神造世界_心像世界 「はじまりの唄 U」






 赤木リツコの朝は早い。早起きのお年寄りとタメを張るわけではないが、NERVでは誰よりも早く施設内に入っている。

 誰かに言われたわけでもない。

 ただ、自分がそうしたかっただけ。

 あれから三年の月日がたって、随分変わったと自覚している。そう、自分が。

 あれほど固執していたゲンドウとの関係も今では昔話にすぎない。

 碇ユイが帰還してからというもの、ゲンドウからの誘いはなくなり、かといって自分から誘惑することもなくなった。

 いいことだ、とリツコは思う。

 ユイとの関係も仲が良い、とまではいかないが、仕事をする上司と部下という関係ではなんの問題もない。

 昔はもう少し親密だったせいか、ユイは少し残念そうなのだが。

 かといって自分をレイプした男の妻と仲良くできるほど人間ができているわけでもない。

 本当にあのときはどうかしていた。今更ながらにリツコは思う。

 結局のところ、意地を張っていただけなのかもしれない。

 母親のナオコとゲンドウが愛人関係にあったことは知っていた。

 科学者として優秀だった母と比べられる自分。

 優秀な母。

 その母の唯一の汚点といえるべきゲンドウとの関係をみて、当時の自分が抱いていた感情。

 嘲笑。

 そう、嘲笑だ。

 キタナラシイ。ショセンハタダノオンナ。

 だが、ゲンドウの隣にいる母の雌としての表情に嫉妬したのも事実なのだろう。

 それから母が死に、自分はゲンドウに犯された。

 所詮は母のお下がりなのだろう、と諦めに似た感情に飲まれた時期もあった。だが、だがそれ以上に。

 ――――――母の男を奪い取ったという充実感が。

 だが今となってはヤケだったのだと冷静に省みることができる。

 


 あの日、サードインパクトが起きる前に自分は舞台から退場したらしい。

 リルコが覚えているのは自分に銃を向けるゲンドウの姿と、熱いナニカが自分から流れていく感覚だけだ。

 自分はあのときに死んだ。それは断言できる。

 だが今、なぜ自分がこうして生きているのかはわからない。

 ミサトだってそうだ。彼女も施設の爆発に巻きこまれて死んだはずなのに、今ではのうのうとえびちゅを啜っている。

 まったくもって不可解。

 まあ、そもそもエヴァンゲリオンなんていうオーバーテクノロジーだって存在しているのだ。今更なにが起きたって不思議ではない。

 
 「その不可解なモノの一つがあれ・・・・」


 リツコは手元のディスプレイに映った映像を見た。

 その映像の中では、彼女の親友である葛城ミサトが黄昏ていたり、空き缶をポイ捨て(というか遠投)をしていたりする。

 だが肝心なのは彼女ではない。

 ミサトの横に映る不可思議な象形物――――――歪んだ時計のようなもの。

 街中に立っているであろうものをベースにしたのはわかる。だが。

 その形は歪み、時計盤事態が逆様になっている。これでは本来の役目を負うことはまず無理だろう。

 街中に“生えた”正体不明のオブジェクト。

 便宜上、技術部ではそれらを“OOパーツ(オーパーツ)”と呼んでいる。

 OOパーツは第三のみならず、日本中、いや、世界中にその存在が確認されている。

 サードインパクト以前はその場になかったことから、インパクトの直後にそれらは“生えた”と予想されていた。

 使徒戦役が終わって平和が訪れてからというもの、専らリツコはOOパーツの解明に力を注いできた。

 しかしながらわかったことは少ない。

 一つ、構成物質はそのOOパーツの姿によって決まる。つまり金属で出来ているものが土で出来ているということはない、ということ。

 一つ、OOパーツは人工物の形をベースにしている。それは、あの丘の逆様時計にもいえる。

 一つ、OOパーツは破壊可能。それによる害も一切なし。

 大きくわけてこんなところだろうが、基本的にOOパーツは人畜無害、ということだ。

 インパクト直後こそ人々は戸惑ったものの、今ではサードインパクトの名残だと認識されている。

 邪魔になるようなものは撤去され、その必要のないOOパーツは今でも悠然と“生えて”いるのだった。



 「先輩、おはようございます」

 「ええ、おはよう、マヤ」


 研究室に未だ童顔の伊吹マヤが入ってきた。笑顔の後輩に挨拶を返すリツコ。

 昔の張り詰めた雰囲気がなくなったせいか、周りのリツコに対する評判はよくなっていた。マヤもその周囲の一人。

 本人曰く、「昔の凛とした先輩もいいですけど、今の先輩はもっといいですぅ」とのこと。


 「今日も早いですねー先輩。私なんか朝が辛くて辛くて」

 「あら、無理して早く来ることないのよ? 好きなだけ眠る、なんてわけにはいかないでしょうけど」

 「ダメですよ。そんなことしたら先輩と一緒にいる時間が少なくなってしまうじゃないですか!」

 「そ、そう」


 これがなければいい娘なんだけどね、と内心冷や汗をたらすリツコ。

 前にも増して「先輩LOVE」が上昇したマヤにリツコも引き気味だった。このおかげで二人は出来ている、なんて噂もあるわけで。

 リツコとしては、慕ってくれるのは大いに嬉しいことなのだが生憎彼女にはレズっ気はない。

 私と寝てください、なんて直接的なアプローチがあるわけでもなく、体同士が触ると赤くなったりする程度。よく言えば可愛らしい。

 だが発情した雌犬の視線ではなくても、それなりに熱のこもった視線を同姓から向けられるのには抵抗があった。

 リツコは同性愛に否定的ではない。けれど自分がその当事者になるつもりは微塵もないが。

 
 「おはようございます」


 抑揚のない声と共に、さらに研究室の人口密度が高くなる。

 入ってきたのは碇レイ。只今、秘書見習い訓練期間中である。

 スレンダーながらも大美人(美人の上級版)には変わりないだろう。肩まで伸ばした蒼銀の髪が映える。

 NERV内で惣流・アスカ・ラングレーとともに17歳の二壁とされるだけあるだろう。ちなみにそれぞれのファンクラブもあるらしい。


 「今日は慰霊祭に関する書類をお持ちしました。大方のことは去年と変わりはないのですが」

 「・・・・今年はなにか違うんですか?」


 レイの言う慰霊祭とはサードインパクトで亡くなった人たちのためのものだ。

 “帰還”という不可思議なことが起きたわけなのだが、全ての人が帰還できたわけでもなかった。

 NERV内でも職員の一割ばかりが“還って”きてはいない。

 還ってこなかった人々の中にNERVの上部組織である“ゼーレ”の老人たちも含まれていると予測されている。

 なにせLCLに融けたわけだから死体が残っていない。

 希望的楽観はご法度だが、今やゼーレの12使徒は世界的犯罪者とされている。

 ゼーレという組織自体を潰すと世界経済がやっかいなことになるので、その最高幹部たちのみを指名手配としたのだ。

 それに老い先が短い老人たちに抵抗する術はないだろう、とゲンドウは思っているらしい。


 「はい。主要幹部たちによるスピーチ、それに使徒戦役時代の映像上映会が加わります」

 「スピーチに上映会。NERVも対面上は民間の味方だものね」

 「・・・・」

 「わかったわ。書類には目を通しておきます。ご苦労様」

 「では、失礼します」


 もう話すことはないとばかりにレイは研究室を後にする。

 レイちゃんもなかなか秘書っぽくなってきたなぁ、とマヤは思った。一方のリツコは未だにレイは苦手のようだ。

 渡された書類に目を通すリツコ。

 スピーチは問題ないのだが、上映会の方が彼女は不満なのだった。「だって自慢しているみたいで嫌じゃない?」と。

 まあ、さすがに第七使徒戦の映像は流さないだろう。

 最初の初、弐号機敗退シーンなんか目も当てられない。喜劇としては最適かもしれないが。

 大方、NERVに良いように映像を加工して流すのだろう。その仕事は恐らく自分のところに回ってくるだろう、とリツコは思った。



 「おはよー」


 妙に投げやりな言葉と共に惣流・アスカ・ラングレーは研究室の扉をくぐった。

 彼女は今、技術部補佐としてマヤと共にリツコの片腕の一人となっていた。

 相変わらずなのはそのプロポーションと勝気な性格か。

 一時期精神崩壊を起こしたとは思えないほど彼女はハツラツと毎日を過ごしている。EVAに乗れなくて欲求不満らしいが。

 アスカは返事を返すリツコとマヤの隣に席を引っ張ってきて、ドカっと腰を下ろした。

 
 「まったく暑いわねー、何度あるのよ今日は」

 「外の気温のこと? ええと、三十度を越えてるわ」

 「げっ」

 「ホントですか!? まだ早朝って言ってもかまわない時間帯ですよ!」

 
 リツコの言葉に驚く二人。

 確かに、今でさえこの暑さなのだから、午後になったらこれ以上に気温が上昇するのは目に見えている。

 かといってNERV施設内にいれば空調が整っているのでなんの問題はない。モーマンタイだ。


 「うー、あたし今日外回りなのよねえ・・・・」

 「なにサラリーマンみたいなこと言ってるのよ。それで外回りってなんのために?」


 アスカは血涙をドバドバ流しながら呪詛、もとい説明を始める。


 「なんかさー、今度慰霊祭あるでしょう? その会場になるトコの視察だって。なんで技術部のア・タ・シがぁ、行かなきゃならないのよ」

 「まあまあ」

 「それにファーストったら、『視察、ご苦労さま。クスッ』よ? なにがご苦労様よ! まだ行ってないっちゅーに!!」

 「はいはい」


 アスカの愚痴を聞き流しながら(ミサトで慣れている)リツコは思案を始める。

 サードインパクトから今年で三年。

 今まで慌しかったけど、やっと落ち着いてきたといえるだろう。

 職場の環境も悪くはない。司令や顧問はともかく、マヤとアスカとの仲は良好だし。

 気になることといえば、やはりOOパーツ。

 そして――――――。


 「碇シンジ・・・・か」


 あの赤い海から彼は戻ってきたのだろうか。

 いや、そもそもヨリシロとなった彼はLCLに融けたのかさえ不明なのだ。

 あのサードインパクトの真相を知る唯一の人物。

 今の碇レイはリリスの因子をその身に宿してはいない。相変わらずアルビノなのだが。


 「ど、どうしたのよリツコ!? まさかバカシンジが「いいえ、違うわ」


 テンションを上げて言い寄ってくるアスカをリツコはヒラリとかわす。今のアスカは気力150くらいだろう。その程度で収まるわけがない。

 どうどう、と暴れ猿(彼女が聞いたら怒りそうだが)を落ち着けながら、リツコは語る。


 「いえね、彼、どうしたのかなって思っただけよ」

 「そう・・・・」

 「シンジ君、もし生きてるとしたらどこでなにをしてるんでしょうね」

 「アイツ、ホントになにしてるのよ! 生きてるなら連絡の一つはしなさいっての。死んでるのなら死んでますって連絡よこせ!」


 それは無理だろう。


 「NERVから離れられてせいせいしているかもね? 世界一周旅行とかしてたりして」

 「まさか」

 「ふん、バカシンジのことだからどっかで隠れてるのよ。ガタガタ震えちゃって、ああ、カッコ悪いったりゃありゃしない」

 「でも、生きていて欲しいです」

 
 マヤにとって、それは心からの願いなのだった。

 今こうして自分が生きていられるのも全部彼ら、チルドレンのおかげなのだから。


 「生きてるのかしらねえ」

 「じゃなきゃ、許さないわ! というかさっさと帰ってこいっての」

 「きっと大丈夫ですよ、先輩、アスカちゃん」


 今まで故意に避けられてきた碇シンジの話。

 それは罪悪感から。

 けれどやっと昔話のように話せるようになってきていた。

 いくら辛くても、いくら悲しくても時間は流れていくのだ。

 時間と共に傷を癒し、そして免疫を持つに至る。

 その話題となって碇シンジは、というと。


 「ぷぉ―――――――――――――――――――――ッ!!」


 砂浜でスイカの種を飛ばしていた。

 サードインパクトから三年。

 それは暑い夏の日のことだった。

 




 ■ 「はじまりの唄 V」に続く ■










 〜あとがき〜


 「はじまりの唄 U」をお送りしました。

 基本的にこの作品はダークです。 たぶんダークになると思います?

 疑問系ですが・・・・。

 にゃははは。