神造世界_心像世界 第二十幕

               「彼が言った/彼女が叫んだ」








 数学教師が発する暗号を適当に聞き流しながら、霧島マナは午後の日差しと睡魔の誘惑と戦っていた。

 ポカポカと暖かい日差しは、彼女の瞼を垂れさせようと優しく降り注ぐ。必死になって抵抗を試みるも、すでに首が泳ぎ始めている事実に彼女は気づかない。こっくりこっくりと規則正しいリズムを刻むマナを、数学教師は目線も鋭く睨みつけた。

 横隣の生徒が慌てて指でつつく。

 肝が据わっているというか、単に鈍感なだけなのか。マナは気づかずに、現世と夢の世界の狭間から帰ってくる様子は一向にない。

 学生の本分は学業である。

 その学生に教える立場の教師から見れば、己が授業中に眠りこける生徒は、気分を害する動機に十分すぎた。ゴホンゴホンと、怒鳴り散らす前に起こそうとする教師。彼とて好きで教え子を怒鳴る訳ではない。誰が好き好んで嫌われ役を買おうというのか。どうしようもないからこそ声を張り上げるのであって、やたら無闇に癇癪を起こすのは愚の骨頂だと、教師は考えていた。

 まさに教師の鑑といえる彼が妥協して、うほんおほんと警告を発する。当の霧島マナはついに境界線を超え、夢の世界への一歩を踏み出す。

 眠りこけたマナを視線の隅に捉えながら、模範的教師である数学教師は、あらん限りに自分の声帯を震わせた。














 「こんなのってないよーっ」


 帰路の道を歩きながら、いかにも数歩先は崖っぷちです、と、そんな表情でマナは嘆いた。

 授業中に居眠りをした彼女に待っていたのは教師の怒声と、普段の五割増しで厚くなった宿題のプリント集であった。周りの生徒は哀れみの視線こそ向け、まあ措置としては軽い方だったかな、と、内心で苦笑いをした。

 彼らの学年を担当する数学教師は、硬派なことで有名である。しかし学校内でよくあるような嫌味たらしい俗物ではない。生徒の面倒見はいいし、進路相談のために最上級生がよく相談にくることから分かるように、堅物ながらも聖職者としては優良だった。

 宿題を出された当人にしても、居眠りしたのは事実であるから、彼を恨めしく思いこそすれ、腹が立つほどでもない。

 そう、普段ならば。


 「ふぁあ・・・・」


 あくびをかみ殺し、マナは頭をボリボリと掻く。

 隣を歩いていたアスカが、そんな少女の劣情な行為に苦笑しながら、何気なく聞いた。


 「どうしたのよ、マナ。ヤケに眠そうじゃないの?」


 まぶたを重そうに、あくびを連発する姿を見れば、誰だってアスカと同じ疑問を持つだろう。大抵の場合、夜更かしだと相場は決まっているのだが。

 一つ頷くと、マナはやはり夜更かししていると白状する。なんでも、入院していた彼氏が今日退院するらしい。その祝いのために、昨日からいろいろと準備をしているのだという。

 
 「・・・・へえ、良かったじゃないか」


 アスカを挟んで、一人ぶん向こう側のシンジが微笑んだ。すでにお決まりとなりつつある、このメンバー。


 「うん! まだギブスが取れない場所があるんだけど、通院に切り替えてもいいだろうって」

 「なるほど。愛する彼氏のために退院祝い、か。ヤケるわねー」


 小悪魔的に微笑する友人に、顔を赤くしながらマナは「もうっ」と、頬を膨らませた。

 マナにしても、長年友人として接してきたムサシを恋人のように扱えているか、と聞かれれば、唸るしかなかった。そもそも恋人になったからといって、彼らの立場が変わった訳でもない。昔から気の許せる友人はムサシと、今は亡き浅利ケイタだけだったのだ。男と女である以前に、彼らは仲間であり家族だった。気の合う兄がいきなり恋人になりました、と言われても、妹分であったマナには実感できないのも無理はない。

 ただ、好いているのは確かである。

 小学生でもあるまいし、友達の“好き”と、異性の“好き”が違うことくらい、彼女でも分別がつく。

 気恥ずかしさというかなんというか。

 面と向かって「好き」と言えたのは、あの病室での告白劇以来一度もない。思い出すだけでも頬が赤くなるのが分かる。それはムサシも一緒なのか、暗黙の了解であの日の出来事は口にしていない。

 マナが隣を見ると、シンジが器用にも、目をつむりながら歩いているのが目に入った。

 少なからず、霧島マナは、碇シンジに惹かれていた。今でもそうだ。彼氏持ちだなんだと触れ回ったのは、これまた隣を歩くアスカを沈静させるための手段だった。目くじらを立てる彼女は、誰から見てもシンジに好意を寄せていたし、彼らは戦友でもあるらしい。

 セカンドチルドレンとサードチルドレン。

 実際に戦場に立ったことのないマナには、戦友の持つ意味が理解できない。極限状態で信頼できる大人も少なかったNERVで、一時的にでも、同じ屋根の下で暮らしたことのある二人が惹かれあうのは、当然の流れだろう。

 ただ、環境が環境だっただけに、戦時中に二人が結ばれることはなかった。

 三年たった今、こうしてシンジとアスカが付き合っているのは納得できる。言うなればシンジは、マナの立場でいうムサシとケイタなのだ。

 “同年代”というだけで仲間意識が生まれる上に、彼らはマナを守ってくれた。口先だけではない。行動をもって自らを守ってくれた。


 (・・・・好きになるのも、無理はない、か)


 アスカが病的に信頼を寄せているのは知っていたが、こうして考えてみると頷けることも多い。

 もしマナが一人っきりで見知らぬ連中の中に放り出され、戦争することを強要されたなら。きっと遅からず慰み者にされていたに違いない。いつ死ぬかもしれないという恐怖と、生きているのも辛い生活。想像するだけで恐ろしい。

 そんな中で現れたのが同年代の異性で、かつ、自分を守ってくれたとしたなら。

 精神的に参っているときは、現状を抜け出せない自分さえ嫌になって、泥沼のように自己嫌悪に陥る。自分は駄目だ。情けない。なんで自分だけ。誰か助けて。でも恐くて言い出せない。なんでどうして。自分がこんなにも苦しんでいるっていうのに。神様仏様。誰でもいいからここから出して。情けない。自分が恨めしい。役立たずめ。信用ならない。自分が一番情けなくて惨めで信用ならない。

 



 ――――――そんなとき、助けてくれたのが、他でもない、あなた・・・





 死にたくても死ねないとき。

 助けて欲しくても助けてもらえないとき。

 救ってくれたのは、神様なんて概念モノじゃなかった。

 救出劇インプリンティングは、それだけ大きな意味を持つのだ。人生を持って忠誠を示し、自らを犠牲にして尽くす。毎朝毎晩、十字架に祈ったり中古本を読み上げることより、なんて有意義な尽くし方なのだろうか。

 詳しく知る訳じゃないけど、きっと、アスカもそう・・なのだろう。


 「ねえ、キスとかもうしたの?」

 「き、キスッ!?」


 大げさに驚くマナを一瞥し、アスカは不思議そうに首を傾げた。


 「なによ、そんなに驚くことなの? 彼氏っていうくらいなんだから、恋人ってことよね。だったらキスくらい・・・・って言うのも変だけど、そのくらいしてもいいんじゃない?」

 「そ、そうだよね! キスだもんね。ちゅー、だもん。ちゅー」


 ちゅーちゅー繰り返す姿を見て、アスカは彼女達がそこまでいっていないことを確信した。

 そして安堵する。自慢じゃないが、自分達だってドッコイドッコイなのだ。手を握っただけで緊張するし、キスだって未経験(三年前のはノーカウントだ)である。

 しかしながら、彼女の知らぬ場所で、リツコとシンジがすでに接吻をしていたと知れば、どうなることか分かったものではない。


 「クスクス・・・・初々しいねえ」


 じゃれ合う二人を横目に、シンジは空を仰ぐ。

 マナを眠りの国へと誘った陽気は、今も尚、第三を照らしている。

















 マナは制服姿のまま、足を病院へと向ける。

 どういう訳か、NERV傘下の病院であるのに、戦自工作員である自分達に何も接触がないのは、かえって不気味であった。経歴など、MAGIを使えば、たちどころに偽造だと看破されるだろう。

 泳がされているのか、それとも脅威とさえ思っていないのか。

 上官からの連絡が途絶えたのも向かい風になっている。作戦前に、少数で行う独立作戦だとは聞かされていたのだが。

 マナが知る由もない話で、この作戦は一部の仕官による暴走だと、NERVは通達を受けていた。マナ達が工作員なのは当の昔に知れている。確認を取ったNERVに対し、戦自はあくまで“一部の仕官による暴走”だと言い張った。

 皮肉なことに事実その通りで、戦自は対OOパーツ戦闘にかかりっきり。NERVに敵対する余裕など微塵も残っていなかった。ゼーレが経済組織と化したように、戦略自衛隊も、存在そのもの・・・・・・が危ぶまれている時期なのである。下手すれば解体され、残りの陸海空に吸収されてしまう。

 戦自の高級仕官達は嫌と言うほど“NERVを甘く見るな”と教え込まれているこの風潮の中、自ら仕掛けるのは状況を知らない下仕官だけだ。OOパーツ戦に集中しすぎたせいで、下部に対する監視が甘くなったのも、事態を招いた原因だった。

 命令を下した士官ら数名はすでに拘束され、実行部隊として送り込まれた兵士達は、NERVの保安・諜報部と碇シンジによって始末されている。

 僅かに残ったのは、囮役の霧島マナ、そして病院に担ぎ込まれたムサシ・リー・ストラスバーグだけである。定期連絡がこないことを不審に思いながらも、まさか上官が拘束されているとは、夢にも思わないだろう。

 連絡路も補給路も遮断された彼らは、すでにNERVの掌の上だった。事態を知ったNERV副指令、碇ユイの『仲間に引き込めないか』という要請によって泳がされているものの、指令であるゲンドウにしてみれば頭の痛い話だった。

 いくら年端の行かない子供だとはいえ、他組織の人間を取り込むのは喜ばれたことではない。いや、子供だからこそ危険なのだ。

 副指令という立場であるユイの同情を買っているし、“子供だから”と、周囲を油断させやすい。女子供さえ平然と殺すゲンドウなら話は別だ。しかし“正義の味方”を明言するNERVに元戦自兵のマナを向かい入れ、後々にスパイをしていたからと殺してしまっては反感を買う恐れがある。何も疚しいことがある訳がないと公言しているNERVに、疚しいことなど、それこそ数え切れないほどある。

 元より、組織とはそういうものなのだ。

 後ろめたい事実がない組織など存在せず、神を信仰する、“清らかな”組織(団体)にだってそれは当てはまるというのに。

 


 
 彼女らの身柄を持て余しているのが、今の現状である。

 下手に手を出せず、かといって向かい入れるつもりもない。厄介者とは、まさにこのことを言うのだろうな、と、ゲンドウは対処に困るだけだった。

 戦自はすでに、『霧島マナなる人物は存在しない』と、ムサシも同様に明言されている。簡単に言えば、彼女らは見捨てられたのだ。蜥蜴の尻尾のように切り捨てられ、当の本人達は気づかずに一人歩きしてしまっている。元々与えられた任務が“監視”であって、実行部隊は別にいたのだから、気づかないのも当然といえば当然なのだが。

 



 ムサシの病室に行くと、すでに彼は帰り支度を始めていた。

 緊急入院して数ヶ月。驚異的なスピードで完治――――――には至らないが、回復したことに当人もびっくりだった。医者に話を聞くと、個人差はあれど、他の患者でもそういうことが起きているらしい。

 回復力以外にも、心肺停止状態の患者を心臓マッサージしていたとき、絶望的な状態であったにも関わらず、担当医師の懸命な努力の結果、息を吹き返した、ということがあったらしい。それだけならよくある美談なのだが、続けて三回も同じことが起きてみると、神の奇跡とでも思いたくなってくる。生憎、心肺停止直後の患者がそうそう運ばれてくる訳でもないので、四回目の奇跡は、まだ起きてはいないらしい。

 OOパーツなんていう、オカルトじみた化け物が現れるくらいだ。神の手を持つ人間が現れたところで驚きはしない、と、ムサシは聞き流したのだが。


 「準備できた?」


 落ち着きなく聞いてくるマナに、ムサシは「ああ」と返す。

 手に持ったリュックの中には、入院生活で使用した生活品が詰め込まれているので、結構な重さがある。特にマンガ本がネックになっていた。マナに持たせる訳にもいかず、骨折していない右手にぶら下げ、もう一つのリュックを背負う。

 見慣れた白い病室に別れを告げ、ムサシ達は踵を返した。




















 「うおっ」

 「じゃ、じゃーんっ」


 家に着くと、早速退院祝いパーティーが始まった。

 想像以上の豪華な料理に、ムサシは良い意味で期待を裏切られた。二人で食べるにはいささか多い気もするが、景気良く並べられた料理は見ていて気持ちが良い。インパクトを狙っていたのなら、マナの作戦は大成功と言えよう。

 手作り料理が食べたかったなんて思う半面、そこまで思う自分が恥ずかしくなった。きっと準備をするのも大変だったのだろう。時折あくびを漏らすのは、部屋の飾り付けや『退院オメデトー』と書かれた横断幕を夜なべして作ったからに違いない。

 柄にもなく、ムサシは泣きそうになった。


 「ありがとうな、マナ」

 「あはは。頑張ったかいがあったかな」


 おかげで宿題増えちゃったけど、と、マナは苦笑する。


 「ごめんね。ホントは手作りの予定だったんだけど、大冒険しすぎてジャングルがもわわーって」


 抽象的な表現だが、言いたいことは辛うじて分かった。つまりは、料理に失敗したらしい。


 「気にするなよ、これでも十分嬉しいんだから」

 そう。

 マナが作ろうとしてくれただけで嬉しかった。自分のために料理をしてくれるなんて、これ以上嬉しいことはない。

 確かに料理は完成しなかったけど、文句を言うのは御門違いだ。自分のために努力をしてくれた、それが嬉しいのではないか。

 頬が緩むのを自覚しながら、ムサシは「いただきます」と声を上げる。それに習って、マナもはにかみながら手を合わせた。





 待ち望んでいたのは、この風景だった。

 マナと恋人になり、一緒に遊び、食事をし、ベッドに入る。

 彼女の笑顔があるという、それだけでムサシは幸せで一杯になる。

 戦自基地にいた頃は、こんな生活はできなかった。元より地位がないに等しい自分達は、他の一般兵と変わりはない。厳しい訓練、不味い食事、共同生活というプライベートがない空間。

 年頃の少女であるマナには辛い仕打ちだっただろう。

 その牢獄を抜け出す勇気もなければ、実行しようと思うことさえ当時は考え付かなかった。基地内でしか生きられないと分かっていたのだ。少年兵だった自分達に戸籍はない。いくら非人道的だ、可哀想だと叫ぶ人間がいても、親身になって匿ってもらえる、などと楽観的思考は持ち合わせていなかった。自分らは厄介者。邪険に思いこそすれ、喜ぶ輩など、いるはずもないのは想像に難しくない。

 だからこそ、今の生活は天国と言えた。

 任務の一部だったとしても、こうして普通に暮らせるのは夢のようだ。ベッドだってフカフカだ。食い物だって好きなだけ食べれる。資金があればこその話なのだが、必要経費として、金は適度に至急されてもいる。

 マナがいる。

 暖かい布団がある。

 美味い食事にありつける。

 上官はいない。

 マナを嘗め回すような、反吐が出る野郎もいない。

 ムサシは、マナの恋人である。

 彼はマナが好きだった。

 マナも彼を好きだと言ってくれた。

 自分を必要としてくれる人間がいる。

 これ以上なく、ムサシは安心できたのだ。

 例え世界中の人間が彼を敵視しても、マナさえいてくれれば、絶対に耐えられるとまで彼は思った。

 マナの声を聞くたびに穏やかな気分になれる。

 マナの笑顔を見るたびに優しい気分になれる。

 彼女がいてくれるだけで、満ち足りた気分になれる。

 



 ムサシは、マナとケイタと一緒なら、何があっても生きていける。



 

 ムサシは、マナと一緒なら、何があっても生きていける。

 生きていける。

 生き抜いてみせる。

 マナは、ムサシの世界だった。

 彼女の周りを、ムサシはくるくると回り続けるのだ。

 それは衛星の如く、彼はマナの光を受けて、また反射して。

 マナがいなくなれば、彼は軌道を外れ、漆黒の彼方へと飲み込まれる運命なのだから。

 ムサシは、マナと一緒なら、何があっても生きていける。

 だけど。





 ――――――マナがいなければ、何があっても、生きてはいけないのだ。




















 太陽が傾きだした頃、マナはムサシを連れて高台を訪れていた。第三新東京市が一望できるこの場所は、眺めが良いのにあまり知られていない、隠れた名所である。

 
 「良い眺めだな」


 感嘆の声を聞いたマナは嬉しそうに言う。


 「でしょ? 友達から教えてもらったの」

 「そうか、学校行ってるんだよな、マナは。楽しいか?」

 「うんっ」


 ムサシは満足気に「そうか」と、呟いた。

 やっぱりマナは笑顔が似合う。お日様とか、ひまわりっていう表現が一番似合う女の子なのだ。一緒に居ると楽しくなれる。笑顔を分けてくれる、大切な彼女。

 夕日に染まった都市を見下ろしながら、ムサシは空を仰ぐ。オレンジ色の空に映えるように、不恰好な時計台が天を突き抜けている。ムサシも一応知っていた。これは“OOパーツ”だ。近頃現れている怪物も同じ名称で呼ばれているが、元祖・・はこれのような、奇妙なオブジェクトの総称を現している。

 インパクト直後は至るところに生えていたそれも、生活の邪魔になるところから次々と壊されていった。残ったのは都市部から離れた場所にあるものと、人があまり訪れない、もしくは知られていない場所にあるものだけ。破壊したからといって害がある訳でもないから、皆は首を傾げながらも撤去していたのだが。


 「へえ、珍しいな。まだ残ってたのか」


 興味津々にムサシが呟いたのを聞いて、マナも時計台を見上げる。


 「そういえば、殆んど撤去されちゃったからね、他の場所は。第三で残ってるのって、こことNERV前公園、あとは幽霊タウンだけだったと思う」

 「邪魔になる所は優先的に壊されたからな。それに、これはサードインパクトの名残みたいなもんだ。あまり思い出したくない奴らが多いんだろうな」


 死人が生き返ったという、ありえない出来事が起きた三回目の大破壊。しかし死人が生き返り、破壊されたはずの建物が直っただけではないのだ。インパクト前の戦闘で亡くなった人間が生き返る中、全ての人間が生き返った訳でもなかった。シンジの知り合いでは鈴原トウジがその例といえる。なんらかの法則性があるのか、はたまた神の気まぐれか。兎も角、生き返った人間は両方合わせて半分程度だった。しかし不思議なことに、インパクトのずっと前に死んだはずの加持が生き返ったり、持っていた持病が帰還後には直っていた、なんて報告もあった。

 そして当然だが、インパクトによって命を落とした人間も多い。ややこしい話、インパクト前は生きていたのに帰還しなかった、という人間達がこれに当てはまる。

 死んでいたのに帰還し、生きていたのに帰還しなかった。科学者達を悩ませる、大きな問題である。
 

 「・・・・」

 「・・・・」


 ムサシはそっと、自分の手をマナの手に重ねた。

 暖かい。ムサシはそう思った。同時に心地良くて、気持ちよかった。安心もした。触れているだけなのに、全てが包まれている気がしてならない。

 二人は見つめあい、微笑んだ。

 顔を近づける。マナは目をつむってくれた。受け入れてくれたことが嬉しくて、ムサシはドクドクと五月蝿い心臓を気にしながら、顔を近づけていく。

 マナの唇は柔らかそうだった。

 そこに自分の唇を重ねると考えただけで、膝がガクガクと震えた。

 あと少し。

 あと少し。

 あと少し――――――。


 「お楽しみ中、失礼します」


 ドクドクと五月蝿い心臓がさらに加熱していく。

 目の前の人物は、貼り付けたような・・・・・・・・微笑を浮かべていた。


 「シ、シンジ!?」



 ドクドク。

 ドクドク。

 加速、加速、加速。

 メーターが振り切れそうになりながら、体中の血液は走り続ける。


 「こんにちは、戦略自衛隊のお二人さん」


 絶句するマナを尻目に、ムサシは歯を食いしばった。

 バレないはずがなかったのだ。情報に関しては、NERVの右に出るものはいない。情報世界と例えられる現在、マスコミや民衆を動かすのも、また情報なのだ。

 早い話、自分達は泳がされていたのだろう。

 サードがここにいるという状況からして、拉致作戦が成功しなかったのは明確。失敗したからには、仲間は捕まったか殺されたのだろう。

 だが、今日まで泳がされたのはなぜだ? 一網打尽にするべく、自分が退院するのを待っていたのか? まさか。あそこはNERV傘下の病院だ。今頃動き出すくらいなら、入院中に毒殺でもした方が確実だろう。

 ムサシは襲い掛かる衝動を抑え、射殺さんばかりにシンジを睨む。

 幸いこの場所にはサード一人しかいない。独断で訪れたのか、たまたまここに通りかかったのか。いや、今はどうでもいい。奴にはバレている。それだけが事実だ。

 ならばやることは決まっている。

 はははっ!! 考えるまでもなかったのだ! 奴が憎い。奴が憎い。ならば起こす行動も、また然り!!


 「碇シンジィイイイイイイッ!!」


 弾丸の如くムサシは駆け出した。速い。シンジの驚く顔が見て取れる。自分だって驚いているのだ、シンジもさぞや驚いたに違いない。

 熱い。

 熱い。

 憎くて憎くて堪らない。

 殺せ。

 殺せ。

 感情に従い息の根を止めろ!!

 一瞬で懐に潜り込んだムサシは、鉄槌の如く正拳を叩き込んだ。









 懐に潜り込まれたとき、シンジは己の迂闊さを呪った。

 先日の戦闘以来、自分の力を過信しすぎていたのだ。今回だって、相手はマナと数個年上なだけの男。戦自隊員三名を手玉に取ったシンジは、赤子を捻るように始末できると思っていた。

 だが驚くべきことに、ムサシという男は世界に干渉してみせたのだ。チルドレンにしか実現できないと思われたそれを、無意識だろうが発現してみせたのだ。

 失念していた。

 いくら身体能力が上がろうと、自分はかじっただけの似非軍人でしかない。アスカなら戦闘訓練、それこそ格闘技に手を出していただろうが、シンジはEVAに頼っていた上に特攻攻撃ばかりをしていた。EVAなら腹を貫かれても痛みはあるが致命傷にはならない。だが人の身は違う。それこそピンポン玉大の傷だとしても、致命傷になりうるのだ。

 ハンマーで殴られたような衝撃が走る。

 胃の中身をブチ撒けながら、碇シンジはゴロゴロと転がっていく。身体強化する暇もなかった。相手の決断の早さに恐れ入る。

 立ち上がろうとしても無理だった。幸いなのは、男が銃器を携帯していないことだ。マナは当然持ち歩いているだろうが、この男は退院したばかりなので持ってはいないはず。

 マナを狙うか? 駄目だ。自衛のために引き金を引きかねない。この男とならば殴り合い。喧嘩程度ではなくても、マナは銃を使うのに躊躇する。

 
 「ちょ、ムサシ!! 何するの!!」

 「コイツは!! コイツだけは許さねえ!!」


 咳き込みながら、シンジは男の目を見て違和感を覚えた。逢引を邪魔されただけでこんなに激怒するのだろうか。しかも、問答無用で殴りかかってきた。明らかに敵意を持って、尚且つ殺意を撒き散らしている。

 どこかで会ったっけ?

 覚えている限り、シンジはムサシに恨まれる行為をした覚えはない。

 
 「・・・・ゲホッ、そんな、恨まれる覚えはないんだけど」

 「うるせえっ!!」


 倒れこむシンジの腹を、思い切り蹴り抜く。今度は身体強化に加えて意識も集中していたため、大してダメージにはならない。何よりさっきは奇襲じみた攻撃だった。モロに喰らったシンジは一瞬にしてダウンし、全力が出せなくなった。

 喧嘩とはそういうものだ。

 始めに当てた方が、断然有利になる。長期戦で殴りあうのは優れた格闘者だけだ。素人同士では殴り合いにさえならない。初めにヒットさせた方が勝者となる、実に分かりやすい一発勝負。だから喧嘩では一対多数は避けなければならないのだ。前後左右から繰り出される暴力を避けるのは不可能だからだ。そして一発喰らえば、あとはダルマにされてリンチとなる。

 そして、鋭い痛みは、抵抗する意思さえ奪ってしまうのだ。


 「やめてよムサシ! いくら監視対象だからって・・・・!」


 マナにとって、碇シンジは監視対象であると同時に気になる友人でもあった。不思議な雰囲気を纏う彼を、誰よりも興味深く感じたのもマナだった。

 手に入らなかった日常生活の中で、初めてできた友人が碇シンジであった。

 そしてNERVに潜入した際に、惣流・アスカ・ラングレーとも知り合い、今では仲の良い友人になった。彼らはマナの、日常の象徴だったのだ。NERVの内情調査という非日常の中で、日常の象徴となった非日常の住人。それこそがマナの友人達だった。

 分からない。

 確かに監視するよう、仲間に引き込むよう言われていたが、ムサシがここまで激怒する理由が分からない。顔を真っ赤にしてシンジを殴ったり蹴ったりするムサシは、狂気に駆られた表情を浮かべている。

 どうして。

 自分にはあんなに優しくしてくれるのに、どうしてシンジには暴力を振るうのか。

 優しいムサシと恐いムサシ。

 両方が同じ人間だとは思えない。


 「コイツはぁ!! コイツはケイタを殺した!! 殺したッ!! 殺したッ!! 殺したッ!!」

 「――――――え?」

 
 ムサシが叫ぶ。殺した。殺した。何度も何度も、壊れたラジオみたいに繰り返す。

 言葉が脳に伝わって数秒を要し、マナは意味を理解した。

 殺した。ケイタを殺した。だからムサシは怒り狂っている? ケイタが死んだのは<第壱拾壱号事件>のせい。シンジたちを監視していて、そのせいで巻き込まれたのも知っている。

 だけど、化け物に殺されたんじゃなかったのか。

 いや、ムサシは明言しなかった。確かに庇って命は救われたとは言ったけど、化け物に殺されたとは言わなかった。

 じゃあ。

 殺した?

 誰が。

 シンジが。

 コロした。

 ケイタを、殺した・・・・?

 度重なるショックに、マナの思考は付いていけなかった。我を失ったかのように、執拗に暴力を振るうムサシ。戦自の工作員だと知っていたシンジ。分からない分からない。何がどうなっている? 何がどうしている? 殺した? ケイタは誰に殺された? 誰がケイタを殺した?


 「あ、」


 手に馴染んだ、鉄の感触。

 構えると同時にセーフティ解除。照準を碇シンジに固定。


 「ああ、」

 
 でも、本当にシンジが殺したのだろうか?

 信じられない。

 いや、信じたくない。

 銃で脅せば、答えてくれるだろうか。

 そうだ。

 誰だって死ぬのは恐いから、きっと本当のことを教えてくれるはず。

 もし殺したとしても、彼の言い分を聞いてみよう。

 殺さなければならない、理由があったかもしれない。

 脅すだけ。

 そう、脅すだけだ。

 友達に銃を向けるのは忍びないけど、問いたださなければならない。

 ケイタは親友だった。

 だから、問いただ――――――。


 「何してんのよ・・・・アンタ達・・・・」


 振り返ると、肩を震わせるアスカが立っていた。そうなのだ。シンジがいる所に、アスカが来てもおかしくはない。


 「何してるって聞いてんのよ!! マナッ!!」
 

 何してる? マナは状況を見て、顔を青ざめさせた。

 シンジに暴力を振るうムサシ。

 怪我をして半死人のシンジ。

 そのシンジに銃を向ける自分。


 「ち、ちがっ――――――」

 「裏切りものっ!! やっぱり戦自の狗だったっ!! 組織が違うけど、友達だって思ってた。なのに、裏切った!!」

 「違う。違うよ。違うってば!!」

 「嘘つくな!! シンジを怪我させた。銃だって向けてるじゃないのよ!!」

 「お願い。信じて。違う。違う。違うんだってば・・・・!」


 涙が止まらない。

 どうしてこんなことになったんだろうか。

 居心地の良い日常は何よりも代えがたくて。

 マナは、普通の生活を愛して。

 だけど、それは唐突に終わりがやってきた。


 「何やってる、マナ!! 殺せ! ソイツはセカンドチルドレンだそ!! 殺さなきゃ、NERVに知られたら、俺たちが殺させる!!」

 「裏切りもの! 裏切り者ぉ!!」

 
 銃を握る自分。

 殺さなきゃ、殺される自分。

 霧島マナは、ただ普通の生活を望んでいた。

 友人を殺す日常など、考えたくもない。

 自分が死ぬ日常など、考えたくもない。


 「・・・・っ!!!」


 照準をアスカに向ける。

 この距離では、絶対に外さない。

 寸分違わず心臓を打ち抜き、生命活動を停止させることができる。

 心臓を外れても致命傷だ。

 肺が自らの血液で満ち、溺死する。

 撃て。

 撃て。

 撃て!





 ――――――、ズブリ。





 「――――――コフッ」



 え・・・・? と、口に出そうとして、霧島マナは血の塊を吐いた。

 見ると、自分の胸の辺りから銀色の突起物が、血に濡れながら突き出ていた。

 刺されたんだ。

 軍人としての思考が、彼女にそう告げていた。

 そして同時に致命傷だと、彼女は理解する。

 刺したのは誰?

 分かっている。

 シンジ、あなたなんでしょう・・・・?

 振り返って確かめる気力さえも、マナには残っていなかった。

 胸から熱い何かが溢れ出し、比例するように身体の先から冷たくなってくる。

 ガタガタガタ。

 寒い。

 熱い。

 恐い。

 でも。

 



 ――――――友達を殺さなくて、本当に良かった。





 そうして霧島マナは、心臓の鼓動を、停止させた。















 「マナァアアァアアアッ!!!」

 
 倒れ付すマナに重なるように、シンジも崩れ落ちる。苦し紛れの足掻きだったらしい。ただ、シンジは気を失っているだけなのか、胸は上下している。


 「碇シンジィイイイイッ!!!!!」


 許さねえ。

 絶対に殺してやる。

 ケイタばかりか、マナまで殺しやがった!!

 死を持って償え!

 死んで詫びろ!


 「シンジに――――――」


 直感が危険だと告げる。だが間に合わない。身体がついていかない。危険だと分かっているのに、ムサシの身体が反応しきれない。


 「――――――近寄るなああああああああっ!!」

 
 暴風のような横殴りの衝撃が腹をつき抜け、先のシンジのようにムサシは転がった。喰らったのは中段回し蹴り。頭に喰らわなかっただけマシといおうか、上段に命中していたなら、一瞬で意識を刈り取られていただろう。

 さすがにムサシも軍人である。しかも年代の中では体格にも恵まれており、誰よりもタフだった。

 顔を青くしながらもムサシは立ち上がる。直接入ったせいか、かなりのダメージのようだ。彼を支えるのは怨念。憎しみ。殺意。その全てが感応し、奮い立たせ、彼の背中を押す。

 殺せ。

 殺せ。

 骨を砕け。

 内臓を潰せ。

 
 「シッ!!」

 「っ、ぐっ!?」


 一気に間合いを詰め、フットワークを生かして牽制。

 ジャブ、ジャブと繰り出し、本命のフックがアスカに突き刺さる。重い。顔を歪めながら、アスカはシンジの言葉を思い出した。



 

 ――――――世界は、綻び始めているんですよ。





 ならば、この男は自分と同じく、世界の恩恵を受けているのだろう。

 人並みならぬ反射神経も、拳の重さも、自分とやり合えることも、それならば納得がいく。

 無意識に干渉しているのだろう。

 異常な狂気、憎しみは感情を暴れさせ、本能的に自分は強いと思い込む・・・・・・・・・・・・・・

 普段ならば自滅しかねない捨て身の凶行も、この世界では限界以上の力を引き出すキッカケになる。麻薬で恐怖心を押さえ込み、肉体のリミッターを外したと考えればいい。

 彼が考えるのは、殺すことのみ。

 余計な感情がないぶん、それに特化した肉体構造に変化する。

 それが、この世界というものだ。


 「うおあっ」

 「ちィっ!!」


 顔面を狙ったストレートを、体を屈めることでやり過ごす。どうやら相手はボクシングを中心的に使っているようだ。その証拠に足技がない。大柄で力押しのムサシならば、隙の多い蹴りを放つまでもなく、拳で押し切ることができる。スピードがほぼ互角な以上、あとは単に力比べ、いや、我慢比べだ。

 大技は予備動作が多いぶん、辛うじて避けることができる。正常な判断をムサシが失っているせいか、小技に切り替える様子はない。

 当たればマズい。

 いくら格闘技をマスターしているとはいえ、アスカは女身だ。タフさではムサシに及ばない。二発、いや、一発でも喰らえば危険なのである。


 「ぎっ・・・・!?」


 ガードした腕が軋む。

 人ならぬ軌道で動く足が歪む。

 ミシミシと身体が壊れる音を、アスカは確かに聞いた。

 いくら速く動こうと。

 いくら強い力を持とうと。

 所詮、人の身体なのだ。

 ムサシは距離を取ろうとするアスカを追いまわし、休む暇を与えない。かといって深追いする訳でもなく、カウンターも狙えそうにはなかった。足技を捨て、フットワークだけで追い詰め、かく乱する。スタミナも凄まじいものだ。全力で機動しているというのに、まったく衰えを見受けさせない。まるで疲れることさえ、忘れてしまったかのようだ。


 「ひっ、つぅ・・・・」

 
 痛い。

 痛い。
 
 痛い。

 今にも膝は崩れ落ちそう。

 まぶたが閉じて、意識を手放しそう。

 頭がガンガンする。

 耳がキンキンする。

 死にそうだった。

 崩れ落ちそうだった

 だけど。



 負ける気は、しなかった。


 「ああああああああああああああああっ!!!」


 ムサシの意識が、僅かに後方へずれた。アスカの背後に転がるマナの遺体に気を取られたのだが、それをアスカが知る由もない。ただ、一瞬の気の緩み。それだけは確実に悟る。

 力の限り弾き飛ばし、間髪置かずに一気に加速。加速、加速、まだまだ加速! 受けの位置からの逆転。一瞬のうちに攻勢に回ったアスカは、迷うことなく体を進める。考えている暇などなかった。一秒にも満たない行動。殆んど無意識の突進。

 ヤケになった訳ではない。勝機を見定めたからこそ、打って出たのだ。

 渾身の一撃を放とうとするアスカに気づいたのか、ムサシは腕のクロスさせ、衝撃に備える。今までにない気迫に後ずさりし、叱咤して正面を見据える。目が狂気に駆られている。突っ込んでくるセカンドの目は、とてもじゃないが健常者ができる目ではなかった。くしくも、マナがムサシに持った感想と同じであった。

 カウンターなど論外。

 直撃すれば、間違いなく死ぬ。

 頭の中には、ありありと己の死に様が浮かんでくる。叩き潰される自分。血反吐を吐いて崩れ落ちる自分。

 直撃すれば・・・・・死ぬ・・

 それだけが、事実だった。






 だが、ムサシは確信していた。

 あの女の拳は届かない・・・・

 なぜだか、そんな気がするのだ。

 この一撃をやり過ごし、離れる暇を与えずに首をへし折ってやる。

 来い。

 来い。

 来い!

































































 ――――――親友だって言ったのに、この、





 「え?」


 ケイタが立っていた。

 セカンドチルドレンの向こう側。

 歪んだ時計台の真下に、ケイタは立っていた。

 体中血塗れになりながら、ケイタは立っていた。

 脳をはみ出しながら、腹から腸をこぼしながら、ケイタは立っていた。



 

 ――――――この、人殺し。





 「ひ、ひああああああああああああっ!?」


 違う。

 違うんだ。

 逃げた訳じゃない。

 見捨てた訳じゃない。

 信じてくれ。

 信じてくれ。

 許してくれ。

 恐かったんだ。

 すまないすまないすまない。

 悪かった許して許して許して・・・・!





 


































 ――――――許さない。



 
 ケイタが、ワラった。
















































 
 「うわああああああああああああああっ!!!!!!」


 叫ぶ。

 腹の底から、叫ぶ。

 チカラを出し切るために、アスカは叫んだ。

 許さない。

 絶対に許さない。

 シンジを傷つけた。

 シンジを殺そうとした!!

 死ね!
 
 シンジに害なすものは、みんな死んでしまえ!!

 自分に光を与えてくれた、ただ一つの存在。

 安らぎを与えてくれた、ただ唯一の存在。

 一杯酷いことをしたのに、彼は許してくれた。

 ズタズタで、ボロボロで。

 でも、彼は笑って許してくれた!!

 シンジの敵は、自分の敵だ!!

 こんなクソ喰らえの世界、シンジが死んだらどうしてくれるのだ!!

 綻びろ。 

 千切れろ!

 


 

 ――――――砕け。





 想えば力になると、そんなふざけた世界。





 ――――――砕け。





 心を照らせば現実に映る、そんなふざけた世界。





 ――――――砕け!





 世界を想像すれば、世界さえも創造する、そんなふざけた心像世界。
 
 砕くんじゃない。

 砕いた世界を思い浮かべろ。

 砕いた自分を思い浮かべろ。
 
 ――――――自分が相手を砕いたと、確信しろ・・・・





 「ひぎぃっ!?」





 ボギリ、と。

 景気良い音を聞いて、自分の腕が消失したような幻を、ムサシは見た。

 まるで感覚がない。

 女性の細腕が突き進むサマを、スローモーションでも見るかの如くコマ送りで見せられ続ける。

 腕を砕き、肋骨を砕き。

 肺を潰して、心臓をも押し潰した。

 遅れて衝撃が突き抜ける。

 左胸を槍で貫かれたような、そんな感覚。

 視界が狭まる。

 朦朧とする意識の中で、自分の胸に、螺旋状の槍が刺さっている光景を見た気がして。

 

 ――――――文字通り、ムサシは虫の息となり、絶命した。

















 

 夕暮れの高台に、彼女は膝を付いて座っていた。太ももの上には傷ついたシンジの顔。切り傷だらけだが、思ったより酷くはないようだ。恐らく、奇襲じみた初撃でやられてしまったのだろう。

 霧島マナが死に、ムサシ・リー・ストラスバーグが死に。

 結局、碇シンジが怪我を負いながらも生き残り。

 惣流・アスカ・ラングレーも生き残った。

 だが。



 「気持ち、悪い・・・・」


 
 後悔はない。

 だけど、後味の悪さだけは拭えなかった。

 きっと、あの男もマナのために怒り狂っていたのだろう。

 分かっている。

 シンジの敵は、自分の敵だ。

 だけど、気分は優れない。

 

 薄れゆく意識の中、カチコチと五月蝿い時計の音が、アスカにはヤケに腹立たしかった。






                                  ■ 第二十一幕 「Darkness which low moon illuminates」に続く ■