裏切られたという精神的ショックが重なった心の痛み。

 ヒカリを襲った全ての痛みは、筆舌に尽くしがたかった。自分が信じていたものが足元から崩れていく感覚。目の前が真っ暗になった。全てが疎ましかった。全てが憎かった。想いで人が殺せるとしたら、きっと彼女は男たちを皆殺しにするだろう。

 
 ――――――トウジ。


 鈍感だったけど、真っ直ぐだった彼を思い出す。もう居なくなってしまった人。忘れようとしても忘れることができない、ただ一人の初恋の人。

 そうだ。

 彼なら、裏切らない。

 口ではぶっきら棒でも、根は優しい人なのだ。裏切りは大嫌いだろうし、女の子を騙す人も同じだろう。妹思いで、すぐに喧嘩するけど、それは行動力につながっていて。困った人が居ればすぐに助けてあげるのだ。

 ……ねえ、トウジだけは、裏切らないよね?

 好きでもない男に犯され、ただそれだけが彼女の支えだった。トウジを思えば、どんな辛いことも我慢できる。彼ならこんなことはしない。彼ならきっと優しくしてくれる。そう考えていれば、外での出来事など些細なものだ。

 そう。

 トウジだけが、支えだというのに。


 「――――――犯されてんのに笑ってやがる」


 面白くなさそうに言うと、思いついたようにシュウゴはほくそえんだ。


 「気持ち悪いんだよ、おまえ。トウジトウジトウジ。さぞかしその男も迷惑だったろうなぁ」

 「……え?」


 たった一言。

 呆然と、シュウゴの顔を見返し、


 「聞こえなかったのか? トウジトウジトウジ。ストーカーか、おまえは。きっとその鈴原トウジもこう思ったんじゃないか?」

 「やめて……!」


 トウジだけが唯一の支えだというのに。

 男たちが笑った。彼らも気づいたらしい。「トウジ」が彼女のタブーだということに。

 耳を塞ごうともがく。聞いちゃ駄目だ。それだけは駄目だ。彼女の抵抗を面白がり、男たちが騒ぎ立て、シュウゴは愉悦の表情を浮かべる。

 ……もっと泣き叫べよ。じゃないと楽しめねえだろうが。

 ゆっくりと、ヒカリに言い聞かせるために彼は膝を折り、耳元に口を近づけた。


 「トウジってヤツはこう思ったはずだ――――――なんだ、この気色悪い女は」

 「いや、いやああああああああああぁあぁあああああ!! やめてええぇええええええええっ!!!!」

 
 狂ったように泣き喚くヒカリはすでにこの世を呪っていた。どうして自分はこんな酷いことをされるのだろうか。なにか悪いことをしただろうか。なぜ、こんなことになってしまったのだろうか。

 脳を侵す、シュウゴの言葉。

 聞きたくないのに、耳を突き抜け、脳を駆け巡り、理解し、心を壊す。

 スパークする頭は、すでに彼女のタガを外し。

 気づくと、いかに自分が馬鹿な考えをしていたのかが分かった。

 その笑顔も。

 その優しさも。

 包み込むような、トウジ抱擁おもいでも。


 「洞木ヒカリ。おまえは鈴原トウジに、迷惑がられてたんだよ」

 「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!!!」



 ――――――全てが、偽りのものだったのだ。















 「早く出なさいよ!!」


 窓際から跳び退いたアスカは胸元から携帯電話を取り出し、NERVへとかけた。それと同時に教室を飛び出す。出入り口で誰かにぶつかって吹き飛ばしたが、構ってられないので走り出す。相手は憤怒の形相で怒っているが仕方がない。2年A組を通り過ぎ、トイレの前にある火災報知器の前に立って、


 「こんのぉ――――――野郎ッ!!」


 迷うことなく、ボタンを叩き押す。

 途端に騒がしくなる校内。生徒たちが顔を見合わせ、一目散に走り出した。だがそれも一部の生徒だけだ。三年前から第三に住んでいた者は危機感も強いが、サードインパクト後に移り住んだ新参者はそうもいかないようだ。


 『アスカ? どうしたのよ――――――って、中央高校の報知器が作動しているわね』


 第三にある防犯装置はNERVの<MAGI>に直結している。故に、なにか起こればリアルタイムで情報が送られるのだ。

 携帯を左手に、アスカは階段から飛び降りる。その拍子に、下の男子生徒にスカートの中を見られるが、今はそれどころじゃない。驚く生徒たちを眼下に、曲芸じみた動きで、階段を文字通り飛び降りていく。


 「竜よ!!」

 『え?』


 雑音が酷い。一階は人で溢れかえっていた。しかし、緊張感を持つ者が少なかった。避難訓練と大して変わらない様子で靴を履く者まで居る始末だ。第三出身の人間は、わき目も振らずに逃げ出している。その様子も大げさだと笑ってるのは新参者なのだろう。前者と後者の違いがはっきりと見て取れる。

 人ごみを掻き分け、動かないで談笑している生徒はなぎ倒して出口を目指す。

 中々進んでいかない男たちを背後から突き飛ばし、アスカは怒鳴った。


 「みんな、早く逃げなさい!! 死にたくないなら早くシェルターに!!」


 顔を真っ赤にして怒鳴る彼女を、嘲笑うように三年の男は鼻を鳴らす。


 「なにビビってんだ? たかが火事くらいで」


 ……状況が掴めてないから仕方がないとしても。

 もうなりふり構っていられない。でないと自分が死んでしまうのだ。それを心得ている第三出身者はすでに外へと逃げ出している。アスカは火災報知器で危険を知らせた。だが彼女ができるのはここまでだ。それでも学校に残っているヤツらは知ったこっちゃない。

 なんとか外に出る。一気に校庭を駆け抜け、NERVへと走り出した。


 『アスカ!? どういうこと!!』

 「だから竜が空を飛んでたのよ!! 近くに居るわ――――――」


 その瞬間、校舎が吹き飛んだ。















 「な、なんだ!?」


 突然響いたのは火災を知らせる放送だ。男たちはいっせいに顔を上げた。


 「マズいよ! 早く逃げようぜ!!」

 「ちょ、ま、待てよ。俺、ズボン穿いてねーよ」


 ヒカリから離れた彼らは慌てて着衣の乱れを直し始める。せっかくいいところだったのに、と全員が毒づいた。開放されたヒカリは動かない。虚空を漂い、焦点は定まらなかった。胸を上下させるだけの彼女を見届けると、彼らは立ち上がった。


 「いいのかよ、放っておいて。なあ、シュウゴ」

 「構わねえよ。焼け死んだって知るかよ」


 そして、出口へ向かう。火の手はどこから上がったのか知らないが、それで焼け死んでも知ったものか。いや、その方が後腐れもなくていいかもしれない。

 先頭の男が扉のとってに手を乗せ、

 それは、窓を突き破って入ってきた。


 「う、うわああああああ!! なんだよコレ!?」


 その物体――――――仔竜は、全身に蚯蚓腫れのような跡を浮き上がらせていた。時折脈打ち、全身を痙攣させる。見る者全てに嫌悪感を催させる存在が、そこにあった。

 その目は赤黒く染まり、白目と黒目の境がない。大きく裂けた口からは粘ついた粘液を垂らす。

 男たちからニメートル程の距離が離れている。すぐ横には、倒れたままの洞木ヒカリ。位置的に一番危険なのは言うまでもなく彼女だった。

 
 「ヒギャアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!」


 液体を撒き散らせ、竜が吼えた。それに答えるようにビリビリと大気が振るえ、近寄りの窓ガラスから音を立てて割れた。

 もはや、人中の理解を超えている。

 パニックを起こしたのは、柊シュウゴも同様だった。訳も分からない生物が突然現れ、冷静で居られるはずもない。彼は一年前に第三新東京市に越してきた、新参者だった。彼の仲間たちも同じく、サードインパクト後にやって来た者ばかりである。

 驚きで固まる中、ただ一人、身を起こした影があった。

 洞木ヒカリだ。

 ユラリ、と起き上がった彼女を見て、男の一人が悲鳴を上げた。

 彼女は白目を向いていた。口からはだらしなく涎が垂れている。全身が汚れ、下半身からは白濁液が流れ出しているというのに、気にした様子もなかった。


 「――――――。」


 彼女は――――――洞木ヒカリは、この世を呪っていた。

 目に映るのは深遠の闇。何やら声が聞こえるが、彼女にはどうでもよかった。

 酷く、気持ちが悪い。

 体中が鈍い。空気が淀んでいる。

 酷く、気持ちが悪い。

 男という種族も、女という種族も。

 みんなみんな、気持ちが悪い。

 結局、シュウゴとの思い出も、トウジとの思い出も。

 全てが偽りだった。

 ならば、と彼女は思う。

 全てが偽りだったなら。

 全てが意味のないものだったなら。

 全てが、彼女を裏切るのだったなら。


 ――――――そんなもの、何一ついらない。


 仔竜の腹部が膨れ上がった。膨張を続け、風船が割れるように弾け飛ぶ。中から触手が溢れた。ピンク色の肉感を持った禍々しいものだ。ドクドクと脈打つのは生きているせいだろうか、あまりのおぞましさに男たちが叫んだ。外へ出ようとするのだが、引っかかってしまったらしい、扉はびくともしない。

 一番近くに居たヒカリが、触手に絡み取られ、肉塊と化した竜に飲み込まれた。

 文字通り、彼女は喰われたのだ・・・・・・・・・

 嫌な音を立てて身体を貪られる瞬間を見た何人かが、気を失って前倒しに倒れ付した。残った者も、皆一様に声を失い、顔を青くしている。

 ただ殺されたのではない。

 喰われたのだから。

 
 「――――――あ、」


 間抜けな声だ、とシュウゴは思った。自分たちに向かって触手が伸びる。速い。避けることなどできる訳がない。

 だが、身体を貫かれる瞬間、こう思ったのだ。

 こいつは、この肉塊は。

 
 ――――――洞木ヒカリの、怨念なのだと。

 
 赤黒く脈打ち、触手は音を立てて収縮していく。伸ばした舌を巻き戻すような。

 グチュグチュと所々が盛り上がってまた収縮。限界まで肉が伸びるたびに戻り、引きちぎれる前にそれは収まる。

 それは、肉塊の内部から食い破らんとする、邪竜の胎動。

 蠢く。

 蠢く。

 それだけは今までと違っていた。

 それ・・は純粋なる欲望の権化。

 生粋たる破壊の代行。

 少女の呪いを貪り、この世界に生を受けた瞬間から、すでに堕ちていた御子は、































 「ひあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!」

























 嘆く。

 嘆く。

 もう何が悲しいのか分からぬまま、それは泣いた。

 それは、あまりにも悲惨な音。

 始まりにして終わりのOOパーツが、産声を上げる。

 そのガラクタは世界。

 そのガラクタは宇宙。

 そのガラクタは真理。

 それはこの地球の――――――二回目の産声。






                                           ■ 第二十八幕 「ガラクタたちの黙示録」に続く ■











〜あとがき〜


このSSは一応、全年齢版ということで執筆しています。

……。

本当ですよ?


という訳で、「神_心」もやっと終盤に入りました。ラスボスは……ぎゃーw

ここに来てやっとEVAが出撃しますねw(ぉぃ