「朝焼けに染まる空の下で、僕は君にこう言いたかったんだ」





"TransiEnce"





 開口一番、目の前の裕ちゃんは頭を下げた。突然のことに困惑するあたしたちに気づくと、居心地悪そうに頭を掻く。

 病室にはおなじみの顔。あたしと世古口くん、そして月香ちゃん。話があると電話があったのは一昨日のこと。全員の都合を合わせるために今日集まることになっていたのだ。

 突然の要求に面食らったあたしたちだけど、裕ちゃんの真剣な声からして断る理由もない。それに溜まり場と化したこの病室は思いのほか居心地が良かったのも事実だ。

 同年代の同性友達。話題も弾むし楽しいことは確か。けれど息が詰まるのも否めないのは互いに分かっていることだった。表面は友達をしていても、不快なことは不快だし、それを出さなくてもなんとなく分かる。付き合いの長さが裏目に出る、ということだ。友達だからこそ隠したいことだとか、胸にしまっていることだとか、それを押し込んで関係を続けるしかない。それが人間関係ってものだろう。打算的なものを嫌悪する人もいる。そんなもの、本当の友情ではない、と言う人もいる。

 分かっている。言われなくても分かっている。

 それでも、本音を隠して表面のものだけでも、人との付き合いは欲しいものなのだ。

 ドライな関係、情熱的な恋、いろいろな人間関係がある。そんな中で、普段の友人とは違う彼らと共にする時間が心地良い。二面性がある、なんてものじゃない。いつだって人は心地良い時間を望む。いつも一緒だったら嫌なところを延々と見せ付けられる。嫌気が差すと思う。

 たまには息抜き、それが大事。

 この病室はそんな場所だ。あたしたちの間には細いつながりしかない。気まぐれで出会って、適当に話して。でも、そんな関係だからこそ素直になれる。普段の凝り固まったあたしじゃなくて、リラックスした状態のあたし。

 進学とか就職とかで忙しくなってくる未来を前にして、この病室は文字通りの憩いの場だった。


 「まあ、立ち話もなんだ。座れよ」


 そう言ってパイプ椅子を出そうとすると、月香ちゃんがぴくり、と反応する。機敏な動きで兄の前を遮ると、それは自分の仕事だ、と言わんばかりに椅子を出し始めた。仕事を取られた形で佇む裕ちゃんを見て、あたしと世古口くんは苦笑した。

 三つぶんの椅子を出す間、なぜか裕ちゃんはぼんやりとその様子を眺めている。途中、視線に気づいた月香ちゃんが訝しんで眉を顰めるけど、それでも目線は逸らさない。なんですか、と彼女が言った。その声を確かめるように味わったあと、裕ちゃんは別に、と笑って返す。

 あれ、とその場に居た誰もが思った。

 その表情はとても落ち着いていて、どことなく肩の荷が下りたような感覚を覚える。例えれば、目の上のたんこぶだった期末テストが終わったときみたいな。

 なにかあったのかな。午前の柔らかい日差しを受けながら、そう思う。

 この歳の男の子は成長が早い。それは身体的な成長だけじゃなくて、精神的なものも含めて。ある程度社会を知った子供はある変化を起こす。下らない世の中を見て絶望するか、光り輝く世の中を見て胸躍らせるか。この時勢、大抵は前者だろう。なんとなく大学や専門学校に行って、なんとなく生きる。フリーターになるのもなんとなく。

 誰だって楽はしたい。あたしだってそうだ。出来ることなら、一生働かずに過ごせたらいいなって。高望みしなければ適うかもしれない。でもそれは腐った生活でしかない。普通のあたしが、普通に生きるには普通に生きなければならないのだから。流れに身を任せて大学に行く。それがベスト。それしか選べない。

 ああ、なんて下らない人生なんだろう。

 少し前まで、そう思っていた。でもね、見方が変われば全てが変わる。たった一つの他愛もないことで、見えている視界が変わることだってあるのだ。

 そう導いてくれたのが裕ちゃん。あの見栄っ張りで泣き虫だった裕ちゃん。さすが男の子。えらい変わりようだ。あんなに情けなかった背中は見る影もなく、いいや、きっとその情けない背中が大きくなったのだから、それは違うんだろう。小さかった背中の面影を感じさせないくらい、逞しくなった。

 その背中は堂々としていて、後ろから追いかけるあたしを鼓舞してくれる。

 俯きながら歩いていた道は、酷く味気ないものだった。雑草と小石と赤茶けた土しか見えず、たまになんてことない凹凸に躓いて転ぶ。痛めた足首を庇いながら立ち上がると、自分の影法師が暗い表情でこちらを見ていた。そんな道。そんな下らない道。耳からは楽しげな声とか、悲しい声とか聞こえていたけど、気にしないことにしていた。だってそれらはつながらない道でのことだから。平行線で伸びるそれは決して交わらない。どこまでも、どこまでも歩いたって手が届かない。なら、最初から気にしなければいい。そうすれば無駄な労力を使わずに済むし、無様な自分の姿を他人に見られることもない。

 なんせ、あたしは普通でしかないのだから。

 普通であることは幸福であると同時に不幸だった。だから結果的には何もない。そう、何も残らない。それがあの下らない道。高望みせず、そして卑下もしなかったあたし。それが最良だと思っていた。

 気づけば、後戻りできないほど歩いてきていて。

 最良だと思っていた道は“無難”でしかなかった。人間、謙虚が一番なんて言うけれど、それは間違いだって気づかされた。受け入れず、望まないくらいだったら割り切った方がいい。そうすれば違う道も見えてくる。

 気づかせてくれたのが、戎崎 裕一。隣を歩いていた彼。あたしと同じように、視線は固まったままだったはずの幼馴染。彼の場合、俯いていたあたしとは違って、ずっと空ばかり仰いでいた違いがあるけど。

 そんな裕ちゃんは変わっていた。芋虫だったのにさなぎになって、もうすぐ羽化して羽ばたこうとしている。

 気づけば、夢中になって隣を窺っていた。

 気づけば、彼の背中を追いかけていた。

 つながらないはずの道は一つになり、視界もいつの間にか広くなっていた。相も変わらず道端には小石やら雑草やらが生えている。あたしが俯いて歩いていた頃と何一つ変わらない道。

 なのに。

 どうして、こんなにも輝いて見えるのだろう。

 ――――――顔を上げた。

 薄汚い道が続いていた。

 ――――――背伸びするように遠くを望んだ。

 空が青かった。

 ――――――躓きそうな窪みとか、出っ張りがあった。

 気をつけて進んで、それでも転んだら、どうしてかおかしくて笑えた。

 ――――――目の前で彼が転んだ。

 あたしも同じように転んだ。

 ――――――目の前で彼が窪みを避けた。

 あたしは避けられず無様に転がった。

 ――――――目の前で彼が出っ張りを避けた。

 つんのめったけど転ばなかった。

 ――――――目の前で彼が立ち止まった。

 そのまま進んで、彼の背中に額を寄せた。

 それはとても清清しくて、とてもあの下らない道だとは思えない。でも同じだった。赤茶けた土は靴の裏にくっ付いて煩わしい。小石も雑草も無造作に置かれていて景観が悪い。俯いていた頃と大して変わらない道。

 でも、決定的に違うものがあった。

 俯いて、汚いものしか見えなかった頃。

 顔を上げて、同時に空の蒼さに気づいた頃。

 だった一つ違うだけで、こんなにも世界は変わるのだ。あたしは変わった。ほんの少しだけ変わった。そうしたら生きている世界は変貌した。なんて下らなくて、素晴らしい世界なんだろう。それは普通だった。変わらずに味気ないし、特筆するような目玉もない。なのに“普通”が魅力的だった。そのどこにでもあるような光景に目を奪われた。

 何より嫌っていた“普通”が、何より望んでいた“普通”へと変わった。

 皆と同じように大学に行く? なんて普通。だけどわくわくする。普通に友達を作って、セオリーどおりにサークルにも参加して。いいじゃないか。とてもいいじゃないか。あたしがまだ経験したことのない世界。辛くて、逃げ出したくなるかもしれない。でも、それはこれから経験する“普通”。

 誰でも通ることが出来て、あたししか感じることができない道。

 そんな道を、あたしは歩いていく。

 それに気づかせてくれた裕ちゃん。彼はベッドに腰掛けながら、ある計画を語っていた。世古口くんはうんうんと頷きながら、月香ちゃんは相変わらずの顰め面で、あたしは真剣に語る裕ちゃんを眩しげに見据えながら。

 それは子供が考える脱出作戦。馬鹿馬鹿しい、と吐き捨てる人もいるだろう。こんな計画を真剣に語り合うあたしたちを、冷めた目で見る人もいるだろう。

 でもね。

 その人から見たら、みんなが汚い地面に腰下ろしているように見えても、あたしたちからすれば、


 ――――――真っ青な、とても広い大空を、みんなで見上げるカタチになっているのだ。










 ■ ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― ■










 じゃあね、と挨拶を残してみんなは帰っていった。もうすぐ昼時。大して時間はかからないと言っておいたから、三人は昼飯を持ってきていない。ちょうど区切りのいいところまで終わったから、ということでお開きになった。午後から今夜の作戦についての打ち合わせがあるので、外で食べてからまた来る、という感じ。なぜ院内で昼食を摂らないのかと言うと、まあ、不味いからである、ここの食堂の飯は。

 そんなこんなで病室に残されたのは僕一人。

 里香を砲台山まで連れて行く。そう切り出したとき、揃って三人が頭の上に疑問符を浮かべた。里香の父親のことを端折って説明すると、納得したようだった。砲台山が父親との思い出の場所。手術を決意した場所。そして、里香も同じようにあの山へと赴こうとしている。

 だから協力して欲しい、と言うと、三者三様に了解の答えが返ってきた。うーん。なんか今思い返すと不思議だよな。みゆきや司は兎も角、月香が文句の一つは零すかと思っていたのに。そんな無茶な、とか、秋庭さんの身体の具合を考えたんですか、とか。えらくあっさりと頷いて返されたときには拍子抜けしたっけ。みゆきも同じようなことを思ったに違いない。

 前回は司に手伝ってもらったのを思い出す。いやあ、あのときはマジでヤバかった。あの恐怖の代名詞である亜希子さんに見つかったのだ。変態仮面、もといタイガーマスクがいなかったらどうなっていたことか。

 そう。問題はあの、西病棟の通路なのだ。その長いスロープを通らないと夜間には抜け出せないし、そこを監視するようにナースステーションがくっ付いている。夜勤の看護師は最低でも四、五人はいるそうだ。あの夜に亜希子さんがいたことから、当たり前のようにローテーションに組み込まれているんだろう。

 しかもナースステーションの前で騒げば、他の看護師も出てくるかもしれない。前回は運が良かったのか、亜希子さん一人しか敵対しなかったけど。

 いや、“前回”という言葉はもう不適切なのだ。“ここ”は過去じゃない。こんなにも現実感があって、みんなが生きている世界だというのに、ここは留まった世界なのだ。

 今日、どことなく月の話題を振ってみたけど、予想通り興味を示されなかった。あいつらにはどういう風に見えているんだろうか。

 あの、動かない半分の月を。

 
 「戎崎さん、昼食ですよ」


 お盆を手にした中年の看護師が顔を覗かせる。僕は立ち上がって出入り口まで歩いていく。動けない状態なら兎も角、病院を抜け出そうとしている僕が、わざわざ食事を持ってきてもらうのは気が引けた。

 今日のぶんの昼食を受け取ると、彼女は後で回収しに来る、と言って次の病室へと行く。


 「多田のおじいちゃん、ごはんですよ」


 ごく普通に病室へと入っていく看護師を見て、多田さんは完全に溶け込んでいるのが確信出来た。生き返った、なんて誰も思わない。知っているのは多分僕だけ。この世界がおかしいと思えてきたから、あんなことが起きた。いや、あんなことが起きたからこそ、おかしいと気づいた、と言うべきか。

 
 『きゃあ! 多田さん! いまお尻触ったでしょう!?』

 『ひょひょひょ……すまんなあ、手が勝手に』

 『そういいながら撫で回さないでください!』

 『なめたらあかん。これでも若い頃は<神の触り手ゴッド・ハンド>と呼ばれてたんや!』


 ……。

 多田さん。あんた凄い人だよ。

 ありとあらゆる意味で。
















 いざ昼飯を食わん、としたときに、扉が叩かれる。時計に目をやると、今は十二時十分。この時間帯に看護師がやって来る理由なんて思いつかない。朝食を配り終えたら、一時過ぎまでは誰も来ないはずなのに。

 しばらく首を傾げていると、扉の向こう側から聞きなれた声が聞こえてきた。

 里香だ。

 裕一、いないの? と僅かに落胆した調子で呟かれたのを聞くや否や、慌ててスリッパを履く。ところが急いでいたせいか、右足を滑らして腰をうってしまった。


 「いだっ!?」


 僕の悲鳴で居ることが分かったらしく、里香が入ってくる。その表情はご立腹であることが一目で分かった。


 「なにしてるのよ」

 「い、いや、別に……」


 ふーん、と半目で僕を見たあと、興味をなくしたように視線を逸らす。なんか見下ろされる形だから、いつもより迫力があるような。こう、仁王立ちの武者が刀を振り上げている姿を想像させるな、うん。

 腰をさすりながら立ち上がる。大丈夫? と気遣ってくる里香に苦笑して返す。なんだかんだ言って心配してくれるのが嬉しかった。

 でもこんな時間帯にどうしたんだろう。里香も同じく昼食時なはずだ。声に出して聞いてみると、まんま我がまま全開な回答が帰ってきた。

 曰く、今日の昼食は食べる価値すらないらしい。

 おい、里香。栄養士さんが頭捻って考えてるのに、なんて言いようだ。確かに味付けはないに等しいし、食べるたびに喉につかえるような気がしないでもないけど、一応は入院費に食事代も入ってるんだぞ。え? ケチくさいって? 言わずもがな、月香のせいだろう、きっと。


 「なによ、あたしが来ちゃ駄目なの?」


 むすっとした感じで睨みつけてくる姫様に、慌てて頭を振る。


 「そんなことないぞ」


 すると、急に笑顔になったかと思えば、よろしい、と仰いやがりました。

 ……なんか掌の上で踊らされている気がするのは僕だけか?

 まあ、いいか。ようするに、今日の昼食は姫のおめがねに敵わなかったようだ。食べる価値もない、とは、食物の存在理由を否定するようなもんだ。そこまで言われるほど酷いものでもないと思うんだけど。ええと、あれだ。この干からびたようなほうれん草のおひたしとか、表面が乾燥している煮つけは仕様だろう。そうに違いない。てかいつもこんな感じである。


 「病院食に味を求めるのが間違いなんじゃないか?」

 「そんなことないわよ?」


 僕がベッド横に腰を下ろすと、里香も隣に腰を下ろす。パイプ椅子出そうか、と言ったら、もの凄い形相で睨まれた。何? なんかお気に障ることをしましたか、マスター。泣きそうな表情で仰け反ると、里香は鼻を鳴らして顔を逸らす。小声で、「まったく」とか文句を言っていた。

 少し赤くなった表情を見て、僕のアンテナがぴぴーん! とくる。あなどるな皆の衆。この戎崎 裕一。鈍感スケベ男から進化していると知れ。


 「……」


 そっぽを向いているうちに里香に近づく。気配を察知した彼女が驚いた表情でこちらを見た。


 「なんだよ」


 自分でも意地が悪いと思う。基本的に里香は負けず嫌いだ。身体を近づけたところで、自分から逃げれば負けだとでも思うに違いない。

 案の定、里香は顔を赤くしたまま動こうとしない。調子に乗って肩が触れ合うくらいまで近づく。さすがに怒られるかな、と思ったけど、予想に反して彼女は自分から寄り添ってきた。薄い布越しに感じる暖かさ。麻薬めいた心地良さだ。里香の香りと相まって相乗効果抜群。

 う……ヤバい。すげえキスしたい。無言で見上げてくる里香が愛しい。そのまま、そのふっくらとした唇に口付けたい衝動に駆られて、体中の気力を騒動してそれを振り払う。

 こんないい感じになってるけど、僕たちはまだ告白もしていない。駄目だ駄目だ駄目だ。我慢しろ。平常心だくーるになれ戎崎 裕一。その場の勢いに任せると最悪な事態になるのは身を持って経験しただろう。そうさ。落ち着け。もちつけじゃなくて落ち着くんだ戎崎 裕一。大きく息を吸って、吐くんだ。その呼気に煩悩をこめろ。そして吐き出せ。

 すー、はー

 すー、はー


 「なにしてんのよ」

 「ああ、里香にキスしたいっていう煩悩を追い払ってたんだ」

 「……」

 「……」

 「……」
 
 「……あ」


 しまったああああああああ! なに正直にまんまそのままありのままで語ってんだよ、この馬鹿! 拙いよ。凄く拙い。僕は今までで一番の窮地に立たされているんじゃないだろうか。このまま無事で済むとは思えない。きっと辛辣な毒を吐かれるに違いない。ああ、生まれてきてごめんなさい、とか言わされるに違いない。


 「……ふふ」


 ちゅ、と小さな音がした。


 「え――――――」
 
 
 驚愕して里香を見ると、真っ赤な顔をしながら小悪魔ちっくな笑みを浮かべているのを目に入った。そのしてやったり、みたいな顔はどうでしょう奥さん。

 
 「な、」


 里香とキスをしたことならある。それこそ、身体を重ねられない代わりに求め合ったのは互いの唇だ。飽きるくらいに重ね、その柔らかさと熱を分け合った。

 でも。

 でも、この不意打ちは……如何ともしがたい。


 「ななななな……」

 「なによ、裕一がして欲しいって言うからしてあげたんでしょ?」


 確かにして欲しいとは言ったけど、さ。本当にしてくれるなんて思うはずないだろ? だって、この頃は手すら握ったことなかったのに。

 まさか、里香って以外に積極的だったのか? でも僕がうじうじしてアタックかけなかったせいで進展しなかったとか。

 ……あり得る。

 というか、里香の性格からして、僕のヘタレな部分は呆れるものがあったに違いない。前時代的だけど、男らしくしろ、とはよく言うものである。少し積極的な方が、里香には好ましかった、ということか。

 それにしても、


 「うっ……ぐすっ」

 「な、なんで泣いてるのよ!?」


 一転、焦ったように近寄ってくる里香。キスした相手が急に泣き出したらそりゃあ焦るはずだ。もし性別が逆だったら、きっと泣かしているように思える。生憎、泣いているのは男である僕だったけど。


 「うん。嬉しかった……それだけだ」

 「感激して泣いてるの? もう、なによ!」


 心配して損した、と彼女は腕を組む。


 「なあ、里香」


 視線だけ寄越して応答する。僕は真っ直ぐに瞳を見返したまま、唇を突き出した。


 「もう一回してくれ」

 「寝言は寝てから言いなさい」


 ごっ、と鈍い音がしたような気がした。次いで襲う激痛。ぎゃあ! と声を上げて退くと、そこには手刀を振り下ろした状態の里香が居た。なんてこったい。姫様は僕の顔面を唐竹に割るつもりだったらしい。そのインパクトは想像を絶するダメージだったから間違いない。

 HP残り1になった僕はベッドに倒れこむ。仰向けだ。これじゃあ、草をくっても回復しそうにない。


 「……なんか急にお腹空いてきたわね。裕一、ここにあるの食べるわよ」

 「そ、それ、オレのなんだけど」

 「食 べ る わ よ ?」

 「……どうぞお召し上がりください、姫」


 よろしい、と大層に頷いた里香は、僕のぶんの昼食を食べ始めた。人間、腹が空けばなんだって食うものだ。例え干からびたほうれん草でも、胃の中に入ってしまえばどうってことないだろう。

 恨めしげに見てやる。むぅー、と効果音付きでやってやったので、気づいた里香は居心地悪そうである。さすがに罪悪感は感じているらしい。

 まあ、元はと言えば僕がキスしたい、なんて言うのが悪かったんだろうけど。


 「……裕一も食べる?」

 「食う」


 即答だった。病院生活はあまり身体を動かさないのに腹は減る。食っちゃ寝の生活は廃人的である。その生活に片足を突っ込んだ僕らは今日も拙い飯を食う。


 「はい、あーん」

 「……マジか」

 「な、なによ」

 「いや、してくれるなら嬉しい」


 心からの本心である。


 「じゃ、じゃあ。あーん」

 「んー。んぐんぐ。相変わらず味気ないな」

 「ふふ。そうね」


 彼女はおかしそうに笑った。僕も笑う。二人で笑う。

 それはいつか夢見た、僕らが望んだ世界だった。

 味のない食物を噛み締め、僕は思う。

 里香の笑顔を見て、僕は決意する。

 彼女と――――――

 この居心地の良い世界を――――――































 
――――――捨てる覚悟を。







                                                      ■ "MY_wAy"に続く ■