"DEAD≒S"






 「学校の宿題をする守り目なんて聞いたことありませんわ」


 どこかの屋敷、避暑地として訪れた彼の地。

 もう何度目になるかも分からない麻耶の声。呆れが混じったそれには僅かな哀愁が感じられた。

 闘真は背後から聞こえてくる声を無視しながら鉛筆を走らせる。無視されたのが気に障ったらしく、麻耶は頬を膨らませた。それでも口に出して怒り出さない辺り、彼女の品の高さを窺わせる。

 なあ、■そうぜ?

 アイツの声。自分の声だとは到底思えない音程がズレた声。ヤク中の末期患者だったらこんな感じなのだろうか。一声一声が癪に障る。黙らせたかった。できなかった。その声は自分だった。自分を黙らせるのは無理だった。

 勉強に集中できない。

 ■せ■せと叫ぶ。黙れよ。なんでだよ、我慢する必要なんてねえだろうが。絶対に駄目だ。この意気地なしが。言ってろ。おまえは■すだけでいいだろうけど僕には生活があるんだ。けっ、そんなこと。餓死したいのかおまえ。金でも奪って逃げりゃあいいだろう。馬鹿なこと言うな。相手は真目家だ。■したあと逃げたとして、日本どころか世界の端まで追いかけてくる。わーった、わーったよ。俺もまだ死ぬのは御免だ。

 怒鳴った、怒鳴り返した、罵った、罵り返した。

 脳みその中で暴れ回るアイツ。闘真の良心を壊しながら喜ぶアイツ。

 黙々と宿題、麻耶が後ろから覗き込んでいる。目玉を抉り出したい。首を捻じ切りたい。喉に喰らいつきたい。粉雪のような肌に赤い花を咲かせてやりたい。

 集中。雑念を捨てろ。

 馬鹿な真似はよせ。きっと不坐オヤジに殺される。自分は蟻だ。蟻がどう足掻いたって象に勝てるわけがない。力量差、違う。勝てない。勝てない。それが法則。

 霧を振り払って向き直る。麻耶の笑顔。ぞっとした。背中が熱かった。目頭が熱くなった。毛穴からマグマが噴き出してきそうだった。


 「まったく、こんなの嫌になるよ」

 「ええ、こんな簡単な問題に時間を費やすなんて、苦痛以外のなにものでもありません」


 麻耶は頭が良かった。頭脳明晰、容姿端麗。絵に描いたようなお嬢様。兄が二人いた。彼女ら三人は跡取り候補だった。権力者の家系は例に漏れず家族仲が悪い。彼女たちも典型的だった。

 そんな、まだ幼い少女が心許したのが闘真、彼女の守り目。腹違いの兄弟。禍神まががみの血を色濃く受け継いだ、生まれたときからの殺人者。多重人格、殺戮衝動、腰に携えた鳴神尊なるかみのみこと。麻耶は知らなかった。闘真は知っていた。アイツが教えてくれた。そして分かった。怖かった。嫌悪した。だが何よりも、安心した。

 自分は、頭がおかしくなったんじゃない。

 元から、おかしかったのだ。

 受け入れると、あとは楽だった。アイツは自分だった。自分はアイツだった。鳴神尊、あらゆるものを切り裂いた。木、岩、鉄、試していないけどダイヤだって真っ二つにする自信があった。

 
 「ほら終わりました」


 できて当然という顔。闘真は分からなかった。頭は中の下くらいだった。

 背中越しに感じる少女の体温。早まるな。分かってる。本当に分かってるのか。疑い深いなあ、相棒。引っ込む衝動。やっと気が抜けた。









 丘に忘れたスケッチブック、取ってきた闘真は屋敷の異常に気づいた。黒を基調としたジャケット、頭部には暗視ゴーグル、携えるは大型の銃器。

 ひゃははははははははははっ!!!!!

 絶叫、嘲笑、冷笑。アイツが喚起した。やっときた。ついにきた。鼻につく硝煙、知っていないのに知っていた。たくさんの人影。わらわらと蠢く、蠢く内臓。アイツが出てくる。俺がアイツになる。違う。俺が違っていたのだ。本来のアイツを誤魔化すための僕。日常を送るための僕。

 日常、僕。
 
 非日常、俺。

 銃声、悲鳴。硝子の割れる音。誰かの絶叫。

 屋敷には麻耶。ふざけんじゃねえ。アレは俺の獲物だ。俺が楽しみに取っておいた切り裂くためのカラダだ。その汚ねえ鉛球をブチ込むのは筋違いだ。人のモン掻っ攫う気かテメェらは。

 走り出した。銃弾が飛び交う屋敷に向かって走り出した。

 館の目の前。他のヤツらはどうでもいい。麻耶が先だった。

 思い出す。最後にアイツがいたのは確か別棟。本館に戻るより残っている可能性が高い。

 土足のまま飛び込む。目に入った死体。初めて見るのに懐かしかった。見慣れた顔。いつも自分に嫌味を言ってきた人間。ざまあみろ。闘真は鼻を鳴らした。

 
 「きゃあああああああっ!!」


 麻耶の悲鳴。聞こえてきた方向に走り出す。間に合うか。

 部屋に入る。倒れている麻耶、覆いかぶさろうとする小柄な襲撃者。手にはコンバットナイフ。いい趣味をお持ちで。

 抜刀。

 襲撃者には振り返る暇も与えない。体勢のせいで首を跳ね飛ばすのは不可能。背後ががら空き。そのまま小太刀を突き立てる。粘土を貫通するような手応え。最高だ。視界が真っ赤に染まる。返り血だった。

 鉄の味が口に広がった。あまり美味くない。そのまま吐き捨てる。

 呆気ねえな、おい。

 闘真は舌打ちした。麻耶の唸り声。生きている。安堵した。まだ殺されていない。怪我らしい怪我もしていなかった。物足りないがこれで満足できる。目を覚ました瞬間に足を切り裂いてやろう。泣き叫ぶ麻耶に微笑みかけながら両足を引き裂いてやろう。切断じゃない、ちゃんと真ん中から引き裂いてやるんだ。ゆっくり、ゆっくり時間をかけて鳴神尊を進めていく。

 ああ、早く目を覚ませ麻耶。

 このままじゃ俺は狂っちまう。おまえが愛しくてたまらねえ。その可愛らしい顔は最後まで残しておいてやるからな、麻耶。

 と、白髪の老人が部屋に飛び込んできた。惨状を目の当たりにし、老人は一目で状況を看破したらしい。麻耶を抱きかかえると闘真も引きずって出て行こうとする。殺しちまおうか。口を吊り上げると、タイミングよく声がかかる。

 どこかで聞き覚えのある声。

 若干、僕になる。それでも俺は俺のまま、僕は声のする方へ向き直った。

 麻耶を抱きかかえた老人に「すぐ行く」と言って先に行かせる。小柄な襲撃者。聞き間違えることのない声。懐かしい。もう年々も聞いていなかったその声。

 流れ出る血は致死量。助からない。闘真は膝をついた。


 「マスクを取って」


 従う。鳴神尊を腰に戻して手をかけた。

 現れた顔。自分の母親。声で分かった。いなくなった母親。今頃帰ってきた馬鹿な母親。

 どうしようもなく、目の前の女が無様だと思った。

 彼女はいろいろなことを言った。だけど闘真には全てどうでもよかった。自分が何者かなど興味はない。誰の掌で踊っていようが知ったことではない。ただ殺せればいい。生きていればいい。人間を解体できればそれでいい。

 
 彼は――――――坂上 闘真は、トチ狂っていた。


 「とう・・・・ま・・・・」


 頬をなでる指。氷のような指。昔のように頬をなでて、それは動かなくなった。母親は死んだ。自分が殺した。別に動じはしなかった。ただ、つまらないと思った。イカれた自分。狂った自分。俺を産んだ母親はどんな強者なのかと期待した。呆気なかった。そこらにいる人間と同じだった。落胆。失望。


 「はは、は、は。あははははははははははははははははっ!!!!」


 あまりにもその女が無様だったから。

 闘真は、腹の底から笑った。










 >>>それから数年後。


 日本近海。

 海上に浮かぶ硝子の球体。スフィアラボ。峰島 勇次郎の遺産技術の集大成。全てを自給自足し、太陽光が届くのなら宇宙のどこに放り出されても人が生きていける要塞。

 巨大な球体の傍には平らな板があった。港、ヘリポート。外部のためのものだった。

 ラボには1043名が暮らしていた。研究者、その家族。施設を運営するための人員その他。

 横田に言われた仕事をこなしながら、坂上 闘真はため息を吐いた。目の前の作業が上手くいかない。今日中に終わらせない自信があった。

 春休みを利用したアルバイトで滞在しているスフィアラボ。闘真は人がよかったのですぐに打ち解けた。長期に渡る衣食住の共同。円滑な人付き合いは大切なものだった。

 上司の横田は有能だった。ラボを統括するスーパーコンピュータ<LAFI>のカオス領域を僅かながらも理解する頭を持っていた。家族持ちで親馬鹿。闘真も彼の娘の鏡花とは仲がよかった。

 



 <スフィアラボ外周、ヘリポート>


 予定にはないヘリが着陸した。警備責任者の神田は険しい顔をしてコンテナが下ろされるサマを見据えていた。

 一人を捕まえて怒鳴った。搬入されるのは来週のはずだ。相手は暗い瞳をした男だった。神田は気づかない。産業スパイかと疑っていた。強大な遺産。峰島 勇次郎の遺産を狙う輩はそれこそ数限りない。


 「俺たちに文句言われても困るよ。今日この時間に運んでくれって言われただけなんだから」

 「コンテナの中はなんだ?」


 男はヘラヘラと笑いながら、言った。


 「ああ、テロリスト1セット」





 <スフィアラボ内部、制御室>


 死体、死体。赤黒い血流を垂れ流しながらそれらは転がっていた。中央に人影。青年、坂上 闘真は死体を無感動に見下ろして、その中に横田が沈んでいるのを見つけた。すでに事切れている。手には血塗れたプレゼントの箱。横田にはよくしてもらった。面倒をみてもらった。だから彼の娘の誕生日を知っている。今日だ。きっと渡すつもりだったのだろう。血塗れたプレゼントの箱。

 よくしてもらった。

 闘真も照れながら彼の家族とつきあっていた。鏡花には懐かれていた。とーまちゃんと呼ばれる仲だった。

 とても暖かな家族だった。

 ―――――― ぐしゃ。

 踏み潰される音。中身は小さなぬいぐるみ。箱から飛び出して血に沈んでいく。闘真は無言でそれを踏み潰した。物言わない横田。動かない人形。くだらない。闘真は踵を返す。

 とてもとてもよくしてもらった。

 闘真は、その家族をブチ壊してやりたいと思っていた。とーまちゃんと寄ってきた鏡花の首を刎ね、その生首を玄関先に置いたら、両親はどんな反応をするのかと考えていた。

 両親が血眼になって犯人探しをする隣で、善良ぶって彼らを励ます犯人の自分。

 想像して、自然と、笑みがこぼれた。





 <スフィアラボ内部、セントラルスフィア>


 「どうだ? いけそうか?」


 薄暗いその中で、光城 時貞が言った。


 「中々の難物だ」


 目元を覆うバイザーを外して、風間 遼。

 ラボの中核ともいえる<LAFIファースト>を押さえれば、全ての施設を支配したといっても過言ではない。テロリストたちは躍起になってその時を待っていた。とはいっても、全てはリーダーである風間任せだったのだが。

 ばかでかい剣。その表面には電子回路のような工学模様。それを背中に背負った光城。戦闘狂。すでに幾人も殺しているというのにもの足りなかった。

 かの伝説的マッドサイエンティスト、峰島 勇次郎が遺した大いなる遺産技術。現代の科学を軽く凌駕したその恩恵に触れれば、大概の人間のタガが外れる。犯罪に手を染めるのがその大半。光城もその一人だった。

 予定より遅れている。風間に愚痴った。軽く返された。

 増加する遺産技術を用いた犯罪に対抗する部隊、ADEMのLC部隊とやりあえるチャンスがきたのだ。

 重みのある重圧を感じながら、光城は口を吊り上げる。


 「おうよ、亜門のヤツも喜んでるぜ。用兵時代の血が騒ぐってもんよ。ひゃーっはっはっは!」


 ヒステリックな笑い声。近くにいた風間と彼の右腕、宮根 瑠璃子が意味ありげに目を合わせた。





 <スフィアラボ内部、展望室>


 眼下にはローター音を振り撒きながら着陸してくるヘリの姿。物々しい装備を纏うのはLC部隊。自然と闘真の口がつりあがった。楽しみだ。少しは歯ごたえのあるヤツらだと願おう。

 
 「・・・・!」


 凝視する。滅多に動じない彼が動揺した。震える肩。早まる鼓動。目線の先には拘束された少女の姿。全身を戒められ、目には大きな眼帯。とてもじゃないが普通じゃない。

 ははははははははははははははははッ!!!!

 アイツも喚起した。なんて幸運。なんて偶然。こんなスフィアラボ箱庭に彼女が来てくれようとは。

 美しかった。細部にわたって完成したその美貌、身体。父親に決して劣らぬ稀代の頭脳。人間工学と力量計算を瞬時にやってのけるその異様さ。最高だ。銃弾さえ避けてみせるその身体を刻みつくしたい。涎が出そうだった。目が血走って真っ赤になった。耳が五月蝿い。血圧が高まりすぎて耳鳴りがする。最高だよ。待ってた。おまえを待っていた。麻耶と同じくらい殺したいヤツ。

 ユラユラと揺れながら、舌舐めずリ。


 バラバラにしたいくらい愛してるぜえ――――――峰島 由宇。





 <スフィアラボ、メインゲート付近>


 現れたのは特殊装甲を纏ったテロリストたち。ADEM側は中心に侵入する以前から痛手を負っていた。まさかこんなにも遺産技術を用いているとは思ってもいなかったのだ。認識の甘さが今になって痛手となった。

 増援の亜門、光城には手も足も出ない。<A9汎用特殊装甲>のオリジナル、Eランク。液状化現象を引き起こす大剣<霧斬>はDランクの遺産だった。対してLC部隊の大半は現代科学の近代兵器。特殊部隊としては最高の装備だったが遺産技術の前には赤子も同然だった。

 
 「全滅したいのか、撤退しろ」


 目隠しをされていても状況が読めているのだろう。由宇は指揮をとっている久野木に向かって言った。彼とてこのままでは全滅するのは目に見えている。だが引くわけにはいかなかった。未だに出入り口近くで足止めをくらっている最中。プライドが高い方ではないこの男でも、撤退するのは屈辱的だった。

 返答は否。

 相手は人間だ。化け物なんかじゃない。人ならば人が殺せるのもまた道理。すきが生まれるはずだ。だがそうしている間にも、また一人と部下が散っていく。焦燥感。絶望感。なんだアイツらは。本当に人間なのか。ありえない。

 極度の混乱を読み取った。このままではマズい。由宇は口を開く。


 「ならば、私の戒めをとけ」

 「なんだと?」

 「助けてやる。戒めをとけ」


 経過は兎も角、由宇の言葉は現実となった。





 <スフィアラボ内部、移住区>


 「とーまちゃん?」

 「やあ、鏡花ちゃん」


 大手を振って闘真は微笑んだ。知り合いに会えたのが嬉しいのか、鏡花は嬉しそうに抱きついてくる。

 家の中だというのに、急に現れた少年に驚く中年のおばさん。鏡花の様子。知り合いだと分かった。少し警戒しながら近づく。誰? 横田さんにお世話になった者です。人のいい笑顔。柔らかい声。体の力を抜く。少年が名乗る。坂上 闘真。横田夫妻から聞いたことがあった。

 テロリストに見つからないように逃げてきた。どうやって。裏技です。イタズラ小僧みたい、彼女はそう思った。

 横田さんが亡くなりました。神妙に闘真は言った。半ば予想していた答え。それでもショックは大きかった。移住区にいた者は軟禁で許されているものの、職員は殆んど皆殺しにされたと聞いていた。残っていた移住区の百名ほど、無理やりに連れてかれてしまった。その中に鏡花の母親がいた。お互いに情報交換。闘真は悲しげに顔を伏せた。


 「残念です」


 宙を飛んでいる。視界が跳んでいた。そう中年の女性は思った。首のない自分の体。坂上 闘真が刃物を振り抜いていた。どうして。そんなこと。地面に落下するより早く、彼女は絶命した。

 まるでワインを噴き出す噴水。降りかかる液体を身に受けながら、鏡花は呆然としていた。目の前には首を刎ね飛ばした闘真。手には小太刀。幼い彼女でも刃物が危険なことは分かっている。だが頭がついていなかった。決定的に何かがおかしくなっているのに、闘真はいつもみたいに微笑んでいる。何がおかしいの。誰がおかしいの。


 「鏡花ちゃん」


 返り血を浴びた姿。真っ赤。目が血走っていた。いつもは優しい目元、今でも変わらない。でも血走っていた。笑いながら狂っていた。怖い。この人は誰。ママ、とーまちゃんが変だよ。おとちゃん。どこにいるの。とーまちゃんが変だよ。きっと病気だよ。治してあげなきゃ可哀想だよ。ねえ、誰か。


 「ひぎっ!?」


 灼熱。腕が貫かれた。熱い。痛い。訳が分からなくて泣いた。それでも闘真は小太刀を引き抜かない。気絶。軽い舌打ち。鳴神尊を軽く動かす。鏡花が気づいた。絶叫。いたいいたい。動いたせいで刃がめり込んだ。闘真、笑っている。目の前で泣き叫んでいる。いつかやってやろうと思っていた。やっぱり最高だった。目の前の鏡花が幼い日の麻耶とダブった。さらに興奮した。歯軋り。気づいたら歯軋りをしていた。鼓膜を震わす絶叫。それだけでイキそうだった。

 気絶しては気づかせ、気づいたら刃を数センチ動かす。何回も繰り返すうちに動かなくなった。

 蒼白になった顔。明らかに血の気がない。出血多量でいつ死んでもおかしくはなかった。これ以上やっても悲鳴は上げない。闘真はなんだか裏切られた気分だった。もっと楽しんでくれると思っていたのに。やっぱり鏡花ちゃんは麻耶じゃない。

 腕から引き抜く。ビクリと小さな身体が震えた。声はない。すでに焦点が合っていない。目線は虚空を漂っている。

 鏡花ちゃん。闘真が言った。反応はない。小さな小言だろうか、モゴモゴと鏡花の口が動いているのが分かった。耳を寄せて聞いてみる。ママ、おとちゃん、とーまちゃん。延々と繰り返される言葉。鏡花ちゃん、僕はここにいるよ。優しい声。反応。目が闘真に向けられる。嬉しそうに笑った。口元だけ。それ以上動けない。それでも喜びの表情。

 血に濡れていた。ドロドロだった。二人は血塗れだった。

 手を握る。刺されていない左腕。握り返してきた。鏡花ちゃん、今日はお誕生日だよね。コクリ。肯定。ママとおとちゃんととーまちゃんで祝うはずだった誕生日会。楽しみ。早くママもおとちゃんも帰ってこないかな。そうだね。早く帰ってくるといいね。とーまちゃんがいてくれるから寂しくない。そうか。じゃあ少し早いけど誕生日プレゼントだ。

 ――――――ズブッ

 左胸に衝撃。痛くなかった。それどころか右腕も痛くなくなってきた。眠くなってきた。どうだい、鏡花ちゃん。うん、痛いのとんでったよ。そうかい。よかったね。うん、ありがとう。とーまちゃん。眠い。目をつむる。その一瞬。闘真の顔。笑っていた。笑っていた。とても嬉しそうに笑っていた。だから鏡花も嬉しくなった。眠る。落ちていく。底が見えない奈落の底。

 その一番下におとちゃんの姿があったから、鏡花はとても嬉しくなった。





 <スフィアラボ内部、セントラルスフィア>


 『こちら第7、現在敵と交戦中。な、なんだあの男は。ナイフ1本で、あ、あ、ぎゃああぁああああぁあああッ!!!』

 「第7? 第7部隊? どうしたの? 応答なさい!」


 半ば絶叫に似た瑠璃子の声。顔は青ざめている。これで殆んどの部隊が壊滅した。恐怖。峰島 由宇に感じたそれと似ていた。だが異質。ナイフ1本。自分と同じ得物。だから余計に心得ている。ナイフ1本で銃には勝てない。瑠璃子には光学に加えて音や熱、あらゆる形跡を消し去る<ユニバーサル迷彩>があるから単独で暗殺ができる。だが弾幕の中に飛び込むなんて真似はしない。見えなくても当たれば死ぬ。元より人とはそういうものだ。

 だがナイフ1本(と思われる)で部隊を葬り去る男。異常。異常すぎた。隣の風間も珍しく焦燥に駆られた表情を浮かべている。

 峰島 由宇の投入。なんとか予想できたし対応できた。こちらには遺産技術が豊富。比べてLC舞台はママゴト程度。事実、由宇がいるとはいえこちらが有利だった。いくら質がよくても所詮は個人。足止めをして施設ごと爆破すればさすがの峰島 由宇でも生き残れはしまい。殺さなくてもいい。足止めでよかった。峰島 由宇は。

 苛立っている。自分でも分かっている。瑠璃子が怯えた。それが癪に障った。だが目線を逸らす。睨むと瑠璃子が余計に怯える。あ、亜門たちと再度交戦中です。足止め。上手く言っている。カメラからの映像。余裕の表情。羽のように舞う。天井を走り抜ける。側面を蹴る。地面を走る。跳躍。巨体の亜門を軽々と投げ飛ばす。背後からの斬撃。見えていたかのようにサイドステップ。

 亜門は驚愕していた。

 光城は怒り狂っていた。

 風間は知っていた。人間が到達できる最高の体術。人間工学と力量計算に基づいた最良の息遣い、筋肉の動き。異常な五感。相手の鼓動まで聞き分ける。美しかった。まるで蝶のようだった。傭兵出身の二人は遊ばれていた。由宇が突き詰めたのは徹底した自己管理能力。

 改めて、実感した。

 彼女と我々では根本から違う。身体が違う。頭も違う。考え方も違う。まるで人間を超越した新人類。

 比べて男のナイフ使い。画像がない。センサーが殺されている。いかなる手段を使ったのか。戦闘の映像が流れてきたのは一度も無かった。姿さえ見せない。まるで暗殺者。


 「・・・・暗殺者?」


 口に出してみて、風間は眉をひそめた。暗殺者。この日本で峰島 由宇に対抗できる者。鬼才。企業。ADEMに対抗できる組織。家系。


 「真目家か!!」


 驚く瑠璃子を無視して<LAFIファースト>にダイブ。殺されていくセンサーは破棄。ネットに接続。検索キーワード。真目家、暗殺者。ヒット数0件。再検索。真目家。ヒット数37000件。表企業関連。他愛もないもの。

 擬似電脳空間で真目家の隠しサーバーを発見。足跡を残さないよう慎重に防壁を潜っていく。暗殺者、守り目、禍神の血。現継承者には小太刀<鳴神尊>。ナイフじゃない。小太刀だ。風間は確信した。真目が介入した。マズい。ADEMと真目家が手を組んだのか。あれほど毛嫌いしていた。信じられん。だが実際に由宇が投入され、最強の暗殺者も次いで投入された。両陣営のジョーカー。ありえない話じゃない。

 現実空間に戻る。青ざめている瑠璃子。震えている。異常だ。どうした。風間が聞いた。答えない。震える指で奥の方を差す。


 「はじめまして。僕は坂上 闘真といいます」


 全身が血塗れ。渇いている箇所など、一つもない青年がそこにいた。

 笑っている。銃を向けた。ザン。軽い衝撃。手首から先が舞った。銃を握り締めたまま転がる右手。絶叫。瑠璃子も泣き叫んだ。闘真は笑っていた。おかしそうに笑っていた。痛いですか。痛いに決まっている。そうですよね。あはは。無邪気に笑う。子供が昆虫の足を千切っているような。このクソ野郎。瑠璃子が叫んだ。闘真は頷いた。ええ、僕はクソ野郎。キチガイ。イカレポンチ。まいったなあ、あなたのことを切り刻みたくて堪らないんだよ。

 抜刀する瞬間さえ見えない。瑠璃子の長い髪が半ばから切り落とされた。正面からなのに全周囲を一気に。ひっという短い悲鳴。ひひっという短い喜びの声。闘真の口から漏れた嘲笑。ひひひ。童顔だが端整な顔から漏れる不気味な声。瑠璃子は白目を向いて気を失った。

 なにが目的だ。風間は震える声で問うた。虚勢も何もあったものではなかった。自分の命は握られていた。きっと道端に空き缶を捨てるように殺される。なんとなく殺される。確信した。自分の計画は潰れた。命日だ。自分は死ぬんだ。

 目的ぃ? 小首を傾げて闘真は言った。恐ろしく異様だった。右手には抜き身の小太刀。左手には血が滴り落ちる鞘。高校生の青年、いや、少年が途方もなく恐ろしかった。外聞もなく泣き叫びたかった。助けてくれと命乞いをしたかった。なんでもするからと土下座をしたかった。だが分かってしまった。この少年はそんな薄汚い姿を望んでいるのだと。だから屈するわけにはいかなかった。どうせ死ぬとしても少しは抵抗らしい抵抗をして散りたかった。

 ザン。左手の小指が舞った。声帯が震える。心地よさそうに闘真、目を細めた。最高だぜぇ。ひゃはは。目を見張った。雰囲気が変わった。今までは無邪気な殺人者。今度は乱心の殺戮者。目がイっていた。直視したらそれだけで死ねると思った。不快な声だった。

 ザン。残った指が全てなくなった。耐え切れずに床を転がり回る。不思議なことに出血は少なかった。明らかに普通じゃない。右手からも出血はない。

 激痛。暗転。すぐに覚醒。目が覚めたら夢だと思った。右手がなかった。左手の指がなかった。目の前にトチ狂った殺戮者がいた。

 絶叫を上げようとしたら舌を切られた。目玉が飛び出すくらい。衝撃。頭を地面にぶつける。痛い痛い。涙と涎と血でベトベトだった。曇り一つない小太刀を掲げて闘真は喜んだ。こうすれば長持ちする。鏡花はもったいないことをした。風間には何を言っているのか分からなかった。だが人の名前だということは辛うじて理解できた。

 最高だよ、最高だぜえ。助けてくれ。早く殺してくれ。死にたくなかったのに殺してくれと頼んだ。矛盾。死にたくない。早く楽にしてくれ。

 ザン。四肢が吹き飛んだ。ダルマになった風間は気を失った。代わりに瑠璃子が目を覚ました。転がっている想い人を確認して目を見張る。風間、さ、ま。信じられない。そう目が語っていた。愛しい人はすでに惨めにダルマ。震える手で抱き寄せようとする。伸ばした右腕が無造作に落ちた。だから左手を伸ばす。両足を切られた。バランスを崩して重なりこむように倒れこんだ。出血をなくすためにわざわざ手を加えた。これで失血死はない。

 
 「宮根さん」


 坂上、闘真。呪詛を吐きつける。それでも相手は死ななかった。笑顔を貼り付けて笑っていた。この上なく惨めだった。涙が止め処なく溢れてきた。風間様を救えない。それが悔しかった。お傍に居て命の限り守ると誓った。でも駄目だった。

 坂上君、いえ、坂上様。どうか私のお願いを聞いてくださいませんか。痛くないのか。はい、もの凄く痛いです。しかし風間様の痛みに比べればなんてことはありません。そうなの。闘真は心底おかしそうに相槌を打った。瑠璃子に残っているのは胴体と左手のみ。ナイフは握られるが立ち上がることさえ適わない。

 お願いします。風間様を助けてください。闘真は思案するように唸った。

 瑠璃子は懇願する。私には何をしても構わない。左手も切り落として肉便器にしても構わない。一生死ぬまで性処理道具になっても構わない。それが嫌なら殺してくれてもいい。だから風間様だけは助けてください。お願いします。首だけを動かして、瑠璃子。

 
 「状況を教えて」


 知っていることを全て話した。自分らの構成。保有する遺産技術。ADEMの介入。迎撃に手間取り峰島 由宇を内部に侵入させてしまった。必死に説明する。

 そうなんだ。満足げに闘真。

 カラン。瑠璃子の目の前にコンバットナイフが投げ渡される。どういうことですか。痛みを堪えて聞いた。さあ、どういうことだろう。涼しい顔をしてかわされた。じゃあ、僕は行くね。何事もなかったように去っていく背中。風間は生きていた。自分も生きていた。まるで夢のようだった。

 風間を見ると目が開いていた。気を取り直したようだ。風間様。呼びかける。嬉しかった。生きていた。生きていてくださった。口がパクパクと動く。あ、ああ、と意味の無い言葉。すぐに舌を切り落とされたのだと理解した。怒りはわかなかった。アレにそんな感情を持つこと事態おかしいのだと理解できた。アレは人を殺すだけの現象だ。罪を求めるのは筋違いだ。なんとなくそう思った。


 「風間、さま・・・・」


 パクパクパク。何を言っているのかすぐに分かった。視線を左に向けると薄汚れたコンバットナイフが目に入った。そういうことだったのね。理解した。やられたと思った。なんとなく笑ってしまった。なんとなく泣いてしまった。


 『コ ロ シ テ ク レ』


 パクパクパク。ええ。承知しました、風間様。私は、あなたに従います。言うと、風間はかすかに頷く。笑みが漏れた。二人は笑っていた。瑠璃子は風間を愛していた。けれど風間は愛してはいなかった。一方通行。悲しかった。苦しかった。こんな馬鹿なこと。ようやく微笑みかけてくれた。なんとなく嬉しかった。一気に首を切り裂いた。血の泡を吐く。風間の手を握る。握り返された。嬉しかった。風間様、愛しています。

 瑠璃子は風間の血に濡れたナイフで、自分の喉を切り開く。二人の血が混ざりあった。

 瑠璃子の死相は、幸せそうに笑っていた。





 <スフィアラボ内部、メインゲート付近>


 「あああも、あもんん、はははははなせええええええ」


 抗議を無視して、禁断症状の光城を担ぐ。片手には大剣<霧斬>が携えられている。じりじりと由宇に警戒しながら亜門は下がっていく。一瞬迷う。長時間の酷使は危険。追撃は却下。由宇はさっさと行けといった仕草をした。


 「次は殺す」


 捨て台詞。人を抱えているとは思えない俊敏さで駆け出す。すぐに崩れ落ちた。目を見張る由宇。よく見ると亜門の下半身が上半身と離れている。装甲ごと真っ二つにされたのか!? 亜門は死んでいた。悲鳴もなかった。光城は転げ落ちていた。あああああもももんんんん。震える言葉。仲間が死んだ。一応仲間だった。怒り狂った。誰だ。殺してやる。

 痙攣する首を上げると、真っ赤なヒト型が突っ立っていた。よく見るとそれは少年だった。白銀に輝く小太刀だけが唯一の色だった。

 
 「ててめえええええええっ」


 鳴神尊が振るわれる。脳天から股間まで切り裂かれた光城。自重に耐え切れなくなって倒れた。零れだす臓物。近くに転がっている<霧斬>。由宇は心音や間接の軋む音を頼りに闘真に向き直る。


 「この場合は礼を言うべきなのかな」


 そうなの? 闘真は聞き返した。私に聞かれても困る。苦笑。敵意はない。心拍数は平常。歩き方は多少武術の心得があるように思える。ADEMではない。敵方でもない。第三者? 真目家か? 決め付けるのはまだ早い。だが常に臨戦態勢。

 目の前で止まる。血臭。眉をひそめる。相当、返り血を浴びている。一体何人殺したのか。

 手を出して。緊張感のない声。警戒している自分が馬鹿らしくなってくる。それでも気は張り詰めたまま。迷う。手を出せ? 手を切り落とすつもりなのか。いや、わざわざそんなことは言うまい。ならば純粋に? 敵意はない。なさすぎる。スッと手を差し出す。拘束された両腕。カードキーがないと外せないはず。目の前の少年が持っているのか。

 キン。金属特有の周波数。刃物だと分かった。次いで両腕が自由になる。固められていた真ん中から割ってくれたらしい。只者じゃない。理解した。警戒度をさらにあげる。自由になった両手で眼帯を外す。


 「すごいでしょ?」

 「ああ。凄い」


 素直に答えた。嬉しそうに目の前の男は笑った。全身が血だらけだった。怪我をしているのかと問うと、全部返り血だと返ってきた。殺したのか。うん。そうか。そうだよ。君は。言いかけて、由宇は口を噤んだ。私が口にすることじゃない。そう思った。だがこの少年がどう反応するか知りたくて、由宇は無意味な質問をした。

 人を殺すことに禁忌を感じないのか?

 うん。全然。

 それが普通だと言わんばかりの笑顔。それを見ているとこちらまでそう思えてしまうから不思議だった。

 ついでだから足の枷も外してくれないか。いいよ。小太刀が一閃する。特殊合金の金具までもが切り裂かれた。切断面、まるで水圧カッターで断ち切られたかのように綺麗だった。表情を険しくする。どうかした? なんでもない。ああ、今まで固定されていたから清々した。礼を言う。うん。どういたしまして。

 僕は闘真。病気と闘うの闘に真実の真。闘真。手を差し出す。握手。亜門の服で拭いたらしい。右手だけが肌が覗く。

 私は由宇。闘真か、いい名前だ。真実と闘う。いつだって真実は敵に回る。君は、現代社会の的を得ている名だ。

 闘真は照れた。由宇も微笑ましそうに目を細めた。名前を褒められたの、初めてだよ。そうなのか? うん。人は自分の名に意味を持ちたがる。初対面では容姿を褒め称えるより名前を褒める方が効果的だ。ふーん。感心したような呟き。余計なことを喋りすぎたと感じた由宇。どうもこの少年の前では調子が狂う。いつもは心理学と相手の状態で心さえも読めるというのに。目の前の少年が考えていることはちっとも読めなかった。

 息も整ってきた。このぶんだと、あと数回は戦闘に耐えることができるだろう。毒カプセルが溶け出すにはまだ猶予があった。遺産を持つ二人をこの場で倒せたのが大きい。闘真には感謝しなければ。由宇は思った。


 「君はどこから来たんだ?」


 手持ち無沙汰になったので、話題を振った。自分でも驚いた。まだ人としてのモラルが残っていたとは。普段ならばすぐにでもこの場を離れるというのに。

 闘真は語った。スフィアラボにはバイトで訪れていたこと。急にテロリストが襲ってきたこと。運良く見つからなかったこと。民間人は軟禁されているが無事だということ。粗方話し終える頃には、由宇にも全体の状況が読めてきた。有益な情報だった。このまま立ち去らなくてよかったとなんとなく安堵した。

 
 「そうか、バイトでここに」

 「うん。バイトだよ」


 貧乏学生なんだよ。苦笑しながら言った。住んでいるのもボロアパート。地震がきたら絶対に潰れると思う。そうなのか。うん。生きるか死ぬかなのだな。うん。闘真は笑った。由宇はなぜ笑っているのか分からなかった。

 他愛もない話。久しぶりだった。久しく忘れていた会話の遊戯性。地下にこもっていたときはいつも一人。打算を持って話しかけてくる輩。遺産技術のこと。峰島 勇次郎のこと。何を考えているのか由宇にははっきりと分かっていた。だが目の前の少年、闘真は本当に打算も何もなく話しかけてくる。こんなところで世間話をしている暇はないと伊達は言うだろう。時間はたっぷりある。そもそも従ってやる必要もない。命を握られているから渋々動いているにすぎない。

 気づくと、由宇は愚痴を洩らしていた。

 大変なんだね、由宇も。まったくだ。あの男はプライバシーという単語が脳から抜け落ちているとしか考えられない。重大な欠陥だ。無精髭の無表情。無骨。あれほどの堅物は類を見ない。そうなんだ。僕の父親も結構な堅物だよ。ふむ。君とは話が合いそうだ。うん。そうだね。

 敵とも味方ともとれない態度。会話を続けながら観察を続ける。気づいたのは笑顔。闘真はいつも笑っている。作っているのか? それにしては自然すぎる。不自然な筋肉の硬直が見られない。まったく自然体。では何がおかしい。会話。うんうん、と相槌。深くは探ってこない。気を使っている。こちらも聞かないからか?

 まったく、女性を拘束するとは信じられんヤツらだ。そう思わないか。わざと避けていた話をふる。うん、酷いことする。女の子を縛るなんていい趣味してるよ。小首を傾げる由宇。いい趣味? ああ、なんでもない。知らない方がいいかも。ケラケラと闘真。

 完全に一般人の可能性は消えた。伊達と連絡が取れないのが痛い。確認が取れない。

 お互い名字を名乗っていない。隠している? 有名どころなのか。それともただ単にない・・のか。あの斬撃。<A9特殊装甲>を真っ二つに切り裂いた闘真。遺産保有者か? 小太刀の遺産。聞いたことがない。既存する遺産技術のデータは全て頭に入っている。ならば新しく作り上げられたのか? 勇次郎の回し者?


 「闘真。君は峰島 勇次郎という男を知っているか?」

 「うん」


 肯定。心拍の乱れ。クロか? いや、闘真に変化はない。ドクドク。ごく近くの鼓動。自分の心臓だと理解。顔をしかめる。無駄にエネルギーを消費してしまった。

 このラボはメイドイン峰島だって言ってたから。なるほど。納得した。ここで働く者ならば誰だって知っている。世間一般にだって知られている峰島 勇次郎。知らない方がおかしい。狂気のマッドサイエンティスト。この世に栄光と絶望を産み落とした変人。崇拝する者もいれば嫌悪する者だっている。

 この施設の中核も遺産らしいよ。知っている。スーパーコンピュータ<LAFIファースト>だ。そうそう。横田さんがよく言ってたよ。これには無限の可能性があるって。ふむ。その人物はなかなか優秀だったのだな。なんとか領域がどうとか言ってたよ。カオス領域のことか!? カオス領域? OSのさらに下部の領域のことだ。ここを理解できねば<LAFIファースト>は使いこなせない。ふーん。凄かったんだ、横田さんって。そうだな。










 一通り話すと、由宇は頃合を見計らったように言い出す。

 
 「・・・・そろそろ私は行こうと思う」

 
 うん。少し残念そうな顔。自分に正直な闘真。おかしくて笑えた。首を傾げる。どうしたの? いや、なんでもない。そうだ、ちょっと待ってて。立ち上がる。由宇も立ち上がった。体調は悪くない。思いの外、体力の消費が少ない。幹部らしき二人を倒した。あとは下部構成員と風間。まだ見ぬ幹部。遺産技術のオンパレード。敵もそろそろ種が切れてきたか。

 とーんとーん。軽くジャンプ。よし。まだいける。枷は全て外せた。亜門や光城クラスが数人相手でもなんとか勝てそうだ。遺産技術にもよるが。

 由宇。闘真の呼び声。手には<霧斬>。これ持っていきなよ。<霧斬>を? 私にはあまり使い勝手がよくないのだが。だけどこんなトコに遺産を置いておくのはマズいと思うよ。まあ、その通りなのだが。それに。闘真が笑った。


 「これは、君たちが作ったんでしょ? 自分の不始末は自分でどうにかしなきゃ」

 
 一気に跳躍。距離を取る。由宇は険しい顔をしながら聞いた。


 「知っていたのか」


 由宇の声、苛立ちの声、落胆の声。なんとなく分かっていた。けれど杞憂であって欲しいと思っていた。笑っている闘真。血塗れの闘真。笑っている。おかしそうに笑っている。今頃になって気づいた。おかしかった。笑ってしまった。まんまと時間を取られてしまった。時間稼ぎか? テロリストの仲間? 心臓の鼓動や瞳孔の収縮まで制御できる。訓練されている? 暗殺者か? だから得物が小太刀。

 小太刀、暗殺者、遺産技術さえも切り裂く。由宇の頭の中で絞られていく。膨大なワードからヒットしたものだけ残していく。

 そして、くしくも風間 遼と同じ結論に至った。


 「それじゃあ、始めようか。ここからは僕じゃなくて――――――俺が相手だ。さあ、来いよ」


 嘲笑。全てをモノとしか見ていないその目。彼にとって人間とは欲望を吐き出すための肉の塊に過ぎない。体を犯して、心を侵す。人形。ダッチワイフ。血を出す生もの。バラす。壊す。そして最高なのが。肉親。友人。恋人。機能性が高い体。信頼されている体。最高だ。最高だよ。なんて幸運。なんて快感。

 由宇は<霧斬>を手に取る。闘真はそれを見届ける。音もなく抜刀。美しい。敵なのにそう思ってしまった。


 「バラバラになるくらい愛してやるぜえ――――――峰島 由宇」


 恋人たちの時間が、始まった。



 

 <スフィアラボ外周、ヘリポート>


 波音。雑音。人の声に混ざって様々な音が入り混じれた。伊達はいつになく無表情で作業を続ける。内部に侵入した部隊と連絡が取れなくなった。無線から流れてくる。雑音。呼びかけ。応答なし。久野木からも返答はない。

 全滅したか強力なジャミングなのか。スフィアラボは電波を遮断する素材でできているのか。この場では意味のない考え。答える者はないない。

 本部の<LAFIセカンド>はすでに使い物にならない。外部からの接触は峰島 由宇に頼るしかないのか。ため息。あの娘は危険だ。この状況でも表に出したくはなかった。先日も脱走騒ぎを起こしたばかりだというのに。暇つぶし程度に重傷者を出される身にもなれ。愚痴。聞く者はいなかった。

 峰島 由宇。勇次郎が遺した遺産の最高傑作。何よりその頭脳。人間離れした機動。そう簡単に死ぬとは限らないが敵の手に落ちることは避けなければならない。しかしあのじゃじゃ馬が倒れ付すことなど考えられないのも事実だった。毒カプセルのリミットまでには<LAFIファースト>をどうにかしてくれるだろう。そう思った。

 
 「伊達さん、早急に話をしたいという方が・・・・」


 誰だこんな忙しいときに。部下が携帯型の衛星電話を持ってくる。米軍か? またわけもなく遺産の所有権を主張してきたのか。伊達がそうこぼすと、部下はバツの悪そうに訂正した。


 「いえ、もっとタチが悪いです」

 「なんだ?」

 「真目家です」


 こんなときに真目家が接触してくるとは。露骨に嫌な顔をしても電話の向こうには分かるまい。これ見よがしに周りも顔をしかめている。はっきり言ってADEMと真目家の仲は最悪だった。メイドイン峰島を徹底排除していることからもその険悪ぶりが窺える。

 伊達は一つ咳払いをして姿勢を正した。真目家。現当主は真目 不坐。アジア地域を担当しているのは娘の麻耶と聞く。父親に劣らずの才覚の持ち主らしい。まだ娘のような年頃だからといって気を抜ける相手ではなかった。下手をすれば関係悪化は必須。なるべく穏便にことを運びたい。

 
 『お忙しい中、申し訳ないですわ』

 「いいえ。こちらは内部にいるわけではないので。奮闘するのは内部の部隊員たちです」


 すでにLC部隊が壊滅しているとは言えず、伊達は言葉を慎重に選びながら口を開く。伊達とて無駄に修羅場をくぐったわけではない。言いくるめるのは無理そうだが誤魔化すくらいの技量は持ち合わせているつもりだ。

 それで、なんのご用ですかな。いいえ、そちらの硝子球、ええとなんとおっしゃいましたか。スフィアラボです。そうですわ、ごめんなさい。いいえ。そのラボに真目家縁の者が滞在しているとつい先程判明しましたの。縁の、者ですか。伊達は反復した。スパイ? だとしたらなぜスフィアラボに。ここは真目家が嫌う峰島技術でできていると言っても過言ではない。

 それに縁の者と言った。鵜呑みにしていいかは分からないが、本家筋の者ではないようだ。視察など以ての外。スパイも可能性が低い。一体、真目家は何をしていた? 考えられるのはテロリストの手引き。峰島技術の破壊のために内部から手引きしたのだろうか。

 どなたが居られるのでしょうか。声に詰まる。珍しい。疚しいことなのか? 数瞬おく。坂上 闘真、という男です。分家筋か何かか? 伊達は電話を片手に部下へ調査するよう命じる。坂上さんはなぜスフィアラボへ? ええと。言いよどむ。アルバイトですわ。は? 本業や学業のかたわら、収入を得るための仕事のことです。はい。理解しました。電話口からため息。呆れている。

 麻耶は坂上 闘真の安全と、できれば救出してほしいことを伝えてきた。真目家が正式に頼み込んでくるのは異例だった。それほどに重要な人物なのか。坂上 闘真という青年は。


 「坂上君は、あくまでアルバイトという立場だったのですか?」

 『ええ。その通りです』

 「ならば民間人として捕らえられているのかもしれません。真目家縁の者と知られたり、余計な行動を取らなければの話ですが」

 『・・・・』


 伊達が考えるあたり、民間人は人質にされている可能性が高かった。煮詰まったときの手札にもなる。人質がいなければ立てこもりなどしない。犯人グループごと建物を爆破すればそれですむ。皆殺しにされているとも考えにくかった。峰島 由宇の話。主犯格は風間 遼という男。知的でコンピュータ技術に長けているらしい。そんな人物は皆殺しなどという馬鹿げたことはまずしないだろう。

 こちらでも全力で人質の解放に手を尽くします。え、ええ。お願いします。電話が切れた。

 どうだ? 部下に向き直る。表示されたデータに目を走らせる。坂上 闘真。17歳。真目 麻耶の腹違いの兄。当主争いから外れ、真目家からは追放されている。市内のアパートに滞在。高校にも通っている。以前は真目 麻耶の守り目だった。現在はその任から解かれている。鳴神流の使い手。

 一通り目を通す。電話で嘘を言ったわけではないようだったが、隠していることもあったようだ。あちらも知られるのは承知しているはず。鳴神流。真目家。厄介だな。伊達は軽い頭痛を覚えた。





 <スフィアラボ内部、メインゲート付近>


 「悪いが、君と遊んでいる暇はない」


 豹変した闘真から目を離さない。アレは危険だ。遺産さえも切り裂く小太刀。並外れた運動能力。骨格からして暗殺者向けだった。

 
 「ああ。それなら問題はない。豚どもは俺がバラしておいた」


 なに? 追っ手が来ないことは不自然だった。まさか本当にテロリストを全滅させたのか。怪訝そうな顔。主犯は。由宇が問うた。風間ならダルマにしてやったぜ? あの野郎。命乞いもしねえ。つまらん男だった。本当に殺したのか。そうだ。なんだ、私はもういても仕方がないな。帰らせてもらっても構わないか? 当然、セントラルスフィアには寄らせてもらうが。

 ああ、いいぜえ。大げさに闘真は両腕を広げた。その前に。右腕を胸に引き寄せる。俺と遊んでからだけどな。演技かかった一礼。手には小太刀。由宇の傍には<霧斬>。

 どうしても、なのか。くどいなあ、オイ。そのために邪魔なヤツらを片付けてお膳立てしておいたんだ。少しは感謝してほしいくらいだぜ。腰を落とす。大剣を持つ。距離にして3メートル。


 「一つ、いいかな」

 「なんだ?」

 「君の名前を教えてくれないだろうか。私だけ知られていて、君の名字を知らないのは不公平だろう?」


 闘真、驚いた顔をして立ち止まった。それからすぐに笑い出す。そうだな。その通りだ。アイツ・・・は坂上 闘真。お察しの通り、真目家のもんだ。そうか。由宇の相槌。そしてが。


 「そうだな。禍神まががみ 闘真とでも名乗っておこうか――――――」


 加速。一直線に向かってくる闘真。<霧斬>を持ったままでは高機動は期待できない。目線、筋肉の収縮。小太刀が振るわれる軌跡を予め予測。闘真の斬撃。予想より1.7パーセント速い。誤差修正。<霧斬>の液状化現象をストップ。ガキン。打ち合う。リーチが長いせいで接近戦は不利だ。なぎ払いの要領で吹き飛ばす。

 闘真は自ら後方に跳んだ。思いの外、力が強い。自分といい勝負かもしれない。口を吊り上げる。聞いたとおりの俊敏性。力量。計算一つでここまでやれるとは驚きだ。こちらの動きが予測されている節がある。

 大剣を掲げ迫ってくる。前傾姿勢。小太刀を前に。一合、二合。由宇の蹴り。避けきれない。まるで舞っているようだ。軽く蹴られたと思ったら強い衝撃。壁に叩きつけられる。視線の先に着地した由宇の姿。軽い舌打ち。見た目と威力が矛盾している。デコピンで頭蓋を砕かれても不思議じゃない。


 「シッ!!」


 ポケットに入っていた財布を投げつける。走り出す。由宇が<霧斬>を振るった。消滅。目を見張る。直線から真横に。側面を蹴って振り切った体勢の由宇にに切りかかる。首を狙った一閃。わき目だけで避けられる。後方に着地。距離を取る。流されてる? 手ごたえがない。闘真は思った。

 面白い剣だな、それ。これか? 君が返してくれたんだろう。まあな。そんな手品ができるとは思わなかったぜ。どうやってるんだ? 言うと思うのか? ひゃはは。それもそうだな。

 闘真は知っていた。わざと知らないふりをした。全ての遺産技術は瑠璃子から聞き出している。当然、液状化現象を引き起こす<霧斬>のことも知っていた。

 現象を引き起こす振動数を瞬時に割り出す大剣。普通の小太刀なら打ち合えないはず。初撃。こちらも万全で挑んだ。液状化を無効化できるか鳴神尊で試した。しかし<霧斬>は発動されなかった。何かの布石か? それともフェイク。俺に特定の物しか切れないと誤認させるためなのか? 

 近づいて切りつける。由宇が切り返す。小太刀が弾かれた。手からは離れない。

 闘真は何もしていない。液状化するはずの小太刀は変化ない。なんで融けねえんだ。さて。由宇はとぼけた。そうかよ。闘真は笑った。その余裕顔を崩してやりたい。計算された俺の動きを超えてみせたい。驚く顔。予測を上回って驚愕する顔。絶対の自信があった己が頭脳に裏切られるとき。戦闘中だというのに興奮する。最高だ。

 走る。

 近づく由宇の手前で鳴神尊を振るう。怪訝そうな顔。斬ったのは通路に放置されていた鉄製の小型コンテナ。一気に崩れる。液状化現象。コンテナは砂鉄に。手に乗せて由宇に投げつける。粉のような鉄粉。目くらまし!! 由宇は気づいて地面を蹴る。真横に出るとすでに腕を振り上げる姿。

 
 「起動しないと融けるぜ!!」


 くっ。言うとおりだった。目の前で液状化現象を見せ付けられては疑う余地もない。驚く。小太刀1本で現象を起こすとは。やはり遺産がらみなのか。だが真目家は遺産技術を嫌っているはず。おそらく鳴神流。聞いたことがあった。真目家の裏の力。表では情報を牛耳り、裏では純粋に力で真目家は頂点に至った。

 残像のように掻き消える右腕。遅れて風を切る音。速くなっている。起動して打ち合う。ギュイン。濁った音。互いに現象は起こらない。相殺した。舌打ち。左手を突き出す。闘真の左ストレート。予備動作の時点ですでに由宇はバック転の要領で宙に浮いている。足の裏で左拳を受ける。そのままの勢いで押し出される体。飛ばされていくのに合わせて握ったままの右手を振るう。綺麗に空中で振るわれる刃。慌てて闘真は横に転がる。髪の毛数本が持っていかれた。

 すぐに立ち上がる。由宇は未だに空中。好機。通路の側面を蹴る。地対空ミサイルの如く。人は足場がなければ行動できない。だが。

 霧斬を振り上げる。崩れる体勢。どんな魔法か。答えは遠心力だった。音を立てる天井。2メートルと少しほどの高さが幸いしたのか。用意に剣は壁を叩く。上からの衝撃に従って由宇は地面に向かう。気づいたときには先程と逆の立場。闘真の眼前に由宇。足はすでに離れている。

 リーチは<霧斬>を持つ由宇が圧倒的に長い。大剣は地上にいたまま闘真を迎撃できる。くそっ。悪態をついて鳴神尊を由宇に向かって投げつける。驚く顔。唯一の武器を投げるとは思ってもみなかったのだろう。斬りつける暇はないようだった。飛んでくる小太刀の対処が先だ。弾くか、避けるか。剣を振るう間に闘真は移動している。従って回避を選択。

 由宇がいた場所。発砲スチロールに刃物が刺さったような音。怪訝に思った。ついで崩れる床。円状に広がる液状化現象。まさか手を離れても起こすことが可能なのか。足を取られる。体勢を崩したところに闘真が接近。<霧斬>を投げつける。

 ――――――クソッ。

 体を捻って避ける闘真。その間に由宇は立ち上がる。砂溜まりを挟んで二人は対峙した。

 
 「最高だ。最高だよ。峰島 由宇」

 「それは・・・・どう、も」


 肩で息をする。明らかに顔色が悪い。比べて闘真はまだ余裕だった。ダメージを負ってもいないのに苦しそうな由宇。怪訝そうに聞いた。持病の癪か? まあ、そんな、ところかな。大丈夫かよ? 君は、変な、ことを聞くな。殺そうとしている、相手を、気遣うなんて。そうか? さっきも言ったろ。


 「――――――バラバラになるくらい、愛してやる・・・・・と」


 納得したような顔。由宇は笑った。まがった愛情表現だな、闘真。よく言われる。


 「すまない。私は長く動けないんだ」

 「・・・・身体がついていかないのか」


 そうだ。頷く。君と違って身体は常人と大して変わらない。私は元々頭で勝負するタチなんだ。そうか。まだ動けるか? おかげさまで。休ませてくれたんだろう? 本当に奇妙な人間だな、君は。全力でやらなきゃ意味がないんだよ。戦闘狂なのか? いいや。俺はそんな頭が悪い真似はしない。

 落ちている鳴神尊を拾う。鞘に戻しながら、闘真。戦闘はただの前菜だ。メインディッシュを惹き立てるだけのものだ。俺が求めるのは最高の主食コロシなんだよ。肉親、友人。顔見知りなんか最高だ。それと、由宇。おまえみたいな、殺す前にイキがいいヤツもな。

 聞いた由宇。悲しげに顔を歪めた。


 「闘真。君は――――――狂っている」

 「ああ、そうさ。だが勘違いするなよ。俺は狂ったんじゃねえ」


 鞘に納まった鳴神尊。それを通路の端に置く。これで公平だ。ケリは素手でつけようぜ。闘真の目が言っていた。


 「――――――元から狂ってたんだ」


 一歩で詰め寄る。由宇、予測してたのか焦る気配はない。顔面を狙った右。避ける。左からのフック。流された。そのまま左手を掴まれる。引き戻そうとする前に引っ張られる。倒れこむ闘真。そこに膝が入る。ぐほっ。肺の空気が一気に抜ける。初めてのクリーンヒット。だが頭を振り上げて頭突き。ガードされた。由宇が離れる。

 間髪置かずに闘真は地面に手をつく。水平蹴り。足を引っ掛けた由宇が仰向けに倒れる。マウントポジションに圧し掛かろうとする体。耳の横に手を置いて腕と上半身のバネで両足蹴り。反応していた闘真。胸を十字にした腕で守っていた。再び離れる。勢いよく吹き飛ばされるがダメージはない。

 壁に叩き付けられる前に姿勢制御。側面に着地して一気に駆ける。三角跳びの要領で天井、反対側の側面を蹴って再度接近。由宇は起き上がったところ。左のストレートを叩き込む。が、その前にクロスカウンター。残っている右で軌道をずらす。その腕を持ったまま背負い投げ。由宇の体、叩きつけられる。間髪置かずに衝撃。


 「ぐあっ!?」

 
 由宇の右肩が外れた。蹴りを入れて振り払う。闘真は笑っていた。耳がおかしくなるくらい声を上げていた。正気じゃなかった。目が異常だった。

 闘真は、トチ狂っていた。


 「ひははははははははははははははははははははははははッ!!!」

 「くうっ!」


 間接をはめる暇もない。右腕が使えなくなった。左からの回し蹴り。ガードした左腕が砕けた。流せない。吹き飛ばされて壁にブチ当たる。両腕が垂れ下がった。顔を上げると目の前に闘真がいた。暗い瞳。それでいて澄んでいる瞳。側面を殴られる。受け身を取れずに転がる。足を持たれた。そのまま投げれる。また壁に当たった。頭を切ったのか右半分が血で染まった。右目に血が入った。視界が真っ赤だった。朦朧とする意識。闘真の笑い声だけが。頭の中で何度も何度もリフレインする声。

 いいぜえ。最高だよ。最高だよ。すげえよ。由宇。愛してる。愛してるぜえ。由宇。赤く染まって綺麗だ。痛いか? 痛いのか? なあ。もっと愛し合おうぜ。もっともっと。もっと深く。殴る。殴る。殴る。闘真の拳が血で染まる。由宇。由宇。俺の由宇。殴る。蹴る。踏みつける。愛情表現。愛。アイ。あい。

 ――――――ドサ。

 どのくらいいたぶられたのか。ボロ雑巾のようだ。倒れ付す由宇。付き添って膝をつく闘真。動けなかった。意識も落ちかけていた。闘真の顔もよく見えなかった。

 出会ったばかりだというのに。なぜか名残惜しかった。狂ってしまった殺戮者。その彼の表と裏が。なぜだか。懐かしかった。

 君とは。いい友達になれたかもしれない。由宇は思った。この世界じゃない。違う世界。少しだけ違う世界で。私と君は。いい、友達になれたかもしれない。口は動かない。闘真が目の前にいることは分かった。久しぶりの会話。楽しかった。有意義だった。あの坂上 闘真も。君なんだろう? きっと。いい。友達に。なれたかも。しれない。

 手を伸ばす。指についた血。闘真の頬に線を残す。

 父親に会いたいと思っていた。

 外の世界に憧れていた。

 心から気の揺るせる友達が欲しかった。

 
 「とう、ま・・・・」

 「由宇」


 口づけ。由宇にとって初めての口付けは。血の味がした。


 「愛してるぜ――――――由宇」


 闘真の貫き手が。由宇の。左胸を。貫いた。
















 鳴神尊を持って立ち上がる。腰に差す。由宇の亡骸を抱き上げて歩き出す。





 <スフィアラボ、セントラルスフィア>


 「守秘回線・・・・めんどくせえな」

 『そう言うな。普通に電話できると思うか? 外にいるヤツらにバレちまうだろうが』


 男の声。どこか嬉しげだった。なんとなく癪に障る声。闘真は不機嫌になった。

 どうだ。楽しめたか。LC部隊も風間のヤツら大したことはなかった。うっ。機嫌が悪リィな、闘真。まあな。だが礼を言っておく。ああ? 峰島 由宇が出てきた。本当か!? ああ。興奮した声。素っ気無く答える。俺が殺した。そうか! 穴倉にこもって出てこねえから半ば諦めてたんだが。そうか。勇次郎は出てきたか? いや。そうか。少し落胆した声。


 「なあ、約束は守れよ。いつになったら殺させてくれるんだよ。てめえら親子を」

 『まあ落ち着け。勇次郎を始末したらいつだってくれてやる。それまでは麻耶には手を出すな。アイツにはやってもらうことがある』

 「ったく。分かってるよ」


 <LAFIファースト>はどうする。そんな玩具はブッ壊せ。いいのか? ランクAの遺産だぜ? 俺が峰島嫌いなのは知ってるだろ。そんなモンは消した方が世界のためだ。ふん。悪態をつく声。相当な嫌悪感。闘真は頷いた。外にいる豚どもADEMは? 好きにしろ。ああ、ただし顔は見られるなよ。あと生き残りも出すな。通信関係を先に潰せ。分かった。


 『終わったら泳いで帰って来い。それくれえ簡単だろ?』

 「死ね。このクソ不坐オヤジ


 闘真は、鳴神尊を突き立てる。その物体は四角い箱型。モノリスのような。

 その物体――――――<LAFIファースト>が、崩れ落ちた。





 <スフィアラボ外周、展望橋>


 冷たくなった体。由宇を抱えながら闘真は歩く。真下は海。最後の仕事の前に、来ておきたかった。

 
 「・・・・じゃあな。由宇」


 笑っていた。嬉しそうだった。目頭が熱かった。心臓が破裂しそうだった。全身の毛細血管がブチ切れそうだった。考えるだけでイキそうだった。

 彼は、坂上 闘真は――――――トチ狂っていた。

 投げ出される由宇の体。長い髪がはためいて綺麗だった。闘真、抜刀。数十メートル下の海。落下する前に。

 闘真は。彼女を。バラした。

 落下していく肉片。すでに無数になったそれを。由宇だと気づく者は闘真以外にいない。

 泣いていた。笑っていた。口を吊り上げて嘲笑をもらした。カタカタと痙攣し続けて。愛した彼女は。海に消えた。

 闘真は、踵を返した。

 さあ。今日、最後の仕事だ。

 ADEMクソ野郎どもを、一人残らず殺しにいこう。










 
じゃあな、由宇。

今でも。

おまえのこと。































バラバラにしたいくらい―――――――愛してるぜ。







                                                              <END>











 〜あとがき〜



 まず最初に。いろいろとツッコミどころ満載だと思いますが許してくださいw

 由宇弱すぎじゃねえ? 鳴神尊で液状化現象? スフィアラボの床がなんで融けんだ? とか言わないでくださいー 

 まずひとつ目。由宇は制限時間付きの上、闘真君はトチ狂っちゃって脳の黒点開放しまくりです。あの状況だと闘真君が勝つんじゃないかな。

 次にふたつ目。霧斬の斬撃を無効化したくらいなんだから液状化現象もできるかなー、と。なんせモノポール入りw

 最後にみっつ目。劇中で光城が「ここは霧斬で斬れない箇所が多すぎる」なんて感じの台詞を言っていたので、斬れる場所と斬れない場所があるんだと思いました。

 通路ぐらいは斬れるんじゃないかな?


 
 話は変わりますが、文の書き方を少し変えてみました。ダーク調の話は長ったらしく書くと雰囲気が出ないので、こんな感じにしてみたんですが。

 いやあ、難しいですね。

 ダークにすると話が続かなくなるので構成をよく考えなければなりません。このSSも由宇が死にましたし、伊達も死ぬことになります。

 真目 不坐の使いっぱしりとなった闘真君。クレールとは仲がいい様子。

 ちなみにカモメの脳内勢力図だと、『峰島 勇次郎』>『真目 不坐』>『坂上(禍神)闘真』>『七つの大罪』>『クレール』って感じ。

 闘真君は彼女が居ません。愛しちゃうとバラしちゃうので。