「な……」


 驚愕に目を見開いたジュンは、液晶に表示された文章をまじまじと凝視した。それはかつて、彼が日常から非日常へと巻き込まれた元凶であり、その判断が違っていれば、きっと違う未来が訪れていただろう選択。

 
 『まきますか? まきませんか?』

 
 普段はいかないサイトを巡っていたとき、偶然にとばされた先でのことだ。
 
 その『りっちゃん博士の実験室』というサイトは何やら雰囲気からして怪しかった。背景は黒で、幾学的な魔方陣のようなものが背景画像に設定されている。暗い赤で描かれた模様は、どこかで見た気もする。

 桜田ジュンは好奇心旺盛な少年である。そのせいでいろいろと厄介ごとに巻き込まれることもしばしばだったが、自らそれを弁えていながらも改めるつもりはなかった。うさんくさい通販をして、ギリギリでクーリングオフをする趣味も健在だ。

 そんな彼の琴線に触れた『りっちゃん博士の実験室』の内容は大いに青少年に悪影響を及ぼすものだった。拷問としか思えないような実験(もちろん人体実験)が紹介されており、その事細かなデータは実際に行って収集したとしか思えない。普段ならば引いてしまう内容だったが、ちらほらと見られる猫の画像がそれを緩和してくれたようで、「うわぁ」とか「うげぇ」とか呟きながらも読み進めることが出来た。

 あらかた見終わり、最後だからと管理人の紹介ページに入る。黒猫がデフォルメされた画像が最初に目に付いた。どうやら管理人の写真の代わりに張られているようだ。それにしても猫好きなんだな、とジュンは思う。グロい実験内容は兎も角、サイトにある画像の殆んどが猫ばかり。管理人の趣味が反映された結果だろう。

 あたり障りない自己紹介文を読んでスクロールさせていると、ふとページの右下にうっすらと文字があるのを見つけた。背景の黒に同化する黒に近い灰色である。『入り口』と、本文よりも小さな文字サイズ。

 いわゆる隠し部屋の入り口だ。

 こういった趣向の凝ったものをジュンは好む。ちゃんとしたサイトのようだから、変なところにはとばされないだろう、とブラウザの下に表示されたアドレスを確認してからクリック。

 そして現在に至る。


 『まきますか? まきませんか?』


 ジュンは自然体を装い後方を確認する。鮮烈な赤のドレスを着た少女の人形は、ジュンのベッドを我が物顔で占領して読書している。内巻きの髪型の少女は、床に寝そべって鼻唄混じりに絵を描いている。オッドアイの双子姉妹は、お菓子を摘みながら談笑している。

 誰もジュンのことを見ていない。ローゼンメイデンである彼女たちは、古くから存在しているせいでハイテクというものに疎いらしい。テレビの操作だってままならなかった時期もある。くんくん探偵見たさに、真紅が必死で覚えようとしていたのを思い出し、ジュンは苦笑した。

 そういったこともあって、ハイテクの塊であるパソコンなどにドールたちが興味を示すはずもない。それに他人の後ろから覗き見する行為は無作法だと、一度真紅が雛苺を叱ったこともあり、以降邪魔する者はいなくなった。

 誰も見ていない今なら、自分一人だけで処理出来る。ばれないようにジュンはほっと息をはいた。

 これ以上厄介事は御免である。ただでさえ部屋の人口密度(人形密度とも言う)が最高潮の今、これ以上の参戦は勘弁して欲しい。質問の形式からして、これはローゼンメイデンに関するものである可能性が高い。以前も同じ内容だった。電子上とダイレクトメールという差異はあるが、まず間違いない。

 
 (……こんなの、決まってるじゃないか)


 ジュンはマウスを操作して画面上のポインタを移動させる。もちろん『まきません』の位置に。幸いにも『まきます』と『まきません』の位置は上下に離れて置かれている。これならば押し間違えることもないだろう。利用者のことを考えたつくりだ。詐欺まがいの悪質サイトとは雲泥の差がある。

 
 「ジュン、お茶が飲みたいわ」
 
 「げ」


 見上げるかたちでこちらを見る真紅。いつの間にかすぐ近くまで寄られていたようだ。もともと気の弱いジュンである、緊急時の彼は兎に角脆い。真紅に見られるのではないか、と焦ったジュンは半ば無意識的に『まきません』にポイントし、


 「え」


 が、乗せた瞬間、『まきません』の画像が『まきます』に変わった。ポインタを置くと画像が変わる仕組みのものは結構使われている。平常時であれば、気づいて毒づくに終わっただろうそれも、焦ったジュンは強張った反動でクリックしてしまった。

 一気に血の気が引く。真っ青になった彼を真紅は怪訝そうに見上げている。ぱくぱくと声にならない呻きを漏らしたジュンは、一度息を詰まらせたかと思うと今度は真っ赤になる。

 そして怒涛の如く癇癪を起こし始めた。

 
 「詐欺だろコレ! 絶対詐欺だって!! 畜生、嵌められた!!」

 「……ジュン、あれほど詐欺には気をつけなさいとノリが言ってたのに」

 「ぐ……」


 呆れた眼差しを向けられて閉口する。正論なだけに言い返すこともできない。二人のやり取りを見ていた双子が野次馬根性丸出しでやって来た。特に姉の方は、新しい玩具を見つけたように生き生きとしている。この性悪人形め、と心の中で毒づいたとき、階下から姉の呼ぶ声が聞こえてきた。

 ジュンの脳裏にフラッシュバックが起こる。『まきますか? まきませんか?』押された回答。『まきます』姉の声。届いた荷物。それはトランク。

 ジュンく〜ん、と困ったような、縋るような声と共に聞こえる何かを引きずる音。

 ズルズルという音が死刑宣告を告げる音にジュンには聞こえた。









 
二十万ヒット記念SS 「第0ドール・りっちゃん」









 桜田ジュンはいつにも増して辟易とした気分だった。ドールたちが自分の家を根城にしてしまったのも我慢出来る。真紅が自分を下僕扱いするのも、まあ、我慢できなくはない。翠星石の毒舌も、蒼星石の軽蔑の眼差しも、雛苺の悪意なき一撃も、寛大な自分だからこそ我慢できている、とジュンは自負する。

 だがこれは、と顔を引きつらせて思う。

 人間二人とドール四体が取り囲んでいるのはトランクである。真紅たちが寝床として使っているものと同一のものだ。年季を感じさせるこげ茶が落ち着いた雰囲気で、派手にならないくらいの金細工がアクセントになっている。

 
 「で、デカいですぅ」


 沈黙が支配していたリビングで、翠星石が皆の心を代弁して言った。

 トランクは彼女も見慣れた物であったが大きさが違う。ゆうに三倍はある。それに重さも結構なものだった。ノリが一人では運べず、弟に泣きついたのも無理はない。しかしびくともしないほど重いわけでもなく、二人がかりならばなんとか持ち上げられるほど。困惑顔の宅配業者のお兄さんに笑顔でオサラバし、床を傷つけないようにしてリビングへと運んだのだった。

 一度経験がある以上、このトランクにはドールが入っている可能性を覚えずにはいられない。やっぱりアレのせいか、と直前の出来事を思い出してジュンは思った。『まきます』をクリックして速攻である。初めから選択するのを知っていたような速さだ。ラプラスの魔が悪戯したのか、はたまた偶然か。どちらにしろ、頭の痛いことには違いない。

 ジュンが苦々しく思っている頃、ドールたちも同様に困惑顔だった。既知の六体の他に、第7を自称する薔薇水晶が現れたばかりである。これでローゼンメイデンは打ち止めのはずだ。お父様こと人形師ローゼンが作り出した娘たちは全部で七体。これは姉妹全員が知ることであり、七体全てが現れた以上、八体目というのはおかしい。

 この中でリーダーをはっていた真紅が確かめるように全員に顔を向ける。帰ってくるのはやはり困惑顔。

 彼女たちが生まれて以来、全員が揃うだけでも初めてのことだというのに、第八体目。今回のアリスゲームはどこか今までと違う。これは決定的な異常だった。


 「なあ、真紅」


 皆が皆深刻な顔をしているものだから、事件の諸悪であるジュンは耐え切れなくなって切り出すことにした。


 「さっきネットを巡回していたら、『まきますか? まきませんか?』っていうメッセージが出たんだ」

 「なんですって!?」


 身を乗り出して驚愕する真紅に気圧され、ジュンはジリジリと後退する。蒼いサファイアのような瞳は間違いなく怒気を孕んでいた。『どうして言わなかったの!』と口に出すまでもなく怒鳴られている気がしてならない。本当に不本意ながら、下僕根性が染み付いた桜田ジュンは、自身の半分の背もない人形に逆らえないのだった。

 兎に角下手に刺激したら話が進まない。意地を張らずに謝ったことで怒りを削がれた真紅は、渋々といった表情で先を急かす。

 かいつまんで話すと、真紅は仕方がないわね、と矛先を収めてくれた。真面目な性格である蒼星石も一緒に慰めてくれた。基本的に双子の妹は、こちらが悪くなければ分かってくれる性格をしている。小悪な姉とは大違いだな、と揶揄して視線を動かすと、オッドアイと目があった。


 「チビ人間、何か言いたそうな顔してますぅ」

 「ふん。別に」


 バチバチと火花が散る。


 「ねえねえ真紅! 早く開けてあげようよー」


 トランクの周りを歩き回っていた雛苺が言った。彼女なりに、姉妹であるドールに早く目覚めて欲しいようだ。ずっと眠り続けるのは悲しいこと。目を覚まして、みんなで遊んだ方がずっと楽しい。純粋に好意から出た言葉。

 しかし目覚めたドールが温情だとは限らない。水銀燈や薔薇水晶のように好戦的な性格だったら、『敵』が一人増えることになる。それもまだ目にしたことがない姉妹が、だ。

 真紅はすぐには返せなかった。闘いはしたくない。出来れば闘わずに笑い合いたい。けれどそれは真紅の想いであって、目覚める姉妹が同意してくれなかったらすぐにでも闘うことになるかもしれないのだ。

 内心の葛藤を察知していた蒼星石だったが、どちらかといえばアリスゲーム肯定派である彼女はどちらになっても構わなかった。


 「真紅。このままにしておくわけにはいかないだろう? 開けてみたらどうかな?」

 「そうですよ、真紅。このままじゃ埒が明かないですよぉ。ここは男らしく腹をくくるです!」

 「私は男ではないわ……」

 
 一言余計なんだから、と苦笑した真紅。確かにこのまま悩んでいても仕方がない。吉と出るか、凶と出るか。兎に角、トランクを開けないことには始まらない。彼女は開けると決めた。

 が、デカい。

 真紅の身長の三倍以上もあるトランクを開けるのは骨が折れるだろう。彼女は自分がトランクに飛び乗って、四苦八苦している姿を想像した。顔を赤くしてトランク上部を持ち上げる自分。ふぬぬ、と力む自分。開けた瞬間、支えを失って転がる自分。

 ――――――全然淑女っぽくない。

 こういう役どころは雛苺がお似合いである。自己完結した真紅は雛苺にやらせおようと思い、さすがにそれは可哀想だと思った。となれば残る選択肢は自ずと現れる。


 「ジュン」


 なんだよ、と怠慢な動きでやってくる下僕の脛を蹴る。悶絶して転げまわる姿を見て、快感を覚えたのは内緒だ。

 数分後、復活したジュンは恨めしげに真紅を睨むが、逆に睨み返されて目を逸らす。根っこまで下僕根性が染み付いでいるようだ。本人はそれに気づかず、『べ、別に怖くなんかないんだからな』と言い訳をしている時点で負け犬なことに気づいていない。

 トランクを開けなさい、と命令されたので渋々従うことにした。彼自身、中にどんなものが入っているのか気にならなくもない。この大きさからして、人間大のドールかもしれないのだ。

 等身大のローゼンメイデン。真紅を始め彼女たちは殆んど人間と同じように動いている。関節などはさすがにギミックが現れているが、普段は服で隠れているために気にならない。ならば等身大であれば、生身の人間とどう違うと言うのだ。考え、感情があり、同じように話す。それはもう人形の域を出ているではないか。

 ――――――ローゼンメイデンと人間の違いってなんだ?

 そこまで考えて、真紅を人形と呼んでもいいのかわからなくなった。真紅自身は己を人形だと言い切っているが、作り出したローゼンが『娘』と呼んでいることもからもドールたちを人形扱いしていない気がする。

 アリスゲームの勝者は完全なる少女、『アリス』となる。

 そのアリスは人形として生まれ落ちるのか、もしくは――――――


 「ジュン。ぼさっとしてないで早く開けなさい」

 「あ、ああ」


 考えても仕方がない。ジュンは言われたとおりにトランクに手をかけた。軽く力を込めると、呆気なさ過ぎるほどに上部が開いていく。ゆっくりと持ち上げ、床と垂直になると手を離す。


 「これは……」


 長い金髪を揺らして真紅が呟いた。

 うずくまるようにして膝を抱えて眠っている。それは少女というよりは『女性』であった。真紅と同様の金髪は肩で切り揃えられており、服装はぴっちりとしたOL風の服装の上に白衣。ドレスを着ているローゼンメイデンの中では跳びぬけて異色である。

 それでもドールが持つ特有の『雰囲気』は彼女も纏っていた。真紅の威圧的なものと、蒼星石の凛としたものを掛け合わせたような雰囲気。まだ動いてもいないのに、ジュンはこのドールが真紅に似ているな、と思った。

 
 「それにしても大きいですぅ」


 翠星石の独白に皆が頷いた。ジュンよりも身長があるのは明白で、この中で最長であるノリよりも背が高いかもしれない。


 「本当にドールなのか……?」

 「うにゅ。お肘かお膝を見れば分かるの」

 「そうね。ジュン……にさせるのはなんだか駄目な気がするから、ノリ、お願い」


 指名されたノリはにべもなく了解する。姉として、こんなムチムチな身体に弟が触れるのを見過すわけにはいかない。幼児体型のドールたちなら兎も角、大人な女性体を肉親が弄くりまわすのは卑猥である。

 ……まあ、安全圏だと思っている真紅らに欲情すれば、それはそれで危険なのかもしれないことにノリは気づかなかった。

 膝はストッキングで覆われていたので、肘部分を見ることにする。白衣をめくろうとして身体に触れると、やはり人間と同じように柔らかい。まだネジが巻かれていないせいで体温がないものの、質感は人間のそれと大差なかった。

 上腕部まで服をめくると、ドールである証として関節部に球状のパーツが見えた。


 「ドールね……」

 「でもどうなっているんだろう。彼女だけ体の比率が違うなんて」

 「存在しないはずの第8ドール……私たちと違う点があっても不思議じゃないわ」


 真紅と蒼星石はメンバーの中でも真面目な方なので、至って真剣な表情で論議を重ねている。反面、難しいことが苦手な双子の姉と苺大福好きな二人は蚊帳の外。いま邪魔をしたら怒られそうだったので、二人はジュンに話しかける。


 「チビ人間はどう思うですか?」
 
 「さあ。僕はアリスゲームとかドールにも詳しいわけじゃないから、全然」

 「わーい! ヒナも全然わからないのー」

 「威張るなです!」


 怒鳴られて涙目になる雛苺を援護するようにジュンは反論する。


 「そういうおまえだってわかんないんだろ」

 「べ、別に翠星石はわからないから混ざってないわけじゃないです! 姉として妹に手柄を譲ってあげようと……!」

 「あー、はいはい」

 「きー! 全然信じてないです! その『うわぁ、可哀想だなこいつ』みたいな目はやめやがれですぅ!!」


 地団太を踏んで悔しがる翠星石だが、ノリから見てもわからないのはバレバレだった。故に援護すれば深みに嵌っていくだけなので見ていることしかできない。

 負けず嫌い大王は助けを求めて妹に目をやるが、向けられているのは呆れきったエメラルドとルビー色の瞳。同じ色のオッドアイに動揺を浮かべて不肖の姉は黙るしかない。

 どうやら頭脳派二人が結論を出したようだった。聞くと、兎に角ネジを巻いて事情を聞くのが先決だろう、とのこと。確かに、こうしてうだうだやっていても先には進まない。彼女のことは彼女のこと、つまり本人に聞くのがベストだろう。そう説明すると、確認するように視線を寄越す真紅に人間二人と人形二体は頷いた。

 さすがに身体の小さいドールでは人間大の彼女を起こすこともできない。真紅を含めたドール組は少し離れた位置で傍観することにした。ジュンとノリがトランクから金髪の女性を起こす。

 サラ、と髪が流れた。ノリはその金の髪が染められていることに気づく。真紅の髪の純金に比べて、この女性のものは作り物めいた感じが否めない。けれど今は関係ないことなので口には出さなかった。

 身体を起こす。


 「ん……泣き黒子だ」


 泣き黒子のある女性は男で泣かされることが多いらしい。クールな雰囲気もあって、その一点は妙にマッチしているようにジュンは感じた。

 背中側を覗くと、白い布地が目に入る。


 「真紅、ドールって背中にネジ穴があるんだよな?」

 「ええ。私たちのような型の人形であればそうであるはずよ」


 なら、と白衣をめくりあげる。真紅や雛苺、双子たちの場合は服の上からネジを巻くことが出来た。この白衣は付属品ということなのだろう、中の衣服にはきちんとネジ穴の位置が貫かれていた。

 ノリがトランクからネジを取り出し、ジュンに渡す。やはり今までのものに比べて大きい。

 受け取ったジュンはゆっくりと穴に刺し込んで回し始めた。ネジ巻き特有の音が続く。雛苺は期待全開で目を輝かせているが、他の姉妹はそう楽観することはできなかった。水銀燈と薔薇水晶寄りの人格であれば拙いことになる。それが懸念の材料だ。

 やがて手応えを感じたジュンが一連の動作を終わらせた。

 しばらくするとぴく、と反応するように顔を上げ、続けてギギギ、と固まっていた歯車を噛み合せるために角張った動作が起こる。

 固唾を呑んで見守る一同。

 初期動作が終わり、目がゆっくりと開かれた。天井を見上げる形で、気だるげに第一声は放たれる。


 「――――――知らない天井だわ」















 懸念されていた問題は起こらなかった。好戦的な二体の人形に比べて、やや達観した感じがする。やはり真紅と蒼星石に近い性格だった。

 雛苺を膝に乗せたそのドールは、名前を問われて逡巡したあと、うんうんと頷いて「黒曜石よ」と答えた。

 
 「私のことは『黒曜石』って呼んでちょうだい」

 「わーい! 黒曜石って暖かいのー」


 すでに人懐こい雛苺は黒曜石にべったりになっていた。微笑ましく小さな身体を抱く姿は母性的で絵になっている。悪いヤツじゃないかもな、とジュンは思った。

 それからこちら側の自己紹介に移る。真紅を先頭にドールたちが名前を言い、真紅と翠星石のミーディアムとしてジュンも自己紹介をした。真紅の性格に似ているだけあって、嫌いではないが苦手だと彼は直感する。

 
 「それで黒曜石。貴女、何番目に作られたのかしら」

 「私は第0ドール。貴方達の母親みたいなものね」


 その言葉に驚愕する四体。それもそうだ、新しい姉妹だと思っていたら母親だと言われたのだから。しかしそう考えれば辻褄も合う。姉妹よりも大きいのは母親だから。つまりはローゼンの妻ということになる。擬似的なものにしろ、夫である人間と同じような等身大でなければ格好がつかない。真紅たちが小さいのは娘であるからだろう。

 声を失っている皆に代わってジュンは「へえ」と感心した声を上げた。それに気を良くしたのか、黒曜石は満面の笑顔で言う。


 「第0ドール……二次創作っぽくていいでしょう?」

 「うんうん。あとは番外とか――――――って、それ言っちゃ駄目! それ厳禁だから!」

 「しかも赤木流滅殺剣とか使うわよ? しかも普段は使わない漢字使いまくりよ? 赤木流滅殺剣奥義! とか叫んじゃうわよ?」

 「最強物を素で行くようなこと言うなよ!? これギャグだから! あと夢オチだから!」

 「あら、もうオチを言ってしまうなんて……なんて斬新なのかしら――――――というか死になさい」

 「うわあ酷ッ!! 不登校児に言うような台詞じゃないよそれ!」


 会心の一撃を受けてジュンは胸を押さえる。突然のやり取りに皆は目を丸くするだけで、その内容にはついていけなかった。


 「あえてジュンくんと呼ばせてもらうわ。ジュンくん、このくらいでへこたれては駄目よ。心が折れそうになったらこう考えなさい」


 黒曜石は正義の味方を目指してなれなかった白髪で赤い騎士のような顔をして、


 「――――――女は子宮で考える」

 「それ差別だろ! てか黒曜石も女じゃないのか!?」


 喚きたてるジュンに、黒曜石は落ち着きなさい、と手で制した。どうやら続きがあるらしい。興奮して頬を赤く染めたままジュンが引き下がる。烈火のような突っ込みに流石に疲れたらしい。

 はあはあ、と肩で息をして、けれど目はぎらついていた。ローゼンメイデン突っ込み隊の血が騒ぐぜ、とジュンは思った。それから『突っ込み隊』ってなんか卑猥だよな、と腰を引いた。


 「――――――そして男の下半身はエロで出来ている」

 「ぐ……」


 まさにタイムリーである。前かがみになって腰を引く『男、ジュン』に女性陣の軽蔑の眼差しが突き刺さる。唯一雛苺のみが分かっていなかったのだが、姉妹たちを真似してえらく冷たい目線を大成させていた。


 「――――――それから上半身もエロで出来ている」

 「全部エロじゃん!! エロしかないじゃん!」

 「何を今更。どうせドールたちを見て良からぬ妄想に浸っているんでしょう? というか作者もそうよ」

 「だからそれ厳禁! 作者ネタ厳禁!! あとがきでキャラが出てきて作者と話すくらいは許すから!」


 ますますヒートアップしていく会話に喉が熱い。ジュンは黒曜石を強敵だと認めた。

 そのとき、黒曜石がくわっ、と目を見開いて、


 「黙れ小僧!」

 「も、○ロ……!?」

 「おまえに男の渇きを癒せるのか? ゴミ箱にファ○リーズする情けなさを癒せるのか!?」

 「エロ厳禁だから! ファブ○ーズあんまし効果ないから!」

 「丸まったティッシュを『鼻かんだ』って誤魔化すのは止めなさい――――――無様よ」


 二人から離れた位置、そこにドールは集まっていた。ジュンと自称母親たる黒曜石のやり取りは彼女たちにはよく分からないものである。理解しているノリは顔を赤くしていて無言を貫いている。年頃の弟の世話をする身としては、思うところもあるのだろう。

 困惑顔の姉妹の中で、やはり雛苺は笑顔だった。


 「うにゅー。ジュンとお母様、仲良しなの!」

 「お母様……?」

 「うにゅ?」


 そうでしょう? と問うような目を向けられた真紅は、ややあってから苦笑した。その通りだ。性格がどうであれ、本当のところがどうであれ、黒曜石は『お母様』なのだ。今までお父様のことしか考えていなかった身としては複雑だが、『お母様』は『お母様』なのだ。雛苺が喜んでいる姿を見れば、これでいいのだと真紅は思った。

 
 「翠星石のお母様ですかぁ。よくわからないですぅ、蒼星石」

 「ふふ。僕もあんまり実感沸かないかな」


 姉妹たちはジュンと言い争っている黒曜石に目をやってから、微笑ましくて口元を緩めたのだった。















 それからの時間は穏やかなものだった。流石にジュンの部屋に住むわけにもいかなかったので、黒曜石は開いている部屋を使うことにした。ちょうど両親がいないので部屋も余っている。快く許可を出してくれたノリに黒曜石は感謝した。

 朝は一番遅くに起きてきて、夜寝るのは誰よりも遅い。なんでも、黒曜石は日夜研究に明け暮れているのだそうだ。まんま『科学者』だな、とジュンは納得したものである。

 初めはぎこちなかった関係も時が立つにつれて丸くなっていく。真紅が、雛苺が、翠星石が、蒼星石が、ノリがジュンが。そして黒曜石が居るのが当たり前になっていた。

 あっち方面に達者な黒曜石は、その話ではジュンとも話題に欠くことはなく話が出来て、仲を進展させる役を買った。おかげで今では気兼ねなく話せるようになっている。

 特に雛苺の懐きようは並外れていた。真紅と翠星石が『黒曜石』と呼び、雛苺と蒼星石は『お母様』と呼んでいる。今日もお母様に抱きつく少女の横顔は満面の笑みで溢れている。

 そんな他愛もない日常が続くと誰もが――――――いや、真紅と蒼星石は分かっていたのかもしれない――――――思っていた。けれど暖かな日常は、隙間から入り込んだ冷たい風に押し上げられて飛んでいってしまった。

 ――――――アリスゲームが始まったのだ。
















 なし崩し的に<Nのフィールド>へと踏み入れた一行の前に、黒で統一されたドレスを纏った少女が現れた。漆黒の羽が羽ばたくたびにザワザワとした悪寒を与えてくる。殺気をひしひしと感じた彼らはこの戦闘が不可避であることを認めるしかなかった。

 固まって陣形を組む真紅たちから離れた教会。その十字架の先に水銀燈は足を下ろす。

 廃墟。

 灰色としか言いようがない雰囲気の街は生気を感じられない。生活臭も完全にしないそれを街と呼んでもいいのかわからないが、そこは確かに<街>だった。もっとも、その住人は人間などではなく沈黙という目に見えない者なのだが。

 ここは水銀燈の<Nのフィールド>である。ドールの心情を元にして創りあげられる世界だ、この虚ろな空間は水銀燈の心そのものだった。

 でも、と真紅は違和感を感じて辺りを見回す。外観も雰囲気も変わっていないのに、どこか以前とは違っていたのだ。他者を拒絶する威圧感が少なくなり、言葉では表せないものがある。不快ではない。どちらかと言えば好ましい静けさだ。真紅以外には気づいていないらしく、他のドールは戦闘態勢に入っていた。


 「あらぁ、真紅。お仲間が増えたみたいじゃない? 私にも紹介して欲しいわぁ」


 聞きなれた猫撫で声。しかし怪訝げな響きが含まれている。

 真紅が口を開こうとしたのを遮って、白衣を翼のようにはためかせた女性が一歩を踏み出し、


 「お初にお目にかかるわね。私は黒曜石。ローゼンメイデン第0ドールよ」


 今度ははっきりと戸惑いの雰囲気が伝わってきた。無理もないか、とジュンは思う。真紅たちだって初対面のときは大いに戸惑っていたのだ、交友のない水銀燈が知る由もない。

 明らかに狼狽した声で返してくる。先程までの余裕が消えうせていた。真偽を問う声に黒曜石はさらりと答える。何より事実を述べるだけなのだから焦る必要もない。傍目から見ても水銀燈が気圧される形になっていた。


 「第7ドールが現れたと思ったら八体目……? どうなっているの……」

 「私は貴方たちの母親のようなもの。娘が喧嘩するのを黙ってみているわけにはいかないでしょう?」

 「う、嘘よ!」


 頭を振って声をあげる。白銀の長髪が乱れてしまうが、それを気にする様子もない。


 「本当にお母様だとしたら……そんなこと言うはずがない。アリスゲームはお父様の望み。だったらお母様だって同じはず!」

 
 きっ、と視線を鋭く寄越してくる水銀燈を微笑ましく見返した。娘に優しく説くような黒曜石の声に、水銀燈の内心は複雑なものになっていた。ドール同士が感じる雰囲気を確かに感じるのだ。しかも造りからして姉妹たちとは異なっており、言うとおり母親としてローゼンに造られた可能性が高い。賢明な頭脳を持つ水銀燈には、母親を名乗るドールが嘘をついているようにも見えなかった。

 しかし、メグを助けるにはローザミスティカは必須。自らをジャンク、と蔑む姿は他人とは思えなかった。誰にでもアリスになる権利があるのだったら、誰にでも生きる権利だってあるのではないか。殺して、と懇願してくる彼女が酷く腹立たしい。きっと『助けて』と言われても同じように不快になるのだろう。そんな自分がやはり腹立たしく、考え出したら延々とループになりそうだった。

 割り切りなさい、と心の中で呟く。元から悪を気取っていた自分が何を今更、と罵られようが、メグを助けたいと思う気持ちは本当なのだ。迷いを打ち消した水銀燈は翼を広げ、十字架から飛び立つ。


 「あらあら……そういう不器用な生き方、嫌いじゃないけど、酷く損をする生き方なのよ……?」


 迷いが消されたのを読み取った黒曜石が呟く。ぐんぐんと漆黒の天使が距離を詰めてくる。


 「黒曜石……来るわよ」

 「貴方たちはジュンくんとヒナをつれて下がりなさい。あの子の相手は私がするから」


 水銀燈は姉妹の中でも好戦的であり、その戦闘力は屈指のものである。事前にそのことを教えられていて、尚且つ単独での戦闘を申し出たのだ、何か考えがあるのだろう。真紅は釈然としないまま頷くことしかできない。

 不安げに視線を寄越してくる娘たちに大丈夫、と頬笑み返す。黒曜石はジュンに向き直ると穏やかな表情で言った。


 「ジュンくん。この子たちのことを頼むわね……きっと、貴方の力が必要になるだろうから」

 
 まるで今生の別れのような台詞だった。もしかして、と思いつつも口に出すのは憚れた。その決意した表情を見ては、何も言い出せない。だから頷いた。何より真紅を守ると決めたのだ。言われなくとも守りきってみせる。その想いが伝わったのか分からない。けれど黒曜石は満足そうに頷き返したのだった。


 「ヒナ。貴女にだって出来ることがある。それを忘れないで」

 「……分かったの」

 
 足元で白衣に縋っていた雛苺の頭を撫でながら言った。


 「翠星石。恐れて立ち止まるだけじゃ駄目よ? 前を向いて歩きなさい」

 「そんなこと。そんなこと、言われなくても分かってるです……だから、さっさと行って、さっさと帰ってくるですぅ……!」

 「ええ」


 ぷい、とそっぽを向く翠星石に苦笑する。それからその隣で複雑な顔をしている蒼星石の目線の高さに合わせるように彼女は屈みこんだ。そのオッドアイは普段の凛としたものではなく、今にも零れ落ちそうなくらい不安定なものだ。

 蒼星石は迷っていた。真紅たち、双子の姉である翠星石とは闘いたくない。けれどお父様はアリスゲームを望んでいる。せめぎ合う二つの感情は反発し、けれどもドロドロと混ざり合って、渦になって彼女の中で荒れ狂っていた。

 誰かに話したい。全てを打ち明けたらどんなに楽になることだろうか。だが、周りは殆んどアリスゲーム否定派。相談したところで返ってくる答えは予想出来た。

 翠星石は闘いたくない。そう言うのだろう。闘いたくない。自分だって同じだ。だけどそれだけじゃないのも確かなのだ。

 ――――――闘わなければならない。

 強制的でもなく、そう思ってしまう。根本に根付いた本能のようなもの。それは焦燥感であって、脅迫概念であった。


 「蒼星石」

 「お母様……」


 全てを見透かされていると思った。内心の葛藤も、矛盾する気持ちも、全てひっくるめて知っているのだと分かった。


 「貴女は貴女が望んだ行動をしなさい。そうして、もし迷惑をかけたと思ったら、きちんと謝りなさい。きっと分かってくれるわ。姉妹なんだもの」


 それでね、と黒曜石は前置きして、


 「わだかまりが消えたら、こう言うの――――――ありがとうってね」

 「――――――はいっ」


 立ち上がる。もうすぐ水銀燈の戦闘範囲だ。黒曜石は白衣に手を入れると銀色に輝くメスを三本取り出して指の間に挟む。握られた拳からは鈍い光沢の爪がせり出していた。


 「真紅」

 「……」

 「あの人が……貴女のお父様が何を求めてアリスゲームをさせているのか」


 そこで言葉は途切れた。けれど真紅にははっきりと聞こえたのだ、その続きの言葉が。

 ――――――それを、よく考えなさい。

 
 「アリスゲームの意味を……その闘いを理解していない娘に、教えてあげるのが母親の役目よ」


 黒曜石は、そう声を上げて駆け出した。










 「ちぃっ」


 羽の弾丸を飛ばす。しかし標的が動いていると命中率が落ちるのは必至である。縦横無尽に駆ける白衣の軌道は乱雑だった。先読みした場所に飛ばそうとして、更にそれを読んでいるように向きを変えられてしまう。

 その上、時折カウンターじみたタイミングで投合されるメスが厄介だった。本数が少ないのだが精度が恐ろしく高い。


 「オイタは駄目よ?」

 「しゃらくさい!」


 相手に飛行能力がないのが救いだった。<Nのフィールド>ならば、飛ぼうとすれば飛べるはずだ。しかし開始から今まで、いっこうに飛び立つ気配はなかった。となれば黒曜石は飛行できないのだろう。地を奔り、壁を蹴って跳びはするものの、宙に浮くことはない。

 水銀燈の羽の弾丸と同じように、投合されるメスに限りはないようだ。打ち出されるそれも、もっぱら牽制にしか役立っていない。このままではジリ貧である。

 水銀燈は両刀の西洋剣を作り出すと一気に加速をかけた。相対速度で点にしか見えないメスを最小限の動きだけで叩き落して。

 剣が届く距離まで詰める。躊躇せずに剣を振り下ろした。


 「――――――なっ!?」


 切り裂く、と思われた太刀筋をかわしてみせる芸当。纏まって金髪がはらはらと舞い落ちる中、半身を捻った黒曜石の姿が目に映る。


 「安直な接近戦は感心しないわね……乳酸菌とってる?」

 「――――――ッ〜」


 そのまま水平に切り払いをかける。黒曜石はその場で跳びあがってそれをやり過ごす。宙に浮いたままの回し蹴り。足場もないのに勢いのある蹴りだ。まるで見えない地面に立っているような、もしくは宙に浮いているような。

 そこではたと水銀燈は気づいた。飛んでいるのだ。今までは飛べなかったのではなく、飛ばなかったのだ。してやられた、と気づいたときには切り払ったあとで、奥の手として残しておいた背中の翼でガードするしかない。

 ガツン、と衝撃を受けて距離を取る。近接戦闘を得意としていた水銀燈だ。しかし今回ばかりは相手の方が上手だった。

 
 「く……強いわぁ」

 「ザクとは違うのよ、ザクとは!」

 「意味わからないわよ!」

 「ローゼンメイデンギャグ担当の力、見せてもらおうか!」

 「私はぁ――――――」


 翼も使った突貫。暴風を纏った体当たりに、黒曜石は堪らず吹き飛ばされた。


 「――――――シリアス担当よぉ!!」


 投石器で飛ばされた岩石よろしく吹き飛び、黒曜石が轟音を立てて民家に突っ込む。それでも水銀燈は気を緩めない。勢いを殺さぬまま距離を詰めようとして、直感に従って回避。いつの間にか回り込む位置に黒曜石の白衣が待っていた。いつの間に、と驚愕する間もなくメスの一閃。

 鍔迫り合いになった状態で、パワーゲームに移る。


 「カットカットカットォ!! ギャグキャラカットォ!!!」

 「私はギャグキャラなんかじゃない!」


 もの凄く必死になって水銀燈は否定した。真紅に『ジャンク』呼ばわりされたときよりも切羽詰った口調である。


 「嘘おっしゃい! 貴女、アニメ版でこう言ったことあるでしょう――――――ボツリヌス菌とってるぅ〜?」

 「言ってないわよ! 乳酸菌よ乳酸菌!! というかボツリヌス菌って何よ! 馬鹿じゃないのぉ!?」

 「水銀燈……母親に向かってその言い草はないでしょう……お母様悲しいわ」

 「戯言を……!」


 渾身の力で振り払う。再び距離が開いたので羽を飛ばしながら空へと後退する。今度は相手も飛べるのを分かっているので油断はしない。

 水銀燈は内心の焦りを隠すのに必死だった。『お母様』という言葉を聞くと動揺してしまう自分を叱咤する。惑わされるな。口先三寸。そんなもの、初めから自分には母親なんてものはいなかったのだ。ドールにはお父様だけ。お父様のためにアリスを目指す。

 でも、ともう一人の水銀燈が呟いた。

 昔はお父様のためにアリスになるとしか考えていなかった。だがどうだ。今では心の中に住む人物はお父様だけではなくなっていた。その人間こそ柿崎 めぐ。彼女を助けたいと柄にもなく思ってしまったのだ。そのときから水銀燈の心の中にはメグが住むようになった。不快じゃなかった。むしろ心地良かった。長く存在していた時間を省みても、この時代の生活は充実していたのだ。

 
 「水銀燈。貴女はアリスゲームってどんなものだと思う?」


 飛んできたメスを叩き落す。ジェット噴射のように風を押し潰して接近してくる黒曜石の軌道から避ける。今まで自分が居た場所を突き抜けていく白衣。こちらを向かぬまま放たれたメスに舌打ち。背中に目でも付いているのか、と疑いたくなるような正確さだ。


 「アリスゲームはぁ、完璧なる少女アリスになるための儀式よぉ!! そのために闘うのよぉ!」

 「本当に?」


 ごく普通に返された問いに水銀燈は身体を硬直させた。なぜかはわからない。背中に氷柱を突き込まれたようだった。


 「貴女は本当にアリスになるために闘っているの?」


 脳裏にやつれたメグの顔が浮かぶ。


 「貴女は本当に勝ち抜けばアリスになれると思っているの?」


 そして一つ、間を置いて、


 「――――――貴女は本当に、姉妹殺しをした少女が世界でいちばん美しくなると思うの?」

 「そ、それは……」


 アリスは完璧な少女だと言われていた。この世でいちばん美しく、気高く、心優しい。ならば、姉妹で闘い、命であるローザミスティカを奪い合った者が、果たしてアリスに至れるのだろうか。コンプレックスは深く根付く。パーツが欠けていた自分は劣等感の塊だった。それを紛らわすために嘲り、ジャンクと罵り、完全なるアリスを目指した。

 そして姉妹殺しという過去を、コンプレックスを抱えた勝者は平然としていられるだろうか。自分ならば無理だ。悪い、と自覚しているからこそ己を保っていられる。完璧を求められ、欠陥を自覚しているのは矛盾することになる。

 問題を踏まえて考えられるのは、過去を払拭して、新しくアリスになること。

 そこで気づく。過去を忘却し、捨て去った自分は、果たして『水銀燈』と言えるのだろうか。それは名ばかりの別人になるのではないだろうか。

 それを考えて水銀燈は恐怖した。アリスゲームとは。アリスゲームとは――――――


 「なんなのよぉ、アリスゲームって……」

 「言ったでしょ? “アリスへと至る儀式”だって」


 両手で身体を包み込み、蒼白になった水銀燈に黒曜石が近づいていく。もう戦意を失くした少女は攻撃することはなかった。


 「ある人物が助けて欲しい、と言ったとするわよ?」


 ぴく、と反応して顔を上げる。


 「その人を助ける。それはどういうこと? 苦しみから救うには、その人生を終わらせるか――――――」


 距離はゼロになり、二体は向き合う。遠目からでは気づかなかったが、その女性の顔は慈愛に満ちていた。


 「――――――苦しみを乗り越えるのを手伝ってあげるか、でしょう?」

 「……」

 「アリスゲームも同じことよ。アリスになるためにはローザミスティカが必要だとしても、奪うだけが全てじゃない」


 黒曜石は屈みこみ、水銀燈を包み込んだ。一瞬強張らせた身体も、すぐに力は抜けていく。寄りかかるようにして、水銀燈は暖かい、と思った。知らなかったのだ。他人がこんなにも暖かかったなんて。知らなかったのだ。母親の胸はこんなにも落ち着ける場所だったなんて。

 抱擁はどのくらい続いただろうか。一瞬にも永遠にも思えた時間が終わる。身体が離れたとき、水銀燈は思わず声を上げてしまった。それから顔を赤くするがすでに遅し。にこやかな母親の表情がまともに見れず、憮然とした表情で距離を取る。


 「方法は一つじゃなくて、選んだ道が正しいとも限らない。ロジックじゃないのよ、人生はね」

 
 頷く。水銀燈は改めてアリスになりたい、と思った。ただお父様の愛を求めてとか、ただそれしかないからとかではなく。この母親のようになりたい。胸を張って歩けるようになりたい、と思うのだ。アリスになるために自分をみがくのではないと分かった。誇りを持ち、胸を晴れる少女がアリスなのだと気づいた。

 柄じゃない。そんなことを思いながらも、礼を言おうと口を開いたとき――――――身体が押し出された。え、と疑問の声を上げて視界が流れていく。その中で、飛来した水晶の弾丸に貫かれる母の姿が映った。


 「お、」


 こちらを見つめる表情は、穏やかなままだった。


 「――――――お母様ァァアアッ!!」










 貫かれた黒曜石の身体が倒れていく。そのまま金色の砂となって虚空へと消えていく間際、ジュンも、そしてドールたちも彼女の声を聞いた。いや、言葉ではなく想いと言った方がいいだろう。それは皆の心に暖かく染み込んでいった。胸が熱く、切ない。

 雛苺は泣いていた。翠星石も蒼星石も泣いていた。

 真紅の隣に黒の天使が降り立つ。二人とも向き合わず、ただ前を向いたまま、先の薔薇水晶を見据える。


 「真紅。私はアリスを目指すわ」

 「……そう」

 「でもね、奪うなんて野暮な真似はしない」


 ほろり、と水銀燈の右目から雫がこぼれる。それでも前を見据えたまま、彼女ははっきりとした口調で言い切った。


 「貴女の方からローザミスティカを差し出したくなるくらい、そんな私になってみせる」

 「――――――水銀燈」


 真紅は涙を流したまま隣に向き直る。ほんの小さな変化は水銀燈を大きく変えていた。

 その瞳はくすんでなどいなかった。

 とても澄んだルビーの色だった。

 
 「だから、休戦としない? 私、はたいてやりたい子がいるのよ」

 「――――――偶然ね、水銀燈。私も同じことを考えていたわ」


 そのやり取りを見ていた皆が集まってくる。憎しみからではない。母親が伝えたかったこと、アリスゲームの意味を、あの薔薇水晶に教えてやるのだ。

 生きることは闘いである。

 闘いとは争うことだけではない。より良い未来を掴むために、精一杯道を探すことが、彼女たちに望まれた闘い。

 それこそが、アリスゲームなのだ――――――
















 「――――――あら?」


 リツコは寝そべっていた体勢で目を覚ました。なんだかとてもいい夢を見ていた気がする。普通に自分のキャラじゃなかった気もしないこともないが、まあ、夢なのだから気にすることでもないだろう。

 顔を上げると液晶の画面があった。PCの操作中に寝てしまったようだ。『りっちゃん博士の実験室』とある。リツコが趣味で運営しているサイトである。この更新作業中に寝てしまったのだ。近頃忙しくて放置しっぱなしだったので、少しは管理作業を、と寝る前に思っていたのだが。

 マウスに手を乗せたところで、アスカの呼ぶ声が聞こえてきた。それに答えるためにリツコは廊下へと出る。

 誰も居なくなった部屋。画面が独りでに動いてスクロールされる。

 『まきますか? まきませんか?』と画面の中央に文が乗せてあり、その下に上下に分かれた『まきます』と『まきません』の画像が張ってあった。そこにドラッグしてポインタされ、そのまま削除される。

 サイトの右端からタキシードを着た兎のドット絵が歩いてくる。そして中央まで来て、正面を向き、姿勢を正したかと思うと、帽子を脱いで優雅にお辞儀をした。

 誰も居なくなった部屋。

 起動していたPCは、独りでにシャットダウンしたのだった。







                                                                <END>









 〜あとがき〜

 
 ギャグと言いつつもシリアスを混ぜたら、なんだか微妙なものが出来上がりましたw

 いや、短編っていいですね、好きにやれるから。パロネタを使うのに気兼ねしなくてもいいですし。

 ……金糸雀を出すのを忘れていたのに、あとがきの時点で気づいたり……(汗