神造世界_心像世界 第十一幕 「蜂蜜の月」














 「うわああああああああああああああっ!!」 



 部屋に響き渡る絶叫。

 突然の叫び声に、傍らに居たユイは驚き、尻餅をついてしまった。

 一瞬呆けてしまったがすぐに正気を取り戻す。そして倒れた椅子にも目をくれず、錯乱したように叫び続けるシンジの手を握った。



 「シンジ!? どうしたの!?」



 ユイはこの時、冷静さを欠いていた。普通ならナースコールを鳴らすなりして医者を呼ぶべきなのだが、今の彼女はそこまで頭が回らない。苦しむ息子を前に、あたふたと狼狽しながら手を握り返す事しかできなかった。

 生憎、シンジの居る病室は個室であった。故に、周りにはユイ以外に誰も居ないので、彼女を落ち着かせようとする者も居ない。

 

 「あ・・・・あぁ・・・・・あ・・・・」



 絶叫と共に、弓なりになっていた身体が緩まってくる。

 その様子に安堵し、ユイは冷静さを取り戻してきた。慌てて手元にあるナースコールを押す。すぐに看護婦がやって来るだろう。

 すぐ目の前には深く深呼吸をする息子の姿が目に入る。よく見ると手も汗でびしょびしょであった。

 突然の錯乱。

 だがユイにはその理由も想像はついている。

 シンジが救出されてから丸一日。TVは昨日の丸三デパートのニュースで持ちきりであった。

 情報が提示されていない間は、テロやガス爆発といった憶測だけで報道され、半壊したデパートの映像が一日中流されていたのだ。今でもそれは続いている。が、違う事と言えば、その原因が提示されている事だろう。

 『第三新東京市にOOパーツ現る!』

 まるで怪獣でも現れたかの様だ、とこれを見てユイは思ったものだ。いや、実際そうなのだが。

 しかしTVの向こうの人間達はどう思っているのか、現れたOOパーツの模型らしき物を使って状況を説明している。

 なんでも目撃証言から再現した模型らしい。頭には角が生え、口は耳まで裂けて八重歯がこれでもか、と剥き出しになっている。身体も鋭利な刃物の様に尖った突起が幾つも付いていて、性質(たち)の悪いゴヅラみたいだ。

 司会者は饒舌に「腕が数メートルも伸びた」「口から火を吐いた」などと言っている。最後の「奥さん、恐いですねー」は余計だと思うのだが。

 世間一般にOOパーツが知り渡って間もなく、使徒という化け物の前例が居たので、過剰に受け取ってしまったらしい。








 少しして看護婦と医師がやってきた。

 シンジはすでに落ち着きを取り戻し、片手で額を押さえているものの異常はない。聞くと少々頭痛がするらしい。

 起きた直後の錯乱は無理もないだろう、と医師は言った。

 なにせ目の前で人が殺されるのを目の当たりにしてしまったのだ。発見された当時、シンジは血と臓物でグチャグチャだった事からも予想は出来る。

 目をペンライトで照らしたり、胸に聴診器を当てたりすること十分後。医師は異常は見当たりませんね、と笑顔で言った。言葉を聞いてユイは安堵のため息を漏らし、シンジは「そうですか」と軽く頷いた。

 重要な検査は運び込まれてすぐに行われていた事もあり、このまま何もなければ明日にでも退院出来るらしい。だがこの後に軽いカウンセリングを行って、それで問題が出なければ、という条件付であった。

 外見は問題なくても心理的な事は見た目ではわからない。そのためのカウンセリングだ。

 シンジは起こされたベッドに横たわりながら医師の話を聞いた。その間にずっと額を押さえてるので頭痛薬を出すかと聞かれたのだが、シンジはやんわりと断った。

 脳に異常がないと言われていても、ユイには気が気でならない。あまりにもしつこく聞いてくるユイに医師もたじたじであった。
















 「良かったわ。何も異常が見当たらないようで」



 NERV直属の病院の一室にシンジとユイは居た。

 丸三デパートから救出されたシンジとアスカは、そのまま救急車でこの病院に運ばれてきたのだ。話を聞くと、検査ではアスカも特に異常はなかったらしい。
 
 シンジは偶然ながらも生き残れた事を、信じてもいない神に感謝した。



 「・・・・それにしても、ホントに」



 傷らしい傷と言えば、腕の傷と体中の切り傷ぐらいだろう。よくもまあ、あの死の具現化像とも言える化け物相手に生き残れたものだ。

 視線を上げると、TVではいろいろと昨日のニュースを流しているのが目に入ってくる。特に、巨大な削岩機で削り取られた様に半壊しているデパートにカメラは注目しているようだ。

 恐らくN2を使用せずにEVAを出撃させたのだろう、と目星をつける。

 街のど真ん中で大量破壊兵器であるN2を使用するメリットなど何もない。お偉いさんが考慮した被害は、人的なものより金銭的なものであろうが。



 「あー」



 視線を戻し、ベッドに横たわる。

 頭がズキズキする。このまま壁に叩きつけてしまいたい気分だ。



 「大丈夫? やっぱり頭痛薬もらってくる?」

 「いえ、構いませんよ。頭痛薬では収まらないでしょうし」

 「・・・・どういうこと?」



 心配そうに顔を寄せるユイから目線を逸らし、



 (・・・・面倒な事になった・・・・)



 と、内心毒づいた。

 その様子を気分が悪くなったのかと勘違いしたのだろう、ユイはさらに身を寄せてくる。焦ったように「大丈夫っ、シンジ、シンジ!?」と肩を付かんで揺さぶってくるのは新手の拷問なのだろうか。ただでさえ気分が優れないと言うのに、このままでは酔い死ぬ(?)かもしれない。



 「離して、くださいッ!」



 引っ付いていた痴漢を引き離すようにシンジは力を込めた。「触らないでくださいッ、人を呼びますよ!?」って感じだ。

 17歳とは言え男の力に敵うはずもなく、ユイはそのまま床に倒れ付した。少し力を込めすぎたのか、ユイがひ弱だったのか。

 

 「シン・・・・ジ・・・・?」

 「疲れてるんです。出て行ってください」



 これ以上疲れさせないでください、とシンジが言う前にユイは病室から駆け出した。

 最後に見えた零れる涙はどんな意味だったのだろうか。



 「・・・・疲れる」



 ぐったりと彼は毒づいた。
















 「きゃあああああああああああああっ!!」



 くしくも碇シンジが雄叫びもとい、絶叫を上げた同時刻、惣流・アスカ・ラングレーはベッドを飛び跳ねながら絶叫した。ギシギシとスプリングの余韻で跳ねる跳ねる。そのままベッドから落下しそうになるのを、隣で見守っていたミサトがなんとか押さえつける。

 未だに叫び続けるアスカを押さえながら、片手でナースコールを探す。「くっ」思ったより力が強い。ボタンを押して用済みになったナースコールを手放し、ミサトは両手でアスカを押さえつける。

 訓練を受けてきただけあって、アスカは同年代の女性の中ではずば抜けて力も強い。軍人であるミサトを持ってしてもあと数分持つかどうかだ。

 腕が痺れて離しそうになったちょうどその時、叫び声が外に漏れていたのだろう、医師が二人と看護婦二人が慌ててやってきた。

 錯乱するアスカを見て医師は鎮静剤を注射しようと準備を始める。他の医師と看護婦はそれぞれアスカの手足を押さえつけた。さすがに四人がかりで押さえつけられてはどうすることもできない。「うーっ」と苦しげにアスカは呻いた。

 だが注射針が刺さろうかという間際、今まで強張っていた手足の力が急に抜けてしまった。

 

 「・・・・う、あ」

 「アスカ!?」



 そこに居た医師達を押しのけて身を乗り出す。その際に注射針を折りそうになったのだが彼女は気づかなかったようだ。刺そうとしていたのを邪魔するのはかなり危険な行為である。もし針が折れて血管内にでも入っていたなら大変な事になっていただろう。

 憤怒の形相で睨む医師をまったく無視し(気づいてない)、ミサトは呼びかける。



 「アスカ、分かる? ミサトよ」

 「・・・・痛ぅ・・・・ミサト? ここ何処よ・・・・」

 「病院。シンジ君も運び込まれてるわ。でも安心して。二人とも異常はないって言ってたわ」

 「・・・・シンジ」

 「どうしたの?」

 「そっか。うん、シンジだ。シンジは・・・・アタシで・・・・うん・・・・うん」



 急にブツブツと呟きだしたアスカに回りは怪訝な表情を浮かべた。もしや精神がやられてしまったのか、と皆は心配そうに彼女を見た。

 だがアスカのそれは精神病の患者ではなく、何か大事な物を見つけた少女の様であった。自分の胸に手を当てて、嬉しそうに彼女は微笑んでいる。

 どうしたのかね、と注射器を片付けた医師が聞く。「・・・・いえ、なんでもありません。もう、大丈夫です」その様子にミサトはホッとしてベッドに腰を掛けた。

 シンジと同様の診察を施し、彼が言われた事と全く同じ内容の説明を聞かされた。

 去っていく医師達にアスカは「ありがとうございました」と頭を下げる。ミサトも慌ててそれに続いた。

 残されたのはアスカとミサト。

 隣に腰掛けたミサトの目が充血しているのを見て、アスカは徹夜だったんだ、と少し感心する。

 だがどうだ。

 こうして生きている事は夢ではないのだろうか、と今でも思ってしまう。

 吹き飛ばされていく手足や内臓の描写は鮮明に思い出すことが出来ると言うのに、それが恐ろしいとは少しも思わなかった。確かに気持ちが悪い。だが恐怖感は感じない。自分が死んでもおかしくはない体験をしたのはずなのに、だ。

 不安感より安心感。

 感じるのはあの暖かさ。

 それが誰の物なのかは確認せずとも分かるから不思議だ。


 
 (・・・・シンジ)



 まるで鼓動が二つある様な感覚・・・・というよりは重なっている、と言ったところだろうか。

 僅かなズレ、力強さ、暖かさ。

 そのどれもが今までのとは違う。

 まるで背中越しにシンジと触れ合っているみたいだ、とアスカは思って顔を赤くした。

 だがこれはどうしたのだろうか。

 覚えているのは黒い“鬼”。

 解体されていく人間達。

 自分を庇って怪我をしたシンジ。

 そして身体が異様に軽くなった感覚。

 あれはそうだ、EVAに乗っていた時の感覚に似ている気がする。

 EVAの武器はその身体能力なのだ。当然、人間がEVAサイズに巨大化したところで足元にも及ばないだろう。

 身長の倍以上を飛び上がる事の出来る脚力。

 槍を成層圏まで投合出来るその腕力。

 もし肉弾戦だけなら使徒には引けを劣らないはずなのだ。



 ――――――まるで、身体がEVA並の身体能力になった様な。



 まさかEVAが自分にのりうつったとでも言うのか。

 いや、自分がEVAにのりうつったのか? ああ、訳がわからない。非科学的な事が立て続けに起こっているせいで思考が麻痺してくる。

 ・・・・そもそも常識に囚われているようでは、やっていけないのかもしれないのだが。



 「まあいいわ。ミサト、シンジの病室って何処なの?」

 「シンジ君の? えっと・・・・204だか304の個室だったような」

 「・・・・頼りないわね」

 「なははは・・・・ゴミンゴミン」



 ミサトの様子からしてシンジの病室には行っていないのだろう。聞いてみると予想通り行っていない、と返事が返ってきた。だが代わりにユイが付き添っているらしい。「お母さんしてるわよねー、副指令もー」とかミサトは言っているが、シンジは嬉しくない・・・・というより嫌がっているのが容易に想像出来てしまう。

 

 「じゃ、ちょっと行ってくるわね!」

 「な、行くって・・・・アスカぁ!」



 シンジの毒舌に泣かされてなきゃいいけど、なんて思いながらアスカは204号室(女の勘)を目指して走り出した。

















 『後であなたもお見舞いに行ってあげなさい?』



 碇レイは今朝方に言われた事を思い出して顔を顰めた。

 今、彼女が居るのは病院の廊下だ。このまま行けばシンジの病室である204号室にたどり着くだろう。

 

 「・・・・」



 だがその表情はお見舞いに来たと言うよりは、夏休みに補修を受けに来たと言った方がよっぽど説得力があった。もし『お母さんと一緒に行きましょうね』の一言がなかったたら来たりなどしない。

 シンジが入院したと聞いて、「・・・・そう」と答えた彼女の口元がワラっていたのは誰も知らなかった。
 
 くしくも同じ報告を聞いてゲンドウがニヤついているのをリツコは見てしまっていた。その後でユイがお見舞いに行く、と言った時のゲンドウの歪んだ表情は尚気持ちが悪い。「・・・・無様ねぇ」ため息と共に吐き出されたそれは徹夜のせいか疲れきっていた。

 黙々と歩を進め、病室まであと50メートルといったところで――――――廊下は直線なのだ――――――ユイが病室から飛び出してくるのが見えた。

 遠巻きにでもユイが泣いているのが分かる。



 「お母さん!」



 レイの声も聞こえていないのか、ユイはそのまま走り去ってしまった。慌てて後を追うものの、ユイの姿はもう見えない。



 (お母さん・・・・泣いていた。ナゼ? 碇君の病室から出てきた・・・・中に居るのは碇君・・・・お母さんを泣かせたのは・・・・碇君!)



 レイは怒りに顔を真っ赤にしてシンジの病室に走り込んだ。
















 「・・・・レイ?」



 般若の様な形相で病室に駆け込むレイを見て、アスカは首を傾げた。

 階段を上ってきてレイを見つけたと思ったら、急に走り出してしまったのだ。しかも駆け込んだ先がシンジの病室ときた。

 まさか彼女がお見舞いに来るとは思ってもみなかったのでびっくりだ。いや、もしかしたら、もしかしなくても大方ユイに来るよう言われたのだろう。

 レイは感情表現が下手だから好きと嫌いの差が激しい。シンジに対しても露骨に嫌な顔をしていたし。だがユイの前ではそれは見せないようだ。ゲンドウとレイ、そこのところは似ていると言えよう。

 だがレイが般若の形相をしていたのは何故だろうか。



 「って、怒っていたからに決まってるでしょうが!」



 レイに遅れること数十秒、アスカも慌てて病室へと足を踏み入れた。
















 突如乱入してきたレイを呆気に取られてシンジは眺めていた。

 お茶を入れようとコップを手に持ったままの姿で固まる。右手にコップ、左手には日本茶パックを摘んでいる。ベッドからはすでに立ち上がる事が出来るようになっていた。

 備え付けのポットの前にシンジ、出入り口付近にレイ。

 十秒ほど、意味もなく時間が流れた。

 よく見るとレイは顔を真っ赤にして息を荒くしている。もしかして走ってやって来たのだろうか。そこまで僕に会いたかったのかなあ、とシンジは思って、んな訳あるか、と自分でツッコミを入れた。

 

 「碇君・・・・!」

 (うわあ・・・・恐っ)



 射殺さんばかりにレイは睨みつけてくる。NERVの男性職員がこんな視線を向けられたら、トラウマになること間違いなしだ。

 固まっているシンジの隣にレイはズカズカと近寄ってくる。文字通りズカズカと。

 

 「えっと・・・・何か用ですか?」

 「レイっ!!」



 声がした方へとシンジは反射的に振り返った。そこにはレイに続いて走り込んできたアスカの姿がある。



 「え? なんでアス――――――」

 バチ――――――――――――――――――ンッ!!!!



 一閃。

 横から見ていたアスカには光の軌道しか見て取る事ができなかった。凄まじい勢いのビンタは、狙い済まされた様にシンジの右頬に突き刺さった。

 あまりの快音に、叩かれた訳でもないのにアスカは頬が痛くなった気がした。

 被害者のシンジはと言うと、理解できていないのか、お茶を入れるスタイルのまま硬直している。勿論、右の頬には真っ赤な紅葉が咲いていた。

 相変わらずレイは睨みつけたままだし、シンジは固まったまま。恐らく死後硬直ではないだろう。

 男独りと女二人――――――険悪な三角関係の現場かと思ってしまう。



 「な、なにするのよ、レイ!」



 いち早く戻ってきたのは第三者であったアスカだった。



 「・・・・」

 「・・・・」

 「ちょっと、二人とも。睨みあってないで、ほら」



 シンジとレイの距離を引き離す。このままではシンジが刺されかねない。もしレイがナイフを持っていたのなら、間違いなくシンジは血の海に沈んでいただろう。レイならやりかねない、とアスカは思う。レイは良い意味でも悪い意味でも真っ直ぐすぎるのだ。

 

 「いきなりご挨拶ですね、碇さん?」



 怒る訳でもなく、淡々とシンジは言った。無表情の彼はレイとは対照的であった。

 だがアスカにはシンジが抱く感情が多少分かった。いや、流れてきた、と言うべきか。

 シンジは呆れていたのだ。理由も言わず張り手をかまし、その上、お前が悪いんだ、と言わんばかりの憎しみの表情。口に出すよりも手が先に出てしまったのだろう。怒りを通り越して哀れにさえ思えてしまう。



 「お母さんを・・・・泣かせたッ!!」

 「ええ、確かに」

 「・・・・ッ」



 ビターン、という甲高い音。アスカは驚いて身を竦ませた。

 先程の反対側の頬にも紅葉が咲く。シンジは避けようとはしなかった。

 ユイが何故泣いていたのかは聞かないのだろうか、とシンジは目の前のレイを見て思った。だが彼女にとって重要なのは理由ではなく“ユイが泣かされた”という事実である。ユイが乱暴されて泣かされた。ユイが怒られて泣かされた。ユイは悲しくて泣いていた。そのどれであっても、シンジの病室から出てきた時点で“シンジ=お母さんを泣かせた”という定説が出来上がるのだ。

 今であってもシンジに張り手をした事に疑問は全く感じていない。それが当然のこと。相手の事情など関係はない。

 客観的思考は除外し主観的な視野で判断する。

 お母さんのため――――――と言えば聞こえは良いのだが、それは他人を無視した考えに他ならない。



 「・・・・ふう。出て行ってくれませんか? まだ病み上がりなので」

 「言われなくてもそうするわ」



 彼女にしては珍しい、捨て文句を残してレイは病室を出て行った。恐らくユイを探すのだろう。

 シンジはコップにお湯を注ぎ、アスカに手渡す。「熱いから気をつけて」「・・・・うん」

 続いて自分の分も注いでいく。病室にはお茶の匂いが広がっていた。

 ベッドに腰を下ろし、シンジは自分の横をポンポンと叩く。横に座れ、ということらしい。それに従ってアスカもベッドに上がる。

 シンジは髪を下ろしているので本当に女性の様であった。元々中世的な顔のつくりだったので違和感も殆んどない。一目ではスレンダーな美少女としか見れないかもしれない。

 だがその顔も今はリンゴの様に真っ赤になってしまっている。勿論、アスカが隣に座っているから恥ずかしい訳ではなく、レイに叩かれた後遺症だ。

 見ていて痛々しい。



 「シンジ、大丈夫?」

 「うん。先生も異常ないって言ってたし。カウンセリングをクリアすれば明日にでも退院出来るって」

 「アタシも同じ事言われたわ・・・・って、そうじゃなくて、レイの事よ」



 アスカは赤くなった頬を指して言う。



 「随分派手な音してたから・・・・真っ赤よ?」

 「大丈夫。どうって事ないさ」

 「うん・・・・」

 「・・・・」

 「・・・・」

 「・・・・」



 ズズーっ、とシンジがお茶をすする音だけが響く。アスカは手に持ったコップには口をつけず、手で転がしていた。

 と、今更ながら薄い衣一枚だけが裸身を纏っている事に気づき、アスカは慌てた。

 やけにスースーすると思ったら。

 もしかしたら下着だけしか身に着けてないとか? いや、下着さえも着ていないかもしれない。

 隣にシンジが居る状態で調べる訳にもいかず、かと言ってこのまま帰るのも勿体無い。そう言えば一番大事な話はまだしていないのだ。

 互いに触れ合いそうな距離の中、意を決してアスカは話しかける。



 「シンジ」

 「ん?」

 「アタシが気絶した後、どうなったの? そもそもアタシは死んだと思ったんだけど」



 そう言って抜き手の真似をする。確かにあの時は死んだと思ったのだ。回避は不可能、防御なんてできる訳がない。

 だと言うのに自分はこうして生きている。

 もしかしたらこれは死ぬ直前の夢で、現実では胴体が二つに分かれて事切れる寸前なのかもしれない。

 “今”が“現実”であるとは、アスカには到底思えなかった。



 「うん。よくわからないけど抜き手が当たった瞬間にアスカの身体が弾け跳んでね。気絶した人には興味がなくなるみたいでさ」



 そのまま僕に向かってきたんだ、とシンジは付け足した。



 「・・・・どういうこと? 軌道が逸れた? 服に鉄板が入ってたとか? いや、鉄板くらい余裕で貫くわ、あの腕は」

 「・・・・」

 「それに身体が凄く軽かった気がする。イメージ通りに動くって言うか、EVAみたいな感じ」

 「それは僕も思った。でなけりゃ今頃死んでるよ」

 「・・・・襲われて生き残ったのはアタシ達だけだしね」



 虐殺されていく光景を思い出してアスカは身震いをした。もしかしたら自分もあの肉塊に仲間入りしていたかもしれないのだ。自分達は運が良かっただけ。

 逃げ切れたのは文字通り奇跡だろう。

 

 「でも一人だけいるらしいよ? 僕達以外に生き残った人」

 「ウソ!?」

 「さっき副指令から聞いたんだけどね。確か・・・・ムサシ・リーなんとかっていう人だったっけ」

 「知らない名前ね」



 まあ、知り合いでないに越した事はないのだが。



 「その人は重症だって」

 「・・・・そう。アタシ達が軽症である方が不自然なのよね、考えてみれば」



 アレは生身で敵うモノではないのだ。

 誰にでも等しく死を与え、殺し尽くす。銃弾をも弾く化け物にどうすれば勝てる?

 逃げ切れる確立も09オーナインシステムより低かったかもしれない。一生分の運を使い切っても足りるかどうかだ。



 「生きてるのね・・・・アタシ達」

 「うん」

 「これは、現実?」

 「うん」

 「・・・・」

 「・・・・」



 アスカは温くなったお茶に口をつける。乾いていた喉に流れて潤す。

 そのまま一気に飲み干した。「おかわりは?」「・・・・うん。お願い」

 コポコポと湯気が立つコップを渡される。やはりお茶は熱い方が美味しかった。



 「アタシね、夢を見たの」

 「・・・・どんな?」



 アスカは答えない。シンジも急かすようなことはしなかった。

 

 「とっても恐い夢。苦しい夢。痛い夢」



 思い出すだけでも、ぞっとする。

 昨日の“鬼”なんて可愛らしく思えてしまうほどに。



 「でも、今は暖かい夢」



 そっと胸に手を添える。トクトクと鼓動を感じた。

 トクトク。

 トクトク。

 ああ、なんて暖かいんだろう。

 この鼓動は、優しくなれる。

 この鼓動は、嬉しくなれる。



 「シンジ、なんでしょ?」



 答えない。



 「だって感じるの。シンジの鼓動、息遣い、感情。ほんの少しだけど、確かに感じる」



 他の何でもない。

 他の誰でもない。



 「――――――シンジの、ココロなんでしょ?」

 「どういう訳か繋がってしまったんだ。うん、感じるよ。うん」



 たぶん、夢のせいかも。シンジは言った。



 「アスカが感じるように、僕もアスカを感じてる。なんか変だな、この言い方」

 「そう?」



 可笑しそうにアスカ笑った。

 シンジの手を取り、自分の胸にそっと添える。着ている物が薄いせいか、シンジの手の暖かさが直に伝わってくる。

 トクトク。

 トクトク。

 ああ、一人じゃないんだなあ。

 それはなんて素晴らしいのだろう。

 なんて嬉しいのだろう。

 独りでは真っ暗で寂しくて冷たいと言うのに。

 トクトク。

 トクトク。

 まるでポカポカのお日様の様だ。

 心地よい風。

 流れる空気。

 浮かぶ白い雲。

 独りに比べて、なんて穏やか。

 だから離せない。

 だから離れられない。

 

 ――――――冷たい世界など、考えられない。



 


































 ――――――ああ、そうだったのか。

 

 「もう、離れられないんだ」

 「いいのかい? アスカは、それで」

 「構わないわ。無理やりじゃない。これはアタシが決めたコトなの」



 これに比べて、今までの生活はなんて色のない。

 まるで北極に投げ出されたかの様な。

 なんて、味気ない。



 「・・・・シンジは迷惑かもしれないけど、ううん。きっと迷惑だと思う」



 人間は、あんな寒い世界で生きていたのか。

 惨めだなあ。

 悲しいなあ。

 可哀想だなあ。

 本当に、哀れ。

 ソレに比べて、アタシはなんてシアワセ者。

 シンジを感じて。

 シンジを聞いて。

 シンジに任せて。

 暖かい。

 温かい。

 アタタカイ。

 

 「・・・・だけど、もう無理なの。独りは嫌なの。凍えそうで・・・・恐い。だから何でもする。何でも聞く。だから・・・・独りにしないで・・・・」

 「はあ・・・・仕方がない、かな。君がそう望むのなら」



 ドクドク。

 ドクドク。

 軽い絶頂。

 到達。

 臨界点。

 それなんて――――――。








































 それはなんて――――――気持ちの良いコト。



 アタシはもう、離れられない。











 ■ 第十一幕ノ弐 「予兆」に続く ■