神造世界_心像世界 第二十三幕 「終焉の仔」








 「好きです! 付き合ってくださいっ!!」


 アスカにはすでに聞きなれたフレーズを叫ぶ声。もう何回目かも分からない告白をされ、彼女は内心でため息を吐きながら男子の顔を盗み見る。

 極度の緊張のせいで赤くなった頬。ガチガチに固まった体。見ているだけで息切れを起こしそうだ。

 頭を下げる男子は一年生らしい。学校に入ったばっかりで、よくもまあ、こんなことをする度胸があるものだ。半ば感心しながら、アスカは「ごめんなさい」と口にする。予想していたのだろう、「そうですか・・・・」と答えると、相手はすぐに踵を返して去って行ってしまった。

 はあ。今度は、実際にため息を吐く。

 惣流・アスカ・ラングレーは美少女である。綺麗な薔薇には棘がある、とは言うが、以前と違い、礼儀というものを覚えた彼女は男子生徒の憧れの的であった。ラブレターは読まずにポイ、なんてしない。しつこい男も殴り飛ばしたりしない。まあ、盗撮やら痴漢やらをしてきた場合のみ実力行使で排除を試みる。

 そのせいか、女子にも人気があるようで。

 すでに何人からか、「お姉さま」なんて呼ばれているアスカ。当人はお姉さまなんて柄じゃないわ、と苦笑いをする。ただ、“お姉さま”に籠められた熱意を、彼女は理解していなかった。いや、していたのなら、お姉さま禁止令を出していたことだろう。アスカは至ってノーマルである。

 今日も今日とて、昼休みに呼び出されて告白をされた。

 今頃、振られた男子は、仲間同士で集まって騒いでいることだろう。最近は、一種の度胸試しのように告白してくる輩が多くなってきていた。どうせ駄目だろうと、面白半分で告白してくるのだ。毎回呼び出される身は堪ったものではない。

 自分には彼氏がいると公言しているのに、尽きることのない告白者。まるで、甘い匂いに誘われる蜂のようだ、とアスカは思った。


 「はあ、疲れたわ」


 屋上から教室に戻るなり、机につっぱしてそうこぼす。近くに寄ってきたヒカリが労った。

 中学時代のアスカを知るヒカリとしては、こうやって愚痴をこぼしながらも、丁寧に対応する姿を感心しながら見ていた。以前ならば、面倒だと無視したり、憂さ晴らしに告白相手をぶん殴ったりしていたことだろう。それに比べれば、目まぐるしい進歩だ。

 
 「まったく、これだから男ってヤツは・・・・」


 一目見たときから好きになりました、なんてほざく野郎は、冗談抜きで張り倒したくなってくる。顔も名前も知らない男に好きだと言われても、嬉しくもなんともない。そりゃあ、見向きもされないのもどうかとは思うのだが。それでも、一目惚れしたと、鼻の下を伸ばして寄ってくる男は気持ち悪いことこの上ない。

 人間が性欲で動くモノだとは理解している。どんな紳士な男性でも、一皮剥けば狼野郎なのだ。それが普通。

 女に興味がないのはごく一部の視点を持った人間であって、残りの男は体が目当てで女を口説く。

 分かっている。

 分かっているけど、嫌悪感は捨てられない。


 「なんかさあ、ここまで来ると、気持ち悪いを通り越して、哀れになってくるのよね」

 「うん。気持ちが理解できない訳でもないけど、あからさまに狙ってくる人は、ちょっと」

 「それに、よ? アタシは付き合っている人がいるって言ってるのに、それを承知で言い寄ってくるんだから、信じられないわ」


 恋人を横からさらう行為。本当にそうまでして好きだというのなら、一回断られたくらいで諦めるはずはない。

 つまり、告白してくるヤツらは、半分は冗談で迫っていることになる。結婚するまで肌を見せてはいけない、なんて言うつもりはない。だが、本気でもないのに告白する男の思考が理解できなかった。もし自分が同じことをされたらどう思うのだろうか。

 まあ、そこまで深く考えて告白する人間など、現代ではごく少数なのだろうが。


 「そういえば、碇君、今日は風邪かしら?」


 主のいない席が、ポツンと取り残されている。ヒカリは空席であるシンジの席を見ながら聞いた。


 「病欠ってことになってるけど、今日は仕事関係」


 思い出したように、不満たらたらで言う。

 ヒカリはそれを聞いて、NERVの仕事か、と納得した。目の前のアスカだって、れっきとしたNERVの職員なのだ。パイロット兼技術部員。高校生のヒカリには想像できない高給取りらしい。おかげで遊びに行くときはおごってもらうことがしばしばあった。申し訳ないと思いつつも、一介の高校生であるヒカリの財布はいつも軽い。

 
 「あれ? でもアスカはいいの?」


 技術部を兼任するアスカがいて、なぜパイロットでしかないシンジがいないのか。こう言ってはなんだが、シンジがあまり役に立つとは思えない。

 内心を読み取ったアスカが疑問に答える。


 「うん。機密保持があるから詳しくは話せないけど、“アルバイト”をしているのよね、あいつ」


 “アルバイト”、その単語で真っ先に脳裏に浮かぶのは、無精髭が凛々しい加持リョウジである。今では複数のわらじを脱ぎ、NERV一筋で頑張っているらしいが。どうにもアスカには未だに信用が置けない一人だった。

 その加持は、諜報部を率いて、今でも第三の内外問わずに飛び回っているらしい。


 「・・・・アルバイト。なんか、危険な響きよね、組織関係となると」

 「嫌にでもスパイ関係って想像するから。でも、シンジがスパイしている訳じゃないけど」

 「そうなの?」

 「ええ。どっちかというと、治安維持?」


 そのアルバイトも、もう終わったけどね、とアスカが付け足す。ヒカリは「そうなんだ」と、相槌を打った。
















 薄暗い司令室に、ゲンドウと冬月、ユイ。リツコにミサト、そしてシンジが集まっていた。

 NERV幹部のほぼ全員が集まった会議は、見かけよりも和やかに進んでいた。潤滑油の役目を成す、碇ユイの影響が大きいのだ。以前はもっとギスギスしていた会議も、今では肩の力を抜いて望むことができる。三年前までは、考えられないことだった。

 部屋の中央に設置された、長めのテーブルを囲む面々。時々表示されるスクリーンを見ながら、当たり障りもなく時間が過ぎていく。

 そして、問題の議題が上がった。


 「ええ、最後に、先日死亡した、戦自工作員の詳細についてなのですが・・・・」


 言いよどむリツコを遮るように、ユイが半身を乗り出す。


 「事件の詳細を細かく知りたいの。本当に、彼らが手を出してきたの?」


 視線を向けられたシンジは、「もちろんです」と頷いた。

 元々、手出し無用と言われていた戦自の二人だ。このまま何事もなければ、近い未来にNERVに迎えようとユイは考えていた。

 霧島マナは、根が真っ直ぐなとても良い娘だった。恐らく連れの男の子も、悪い人間ではないと思っていたのに。あろうことかシンジに襲い掛かり、返り討ちにされるとは。とてもじゃないが、考えられない。


 「僕と惣流さんが偶然出会ったのは、夕方のことです。霧島さんは、その日、彼氏の退院祝いをやると言っていました。恐らく、自宅で祝った後、あの高台を訪れたのでしょう。鉢合わせた自分を見たとたん、襲い掛かってきました」

 「・・・・問答無用で?」


 葛城ミサトが聞く。


 「はい。声をかけて、こちらに気づいたとたん、男の方が」

 「過剰すぎるわね。本当に異常なしで退院したの? その男の子は。<第壱拾壱号事件>にまきこまれているんでしょう?」


 暗に、精神に異常があったのではないか、と言っているのだろう。資料を持つリツコがカルテを流し見る。退院したからには、日常生活が送れるのがその条件である。ムサシは骨折が直りきっていなかったが、問題なく過ごせる範囲だった。


 「・・・・初日は酷く取り乱したそうだけど、翌日以降はなりを潜めたみたいね。不審な点はないわ。誰だって事件にまきこまれれば、起きた瞬間は事情が理解できなくて取り乱すでしょうし」

 「ですね」


 実際、シンジもそのときに悪夢を見たのだ。アスカとリンクがつながった原因でもある。


 「・・・・本当に、マナちゃんが、銃で撃ち殺そうとしてきたの?」


 搾り出す声は、震えていた。実際、ユイには白昼夢のように現実感が乏しかった。笑っているマナ。子供のようにはしゃぐマナ。その彼女が、シンジたちに銃口を向けたなんて。

 子供たちが、そんなことをしてはいけない。殺しあうのは、大人だけで十分だ。ユイは切実に思った。


 「事実です。惣流さんの身を守るために、僕が背後から携帯していた護身用のナイフで刺し殺しました」


 淡々と語る息子を、ユイは悲しげに見た。


 「・・・・辛かったでしょう?」

 「いえ、別に」


 答えを聞いて俯く。冷静に受け答えをするシンジを見るのが辛かった。“普通”の少年なら、友人を殺してしまったらこうもいられない。罪悪感に悩まされ、落ち着くことなんてできやしない。だが、シンジは違った。

 まるで何てこともないように、飄々としている。

 その無表情は、自分たちのせいでこうなってしまったのだ。胸が痛む。自らの息子を変えてしまったのは、他でもない自分たちだ。今更悔やんだところで、何も変わらないのは分かっている。それでも、悔やまずにはいられないのだ。


 「すでに、学校や周辺住民の手回しは終わっています。表面的には、急ぎの転校としましたが」

 「学校でも、納得されたみたいです。今では誰も疑っていません」


 リツコに続いて、シンジが学校での状況を発言する。こういう情報は、NERVの諜報部でも手に入らない、“世間の情報”だ。以外に重宝されるそれを、シンジが受け持っていた。小耳に挟んだだけのものでも、十分に役立つことがある。

 今やシンジは、れっきとした諜報部員として活躍していた。さすがに本職には勝てないのだが。


 「加持諜報部長も、今回の件は丸く収まったと言っています」

 「・・・・」


 話が進む中、ユイだけは気落ちしたように無言を貫いていた。











 会議が終わり、司令室から出てきた面々は、疲れを癒すために休憩所を訪れていた。

 その中には副指令であるユイの姿もあった。本来ならば、先程の会議の後始末が残っていたのだが、気落ちした彼女を見かねたゲンドウが無理やりに休みを取らせたのだった。

 自販機からジュースを買って、マットに腰を下ろす。

 後からやってきたレイが、ユイのぶんのミルクココアを買う。それを手渡しして、慰めるように隣に寄り添った。


 「ねえ。どうしてみんな、平気な顔をしていられるの?」


 非難が混じった声。霧島マナが死んでしまったというのに、平然としているのが許せないのだろう。少なくとも顔見知りなのだ。

 皆は顔を見合わせた。

 確かに、ユイの言うことは正しい。霧島マナが戦自工作員だったとはいえ、良好な関係を築いていたし、何もなければ良き友人となれただろう。だが、それは“もしも”の話。実際にはマナが銃を持ち、そうしてシンジに抵抗され、命を落とした。

 変えられない、現実。

 ユイは理解している。こんな現実認められないと、駄々をこねたりしない。でも、頭では分かっていても、感情が受け入れてくれないのだ。もっと早く手を打てていたら。もっと早く助け出せていたら。そうすれば、マナは死ななかったのではないか、と。

 そうやって自分が悩んで、悔やんでいるのに、周囲は気にする素振りさえ見せないのはどういうことなのか。まるで、仕方がなかったと、許容しているみたいではないか。薄情すぎる。


 「「・・・・」」


 顔を見合わせて、声に詰まる周囲。レイまでもが、困ったように眉をひそめる。

 その反応を見てから、ユイは自分がおかしなことを言っているのでは、と、一瞬だけ思ってしまった。反応が薄いのが当たり前のことで、こうやって騒いでいる自分が過剰すぎるのか? いや、違う。人の死は許容していいものではない。慣れてしまっていいものではない。

 死を恐れ、臆病になって。そうやって人は生を大切にするのだ。死に慣れてしまっては、生への執着心をなくしてしまう。いけない。これではいけない。慣れることは、許容することだ。

 
 「えっと・・・・」


 沈黙に耐えかねたミサトが口を開く。残りの者は、勇気ある行動に内心で賞賛を送った。


 「ユイさんは、使徒戦役を経験していないですよね。だから、人の死っていうのに過敏になっちゃうんじゃないかしら?」

 「・・・・なら、ミサトちゃんはどうなの? 人の死ってものに、慣れているの?」

 「――――――」


 すう、と、小さく息を吸う音。真剣な表情をして、問いに答える。


 「嫌な言い方ですけど、慣れています。 自分は戦自出身ですし――――――何より、一回死んだ経験があるので」


 同じ経験があるリツコが苦笑した。

 場を和ます洒落に感化されて、ユイの緊張が解ける。その様子に、隣のレイも安心したようだ。

 正直言って、マナが死んだと言われても、本気で悲しむ人間は少なかった。元からNERV関係者だったのなら話は別だろう。しかし、戦自というほぼ敵対している組織の人間であるのだし、何よりその戦自こそ、<約束の刻>に攻めてきた武装集団であるのだ。その場に居合わせていないユイには実感が薄いだろうが、今でも戦自を恨んでいるNERV職員は山のようにいる。

 無抵抗なのに蜂の巣にされた者。

 生きながらにして丸焼きにされた者。

 戦争に容赦という言葉はない。可哀想だから。痛そうだから。そんな理由で助かった人間が一人もいないように、シンジもまた、階段下でうずくまっていたところを殺されかけた。

 確かに、殺しはよくない。相手の人生を一瞬で奪う行為なのだから。

 歩兵の一人一人にも家族がいて、友人がいて、恋人がいる。殺しは全ての人を不幸にする。悲しませてしまう。

 名前も知らない相手を殺す。刻まれた人生に見向きもせず、殺す。

 確かに、いけないことだ。

 だが。

 だからといって、こちらが殺されてやる義理はないはずなのだ。

 自分には待っている人がいる。愛してくれる人がいる。その人のためにも、自分のためにも死ぬ訳にはいかない。その逆も然り。殺す相手にだって、殺される相手にだって家族はいる。恋人だっている。

 どちらが悪くて、どちらが正しいのか、なんて分かるはずもなく。視点が変わるたびに善悪も変わっていく。その境界線の、なんて曖昧なことか。

 絶対的なものなど、この世には一つもないのだ。

 自分にとって“絶対”でも、相手にとっては違うかもしれない。相手には“絶対”でも、自分には違うかもしれない。

 だが、“常識”に犯された人間は、提示された条件を“絶対”だと思い込む。殺人は駄目、盗みは駄目。法律に反するからしてはいけない。ならば、その法律は一体誰が決めたのか。破ったら裁かれるのは、どんな権利があって実行されるのか。

 国にとっては“悪”だったとしても、当人にとっては“善”だとしたら。

 結局は、何を信じるかによって・・・・・・・・・・、それはくるくると変わり続けるのだろう。

 兎に角。

 ユイの場合、親しかった人が死んでしまった。だから悲しい。彼女は気に入っていたし、息子のガールフレンドとして、申し分がなかった。当然のように、死を悲しめる。

 そして周囲の場合、少しは親しかったが、顔見知りという程度。他組織の工作員で、戦自という嫌悪される組織出身。その時点で、彼女の死はあまり重要ではなくなってしまったのだ。

 薄情とも言えるその見解。

 だが、人とはそういうものなのだ。自身には関係ないものには興味を示さないように、自身が興味を示さないものには、関心を抱かない。対岸の火事みたいなもの。それが人間だ。


 「・・・・まあ、人それぞれってことですよ」


 今まで口を開かなかったシンジが、初めて声を発した。飲み終わった空き缶をゴミ箱に入れ、固まった体をほぐすように背伸びをする。


 「でも、納得できないわ」

 「渚カヲルが死にました」

 「え?」

 「エヴァに握りつぶされて、頭だけが転がりました。凄く痛かったでしょう。凄く苦しかったでしょう」

 
 事情を知る人間は、シンジが言わんとしたことが分かった。だが、ユイにしてみれば、“渚カヲル”なる人物がすぐに浮かんでこない。それも当たり前、彼女は“どこかで聞いたことがある名前だな”とは思っても、それが自分に関係ない人物だと、すぐには思い出されないのだ。


 「――――――それで、どう思いました? 悲しかったですか?」

 「・・・・」

 「悲しくなかったでしょう? 『渚カヲル』って誰? 思ったところでそんなトコでしょうね。でもいいんですよ。それが普通です。聞いたこともない、自分に関係ない人間の死を悲しめる人間なんて存在しません。そんな人間がいるとしたら、聖人って呼ばれた人なんでしょうね。人の死を悲しめるから、思いやりがある。愛がある。ですけどね、その逆もあるんですよ」


 毎日のように出る死傷者。それをいちいち気にしていたら、生きることなどできやしない。実際にやってみれば分かる。二日と経たない内に精神が崩壊してしまうだろう。


 「人の死を許容できるから・・・・・・・・・・・、人は生きていくことができるんです。だってそうでしょ? いつまでも気にしていたら、前に進むことができないじゃないですか」


 確かにその通りだ、とユイは思った。

 いくら自分が後悔しても、マナが生き返る訳でもない。ならば前を見据え、これからのことを考えなければならないのだ。忘れる訳じゃない。心にしまって、共に生きていく。

 それが、一番いいことだと、ユイは思った。


 「そうね、その通りだわ・・・・ごめんなさい。私が、少し考えすぎだったみたいね」

 (シンジ君は気にしなさすぎだと思うけど)


 ミサトが心の中で毒づく。


 「葛城さん、何か言いたそうですね?」

 「そ、そんなことないわよん♪(エスパー!?)」


 どもるミサトを睨むシンジ。

 その様子を、ユイは微笑ましそうに見ている。視線はやはり、息子であるシンジに向けられているようだった。


 「・・・・」


 ユイを見て、シンジを見る。レイの視線が動くと、親愛から嫉妬へと変化していく。日に日に増していくどす黒い感情を自覚しながら、彼女は己が愛する者の為、天国を生きていく。

 そうさ、白状しよう。碇レイは、碇ユイ以外の人間の生死など、露ほども考えてはいない。だが、それを知ればきっとユイは悲しむだろう。だから演技する。“悲しい”と考える。それが、レイの感情だ。

 人の死を許容できるから、人は生きていくことができる? はっ、お笑い種だ。

 元より、碇レイは。

 神様おかあさん以外の生死など、興味はないのだから。

 その上で、碇レイは。

 天国いままでのせいかつを、至上に考えて、今日も、生きていくのだ――――――。
















 放課後。学校を出たアスカとヒカリは、せっかく空いた時間があるのに、そのまま帰るのは勿体無いということで、喫茶「るんな」を訪れていた。

 小腹が空いているのだが夕食がある。二人は無難にアイスコーヒーを頼んだ。

 数分と経たない内にコーヒーが運ばれてくる。初めて訪れたヒカリは、対応の早さに驚いた。普通の喫茶店だとは到底思えない。というか、マスターが動いたのかさえ分からなかった。


 「マスターって、なんだか謎が多い人なのよ」

 「・・・・気配をまったく感じさせないのは普通じゃないと思うわ。元軍人かしら?」


 現役で諜報員をやっている加持でさえ全容を掴めない人物。そんな人間がどうして喫茶店でマスターをしているのか、誰も知る者はいない。唯一、理由を知っているのは、伴侶であるマスターの奥さんだけなのだろう。

 ちなみに、この夫婦に息子はいないらしい。

 
 「ねえ、アスカ」


 どこか話せる場所に行こうと言いだしたのはヒカリだった。相談事があると言われれば、断れるはずもない。ちょうど「るんな」を思い出したので、今に至る訳なのだが。

 もっとも、今までは相談するのがアスカで、ヒカリは聴き側だった。まだ高校に通っていない頃、仕事場での愚痴とかを聴いてもらっていたのだ。たまに顔を合わせては、内に溜まった鬱憤を吐き出していた。いま思えば、悪い事をしたなあ。アスカは内心で反省する。

 
 「あのね、変なこと聞くけど・・・・」


 だから、ヒカリに相談事があると言われたとき、せめてもの恩返しをしようと決心したのだ。母性的で穏やかなヒカリだが、決して全能ではない。悩みもするし、誰かに愚痴を吐きたくもなる。だが、自分にも他人にも厳しい彼女のことだ。外に吐き出さずに溜め込んでしまっているのだろう。

 だから、友人として、自分ができる範囲で手伝ってあげたかったのだ。


 「――――――オオトカゲの飼育方法って知ってる?」


 はい? 文字通り、目を丸くするアスカ。

 二人だけで話したいことと言われたから、異性関係だと予想していたのだが・・・・いい意味で、裏切られたようだ。









 「へえ、コダマさんがねえ・・・・」


 ヒカリの姉、洞木コダマが興味本位で買ってきたコモドオオトカゲのことで悩んでいるらしい。

 コモドオオトカゲは、全長が3mを越すこともある巨大トカゲである。肉食で、死肉や卵を好む。あろうことか、同じ仲間の卵も食べてしまうことがあるらしい。食い意地がはりすぎである。


 (そりゃあ、悩むわよねえ・・・・)


 アスカもヌル助という爬虫類(?)と暮らしてはいるが、彼は大人しくて人語も理解する変り種だ。何よりOOパーツに属しているので、爬虫類と考えていいのか微妙なところである。初号機のシンクロの補助も担当し、今やシンジの欠かせない“相棒”の肩書きを得ている。

 なんかもう、滅茶苦茶だ。アスカはため息を吐いた。


 「でも大変ねえ・・・・庭で飼ってるの?」

 「ええ。元気すぎて困ってるのよ」

 「若いうちは好奇心旺盛で手に余りそうね・・・・木に登ったり、海とか川で泳いだりすることもできるらしいし」


 しかも寿命も長く、中には百年を生きた例もある。人間と同じくらいの寿命だと考えていいだろう。そうなると、飼わなくてはいけない期間もそれ相応となる。そのヒカリのいうオオトカゲが何歳なのかは分からないが、一年や二年では死ぬことはないはずだ。病気にかかったとしても、今の医学は進んでいるから生きながらえる可能性が高い。

 アスカは内心、飼うのが面倒なら焼いて食っちまえばいい。なんて思ったのだが、それを言うと絶対怒られるだろうからやめておく。

 
 「・・・・あはは。でね、アスカなら何を食べさせればいいか知ってると思って」

 「生肉でいいんじゃない? あとは卵とか」

 「生肉と、卵・・・・」


 走り書きでメモを取っていく。それを横目に、アスカは続ける。


 「まあ、一匹だけならヒカリの家の庭で十分な生活住居よね。ああ、でもアタシは専門じゃないから、ネットとかでも調べてみたら?」

 「ありがとう。そうするわ」


 にっこりと微笑んで、ヒカリは礼を言った。

 アスカとしても、これくらいで喜んでもらえるのなら安いものだった。でも話している内容が内容だけに笑えてくる。いや、本人にとっては重大問題なのだろうが、あの堅物(褒め言葉)のヒカリの口から爬虫類の話題が出てくるとは。

 にしても、コダマもコダマで妹に任せっきりとはいい加減だ、と、アスカは毒づく。買ってきたのはコダマなんだから、最後まで責任を持って欲しいものだ。ヒカリに押し付けた訳じゃないだろう。大方、見るに見かねたヒカリが自分からどうにかすると言い出して、見得を切ったのだが、結局、「コモドオオトカゲって何?」ってな感じに詰まってしまった。大体こんな流れに違いない。


 「コダマさんも偉いモン連れてきたわよねえ・・・・コモドオオトカゲって、英名ではComodo Dragonコモド ドラゴンって言われるくらいなのよ? 普通の家庭で飼う生き物じゃないわよ。だってドラゴンよ? ドラゴン」

 「そ、そうよね・・・・」

 「ヒカリ。言うときは言わなきゃ駄目よ? 迷惑だって。もしクラスのみんなにバレたら、“竜の背中に乗ったイインチョ”なんて不名誉なあだ名がつきかねないわ」

 「というか、長すぎだし誰もそんなあだ名で呼ばないと思うわ。ネーミングセンスもなさすぎ」


 もんの凄く冷静に、ヒカリがつっこんだ。









 あらかた相談し終わった後は、他愛もない話に花を咲かせた。コーヒー一杯で何時間も居座ったのだが、マスターは嫌な顔一つしないで会計を済ませてくれた。この寛大さも、アスカは「るんな」の魅力の一つだと感じている。

 そして、いつもの分かれ道。

 「今日はありがとう」と礼を言うヒカリに、「いつもはアタシが迷惑かけてんだから、たまには頼りなさいよね」と、アスカは笑顔で返した。

 胸を刺す罪悪感・・・・・・・を感じながら、小さくなっていく友人の背中を見送る。

 
 (お肉と、卵かぁ・・・・たくさん食べるんだろうなあ、あの仔)


 今月からバイトしようかな、なんて考えながら、踵を返す。家にはすぐに帰らない。向かう先は、スーパーマーケットである。










 買い物袋を両手に、洞木家の門をくぐる。誰もいないことを確認し、裏庭へと回る。

 ヒカリの家の裏庭は、様々な木々に埋もれていた。これは父親の趣味で、給料が出るたびに新しい植木を買ってきては埋めていく。おかげで今では、一種の林のようになってしまっていた。

 だが、あの仔・・・にはいい遊び場だろう。

 少し奥には、三畳一間の大きさくらいの物置がある。庭仕事の道具が入れてあるのだ。その物置の扉に手をかけ、ヒカリは声を出す。


 「私だよ」


 一息遅れて、「ぐる・・・・」という唸り声が返ってきた。そしてパタパタと羽音と共に、姿を現したのは。


 「・・・・はあ。ドラゴンみたいなトカゲじゃなくて、本当にドラゴンを飼ってる・・・・・・・・・・・・って言ったら、きっとびっくりするわよねぇ・・・・」
 

 一対の羽に長い尻尾。体は硬そうな鱗で覆われている。体色は灰色であった。

 ヒカリは、宙でパタパタと羽ばたく仔竜を見ながら、どうすればいいのかしら、なんて頭を掻いた。







                                               ■ 第二十四幕 「EVANGELION‐01」に続く ■