神造世界_心像世界 第十三幕 「積罪のワルツ」













 何があろうと、何が起ころうと。

 太陽は毎日同じように昇り、大地を照らす。

 世界は二度目の危機に瀕していると語りながら、人々は変わらない日常を送っていた。

 TVやラジオでOOパーツの話題が一時爆的に上がっていたのだが、何事もなく一月が過ぎる頃にはその熱も収まり始め、『OOパーツ』という単語も聞きなれた死語となってきていた。

 得てして自らに危害がなければ動かないのが人間の悪いところであり、良いところでもある。

 確証のない噂やホラに振り回される大人など大人としてなっていない。自ら見たものしか信じないのもまた問題なのだが、無条件に人を信用してしまうよりは幾分もマシだろう。

 世界は決して優しくはない。

 お人好しは真っ先に獲物とされ、狩られてしまう。

 だが一筋縄ではいかない『お人好し』はしぶとく生き残り、世界の“悪意”をも利用して成り上る。

 世間一般で『黒い』とか言われる人間がこれに分類されるのだろう。

 それは兎も角、人々はTVから得た『OOパーツ』の情報に多少影響はされたものの、鵜呑みにする事はなかった。

 あまりにも胡散臭いオカルト番組がここ数週間で多くなってきていて、それも大体的に『OOパーツ』を取り上げている。一部のマニアには眉唾物なのだろうが、一般人にしてみたらあまりにも電波全快の内容は寒気さえ覚える。だが胡散臭さが幸いして、人々はTVの内容を鵜呑みにしてはならないと学習したのだった。

 本気になって力説したところで『Oタク(OOパーツヲタク)』とか『電波』とか言われて馬鹿にされるのは明らかだったので、そういったマニアの面々もなりを潜めて『隠れOタ』と化した。

 

 ――――――それは兎に角、第三新東京市は今日も平穏であった。
















 赤木邸のリビングは朝から賑やかであった。

 家主であるリツコに居候兼家政夫、碇シンジ。

 彼の友人(?)ヌル助にリツコの心のありどころ、猫科のアレキサンドリアとユナリシアが。

 そしてなぜか、独り暮らしをしているはずの惣流・アスカ・ラングレーの姿がそこにはあった。



 「ねえゴハンまだぁ〜?」



 びきり、とリツコの米神に一本の青筋が浮く。ただならぬ雰囲気を察知したのか、彼女の膝の上にいたユナリシアは逃げ出そうと試みるものの、ご主人様は首を引っつかんでそれを阻止する。

 まな板の上の鯛ならぬ膝の上の猫。

 ひっ捕まった同胞をアレキサンドリアはガタガタと震えながら見捨てることにした。

 悪いな同胞。土葬で埋葬されても掘り起こさないから安心して逝ってくれ。



 「アスカ・・・・あなた、正気なの?」

 「正気も正気。朝から電波受信しまくりよ!」

 

 リツコは頭が痛くなって目頭を押さえる。

 三日前にいきなりやってきたと思ったら問答無用で居ついてしまった部下に呆れつつも、食費とかは律儀に払う姿勢だけは認めている。

 だがその態度はどうか。

 「めし持ってこ〜い」と暴君の如く我が物顔する居候よ。



 「はいはい。ゴハンが出来ましたよ、と。アスカ手伝って」

 「おっけー」



 実際のところ、アスカの居候はシンジが拒否すると思っていたのだがまんまと当てが外れたのだ。まあ、誰かさんの様に家事能力がまったく皆無、という訳でもなく、アスカは赤木家の掃除・洗濯を一人で請け負っている。

 シンジ一人に家事全般を任せるのは情けないので、ヘルプを雇おうと思っていた矢先に彼女はやって来た。

 住み込みの家政婦だと思えば十分許容範囲。

 だがシンジに好意を寄せるのを自覚するイチ女性としては複雑な心境であった。

 その彼らは和気藹々とシンジが作った朝食をテーブルに並べている。三人+三匹となると一家族分に相当する量だ。つい最近まで独り暮らしであったリツコには考えられない食事風景に、「こんなのも良いわね」と頬が緩む。

 母と暮らしていた当時もこんなゆっくりとした食事をしたことはなかった。

 仕事の虫であったナオコは食事を作る時間も惜しい、と専ら家でも店屋物しか食べなかったのだ。リツコが作るとそれを食べてくれたのだが、気を使ってくれているのが分かってしまったのでそれ以来作ろうとは思わなかった。

 例に漏れずリツコも多忙な日々を送っている。

 人並みに料理は出来るが時間がない。シンジが居候する以前は外食で済ませていたのだ。

 働き手が増えたことによってリツコにもゆっくりする時間が出来た。掃除や洗濯に使っていた時間がなくなったのが大きい。

 そう考えると厄介な住人達の蛮行も許せるような気がした。



 「良い匂いね」



 同意するようにアレキサンドリアが足元で「にゃー」と鳴いた。



 「今日は和風にしてみました。ほら、アレキサンドリア達のぶん」


 
 彼ら専用の小皿に鯖の塩焼きと味噌汁のネコまんまを入れる。猫舌だからちゃんと冷ましてあるので安心である。

 パクパクと美味そうに食べる猫達を尻目にリツコも「いただきます」と手を合わせた。シンジとアスカもそれに続く。

 足元では、鯖の塩焼きを一飲みで完食したヌル助がモノ足りなさそうにアレキサンドリアに視線をやるが、自業自得だろと言わんばかりにそれを無視した。

 シンジが作る料理は売り物に出来るくらいに美味い。恐らくNERVの食堂で出しても皆を満足させるに違いない。

 それを毎日食べられるのだから、リツコは忘れかけていた“食の楽しみ”を思い出すことが出来た。

 研究ばかりの毎日はそれはそれで楽しいがいまいち何かが足りない気がしていたのだ。金は余るほどあるが使う時間がない。趣味に使っても同じ理由でまた然り。

 その点で“食事”という必要不可欠なものに楽しみを見出せたのはまさに天啓であった。食事は嫌でも摂らなければならないなら、楽しむに越したことはない。

 時間を無駄にしない趣味の中ではリツコにぴったしと言えよう。

 モゴモゴと脂の乗った鯖に舌鼓を打ちつつ、リツコは前々から聞いていた事を話題に挙げる。



 「そういえばシンジ君、高校に通うんですって?」

 「ええ。編入試験には受かってますから、来週から通おうと思ってます」

 「へえ・・・・確か中央高校だったかしら、この地区だと」



 通勤の途中に学生を何度か見かけた事があるが、そのどれもが中央高校の制服だったのをリツコは思い出しながら言った。

 中央高校(以下ドマ高)の制服はなかなかに凝った作りをしているので女子に人気が高い。噂では校長が制服マニアであるらしい。

 ・・・・ちょーっとゲームに出てきそうな制服なのは気にしないでおこう。そういう設定なのだから!



 「きっと昔馴染みの顔も多いと思うわ」

 「顔馴染みですか・・・・正直言ってクラスメイトの名前なんて三馬鹿と委員長、アスカぐらいしか覚えてませんよ」



 というか知らなかったりする。



 「・・・・そういえば、そうよね」



 転校初日は質問攻めにされたアスカだが、それ以降は仲の良いヒカリとしか話した覚えがない。

 妙に印象に残らないクラスメイトなど、いてもいなくても変わりはなかった。

 

 「ま、まあ、有意義ある高校生活を楽しんでってことで」



 沈黙した二人をリツコがフォローした。








 







 「あ、言い忘れてたけど」



 朝食の後片付けの最中、アスカが玄関前で靴を履くリツコに思い出したように言う。



 「アタシも通うことにしたわ、高校」

 「・・・・はい?」



 カラン、と彼女の手から靴べらが転がった。
















 NERV技術部の中核はリツコ、マヤ、アスカの三女神(男性職員:談)によって作られている。

 当然、彼女達は何のコネもなしに実力でその地位を得ているので、羨望の眼差しこそ受けても嫉妬されることはなかった。

 リツコには人を従えさせるカリスマ的な魅力があったし、アスカには陽気な性格でサバサバしているので女性職員には姉の様に慕われている。

 マヤはどちらかというと人を立てるのに能力を発揮させた。自ら陣頭に立って、とはいかないが、頭をサポートする事にかけては彼女の右に出るものはいない。

 それぞれ独自の魅力を持つ三人だからこそ歪みが生じず、上手くやってこられたのだろう。その上、マヤがお姉さま主義なのでリツコに従順である事も大きい。

 NERVが誇る技術部は彼女達がいるからこそ120%の力を発揮出来るのだ。



 「確かに、猫の手も借りたいって状況ではありませんけど・・・・」



 伊吹マヤは歯切れ悪く唸った。

 現在の技術部は人材確保が上手くいったおかげで効率よく作業をこなすことが出来ている。一人や二人、人員が欠けたとしても大して影響は出ない。

 ・・・・最も、それが三女神のうちの一人ではなかったとしたら、なのだが。

 今朝方アスカから『女子高生宣言』を聞いたリツコは引き止めるのは無理だと判断し、彼女の抜けた穴をどうやってカバーするかを考えている最中であった。

 惣流・アスカ・ラングレーは青春真っ盛りの17歳である。リツコ自身、その時代は良い思い出ばかりではなかったが、楽しくなかったかと聞かれれば首を横に振るだろう。

 若いうちは遊ばせた方が良い。

 誰かの言葉ではないが、その通りだ。

 二十を過ぎるとどうしても消極的になる傾向がある。精神的にも、肉体的にも。

 だが十代ならば好奇心旺盛、悪く言えば世の中を知らない餓鬼。そして餓鬼だからこそ捻くれた大人には見えないものも見える。

 いつから私はこんな老人くさい考えになったのかしら、とリツコは苦笑した。



 「あなたの言いたい事は分かるわ。でもアスカも本来なら高校に通っていてもおかしくはない年齢なの。分かってあげて」

 「それはそうです! アスカちゃんが高校生活を送るのに反対はありません」



 でも、と。



 「それは・・・・シンジ君に触発されて、なんですよね?」



 伊吹マヤのシンジ嫌いは今やNERVでは当たり前に皆が知っている。

 アンチシンジ派には葛城ミサト、碇ゲンドウ、碇レイ、伊吹マヤ。

 そしてシンジ派が碇ユイ、赤木リツコ、惣流・アスカ・ラングレーの面々だと認識されている。

 中立には孤高の紳士、冬月コウゾウの名が刻まれている。というか彼はユイさえいればどうでもいのだろう。



 「・・・・もう。あからさまに嫌ってるようね、シンジ君のこと」

 「当たり前です! おかしいですよ、あのシンジ君は。この間も葛城さんに・・・・」



 恐らくマヤは三年前の“碇シンジ”という虚像に彼を重ねてしまっているのだろう、とリツコは思った。

 だが紛れもなく今のシンジも“碇シンジ”であるし、三年前のシンジも“碇シンジ”なのには変わりはない。

 人は時間と共に成長し、変わる。
 
 いつまでも彼が“内気で大人しい”ままである理由など、どこにもないのだ。

 今のシンジは独創的で三年前とは似ても似つかない性格になってしまっている。それがマヤの目には“汚らわしく”見えたのだろう。

 初対面(?)のユイを突っぱねた過去の悪行も印象に残っているに違いない。



 (マヤ・・・・結構根に持つタイプだったのね・・・・)



 なんだか女としての陰部を見せられた気がして、リツコは気分が悪くなった。
















 「ムサシ、花瓶の水替えてきたよー」

 「・・・・ああ」

 「それとお見舞いの花はチューリップにしてみました! 病室にチューリップってとっても場違いだよね!」



 ああ、とムサシは相槌を打った。

 マナが元気付けようとしてくれている気持ちが痛いくらいに嬉しい。そして、愛しかった。

 るんるんと元気に花瓶の水替えをする姿がムサシには輝いて見える。

 




 物心ついたときから三人はいつも一緒だった。

 リーダーのムサシに引っ張られて、内気なケイタは彼の後を毎日の様についていた。数年もたつ頃には二人は親友になり背中を任す関係になった。

 マナは仲良し三人組の紅一点。

 当時の横暴な上官から彼女をムサシとケイタは懸命に守りきった。仲間としてだけではない、好意持った異性を守るのは当たり前のことだった。

 ケイタだって少なからずマナに好意を持っていたのはムサシも気づいていた。だが彼はあえて自分から引き下がってムサシを応援してくれたのだ。「僕はマナも好きだけど、それ以上にムサシのことが好きなんだ」勿論、友達としてね、と意地悪く笑ったケイタの頭を小突いた思い出。

 今でも、鮮明に思い出すことが出来る。



 「マナ」



 だけど、もうケイタはいない。

 死んでしまった。

 “死んだ”という概念をいまいち理解できていないせいか、とても彼とは二度と会えない気がしなかった。

 死体だって残っていないのだ。

 目の前にひき肉を持ってこられて、「これが君の親友だ」などと言われたって一笑するだろう。

 だけど、もうケイタはいない。

 「浅利ケイタが死んでしまった」という常識が、嫌にでも脳みそに入り込んでくるのだ。

 

 「どうしたの、ムサシ?」

 「・・・・こんなときに馬鹿だと思われるだろうけどさ。ま、勘弁してくれ」

 「? 何の話してるの?」



 ケイタはしつこく言ってたんだ。「いつになったら告白するのさ」って。

 でも自分で言うのもなんだけど、俺はそういうのに疎くてかっらきし。

 いつもノラリクラリとはぐらかしてた。



 「・・・・俺、マナのことが好きだ。ベッドの上で言う台詞じゃないけど・・・・」

 「――――――え」

 「ケイタに背中押されてたのにさ、いつもはぐらかしてた。アイツを根性なしっていう資格なんかないよな」



 ははは、と。



 「アイツがいなくなって、分かったんだ。ケイタは半身みたいなものだったんだって。今になって気づいた。

  だからケイタのぶんまで言うことにした。

  マナ。

  俺達は、お前のことが好きなんだ」



 言った。

 自分でも恥ずかしくて馬鹿らしい台詞をヌケヌケと。

 よくもまあこんなに口が動くもんだ、と半ば自分の饒舌さにムサシは鳥肌が立った。



 「――――――」



 固まってしまったマナに苦笑しながら、仕方がないよな、とムサシは頭を掻いた。

 誰だっていきなり告白されでもしたらパニックになるのも当然だろう。それも病室、包帯まみれのミイラ男からコクられたのだから。

 カチコチと時計の針の音がやけに五月蝿い。

 何十秒たったのか、何分たったのか。

 マナは軽く目をつむって、白い天井を仰ぎ見た。



 「・・・・ずるいよ。ケイタのぶんまで持ち出して・・・・ううん、なんとなく分かってた。ムサシとケイタが好きでいてくれるって。

  私だって同じくらい二人のこと好きだったんだよ? でも・・・・二人は友達だから。たった三人の、心から信頼できる仲間だったから。

  どっちかを選ぶなんてできない。三人じゃ居られなくなりそうで、恐かった。

  うん・・・・好きだった。ケイタは内気だったけど、大切な仲間だった。親友だった。家族だった。

  ムサシも大好き。仲間として、友達として、家族として。

  ――――――そして、男の人として」

 「・・・・ああ」



 長年の、想いが実った。

 この世界中で信じているのは霧島マナだけ。

 この世界中で愛しているのは霧島マナだけ。

 もう自分には何も残っていないのだ。

 俺にはもうマナしかない。

 きっとマナだって俺しか残っていないはずだ。

 

 「好きだ、マナ」

 「うん。私だって、ムサシ」



 だけど、どうしてだろうか。

 こんなにも胸は幸せでいっぱいだというのに。

 こんなにも胸は晴れ晴れとしているというのに。





































 ――――――マナも好きだけど、それ以上にムサシのことが好きなんだ・・・・勿論、友達としてね。



 ――――――分かってるって、親友。



 ――――――うん。だから、これからもよろしくね、親友。



 ――――――ああ。前にも言っただろう? 俺達はずっと仲間だ。いつか死ぬまで、ずっと一緒なんだからな。



 ――――――うん!






































 ――――――ずっと一緒だって言ったのに。この、






































 ――――――この、人殺し。




































 なぜ。



 なぜ、



 暖かいはずの胸に。



 刺された様な痛みが走るのだろうか――――――。














 ■ 第十四幕 「 なんとなく流れる日常 」に続く ■