――――――い・れわれ・・・・・・り・・そ・
シンジ達が編入してから幾ばくかの時間が流れた。
その中でシンジとアスカが付き合っている噂が校内で流れたり(本当の話なのだが)、遅れて顔合わせしたアスカとマナが一波乱を起こしたりもした。
正式に付き合いだしたアスカにしてみれば、以前からシンジに近寄っていたマナは害虫に他ならない。過剰に意識してしまうのもアレだとは分かっているものの、他の女が我が物顔で接してくるのは非常に不愉快なのだ。
シンジに独占欲を感じているのは当たり前。今まで遠慮していたぶん、依存性が高くなってしまっている。
そのことを自覚しながらも受け入れてしまっているアスカにしてみれば、そのことにはなんの問題もない。
どちらにしろ、すでに感情共有しているこの身はシンジの影響下にある、といっても過言ではないのだ。逆にアスカの強い感情などはシンジに流れていく場合もある。決して片方だけの一方通行ではなく、相互送還によって二人は成り立っている。
彼らが繋がった原因はシンジの<大破壊と新生
不可解な点はなぜ二人が同じ記憶を垣間見たのか、だ。記憶を見る以前は当たり前にリンクされていない状態なので、シンジの夢を見るに至った出来事が存在するはずなのだ。
考えられるのは巻き込まれた<第壱拾壱号事件>の影響。鬼と対峙したときに感じた不思議な高揚感が彼女には忘れられなかった。そして、その高揚感が何か重要なものであるのではないか、と思う。
確証はない。
ただ、そうだと実感出来てしまうのだ。
こうして生きていられるのはあの高揚感のおかげなのだし、冷静に考えて、真っ当な人間があの惨劇で生き残れるはずもない。
自分の知らないどこかで、自分の知らない力が働き。
自分の知らないうちに事件の幕は下ろされてしまったのだから。
しかしアスカは納得出来るものがあった。
なにせ、恐らく全貌を知るのは碇シンジその人だと思うからだ。
彼が何を隠すにしろ、自分はそれに答えるために余計な首を突っ込まない。必要があれば教えてくれると信じている、いや、今までだって無関心ながらも何かと世話を焼いてくれているのが碇シンジなのだ。
三年前とは性格も変わってしまっているが、根本は変わってないように思えてアスカは嬉しかった。
それが事態を円滑に進めるための、安物の潤滑油だったとしても。
――――――ろあ・・・・む・・・じゃ・・・・・さ・あ
さんさんと降り注ぐ太陽光の下、惣流・アスカ・ラングレーは奇妙な声を聞いて首を傾げた。
先程から一定の間隔で誰ともつかない人の声が聞こえてくるのだ。初めは空耳かと思ったのだが、こうして長時間続くとそれもありえない。不思議なのは他の面々が口にしないことだ。
もし聞こえているのなら誰かが疑問に思って口に出すだろう。
恥ずかしがって言うのを躊躇うようなものでもない。わざわざ聞こえない振りをして我慢するとは思えなかった。
「・・・・」
辺りを見回してみても、クラスメートは目の前の海に目を輝かせているだけ。
そう。
第三新東京市立中央高校二年生の面々は、課外授業と冠して、太陽燃え盛る真夏(?)の楽園を訪れているのだった。
一年中季節が夏である日本には海開きなるものはなくなっている。いつでも入浴OKな海はまさに学生達にとってこの世の楽園と言えた。
一人で来ても勿論面白くはない。
家族で来てもやはり面白くはない。
友人その他と来てこその、真夏楽園ベイベーだろう。
例に漏れずアスカも心躍らせてこの場に立っている一人である。
懸念されていた霧島マナとの間柄も、なんとマナが“彼氏持ち”と判明してからはなりを収めている。なんでも幼馴染で腐れ縁だと言う。今は怪我をしていて入院中らしいのだが。
兎も角、マナが好意的なのは異性としてではなく、友人として、と分かってからはアスカも胸を下ろすことが出来た。最も、彼らが付き合いだしたのがついこの間であり、アスカが散々気を磨り減らしていたマナのアピールが直球狙いだったとは思いもしないだろうが。
――――――・・げ・・・せる・・・・る・・・ほじ・・・・あ
生憎アスカとて健全な17歳である。
クスリをカマして幻聴が聞こえるようになったり、大宇宙から電波を受信するような人生は送っていないつもりだ。
しかし他の人間が聞こえていないものが聞こえてくるとなると、それも疑わしくなってくる。なんちゃって霊能力者でもない彼女に、幽霊の声が聞こえるはずもないのだ。
考えられるのは脳内妄想ボイスが暴走して、耳の中の聴覚器官が誤作動しているとか。
いやいや。
確かに自分は人様とは違う頭の作りはしているけど、それは頭脳面においてだけで、ゴッドのお告げを拾ったりとかはしないはず・・・・?
確証が持てずに最後は疑問形になったあたり、普通でない事態に慣れすぎるのも問題であった。
「――――――新生と終焉は彼の者の傍にあり、ねえ」
自分の手のひらを見つめながら、碇シンジは滑るように独白する。
こうして海パン姿になりながら言うと、キザっぽい台詞も異様に阿呆っぽくなるから不思議である。
例えば、街中のスーパーで、ゲンドウが野菜売り場にいるくらいに阿呆っぽい(手を組んでカートを押していそうだ)。
厄介なことに例の電波はシンジも受信していた。耳元で延々とラジオを流されていると思って欲しい。しかもノイズ込みで。
長時間続くと、下手すれば気もおかしくなってくるのだ。
「しかしまあ」
蒼い空を見上げ、ポツリと。
「時間が経つのは、早いもんだーねー」
碇シンジが第三に戻ってきてから、今月で半年が過ぎようとしていた。
「ねえねえ、どうかな、シンジ!」
目の前ではしゃぐ霧島マナを尻目に、シンジはどう答えたらよいものかと内心で唸った。
スレンダーな彼女を誇張するかのような競泳用水着は眼に眩しい。しかし学校指定の水着を着ていて「似合ってるよ」というのもどうかと思う。
一般に(というか男達の常識として)スクール水着や競泳用水着はそっち系の意味合いが非常に強い。愛好家達はこぞって学校に忍び込んで拝借してくるほどでもあるのだ。
その点、マナは似合いすぎていた。
凹凸の少ない引き締まった身体に、髪にかかるくらいのショートカット。
その手の輩がこの場にいたら、勝手に拝みだすに違いない。
「うん。可愛いね」
あくまで無難に。
加持から「女の子は泣かせるなよ」と人生の教えみたいなことを出発前に聞かされているので、それに基づいて行動するつもりなのだった。
よくわからないが従った方が無難だ、と脳内警報が発令したからである。
クラスの女子に紛れてアスカも姿を現した。マナと共に男連中からの視線をひしひしと感じているらしい。顔を僅かにしかめている。
「・・・・まあ、仕方ないんじゃないかしら」
わからなくもない、と洞木ヒカリが苦笑いしてアスカの肩を叩く。
高校生の男は例外もあるが下半身で生きているようなものなのだ。悪い意味ではなく、そういう年頃なのだから自然と目がいってしまう。しかも容姿体系共にパーフェクトであるアスカに注目するなと言うのは酷なものだろう。
雄が雌に惹かれる。
雌が雄に惹かれる。
一言で言えば、それは生殖行動に影響されてのもの。しかし人とは面白いもので、それを“恋”などと呼んだりする。
そもそも恋とは何か。
男が女に惹かれる理由が性欲意外にあるとしたら、一体それはなんなのか。
例えば――――――仮に生殖行為ができない同性に惹かれたとしよう。当然、子孫は残せないので、種の存続という本能による“恋”とは別物になる。
ならばなぜ同性に惹かれたのか。
その人の性格に惚れたり、その人の在り方に惚れたのかもしれない。
しかし一番大きいのはやはり、“自分を必要としてくれている”ことだろう。
仮にも自分の他に何もいらないと言ってくれたら嬉しいだろうし、自分のためだけに生きてくれれば、これ以上なことはない。
決して裏切らず、決して自分からは離れない。
常に人は別れや裏切りに怯えて生きているのだ。それが解消されれば、この上ない安息になるのだろう。
だが。
実際問題、都合よく自分を前面信頼してくれる他人は殆んどいない。
それも当たり前、他人は自分ではないのだからいつ裏切るかもわからない。胸の奥で何を考えているのかもわからない。たかが数年、数十年付き合っただけでは分かり合うことなど、到底できやしないのだ。
それでも。
中には全面的に信頼してしまう人間もいる。
一種の病的なまでの依存心の在り方が成しているのだろう。捨てられたくない、だから相手を信じ続ける。
はっきり言って、普通ではない。
それはもう――――――ある種の信仰にまで達しているのだ。
「どうよ、なかなかのもんでしょ?」
故に惣流・アスカ・ラングレーに裏切りや離縁の文字はない。
ただ、漠然と。
その在り方さえも受け入れてしまっているのだから。
「相変わらずスタイルいいね、アスカは」
ただでさえ大きい胸をそらしてアスカが言うもんだから、周りの男達は一斉に目を逸らす。いや、もう反射的に。
苦笑しながらシンジは彼女を褒めた。
「それにしても大層な課外授業だよね」
「まあね・・・・」
マナも編入したのは今年に入ってからである。立場的にシンジたち転校生組みと変わりはない。
「課外授業って言っても、大義名分借りただけの遠足みたいなものなのよ。元より先生達もそのつもりだから水着姿なんだし」
皆の視線の先には、釣り道具一式を背負った2年A組担任の笑顔がある。
あれはもう、プロの釣り師だ。その場の誰もが思った。
「だって課題が『海洋生物の生態観測』なのよ? みんな今日は無礼講だー! って、言ってるようなもんじゃない」
そうね、とアスカの言葉にヒカリが同意した。
普段の授業なら真面目にやれだなんだと叫んでいたところだろうが、ここまできて言うのはただの馬鹿だろう。むしろ場の空気を読めていない。
あからさまにのほほんとしている上に、担任がそうそうと姿を消した。
後は勝手にやれと。
言われるまでもなく伝わってくるのは如何なるものか。
「とりあえず泳ぎにいこうか」
シンジの提案は、会場一致で即決された。
軽くストレッチを済ませた後、手始めに腰まで水がくるくらいの浅瀬で遊んでいたアスカは、今更に気づいて声を上げた。
「あれ?」
「どうしたの?」
近くで浮き輪に乗りながらヒカリが尋ねた。
「あ、あはは。なんでもないわよ」
いくらなんでも「天からの声が聞こえなくなりました」なんて言った暁には、確実にアブナイ人のレッテルを貼られてしまうだろう。
昔から電波を受信するのはヤク中と宗教関係者と相場が決まっているので、まさか一介の高校生がぬけぬけと言葉に出来るものではなかった。しかし信仰を大切にしている人間に言わせてみれば、それは大きな偏見だと怒りたくもなるだろう。
怪しげなカルト教団は別として、真面目に神を信仰する団体も確かにある。
宗教団体に属する人は大概の場合、何か問題を抱えている人が多い。だからその不安を“不安を同じく抱える人々”と共に暮らすことによって解消しようとするのだ。
前にも言ったとおり、人間は完全信頼してくれる人は殆んどいないし、逆に信頼出来る人物もまた然り、だ。
そこで出てくるのが<神>という訳である。
神は無条件に信頼してくれ、また、信頼出来る“完璧な超人”なのだから。
全てを創造した神は全てを認知しており、全てを許してくれる。
そんな都合の良い存在は<神>意外には存在しないだろう。少なくとも、今まで裏切られたり迷惑を負わされた人間よりは、はるかに信頼出来る。
信じるのが“人”か<神>なのか。
信ずる者が違うとはいえ、根本は大して変わりはない。
「・・・・聞こえなくなったね」
誤魔化し笑いを浮かべるアスカにシンジは話しかける。「え?」と、今まで自分しか聞こえていないと思っていたアスカは目を瞬かせた。
「なんか長い時間聞こえていたから。いい加減嫌になってきてたところに、本当にありがたい」
「ちょ、シンジも聞こえてたの? アレ」
「うん。アスカも時折変な顔してたからそうだと思ってたけど。にしてもなんだったんだろうねえ?」
クスクス、と。
まるで仕方がないなあ、と苦笑しているように見える。
(うわー、この笑い。絶対にこれが何か知ってるわねー)
しかしアスカに聞くつもりもない。彼が言わなければそれでいい。自分に知る必要があれば教えてくれるはずなのだから。
無条件にシンジを信頼しているということは、自分の全てを彼に任せているのと同義である。
今のアスカはシンジが死ねと言ったら死ぬだろうし、そんな命令は言わないと分かっているから別にその気もない。
付き合っているこの関係でこそ、シンジが暇つぶしに取り繕っているものでしかないのも承知している。
それでも。
彼の役に立てれば、それでいいのだ。
昼時、シンジ達四人は食事を目の前にテーブルの前に座っていた。
彼らがいるのは通称“海の家”。なぜ通称なのかと言うと、外見はまったくの海の家ではないからだ。
近い昔に存在していたオープン式の海の家は、セカンドインパクトによって一つ残らず姿を消している。故に若い世代は昔ながらの海の家を知らないのである。
一応、知識としては知ってはいるのだが。
兎に角、彼らがいるのは列記としたレストランで、唯一違うのは店内の窓が大きく、そこから海がみえるという点だろう。配置されているテーブルも間隔を広く取って海っぽさ(?)を演出している。
水着で店内に入れるのも、海に面している“海の家”の特権だろうか。
「でもさ・・・・男女比率がちょっとおかしくない?」
目の前を女性陣に囲まれたシンジは首を傾げた。
昼飯時、男の誰もがこの三人を誘うと思っていたシンジにしてみれば拍子抜けした上に、そこに紅一点ならぬ白一点の自分が入り込んでいいものか、と。
あからさまに「どうぞどうぞ」と遠慮しながら席を空けていてくれたクラスメートは摩訶不思議であった。
「シンジ・・・・世間一般、シンジとアスカは付き合ってる、ってなってるんだよ?」
うん、と。
「それでヒカリは三年の先輩との話が知れ渡ってるし、私だって彼氏持ちだって公表しました。はいさてここで問題ー」
じとー、っとマナは意味ありげにシンジを見据えて問う。
「この輪の中に入り込める兵
少なくとも加持さんはすまし顔で入ってきそうだな、と思ったのだが、ここで変なことを言うと、自分の立場が悪くなりそうなのでとりあえず謝っておく。
いや、本当によくわからないのだけど。
「それに碇くんの海パン姿はいろんな意味で衝撃的だからね・・・・」
ヒカリが言うのも無理はない。
こうしてタオルで包まっているシンジを見れば、ぱっと見ただけでは性別の判断などつきはしないのだから。
長い黒髪を縛り、身体は引き締まっていて細い。
女装させればそれだけで性転換してしまってもおかしくはない。
モグモグと食事を続けながら「そうなの?」とアスカに聞いてみる。「まあ・・・・その手の人間には受けそうな雰囲気よね」
厄介者
「そーゆー訳で男の子達も声をかけづらいんじゃなかな? シンジの姿見て、何人か赤くなってる人いたし」
「ふーん」
「あれ? 気にならないの、そういうの」
「気になるも何も。僕はもうアスカと付き合ってるから、他の人と付き合うつもりはないよ」
三角関係って面倒だよね、とシンジは付け足した。
一方、アスカは何気なしに言われたであろう彼の言葉に感動しているのだった。
シンジの判断基準として、面白いものであればそれでいい。しかし日常を過ごすというのが前提であり、それが困難になるような行為はしないのだ。
つまらないからと言って殺人を犯したりすれば、それはネジの外れた危険人物と大して変わりはない。殺し合いである戦争に反則や条約
日常を過ごしながら、起伏の少ない毎日にどう刺激をつけていくか。それが彼の命題でもある。
まあ、ここ最近はOOパーツのおかげで非日常を余すところなく経験できたのは嬉しいところである。
実際のところ、リツコには鍵を握っているのはシンジだと思われがちであるがそうではない。
碇シンジは駒
唯一の観客はパンフレットを持っている。
劇場は全世界。
役者は全人類。
観客はただ一人。
結局、いつの世もくだらない茶番劇には変わりはないのだろう。
それに気づくのか気づかないかの違いこそあるのだが。
役者が気づかないうちに始まって、気がつかないうちに終わってしまう。
それなら役者が役者であることさえも気づきはしないのだ。
あるものは自分が主役だと考え、またあるものは自分は関係ないと白を切る。
しかしながら例外は一人も存在せず――――――。
碇シンジを含めて、劇の終幕を知るものはこの場にはいない。
「午後から何しようか?」
「遊びながら考えましょ。時間はまだまだあるんだし」
「そうだと――――――いいんだけど、ね」
■ 第十六幕 「 みたすもの、みたされるもの 」に続く ■