「最近、シンちゃんに彼女が出来たんだってさ〜」
女性は色恋沙汰には敏感だと言うが、例に漏れず葛城ミサトのアンテナも絶好調であった。
どこからかネタを仕入れてきては自慢げに話す彼女の情報網は如何なるものか。恐らくNERV諜報部をも手玉に取るくらい容易なのかもしれない。
ましてやオヤジ風味全快のミサトは首を突っ込む気が満々であった。迷惑な事この上ない。
これで仲を取り持てば少しは感謝されるのだろうが、生憎その手のスキルには疎い。かき混ぜるだけかき混ぜ、後は放置、という最悪なコンボに泣かされたカップルは数え切れないだろう。
「・・・・」
「問題ないわ」
にゅふふ、と。
レイはともかく、アスカは何か反応すると思ったんだけど。ミサトは悪魔の微笑を浮かべる。
「あ〜ら、アスカ。なんか不満そうね?」
「そ、そんな事ないわよ!」
「焦っちゃって・・・・ますます怪しいわね」
アタフタと焦るアスカを、これ幸いにと責めるミサト。
三十路の主婦がオヤジ化した瞬間であった。
「別に・・・・そんな」
自分でもよくわからない、とアスカは声に出さずに俯く。
混乱するのは仕方がないのかもしれない。三年ぶりに顔を合わせた元同僚は、全く変わってしまっていたのだから。
だが彼女にとって無視できるほど無関心な存在ではないことは確かなのだった。
シンジに彼女が出来たって構わない。
そう。
構わない。
「よかったじゃない? アイツ無愛想だから、これで少しは丸くなるでしょ」
「そうねえ、あの毒舌シンちゃんと付き合うんだから、結構な母性愛を兼ね備えているはずよねー」
恐らくその彼女というのは、一週間前に慰霊祭で会った霧島マナだろう、とアスカは当たりをつけた。
マナの顔を思い出してみる。確かに顔は良い。それに性格も活発で雰囲気を明るくさせるような少女だった。間違いなくモテるだろう。
それに黒シンジと白マナで中和されて、ちょうど良い塩梅になるかもしれない。
一つ欠点があるとすれば、その体型だろうか。
(アタシの方が勝ってるわね・・・・)
自分の体系を省みて、アスカは満足気に思った。
だが世の中にはスレンダー系の女性を好む男もいると話を聞いたことがあった。確かにスレンダー系はほっそりとしていて、何か気品を感じさせるのも間違いない。
「ねえミサト。男ってさ、胸が大きいのと小さいの、どっちが好きなのかしら?」
「何よいきなり・・・・胸って、アスカみたいなプロポーションの17歳なんかそうは居ないわよ?」
「じゃなくって、アタシが聞いてるのは」
「ハイハイ、大きい小さいかでしょ?」
そう言って、フフッ、とミサトは色っぽく笑った。
その艶かしい様子にアスカとレイは頬を紅く染める。レイも微妙に興味があるようだ。
「ウチの旦那は大きい派かなあ・・・・挟んであげると喜ぶし」
「は、挟むって何を?」
「何って・・・・ナニよ」
絶句するアスカと、自分の胸を見て悩むレイ。
ダメ、わたしのでは挟めないわ。なぜ? そう、牛乳をあまり飲んでいないからなのね。
「でも近頃は小さい派も増えてきたらしいわよ? ほら、よく居るでしょ、小学生を襲うヤツ」
「それとこれとは違う気がするんだけど・・・・」
確かに「胸が小さい=小学生の女の子」だが、何かずれている気がする。
胸が小さいのであって、決して背負われたランドセルに興奮できるか否か、ではない。
言い方が悪かったのかなぁ、とアスカは思った。
「まあ、好みは人それぞれって事よねん♪」
「結局はそうなる訳ね」
「でもそうでしょう? シンちゃんはスレンダー派みたいだけど。頑張りなさい、アスカ」
お姉さんは応援してるぞ、とミサトは付け加えた。
慰霊祭が終わってからは穏やかな日常が続いている。時々NERVに碇シンジが顔を出すようになったり、その隣に霧島マナがくっ付いていること以外は大して変わりはなかった。
ユイはマナを気に入っている様なので特別に出入りを許可していた。勿論、セキュリティーレベルの高い場所は例外だが。
ゲンドウと冬月も教祖が良いと言っているので何も言わない。恐らくユイが青い、と言えば赤も青くなるのだろう。
NERVの入り組んだ通路に悪態をついたり、ジオフロントを見て感動したり。
マナが喜んでシンジが相槌を打つ。
傍から見ればお似合いカップルであった。
だが例外もまた然り。休憩時間が終わって研究室に戻る途中、惣流・アスカ・ラングレーと彼らはバッタリと出くわした。
不機嫌そうな表情を浮かべるものの、アスカは以前のように怒鳴ったりはしない。
よっぽど効いたんだろうなあ、とマナは彼女の様子を見て思った。
普段はのほほんとしているシンジだが、攻撃するときはとことん敵を打ちのめすことをここ一週間の間で気づいた。彼は「礼には礼で返す」とは言っていたが、まさにその通りであった。
悪意を向ければ悪意を返され。
好意的にすれば好意的に返される。
いたって単純なシステムだ。
言わば鏡に向かって話しかける様なものなのだから。
そのシステムの中にあって、唯一例外なのがシンジの家族らしい。彼が一方的に嫌悪感を示しているらしく、父親とは最悪、母親とは微妙、妹とは話すらしないらしい。その妹こそファーストチルドレン、碇レイだという。なんか家族揃って有名人ばかりだなあ、とマナは思った。
「こんにちは、アスカさん」
「ええ、こんにちは。霧島さん」
NERVの通路は無駄に広い。
このせいで戦自に攻め込まれた時に、いいように歩兵を進ませてしまったのだ。
対人システムを強化した今も、通路の広さだけは変わらなかった。
「シンジ・・・・」
「はい?」
お互いに2メートルくらいは距離が開いている。
近すぎず遠すぎず。
今の彼らを表す溝の様であった。
「この間はごめんなさい・・・・」
「何故です?」
「何故って・・・・アタシが一方的に絡んじゃったから」
アスカとて伊達に17歳になった訳ではない。
確かに世の中には精神が子供のまま大人になってしまう若者もいるが、彼女は常識というものは弁えているつもりだった。自分に非があれば謝る、当然の様で、それは意外に難しい。
彼女の場合、血の気が多いので後から冷静になってくる節がある。その場では感情のままに動いてしまうが、後になって冷静になってみると、という感じなのだ。
あの時、どう考えても悪いのは自分だとアスカは自覚していた。
「だから、ごめんなさい」
「――――――へえ」
奇妙な感覚。
シンジの隣に立つマナはそんな感覚に捉われた。
彼の表情は感心しているような、呆れているような、どうもはっきりとしない表情だったからだ。
頭を下げているアスカには見えていない様だが。
「クスクスクス・・・・いや、構いませんよ。貴女が悪いと自覚してくれたのなら僕にはそれで十分です」
アスカは弾かれたように顔を上げた。
「許して・・・・くれるの・・・・?」
きっと攻撃的な言葉を吐かれると思っていたに違いない。アスカは目に見えて驚いた表情を浮かべている。
マナも内心で驚いていた。
シンジは「ええ」と頷くとそのままアスカへと歩み寄る。そして手を出した。
「今みたいな貴女なら嫌いじゃないですよ、惣流さん」
差し出された手を、アスカは嬉しそうに握り返した。
未だに名字でしか呼んでくれないのは少し寂しい気がするけど、仲直り出来たのは喜ばしい。
やっぱり元ルームメイトだし。
(それに、“あんな”シンジはもう見たくない)
溜まったいたモヤモヤが吹き飛んでいく。
どうもアスカは悪い出来事は引きずってしまう癖があった。故に一日中悩みに悩んだり、食欲がなくなるほど憂鬱になってしまうことが稀にあった。
昔から辺りに喚き散らす性格ではあったのだが、だからと言ってガサツな訳では決してない。あの性格は、幼い頃のトラウマによって性格が歪んでしまっていた少女の自己防衛反応だったのかもしれない。
「そうだ。アタシのことはアスカって呼び捨てで構わないわ。その代わりマナって呼んでもいい?」
「え? ええ、いいけど(急に機嫌が良くなった?)」
アスカとマナは向き合って会話をする。先程までは絶対に目を合わせようともしなかったのに、今では嬉々としてアスカはマナに話しかけていた。後ろめたいものが一気にに吹き飛んでしまったかの様である。
先ほどよりも距離を詰めて三人は歩いていく。
その様子にNERVの職員達が不思議そうにこちらを見た。それも仕方がないだろう。つい最近まで顔を合わせるだけで険悪になっていた三人だ。和気藹々な雰囲気なんて初めてなんじゃないだろうか。
シンジを挟んで右にマナ、左にアスカ。
世の男達からすれば両手に花の状態と言えた。
広い通路のおかげで、三人並んで歩いていても何の支障もない。
NERVの双璧の一人、惣流・アスカ・ラングレーは日本人には真似できないプロポーション。
シンジの彼女と噂される霧島マナはボーイッシュなスレンダー美少女。
恨みがましい視線を感じ、シンジは可笑しそうにクスクスと笑った。
(嫉妬、羨望。面白いよねえ、ヒトってさ)
自分にないものを欲しいと思う欲望。
それを手に入れようとする本能。
押さえ込む理性と言う名の楔。
螺旋状に絡み付いたそれらは、もはや絡み付いて切り離す事などできやしない。
生きている限り押さえ込まなければならない本能は、ココロのチカラによって封じられているのだろう。
「マナって高校生なんでしょ?」
「うん。中央高校」
「へー。じゃあ、ヒカリと一緒の学校じゃないの。聞いたことないかしら、ヒカリって名前」
「あはは・・・・どうだったかなあ」
聞いた様な聞かない様な。マナは引きつった笑いを浮かべる。
「マナはこっちに来たばかりらしいですからね。知らなくても仕方ないと思いますよ?」
「う、うん」
「そうなんだ。転校してきたばかりなら、まあ当然よね」
いいヤツだから困ったら頼ってみなさい、とアスカは付け加えた。
NERVに就職したアスカだが、ヒカリとは今でも時々会ったりしていた。同年代の友達が少ない彼女には、数少ない遊び友達なのだ。ヒカリも嫌な顔一つせず付き合ってくれるので本当にありがたい、とアスカは感謝している。
レイは休日になるとユイとセットになって出かけてしまうので対象外だ。
「でもマナもラッキーよね。NERV本部に一般の人間が入れるなんてそうはないんだから」
「ジオフロントを初めて見たときは驚いたなあ」
「でしょ? あれは絶景よねえー。今は見慣れちゃったけど」
通路の角を曲がる。左手に「赤木研究室」と表札がある扉が見えてきた。
アスカを先頭にシンジ、マナの順で入っていく。マナは許可を取ってあるので問題ない。
中はコーヒーの匂いで満たされていた。
「アスカに・・・・シンジ君?」
まさか一緒に来るとは思ってもいなかったのだろう。リツコは若干声を上ずらせた。
「ええ、まあ」「いつまでもアレだと息が詰まるから。仲直りしたのよ」「ふうん・・・・」リツコの目が細められる。
「リツコさん、コーヒーを入れてもらっていいですか? 三人分」
ニコニコ。
「はあ・・・・いいわよ」
ため息と共に立ち上がって、リツコは暖められていたコーヒーをカップに注いでいく。コーヒー好きなだけあって、かなり手馴れた手つきである。
香ばしい匂いが三人の鼻を刺激する。
こちらに背を向けながらリツコは聞いた。
「霧島さんは砂糖とミルクは入れるかしら?」
「い、あ? えーと、お願いします」
急に名前を呼ばれどもるマナ。
あれ、自己紹介してないのに、と彼女は首を傾げた。
ふふふ、と笑いながらリツコがお盆にコーヒーを載せ戻ってくる。「どうぞ?」「ありがとうございます」「アリガト」「あ、どうもです」
「シンジ君から話は聞いてるわ。一応、彼の同居人の赤木リツコよ。よろしくお願いね」
「ど、同居人ですか!?」
狼狽するマナと、ブバっ、とコーヒーを吹き出しかけるアスカ。激しく咳き込んでいる。鼻に入ったのだろう。
「クスクスクス・・・・まあ、そんな感じですかね?」
「そんな感じよね」
さすがに一緒に住んでいるだけあって、二人は息がぴったしである。
マナから見て大人の女性であるリツコは色っぽく笑う。それだけで自分では勝てない気がしてしまうから不思議だ。え、何に勝てないって? それは秘密だよ。
(もしかしてシンジと赤木さんって・・・・?)
聞いてみるべきだろうか。マナは悩んだ。
だがどう聞けばいいのだろう。
「お二人って付き合ってるんですか?」いや、駄目だ。これでは率直過ぎる。
シンジのことだからノラリクラリと話を逸らしてしまうはずだ。何気なく聞ける方法でないと。
「お二人って仲良いですよね?」ん、これはいけるかも。近すぎず遠すぎず。その後に「お似合いですよねー」とか言えば尻尾を出すかもしれない。
よし、この方法でいこう。
これで二人の様子を見れば何か分かるだろう。
そう、これは調査だ。
決して私用ではない。
たぶんそうだと思うよ? ムサシ、ケイタ。
「あの、お二人って「何言ってんのよ、リツコは大家みたいなもんでしょうが」「・・・・え?」
やれやれ、とアスカは言わんばかりに肩をすくめた。
「シンジはいろいろあってリツコの家に厄介になってるのよ」
「そ、そうだったんだ」
「ふふっ。一緒に住んでいることには違いないわ」
確かにそうだけど、とアスカ言いよどむ。
リツコはからかい半分、残りは自慢半分でいかにシンジが素晴らしいかを説いた。料理が達人級に上手いとか、皿洗いや洗濯の手際が恐ろしく速いなどなど。特に猫達に好かれていることは鼻息を荒くして語るもんだから、マナは少し引き気味であった。ハァハァ。
「シンジが家事全般が得意なのは本当よ。昔一緒に住んでいたから分かるわ」
シンジの方を見る。
彼は笑みを浮かべるだけで何も言わなかった。
シンジは・・・・やっぱり良い思い出じゃなかったんだろうな。アスカは昔を思い出して思った。
当番制だった家事も殆どシンジにやらせてしまったいたし、文句も言いまくっていた。本当に何やっているんだアタシは。どっかの我侭女王じゃあるまいし。
料理の味付けが濃いとか薄いとか。
風呂の温度が熱すぎる低すぎる。
部屋を掃除して。だけど周りのものを動かしたらタダじゃおかないから。
――――――ああ、本当に何やってんのよ、アタシ。
後悔しても過去は変わらない。
どんなにアスカが悔やんでも、“過去”は“碇シンジが歩んだ道”として残っている。
「まあ、僕が一番家事とか出来ましたからね。惣流さんは気にする必要なんてはありませんよ」
シンジの言葉が、重く圧し掛かる。
気にしないのは無理だ。これなら怒ってくれた方が気が楽だっただろう。
他でもなく、一番辛かったのは誰でもない彼なのだから。
訓練や実験で疲れているというのに、自分やミサトは手伝おうともしなかったではないか。
疲れているのは皆一緒だ。
なら全員でやるべきだったのに・・・・!
「シンジってアスカとも一緒に住んでたんだ?」
「一応僕もチルドレンだったからね」
「え、本当!?」
「クスクスクス・・・・ホント、自分でも不思議だよ。何でチルドレンなんかやってたんだろうねえ」
成り行きで乗せられたって感じだったし。シンジはリツコを見る。
リツコは苦笑しながら手を振った。
この分だと、最初のアレが演じられていた事も分かっているんでしょうね。今の彼なら笑って許してくれそうだけど、とリツコは思う。
シンジがチルドレンを続けた理由は未だに曖昧なままだ。
父親に褒めてもらいたかった?
ミサトと家族ごっこを続けたかった?
綾波レイに情がうつっていた?
結局はその全てであるかもしれないし、そうでないかもしれない。
今言えることは、当時の碇シンジはすでにいない、ということだろう。故に一昔前の彼が望んだものもわからない。唯一全てを知っているのは、他でもない碇シンジ本人だろう。
カップを片手に持ち、軽く揺らす。黒い液体が光に反射し、シンジの目からは輝いて見えた。
「全てにおいて中途半端にやってしまったからあんな事が起きてしまった。サードインパクトは僕のせいで起きたのかもしれませんね・・・・」
「そんなことないわ!」
「どうしてですか? 惣流さんが戦っている最中、僕は一人で震えていただけ。まったく、役立たずもいいもんだ」
「・・・・そんなこと、ない」
なぜ惣流さんが否定するのかわかりませんが、とシンジは飲み干したカップを机に置く。
「僕は事実を語ったまでです。碇シンジは、全人類を一度殺している」
クスクスくす、と彼はワラう。
「――――――ま、今となっては良い思い出ですけどね」
父親が子供に聞かせる昔話のようだ、と彼女達は思った。
ただ、話している内容は偉く危険なものであったのだが。
NERV司令室。
ゲンドウと冬月は書類の始末を、ユイとレイはその仕分けを手伝っていた。
以前は中年二人組みで行っていたので寂しいものだったのだが、今では全然そうはなかった。
男二人はユイが居るだけで仕事の疲れを忘れることが出来る。
自然と作業効率も上がるのだった。
「くすっ」
「お母さん?」
作業していた手を止める。レイは不思議そうに首を傾げた。
辺りをキョロキョロと見回しても面白いものはない。ただあるのは目つきの悪い中年と白髪の老人だけだ。
「うん、シンジが最近明るくなったから嬉しくって」
「・・・・そう」
お母さんが嬉しそうだから、わたしも嬉しい。
だけど何か嫌な気持ちになる。
嬉しいけどそうではない。矛盾した感覚にレイは戸惑った。
(これは・・・・何?)
それは嫉妬であった。
いつも自分を見てくれていたユイが他人を見ている。それが彼女の心を苦しめる。
新しい兄弟が出来て、母が弟に取られてしまうのではないか。そんな幼い兄の心境と似ているのだろう。ただ、彼女にはその自覚はないのだが。
「きっとマナちゃんのおかげだわ♪」
綾波レイと霧島マナは殆ど面識はなかった。
レイは名前しか知らないし、相手に至ってはレイの名前さえ知らないだろう。ファーストチルドレン、と言えば分かるかもしれないが。
兎も角、レイにとって霧島マナは情報でしか知りえないので、曖昧に「・・・・そう」と呟く事しか出来ない。
シンジとマナが付き合うのは構わなかった。
だが、ユイが嬉しそうにシンジの事を話すのは不愉快だ。
「ユイ、部外者をNERV内に入れて大丈夫なのか?」
ユイ達が座っている場所から数メートル程先に居るゲンドウが聞いた。
司令室は無駄に広いので、わざわざ固まって仕事をするのはおかしいだろう、とユイが言ったのでこの配置になっている。最初はゲンドウも冬月も、くっ付いて仕事をするつもりだったらしい。
「確かに。どうも怪しくないかね? あのマナという娘は」
「今更NERVに隠す事はないですわ、冬月先生。そうでしょう?」
ゲンドウの方を見てユイは尋ねた。「う、うむ。問題ない」
これ以上はボロが出ると思ったのか、それっきりゲンドウは口を噤んで作業に没頭する。冬月もそれに習って手を動かす。
男二人は沈黙し、司令室は再び女性二人のお喋り会場となった。レイは満足そうに「問題ないわ」と小声で呟いた。何故か嬉しそうである。
「でも正式に付き合っている訳じゃなさそうなのよね、あの二人」
「そうなの?」
「ええ。マナちゃんはアプローチをかけてるみたいなんだけど・・・・シンジの反応が薄いのよ。嫌ではなさそうだけど」
「それって好きじゃないってことなの?」
「別にそういう訳じゃないと思うけど・・・・どう思います、ゲンドウさん?」
離れた位置の背中がビクッ、と跳ね上がった。
シンジの話は出来るだけしたくはない。その上色恋沙汰の話など・・・・ゲンドウには荷が重すぎた。80過ぎのお爺ちゃんに、モーニン○娘。の話題を振るくらい荷が重い。
ユイも分かっていてからかっている様である。ゲンドウの慌てぶりを可笑しそうに見ていた。
「その辺で許してやってはくれないかね。この男には辛い仕打ちだろう」
「あら、冬月先生。これでもゲンドウさんは既婚者ですのよ? 息子の恋愛事情の相談に乗ってあげるのも親の役目ですわ」
誰がシンジの相談になど乗るものか、とゲンドウは内心毒づいた。
「だがシンジ君も17だ。彼はもう立派な大人だと思うがね」
「それは、そうですけど・・・・」
箱入り娘として育ったユイは自立というものに疎い。自分の見えない所でシンジが困っているのではないか、苦しんでいるのではないか。考え出したらそれこそきりがない。俗に言う親馬鹿なのだろうが、本人にそのつもりはないので余計に凶悪である。
だからこそ不安で仕方がない。
親を親と思ってくれていないその態度。
冷たい接し方。
チルドレンとして戦いを経験したストレスから来るものかもしれない、と疑った事もあった。
だがそれも杞憂だったようだ。ユイはやっと安心する。
「・・・・わたしはシンジの笑顔が見られればそれでいいんです。でも、あの子は笑う事が少ない」
「ユイ君」
沈んだ表情を見せるユイだが、それもすぐに笑顔へと変わる。
「マナちゃんのおかげでシンジも明るくなってきましたわ。だから、わたしも嬉しいんです」
隣に居るのはわたしではないけれど、あの子が笑っていてくれれば、それだけで嬉しい。
サードインパクトを経験しても尚、こうして笑う事が出来るのだ。きっと次の世代の子供達も笑顔で日常を過ごせるはず。
「だからあの子達の笑顔は、わたし達で護らなくてはならないんです、絶対に」
――――――その日の午後、第一種警戒態勢が発令された。
NERV内発令所。
葛城ミサトを筆頭に、赤木リツコ、綾波レイ、惣流・アスカ・ラングレーの面々は難しい顔をしながらモニターを見ていた。
世界地図が映されたそこに、ヨーロッパ付近で赤い点が一つ、中国で一つ、それぞれが点滅を繰り返している。
パイロットである二人はプラグスーツに身を包み、その上からジャケットを羽織っている。その表情は険しかった。
「今度はイギリス、そして中国、か」
現れたのは使徒ではない。それらは三年前に全て葬り去っている。
「世界各地に現れるとしたら、EVAでは対応しきれないわね」
汎用型と銘打っているEVAだが、その実態は決してその名の通りではなかった。
汎用型として使えない大きな問題として、電源の確保が上げられる。S2機関を内蔵していない弐号機と零号機では、その行動は大きく制限されてしまう。第三新東京市付近ならば問題にならないそれも、世界各地となると話は別だ。
電源が切れると巨大な人形と化すEVA。いかにして電源問題を解決するかが今後の課題と言えるだろう。
「どうにかならないの? リツコ」
「新しく開発された内臓電源なら7分はいけるけど・・・・正直期待できないわ」
「7分か・・・・ちょっち厳しいわね」
「ちょっちどころじゃないと思うんだけど」
実際に戦場に赴くアスカとしては非常に寂しい状態である。
いくら腕が良くたって、毎回特攻なんかしていられない。7分で倒すということは玉砕覚悟と同義なのだ。
「出撃要請は?」
ミサトはオペレーター席に座るマヤに聞く。
「ありません。各国それぞれの軍が動いているようです」
「さすがに国内じゃないから手を出すことはできないし、今は傍観するしかないか」
そうね、とリツコも同意する。
使徒を迎撃する目的で設立されたNERVは使徒に対しては強引な手段を用いることが可能だが、それ以外はそうもいかない。
国連から要請がこない限り、NERVが介入することは許されないのだった。
「正体不明の生物――――――十中八九、OOパーツでしょうね」
「でも各国の軍のみで対応できるんでしょうか?」
マヤは以前に現れたドラゴンを思い出して言った。
確かにドラゴンクラスとなると戦闘機では歯が立たないだろう。最新鋭のそれも、あの巨大生物の前では鉄の棺桶と化す。
「規格外でなければ対応は可能であるかもしれないわね」
「何よ、その“規格外”って」
「あなた、シンジ君の頭に乗っている蛇を知っているでしょう?」
「ええ。確かヌル助だっけ?」
あの寸胴な胴体の蛇、とミサトは付け加える。
「そう。そのヌル助は“規格内”OOパーツ第壱号なのよ」
「なんですって!?」
「考えてもみなさい? あんな蛇なんて居る筈がないでしょうに」
「でもリツコは突然変異だって・・・・」
「ま、嘘も方便よね」
サラリ、とリツコは言ってのけた。プルプルと震えるミサト。怒りを抑えるのは結構苦労しているようだ。
ヌル助がOOパーツであることは結構前から分かっていた。
だが害もないし、シンジに懐いているようだからそのままにしておいたのだ。
何の理由もなくOOパーツだとバラす必要もないので、リツコは黙っていたのだった。
「OOパーツには悪性、良性があるらしいのよ。その区分けで言うとヌル助は良性でしょ?」
「確かにアレには害はなさそうだけど・・・・」
「そして今度現れたOOパーツは“規格内”と考えられるわ」
「良性ってこと?」
モニターにはイギリス軍が応戦している映像が映し出されている。
相手にしている生物はライオンに羽が生えた――――――恐らくグリフォンであろう。
「いいえ。規格内だからと言って良性だとは限らない。むしろ良性である方が珍しいんじゃないかしら」
まだ現れた数が少ないから何とも言えないけど、と彼女は付け加える。
「今まで現れた、ドラゴン、グリフォン、ツチノコ、そして中国の」
「猿人」
「そうね。これらは空想上の生物、神話や伝承などで伝わっているものよ」
「使徒って言う常識外を知っているのよ? 今更何が出てきたって驚かないわ、もう」
半ばヤケクソ気味でミサトは吐き捨てた。アスカとレイも同じ心境なのだろう。
イギリスではグリフォンと交戦中。そして中国の猿人はすでに倒されていた。これでOOパーツに現代兵器が効くことは分かったのだが、今回現れたのは規格内のOOパーツである。グリフォンも猿人も、せいぜい人より少しばかり大きい程度なのだ。
空を翔るグリフォンに手間取っているイギリス軍だが、時間をかければ問題はない筈である。
「猿人はライフルの一斉射撃で射殺・・・・だけど死体は残っていないみたい」
送られてきたデータに目を通しながら、リツコは難しい表情で呟く。
「どういうこと? 使徒みたいに爆発したとか」
技術部であるアスカは疑問に思ったので聞いた。
使徒は倒すと爆発するものもあったが、第4使徒の場合は死体は残っていた。
使徒の死はコアを破壊することによって引き起こされる。コアさえ破壊すれば倒したと言っても過言ではなかったのだ。
だがOOパーツは死体が残らない。猿人だけに言えることのなのか、或いは全てに共通して言えることのなのか。
グリフォンを倒せば、自ずと答えは出るだろう。
「その報告はないわ・・・・グリフォンもたった今ケリがついたみたい。集中砲火で足止めをしてロケットランチャーを打ち込んだか。無茶するわね」
「そしてこっちも死体は残らない。どうなってんのよ」
地面に融けるように消えた、と報告にはある。物理的にそれはありえないことであった。
ならば自然と、“OOパーツは生物ではない”という定義が出来てくる。
生物でなければそれは現象?
実体を持っているから幻ではないはずだ。
「恐らくまだまだ現れるでしょうね。規格内OOパーツは各国の軍に任せるとして・・・・問題は規格外の対処」
「それはアタシ達が出るんじゃないの?」
アスカはレイを見る。コクン、と蒼い銀髪が揺れた。
「規格外はEVAでないと対処できるとは思えません」
「そうね。規格外はNERVの方で処理しなければならない。今確認できているのは第壱号、以前旧東京に現れたヤツのみ」
「アレがウジャウジャいたらそれで終わりね」
いないことを祈るミサトだった。
「今回は被害が少ないうちに終わったからよかったけど、第壱号が海外に現れたらマズいんじゃないの?」
「移動手段は空輸しかないものね・・・・その時はN2を使用してもらうしか方法はなさそうだわ」
「電源の問題はどうなってんのよ?」
「今大急ぎで電源ユニットを仕上げている最中よ。ケーブルで行動は限られるけど、12分は持つと思う」
聞かれたリツコの代わりにアスカが答えた。
何せ戦場に出るのは他でもない自分自身なのだ。出るからには万全の状況でそれに望みたい。
幸いにもアスカは技術部兼任だったので、電源ユニットの開発にも携わっていた。
「ユニットが破壊されなかったとして、12分+内部電源7分。合計19分、か。何とかなりそうじゃないの♪」
楽観思考のミサトは嬉しそうだ。
「馬鹿言わないで。敵は詳細もよくわかってないのよ? 時間は長いに越したことはない。19分じゃ短すぎるくらいよ」
その思考をバッサリとリツコは切り捨てた。何気に容赦はない。
「・・・・そうね、ごみん」
「分かればいいのよ。じゃ、転送されてきた資料を纏めましょう? 警戒態勢は解除していいわよ、マヤ」
「はい」
今は司令、副指令共に外出中であった。よってミサトが最高責任者になるのだが、生憎彼女は事務系等は苦手なのだった。故にリツコが指揮を譲り受けており、現在は彼女が発令所を動かしていた。
「よしっ、やるわよ!」
「どうしたのよ? ヤケにやる気満々じゃないの、アスカ」
葛城ミサト。勤務中でもその性格は変わらないようである。
「シンジ君に応援されちゃったのよ、アスカは」
「ちょ、リツコ!?」
「へ〜え」
ニタァ、と見ているこっちが気持ち悪くなる笑いをミサトは浮かべる。マヤなんか「不潔です不潔です」と目を瞑ってしまった。マコトは顔を赤くしているが。何故に?
その笑みに若干引きながら――――――レイはすでに圏外へと逃げおおせた――――――アスカは反論する。
「べ、別にそんな訳じゃ」
「いいのよ、照れなくても。そっかー、三つ巴かぁ。三角関係かあ〜。修羅場なのかあ〜」
もう何を言っても無駄だと悟ったアスカはそれ以上言葉を発するのは止めることにした。
シンジがアスカを応援したのは本当である。
別れ際に「じゃ、頑張ってねリツコさん、惣流さん」と彼は言ったのだ。自分が後回しなのがちょっと不満だけど、最初の態度から考えれば大した進歩だろう。アスカはその時の様子を思い出し、満足げに微笑んだ。
・・・・それだけで気分が浮かれてしまったのは内緒だが。
(いくわよ、アスカ!)
誰かが自分を想ってくれている。
ただそれだけで、アスカは心が暖かくなるような気がした。
「――――――あんなこと言われたんだから、サボるなんて出来る訳ないじゃないのよ、まったく」
文句を言いながらも、アスカの表情は明るい。
彼女は軽い足取りで研究室へと向かっていった。
■ 第七幕 「 ココロの傷と、その治療方法 」に続く ■